11.〝カレ〟の手がかり
まだ日が昇り切らない早朝。
俺は薄明るい朝日と小鳥のさえずりで目を覚ました。
隣では唯が小さな寝息を立ててまだ眠っている。
掛け布団から覗く細い肩と鎖骨の美しさに、思わず喉を鳴らす。
そんな俺の有様を知ってか知らずか、唯は俺を抱き枕にするかのような仕草で眠っている。
昔から寝相のいい方ではない幼馴染だが、これは少し煽り過ぎだ。
寝ぼけたふりをして『ルール』違反をしてしまいたい欲求が湧き上がってくるが、ぐっとこらえて……代わりに、唯に軽くハグを返す。
カメラの電源は昨日から入りっぱなしだ。
〝カレ〟がこの状況を見ている可能性がある以上、『ルール』違反はできない。
まったくもって、もどかしい。
……そもそも、〝カレ〟は性癖的にも少し奇妙だ。
特に、この『ルール』に関して。
普通──歪んだそれに普通があるかどうかは置いといて──『NTR』というものは、文字通りに『寝取り』『寝取られ』『寝取らせ』など、『寝る』ことが言葉に含まれている。
つまり、意味的にはセックスすることが前提となっているはずなのだ。
無論、ネットにも気持ちの問題が云々……という言葉もあったが、それならそれで軽微な性的接触であるキスを禁じられるのもよくわからない。
キスはダメだが体に触れさせるのはよくて、体に触れてもいいのにセックスはダメ。
〝カレ〟のことは心理も含めてずっと謎だが、やはり謎だ。
一体何がしたいのか、理解が及ばない。
唯に触れる俺のことを、どう考えているのかも。
それに、〝カレ〟は最近めっきり連絡を寄越さなくなった。
見ていなかった可能性も無きにしも非ずだが――いいや、見逃すはずがない。
唯が俺と過ごす時間を見て、〝カレ〟は何も思わなかったのだろうか?
俺と『恋人ごっこ』に興じる唯の姿を見れば、また電話を寄越すなり迎えに来るなりしてもおかしくはないのに。
唯のあんな姿を見れば、焦らされてたまらなくなるはずだろうに。
昨日からついたままのカメラをちらりと確認して、俺は唯の額にそっと口づける。
これを見て、まだ危機感を抱けないのか、お前は?
それとも、俺はもっと『積極的』になったほうがいいのか?
得体のしれない不安に苛まれつつ、幼馴染の身体にそっと触れる。
幼馴染が目を覚ますのにそう時間はかからなかった。
◆
「もう、ダメだよ? 健司」
「すみません」
少しばかり『恋人ごっこ』が過ぎて家を出るのがすっかり遅くなってしまい、ギリギリの登校となってしまった俺は、昼休憩にようやく落ち着いて──唯に怒られていた。
当然、唯も遅刻ギリギリとなってしまったわけで大変だったのだ。
「お弁当も作れなかったし。……健司のバカ!」
「悪かったって」
「絶対悪いって思ってないでしょー。わたしにはわかるんだからね」
購買で買ったタマゴサンドを食みながら、唯が小さくため息を吐く。
俺の謝罪が形ばかりのもので、まったく反省していないことを見抜いているのだ。
「でも、たまにはこういうのもいいじゃないか?」
「誤魔化さないの」
「そんなこと言ったって、唯だって俺を止めなかったじゃないか」
「それは、その……うん、そうだけどさ」
サンドイッチを持ったまま、赤くなってうつむく唯。
あんまりそういう顔をされると、学校でも抑えが利かなくなりそうなので、程々にして欲しい。
「だって、健司がさ、わたしをあんな風にできるなんて、想像できなかったし」
「もしかして嫌だったか?」
「ううん。でも、ちょっと……」
タマゴサンドの最後の一口を口にいれて、唯がまごつく言葉を誤魔化そうとする。
唯が俺の反省が嘘とわかるように、俺にだって唯が何かを誤魔化そうとしているのかわかってしまう。
「それで? ちょっと、なに?」
ペットボトルの紅茶で飲み込んだのを確認した俺は、唯に尋ねてやる。
普段なら、ここでその話題を終わらせてしまうところだが……あえてだ。
唯にそれを言わせたくなってしまった。
「ちょっと。ダメ、恥ずかしい」
「言って」
「健司ったらイジワルしてるでしょ?」
「バレたか」
ジト目の唯に軽く笑って返して、俺は立ち上がる。
バレてしまったが、恥ずかしがる唯が見れたのでとりあえず満足だ。
こういう『恋人っぽいこと』ができるのが、最近ちょっと嬉しい。
〝カレ〟の事はずっと引っかかっているが、こんな生活も悪くないように思える。
だから、唯が思い切ったように発した言葉に驚いてしまった。
「ちょっと──……クセに、なりそうかも」
「ん? なにが?」
「健司に触れられるのが」
その告白に全身が熱っぽくぞわりとする。
唯に認められた、必要にされた──それが、俺の承認欲求を大きく満たした。
……いま、ここにいる唯は〝カレ〟でなく俺を見ているのだ。
「俺も唯にもっと触れたいと思ってるよ」
「え、っと。うん。──お願いします」
俺がどんな顔をして、どんな目で唯を見ているのか、鏡がないのでわからない。
だが、そんな俺の顔を瞳に映す幼馴染は、幼いころから変わらない期待まじりの顔を俺に見せて、「わたし、大丈夫かな……」と恥ずかしげに微笑んだ。
◆
「ここのところはご機嫌だったっスね、先輩」
週末の金曜日。
いつものカフェで情報を整理していた俺に、小鳥遊がそんなことを言った。
自分では気づかなかったが、そんな風だったのだろうか? 俺は。
「何でそう思う?」
「雰囲気が明るかったっス。先々週とは顔つきが全然違うっス」
「そうか?」
「そっス。なんかいい事あったんスか?」
後輩のそんな質問に、俺は最近を思い返す。
やはりきっかけは、唯のあの言葉だろう。
──「健司に触れられるのが」。
脳裏にふと、あの日の唯の声が残響する。
それが勝ち筋のように思えて、ようやく見えた光明に俺は無意識に気を良くしているのかもしれない。
「鼻の下が伸びてるっス。唯さん関連スね?」
「ま、まあ、そうだな」
「やれやれっス。後輩がこんなに頑張ってるのに! ダメっすよ?」
そう頬を膨らませる後輩に、俺は苦笑を返して追加の賄賂を注文する。
「それで、どうだった? 村井先輩は」
「っス、そのことなんすけど……村井先輩は別れたと思ってたみたいっス」
「普通に考えたらそうなるよな」
俺達のような高校生の恋愛であれば、数か月で破局なんてことはザラにある。
「唯さんには気まずくて、事情を尋ねられなかったみたいっスね」
「それは確かに。自分が紹介したのにたった三ヶ月で俺が噂になってるんだもんな」
「あ、それと紹介したのに関しては直接じゃないらしいっす」
「ってことは、村井先輩は〝カレ〟を知らないのか?」
俺の質問に、小鳥遊が曖昧に首をかしげる。
「その〝カレ〟なんスけど、村井先輩のお兄さんのお知り合いみたいっス。ただ、先輩自身はそこまで親しいわけじゃなくって、名前も覚えてないし、顔写真とかも持ってないみたいっス……」
小鳥遊は残念そうにするが、これは大きな進展だ。
少なくとも、『どこのだれか』に通じる線が繋がったのだから。
「なぁ、小鳥遊。村井先輩を俺に紹介してくれないか?」
「それはちょっと自分も思ったんスけど……あんまりよくない気がするっス」
「どうして?」
「それはっすね……」
俺の質問に、小鳥遊がフォークを振りながら説明する。
つまり、俺がどういう立場で『元カレ』に接触しようというのか、という話である。
確かに、『今彼』が『元彼』に接触するのなんて『すでに起きたトラブル』か『トラブルになるか』が大半だ。
唯と俺が公然と交際しているように見えている今、村井先輩に〝カレ〟のことについて接触を持つのは、警戒されてしまうに違いない。
……故に、きっと何も情報を引き出せないだろうというのが小鳥遊の見解だった。
ぐうの音も出ない正論。些か結論を焦り過ぎたか。
「どうしてもって言うなら、事情を話しちゃうしかないっス」
「よく知らない先輩だし、俺達が調べているのが唯に伝わりそうだよな……」
「っス。なので、先輩が直接っていうのはやめといたほうがいいっスね」
関係者を特定できたというのに、何もできない自分がもどかしい。
小鳥遊がこんなに頑張っているというのに、唯と仲良くできているなどと浮かれていた自分が恥ずかしい。
「落ち込むことないっスよ。自分に任せてくださいっス」
「何か手はあるのか?」
「ふっふっふ、自分の有能さが怖いくらいっス。実はもう村井先輩に約束を取りつけておいたんスよ」
意気揚々という感じで、パンケーキを大口でぱくりと食む小鳥遊。
それが喉を通過するのを見届けてから、俺は尋ねる。
「約束って?」
「明日、村井先輩のお兄さんに会ってくるっス」
「……!」
後輩の仕事の早さに感心すると同時に、少し心配になる。
少々、勇み足が過ぎやしないだろうかと。
「あ、大丈夫っスよ。村井先輩のお兄さん、自分達と同じ部活だったんスよ。それで、ちょっと話したいって体にしてあるんで」
「それなら俺も……」
「だから、先輩が来ると怪しまれちゃうじゃないスか。お兄さんに先輩の話が伝わってたらどうするんスか」
小鳥遊が軽く苦笑して、俺の手に触れる。
「でも、心配してくれて嬉しいっス」
「当たり前だろ。何かあったら、すぐ連絡しろよ?」
「わかったっス! ま、大船に乗った気持ちで待っててくださいっス」
快活に笑う小鳥遊に、俺はうなずいて返す。
小鳥遊に任せるしかない不甲斐なさはあるが、この優秀な後輩の有能さが頼もしくもあった。
それに、うまくすれば、近々に〝カレ〟に対面することができるかもしれない。
そんな浅はかな希望的観測が、俺の不安を曖昧に覆い隠していた。




