10.危うい俺たち
「この週末はどうしてたの?」
日曜日の夕方に姿を現した唯が夕食の準備をしながら俺に尋ねる。
それにどう答えたものかと窮した俺は、虚実を織り交ぜた答えを返すことにした。
「友達と遊んでたよ」
そう答えながら、俺は迂闊な後輩の顔を思い浮かべる。
昨日、すこし意外な顔を見せた後輩──小鳥遊ならば、友人と呼んでも差し支えはあるまい。
なんなら週末にまた会う約束をしてるしな。
「なんか意外。健司が友達と遊んでるのって、あんまり想像つかないかも」
「そうか? 普通に出かけたりダベったりするけど?」
「じゃあ、今度『彼女』として紹介してもらおうかなー」
唯の何気ない言葉に小さく固まる。
遊び相手が小鳥遊だと言ってしまったほうがいいだろうか?
いや、今は唯の件で動いてもらっている最中だ。妙に勘繰られるのはまずい。
「また今度にな。だいたい、唯は週末いないじゃないか」
「別に平日でもいいし、言ってくれれば週末だって空けるわよ?」
「〝カレ〟の所に行かなくていいのか?」
「別に毎週ってワケじゃないよ? 土曜日だって会えなかったし」
唯の答えた言葉が、俺には些か意外だった。
あんな歪んだ性癖を受け入れるくらいだから、もっとべったりなのかと思っていたのだが。
「でも、日曜日はちゃんと時間作ってくれたんだけどね。えへへ」
「そりゃよかったな。で? 来週は?」
会話の流れで、軽く探りを入れる。
来週も唯がフリーなのであれば、小鳥遊と会う段取りを少し変えなくてはならないかもしれない。
中学時代は部活が一緒で、今は同じ高校なのだから小鳥遊と俺が会っていたってなんら問題はないはずだが、唯の彼氏のことで動いてもらっている以上、リスクは避けるべきだろう。
「うーん。多分、〝カレ〟のところかな。お泊りになると思う」
唯の何気ない返答に、胸がずきりと痛む。
当たり前のことだが、唯と〝カレ〟は交際中の本物のカップルで、俺はあくまでそんな二人の『ダシ』となる、いわば間男のようなキャストなのだ。
週末に、俺の知らないところで二人がどんな風に過ごしたって、俺に文句を権利はない。
しかし──最近は、単なる嫉妬ではない感情が胸の奥にある気がする。
それは妙にうすら暗くて、粘着質で、時に浮かれされるような奇妙な気持ちだ。
最初は小さかったその違和感が、徐々に自分の中で大きくなっているのを感じている。
そして、それは唯から〝カレ〟との幸せな様子を聞くたびに少しずつ育っているような気がした。
「じゃあ、俺も週末は予定を入れさせてもらうよ」
「うん、わかった」
うなずいた唯が、ちらりと俺の顔を覗き込む。
急に顔を近づけるものだから、俺は思わず驚いてしまった。
「ど、どうした?」
「ううん。なんかちょっと楽しそうだなって。……もしかして、女の子かなぁ~?」
「彼女役としては妬けるか?」
いつもの意趣返しとばかりに、そう訊ねてみる。
まあ、唯が俺のことを幼馴染以上に思っていないことは、既知の事実であるのだが。
「ん~……」
「やけに長考だな」
「ちょっと、モヤっとしたかも? わたしとの事、もう頼めなくなっちゃうし?」
「じょ、冗談に決まってるだろ」
慌てて、前言を撤回する。
この様子だと、やはり小鳥遊と一緒にいることはあまり表に出さないのが賢明だったようだ。
もし勘違いをされて『彼氏役』でなくなったら、次に〝カレ〟がどんな相手を唯にあてがうのか予想できない。
唯は俺だから……と言いはしたが、もし〝カレ〟に求められたら受け入れてしまう可能性だってある。
「やっぱりね! でも、ホンモノの彼女が作りたくなったら言ってね。このままだと健司も困るでしょ?」
「そういえば期間については聞いてなかったな。〝カレ〟は何か言ってたか?」
「ううん、なにも。いつまで? なんて聞けないし、強いて言えば〝カレ〟のその……欲求が満たされたら?」
出来上がった料理をテーブルに並べ終えた唯が、そう眉尻を下げて苦笑する。
だが、その話を聞いた俺は心の中がうっすらと冷めていくのを感じた。
──きっと、満たされたりなどしない。
唯は些か甘く見ているようだ。
俺が思うに、〝カレ〟は今まさに、満たされているはずなのだ。
自分の恋人を俺に……〝幼馴染の男〟に寝取らせることで。
だが、〝カレ〟は終わりを宣言しない。
もしかすると、できないのかもしれない。
俺という都合の良い『浮気相手』を見つけたのだ。
今後も程よい距離感で唯に『浮気』をさせるつもりだろう。
もしかすると、俺の唯に対する気持ちにも勘付いているかもしれない。
そんな俺が相手だからこそ、リアリティある上質な体験を得られるのだ。
「健司?」
「あ、いや……悪い、ちょっと考え事してた」
「いつまでにするか、聞いておこうか?」
唯の提案に俺は首を横に振って応える。
そんなことをして、彼氏役でなくなってしまったら本末転倒だ。
俺が唯の彼氏役でいる限り、こうして唯のそばにいられる。
「いや、いつまででもいいさ。それに、学校じゃそういうことになってるしな」
「あ、それもそっか……」
「こっちから聞いておいてなんだが、気にしないでくれ。これで、楽しんでやっている」
「そう? じゃこの話はおわりー。ごはんにしましょ!」
「ああ、うまそうだ」
手を合わせて食事を開始してから、俺は心の中の焦りを感じていた。
あまりにもするりと言葉が出てしまったことに。
──「楽しんでやっている」。
これが嘘なのか、それとも本心なのか。
その境界線がまるで曖昧になってしまっているかの様な得体のしれない不安を抱えたまま、俺は温かな料理を口へと運んだ。
◆
「あのね……健司がしたいことって、何かある?」
食事を終え、いつものようにお茶をすすっている最中。
唯が突然そんなことを俺に尋ねてきた。
「いま、してるけど?」
「そうじゃなくて、えっちな、こと。健司がわたしに、したいこと……ある?」
いきなりそんなことを聞くなんて、また〝カレ〟に何か吹き込まれたのだろうか。
「そりゃ、まあ」
「健司がわたしに、したいこと、知りたいの」
「そうだなぁ……唯は? 俺にしてほしいこととかあるのか?」
この生活が始まってわかったことだが、唯は意外とムッツリだった。
本人曰く、女性誌の特集やネットでハウツーなどを調べているらしい。
『ルール』の範囲内とはいえ、唯が俺に望むなら何でもしてやりたいとは思う。
「わたしは、えっと……いろいろある、かも」
「じゃあ、教えてくれ。俺は〝彼氏役〟だからさ。唯のやりたいことに、何でも応えるよ」
俺の言葉に、「うん」と顔を赤くして頷いた唯が、湯呑をあおって立ち上がる。
その手には、そろそろ見慣れた防水のデジカメ。
「先にお風呂に行ってるね」
「わかった」
そう返事して、俺は軽く唯に手を振ってみせる。
幼馴染は『この後』に期待する気配を残して、扉の先に消えた。
「……」
俺はそれを見送って、小さく息を吐きだす。
『唯にしたいこと』を考えすぎて、もう少しで先走るところだった。
カメラのない場所だと、『ルール』まで曖昧になってしまいそうで少し危うい。
……いや、危ういのは俺たち全員か。
〝カレ〟はこの綱渡りをどう思っている?
唯はまるで油断しきっているし、俺はいつか暴発するだろう。
限定的な場面でなく、実生活でも俺と唯を偽の恋人同士にするのは一体何が目的なのだろうか?
そんな疑問が湧き上がりはしたが、脱衣室からかすかにする唯の気配と一緒に、俺はそれを心の底にそっとしまい込んだ。




