14.実像を結ぶ〝カレ〟
月曜、火曜、水曜……と、日常が過ぎていく。
俺は小鳥遊と約束した金曜日を指折り数えながら、日々を過ごした。
その間、唯との関係は少しだけ変化したかもしれない。
〝カレ〟の正体を知っている余裕が俺にそうさせるのか、意識的に彼氏役に務めるようになった気がする。
そのように振舞い、そのように唯に接した。
カメラの前でも、そうでない場所でも。
それを楽しむ程度に余裕ができたのか、俺は少し変わった。
この数週間、俺は唯の彼氏として確かに実在していて、唯と過ごす時間は〝カレ〟よりも長い。
どれだけ唯が〝カレ〟を想っていて、これがただの虚構だったとしても……俺は、唯の彼氏なのだと思えた。
最初に唯が、「彼氏役をして欲しい」と頼んできたときに立ち戻ったとも言える。
最終的に、虚実を入れ替えてしまえばいいのだ。
──……あるいはこのままでも……──
そんな言葉がふわりと浮かび上がったことに、自分でショックを受けた俺はソファの上で首を振る。
このままでいいはずがない。俺がこんな浮ついていてどうするんだ。
そんな考えがふとよぎって自問する。
俺の望みは、何だった?
この先どうするべきかを考えなくては。
これまでは、方針もないまま「まずは〝カレ〟の正体を」という話だった。
つまり、その正体がわかった以上、俺は次なる段階に進まねばならない。
〝カレ〟と相対して、どうするのかをだ。
一番の望みは、唯と別れるように言って……俺が唯の本物の彼氏となること。
自分の心に正直なれば、これが俺の望みになるはずだ。
唯は、ずっと片思いしてる幼馴染だ。
今回の件でそれを再確認して、思い知った。
しかし、と俺は思考をひるがえす。
小鳥遊が言った「愛の形は人それぞれ」という言葉が、その望みをためらわせたからだ。
現状の変えようがない事実として、唯は笠森の事をとても愛している。
それがどのくらい深いものかというのは、この現状を見れば一目瞭然だ。
唯はキスとセックス以外『全部』を差し出すほどに、深い愛情と理解を以て笠森の恋人でいることを選択している。
そんな唯を──そして笠森を、俺の尺度でどうこうしようというのは正しいことなのだろうか。
唯の幸せを考えるなら、親しくて安心でき、『ルール』を守れる幼馴染である俺が現状維持するのが一番いいのかもしれないとも思う。
何が正解で、何が間違いなのか。
俺の中では答えが曖昧になってしまっていて、判断がつかない。
「健司?」
加速する思考を、唯の言葉が途切れさせる。
そろそろ頭が沸騰するところだったのでいいタイミングだったかもしれない。
「ん? ああ、悪いちょっと考え事してた」
「最近考え事多いね? まあ、いいや。ちょっと相談って言うか聞いてほしいことあるんだけど……」
「珍しいな? いいとも」
俺がそう頷くと、エプロンで軽く手を拭った唯が向かいに腰を下ろす。
その顔は、少しだけいつもより暗そうに見えた。
「えっとね、小鳥遊ちゃんって覚えてる?」
突然に唯の口からでた後輩の名前に、思わず胸がドキリとする。
もしかして、俺と小鳥遊が笠森の事を調べていることがバレたのだろうか。
「同じ学校だし、ときどき顔も合わせるけど?」
「あ、それなら話はやいね。その小鳥遊ちゃんなんだけど……今週、全然部活に来てないみたいでさ」
「そうなのか……?」
それは、初耳だ。中学生の頃は「いやー、部活のためだけにガッコに来てる感じスね」なんて言ってたくらいに、部活好きな小鳥遊が?
「それで先週は健司と会ってたみたいだから、何か知ってるかなって」
「え……っと」
背中に嫌な汗をかいてしまう。
まるで浮気を問い詰められている気分だ。
さて、どう答える。
「実はちょっと借りがあって。それで、あいつにパンケーキを奢る約束をしてたんだ。久々にちょっと話したかったのもあってさ」
「え、何で黙ってたのよ。わたしだってパンケーキ食べたい」
「こうなるからだよ。それに、あれで小鳥遊も女子だからな、あんまり大っぴらに会ってることをお前や〝カレ〟に知られたくなかったんだ」
嘘と本当を半々に、そしてそれらしい理由もセットで。
これが、真実を覆い隠す冴えたやり方だと、小説で読んだことがある。
うまくできているかはわからないが──少なくとも、目の前の幼馴染は納得してくれたようだ。
「あー、そっか……。気を遣わせごめんね。それで、何か変わったこととかなかった?」
「いや、特には気が付かなかったな」
まさか「お前と〝カレ〟の周辺をあらっている」とは言えない。
だが、逆に小鳥遊があんなに好きな部活を休んでいるというのが気になる。
タイミング的に、村井先輩の家に行ったことが何かしらの引き金になっているかもしれない。
学生証なんてものを手に入れて帰ってきたくらいだ。
もしかすると、首を突っ込みすぎて村井先輩と顔を合わせづらくなっているのかもしれない。
「部活内で何か嫌なことがあったとかは?」
「部活のみんなも不思議に思ってるっぽいし、わかんないのよね」
唯と二人、首をかしげて考えるが答えは出ない。
「よかったらなんだけど、ちょっと気にかけてあげてくれない? 部活の中だと言い出しにくいことかもしれないし」
「わかった。また連絡してみるよ」
「ありがと。あと、今度から他の女の子と出かけるときは、ちゃんと申告するように!」
びしりと俺の鼻先に指を突きつける唯。
「な、なんでだ……?」
「わたしを不安にさせちゃうでしょ。いろいろと」
口から飛び出しそうになった「お前が何を不安に思っているのかわからないよ、唯」という言葉を喉の奥へと引っ込めて、俺はただ曖昧に笑って返した。
◆
唯によると、小鳥遊は木曜にも部活には顔を出さなかったらしい。
一応、一年生の部員が小鳥遊に事情を聴きに行ったらしいのだが、「ちょっと家庭の事情で」と話をはぐらかせたとのこと。
小鳥遊の家庭についてそう詳しくないので何とも言えないが、それは「話せない事情があるので踏み入ってくれるな」という場合の常套句である。
もしかすると、後輩はなにかしらの問題を抱えているのかもしれない。
ただ、今日──『金曜日の放課後に会う約束』をキャンセルしたいという連絡は来ていないので、俺はいつものカフェで小鳥遊を待っている。
いつもは学校で合流するのだが、今日は先に行っておいてほしいと連絡があった。
「お待たせっス」
一杯目のコーヒーを飲み終わるころ、小鳥遊がカフェに姿を現した。
俺の前に座るなり「約束のものを所望っス」とにこりと笑ったので、俺は店員を呼び止めてパンケーキとイチゴパフェを注文する。
「役得っス! えっと、それで写真は見てもらえたんスよね?」
「あ、ああ。ありがとう」
返事をしながらも、俺は少しばかり訝しむ。
唯から聞いた──小鳥遊の同級生が唯に報告した──様子とは、少し違ったから。
小鳥遊は『家庭の事情』があっさり通用するほどに、不穏な空気を纏っていたと聞かされていたが、どうだ。
普段通り明るい、というより普段よりも明るい気がする。
さすがにいつも鈍いと言われている俺でも、これは気付く。
今日の小鳥遊は、少し変だ。
「なあ、小鳥遊」
「なんスか? 先輩」
「大丈夫なのか?」
俺の質問を耳にした途端、わずかに小鳥遊の笑顔が固まる。
頭のいい小鳥遊の事だ。すぐに何かしらそれらしい理由を口にするだろうが、何か事情があるのは確実だろう。
「なんか、聞いたんスか?」
「部活に来てないって唯から聞いたんだ。それで、ちょっと心配してる」
「あはは、バレちゃったスか……」
力なく苦笑する小鳥遊。
「村井先輩と何かあったのか?」
「まあ、そういう感じっスね。ちょっと顔合わせづらいんで、村井先輩が引退するまで休部しようかと思ってるっス」
あの部活大好き人間な小鳥遊から休部なんて言葉が出るくらいだ、何かよっぽどのことがあったのかもしれない。
それが、俺がこんなことに巻き込んだせいだと思うと、胸が痛んだ。
「すまん、小鳥遊。俺のせいで……」
「先輩のせいじゃないっスよ。全部、自分がやりたくてやった事っスから、気にしないでほしいっス」
「でもさ──」
「『でも』も『だって』もないっス。そんな風に先輩が気に病んだら、自分の立つ瀬がないっスよ」
ぴしゃり、と俺の言葉を遮って小鳥遊が告げる。
これじゃどっちが先輩後輩かわかったもんじゃない。
「だから、この話は終わりっス! あ、でも唯さんには休部のこと伝えてもらっていいっスか?」
「ああ、事情は伏せて上手く伝えておくよ。それにしても、何があったんだ?」
「なんてことないんスけど、自分があんまり根掘り葉掘り聞いたもんだから、村井先輩が気を悪くして怒っちゃったんスよ」
やっぱり、俺の為に首を突っ込みすぎた結果か。
気にするなと言われても、やっぱり気になってしまう。
「しかし、どうやって学生証なんて手に入れたんだ?」
「村井先輩のお兄さんが〝カレ〟──笠森利彦と友達だったんすよ。それで、色々と交渉していただいたんス」
「その過程で村井先輩とは仲が悪くなった、と」
「もともとそんなに仲いい先輩じゃなかったんスよね……」
曰く、当初はOBである村井兄と話をするために会いたいという体で予定を取りつけたらしい。
話を盛り上げつつ、合間合間で〝カレ〟の事を匂わせて、笠森が村井兄と同じ学部であることを教えてもらったり、代返用の電子学生証を見せてもらったりしたそうだ。
その辺りのコミュ力はさすが小鳥遊というところだが、村井先輩にしてみれば『唯の元彼』に関しての野次馬だと感じたらしく、その日の態度についてかなり怒られてしまったとのこと。
村井先輩は唯ともつながりがある人だし……確かに、これは部活に顔を出しにくそうだ。
「唯さんは何か言ってたっスか?」
「いや、特には。心配はしてたけど」
「そっスか、自分が先輩のために動いてることがバレなきゃそれでいいんスけどね」
「いいわけあるか。ごめんな、小鳥遊。俺の為に」
テーブルぎりぎりにまで下げた俺の頭をツンツンとつついて、小鳥遊が口を開く。
「ごめんよりも、ありがとうが欲しいっス」
「……ありがとう、小鳥遊。助かった」
「んへへ、先輩と自分の仲じゃないっスか、いいんスよ」
ご機嫌そうな声で、下げたままの俺の頭をふわふわと撫でくる後輩。
「それよりもどうするんスか、この先は。こうなったら自分、とことん付き合うっスよ」
「小鳥遊……」
顔を上げると、小鳥遊が俺に微笑んでいた。
こんな顔をされちゃ、何も言えない。
「まずは笠森にコンタクトを取ってみようと思う」
「直接会って話すってことッスか?」
小鳥遊の言葉に俺はうなずいて返す。
こんなこと、早くに終わらせるべきだと思う。
いかなる結果になったとしても、俺は笠森に──〝カレ〟に会って話をしなくてはならない。
「ところで、どうやって会いに行くつもりっスか?」
「メールやメッセンジャーは知らないから、顔写真を頼りに大学の前で待ち伏せかな。唯に尋ねるわけにもいかないし」
「張り込みなんてしたら目立つんじゃないっスかね……?」
確かに、見慣れぬ高校生がうろうろしていると学生にも教員にも不審がられそうだ。
とりあえずは現地に行って、身を潜められそうな場所を探すしかないかもしれない。
それも十分に怪しいだろうとは思うけど。
「自分が何とかするっス」
「え?」
聞き返す俺に、小鳥遊が小さくうなずく。
「何とかってどうするつもりなんだ?」
「〝カレ〟の連絡先がわかるか、呼び出せたらいいんスよね? 唯さんにバレないように」
「ま、まあそうだが……」
「わかったっス」
パンケーキとパフェをすっかり平らげた小鳥遊が席を立つ。
「お、おい? 小鳥遊。どうするんだよ」
「とにかく、自分に任せてくださいっス。先輩のお役に立ってみせるっス」
そう頷いた小鳥遊の顔には、さっきと同じなんだか思い詰めたまま決心したような微笑みが張り付いていた。




