9.間違いが起きるかもしれない
唯と『ヘンな話』をした朝から数日。
異常ながらも平穏な日常を、俺達は過ごした。
唯は毎日のように俺の家に来てはかいがいしく俺の世話を焼いてくれたし、夜には泊まっていくこともあった。
その度に、俺達は当然のようにお互いに触れあった。
まるで本当の恋人同士のように。
……だが、〝カレ〟が過剰な反応を寄越したのは、あの日曜日の一件だけだ。
唯だけでなく、俺までなんだか不安になってしまう。
バカげた話だとは思うが、たった一度の達成感と優越感が俺の意識を変えてしまったのかもしれない。
とはいえ、根本解決を諦めたわけではなく、時間を見つけては小鳥遊と連絡を取ってはいた。
今のところ、まだ有力な情報はつかめていないようだが……徐々に絞り込めてきたとは聞いている。
後輩にばかり働かせては気まずいので、俺も可能な情報収集は唯からしておく。
大したことない情報でも、なにが決定打として結びつくかはわからいし……俺個人として、〝カレ〟に興味を持ち始めた部分もある。
歪んだ性癖と俺の嫉妬から先入観ありきで人物像を作っていたが、実際はどんな人間なのだろうか、と。
そんなことを考えながら、迎えた金曜日。
予想外なことに、唯が教室まで俺を迎えに来た。
「健司、帰ろっか」
「あれ? 〝カ──……」
うっかり「〝カレ〟はいいのか?」と口走りそうになって、すんでのところで口をつぐむ。
最近、あまりにも自然に〝カレ〟の話題が出ていたものだから、少しばかり気が緩んでいたのかもしれない。
「今日、用事はいいのか?」
「うん。今日はいいの。せっかくの金曜日だし、どっかでお茶して帰らない?」
「えっと……」
普段なら、二つ返事でついていくところなのだがあいにく今日は用事がある。
ここのところで集めたいくつかの情報を、俺と小鳥遊すり合わせる約束をしているのだ。
「すまん、唯。今日はちょっと先約があってさ」
「え、そうなの? 健司ったらちゃんと友達がいたのね」
「失敬な」
俺の返答にくすくすと笑う唯。
こちらから断っておいてなんだが……機嫌を損ねた様子も、寂しそうにする様子もないのが少し悔しい。
「じゃあ、わたし先に帰るね。遅くなっちゃダメだよ?」
「ああ。気を付けてな」
教室を出ていく唯を、クラスメートが視線で追う。
その後、数人が俺の元に駆け寄ってきて妬ましげに口を開いた。
「おまっ……佐藤さんに声かけてもらってなんなの? リア充なの?」
「くそう、幼馴染で彼女だからって余裕ぶりやがって」
「用事ってなんだよ、もっと佐藤さんを大事にしろよ」
まったく事情を知らない外野が余計な口出しをするんじゃないよ。
俺だって、本当は行きたかったんだ。
……という言葉を飲み込んで、「いろいろあるんだよ、俺にも」と軽く誤魔化す。
「安田君、一年生の子が呼んでるけど?」
クラスメートたちの質問をかわしながら、帰り支度を急ぐ俺の背中にそんな声がかかる。
振り向けば、廊下から小鳥遊が顔をのぞかせていた。
「せんぱーい? あ、いた! 時間すぎてもぜんぜん来なかったんで、様子見に来ちゃったっス」
「あ、すまん……! すぐに行く」
クラスメートたちを押しのけて、小鳥遊の元へ向かう。
背後からの視線が些かいた気もするが、いちいち気にもしていられない。
「それじゃあ、いくか。こないだのカフェでいいか?」
「はいっス。今日はパンケーキを追加するっス」
いい情報でも入ったのだろうか。
どこか上機嫌な後輩を連れて、俺は教室を後にするのであった。
◆
「……ということなんスよ」
小鳥遊は部活のメンバーからいろいろな情報を集めてきてくれた。
当時の唯の様子だったりとか、話していた内容が中心だったが……中でも重要だったのが、村井という三年生の女子の話だった。
何でも、彼女が唯が〝カレ〟と知り合うきっかけを作った人物であるらしい。
「どんな事情かはまだ聞けていないスけど、自分も結構話す先輩なんで、来週はもう少し探りを入れてくるっス」
「ありがとう、助かるよ」
「いいんスよ。こうして奢ってもらってもらってますし」
小鳥遊の前には、四段重ねの上に生クリームとイチゴがたっぷり乗ったパンケーキが鎮座している。
小さいなりのわりに、よく食う。
「あとは、そうっスね……その彼氏さんの大学はわかったっス」
「どこなんだ?」
「西方治大学っスね」
「近くだな……」
西方治大学は、俺たちが通う高校の最寄りから一つ先の駅にある比較的大きな大学だ。
偏差値もそれなりに高く、地元を離れない学生はここを目指す者も多い。
「学部とかはわかんないのは如何ともしがたいっスけど」
「ああ、学生の数も相当多いしな」
俺の言葉にへにゃりと眉尻を下げて、小鳥遊がパンケーキを一切れ口に放り込む。
「ほとんど役に立ってない気がするっス」
「そんなことあるもんか。紹介したヤツを見つけてくるなんて、思ってなかったよ」
「……それなんスけどね」
カフェオレでパンケーキを流し込んだ小鳥遊が、小さく首をかしげる。
「村井先輩は、どう思ってるんスかね……?」
「どうとは?」
「自分がきっかけで彼氏さんと唯さんが付き合い始めたワケじゃないスか?」
「ああ、そうか。なるほどな」
自分の紹介で知り合い同士が交際を始めたというのに、ほんの三ヶ月ほどで俺と唯が学校で公認のカップルとなっていることについて、その村井という先輩はどう思ってるのだろうか。
人によっては三ヶ月で別れるなんてこともあるだろうが、小鳥遊がその件で探りを入れても無反応というのは、少しばかり疑問が残る。
「もしかしたら村井先輩、事情を知ってるんスかね?」
「その可能性はあるかもしれないな」
「それも含めて、来週調べてくるっス」
二枚目のパンケーキを腹に収めた小鳥遊が、気合を入れた様子でうなずく。
後輩に頼りっぱなしでも申し訳ないと思うが、面識のない先輩女子に俺が接触するのは逆に怪しまれる。
ここは小鳥遊に任せるしかないだろう。
「それで、先輩」
「ん?」
「唯さんとはどこまでヤったんスか?」
後輩の言葉に、思わず口に含んでいたコーヒーを噴き出しそうになる。
いきなり何を言い出すんだ、こいつは。
「なんで、そんなことを?」
「ちょっと興味があるっていうか、どんなことをシてるのか気になっちゃったっス」
自分で何を言ってるのか徐々に理解してきたのか、小鳥遊の顔がうっすらと朱に染まっていく。
「……やっぱ今のナシでおねがいするっス」
「ま、するにしても、こんな人がいるようなところで話すもんじゃないだろ」
「そうっスよね。ハハハ」
乾いた誤魔化し笑いを巣小鳥遊に、俺も苦笑を返す。
しかし、少しばかり驚いた。まだまだお子様だと思っていた後輩がそんなことに興味があるなんて。
「そういえば、小鳥遊にはそういう話ないのか?」
小鳥遊本人の印象はともかく、こいつはこれでそこそこにモテるはずだ。
小動物っぽいところはなかなか愛くるしいし、容姿も多少幼くは見えるが整ってはいる。
なにより、こうして話しやすい性格は、中学時代にだって人気があった。
実際に俺の中学時代の同級生は、小鳥遊に片思いをしていたのを知っている。
「自分スか? ないというか、あるというか……」
「なんだそれ」
最後に残ったパンケーキをつつきながらもじもじと言葉を濁す小鳥遊に、思わず笑ってしまう。
なんだかんだ言って、こいつも年頃の女の子なんだなと思うと少し安心した。
「そんな事より、この後どうするっスか?」
「ああ。そうだなー……今日は唯も彼氏のところだろうし、俺は家に帰ってダラダラするよ」
俺の返答に、後輩がきらりと目を輝かせる。
なんだか嫌な予感がしたが、小鳥遊はすぐにそれを口に出してしまった。
「なら、先輩の家に行っていいっスか?」
◆
「お邪魔するっス」
しっかりと靴を揃えて脱いだ小鳥遊が、玄関で元気よく頭を下げる。
一度は断ったのだが、紆余曲折あって結局自宅に招くことになってしまった。
「帰らなくて大丈夫なのか?」
「自分ちは、親も帰りが遅くて放任主義なんスよ。あ、でも帰りは駅まで送ってくれると嬉しいっす。自分、ちょっと方向音痴なんで」
「はいはい」
苦笑しつつ、小鳥遊を部屋へと案内する。
「ここは先輩の部屋なんスね! 結構片付いてるじゃないスか!」
「散らかってると効率悪いだろ」
「あはは、いまのすっごく先輩ぽいっス!」
笑いながらベッドに腰を下ろした小鳥遊が、視線をぐるりと巡らせて部屋を見る。
特にやましいものはないはずだが、こうもまじまじと観察されると些か落ち着かない。
「む、これが例のカメラっすね」
メタルラックに設置されたカメラを指さして眉をきりりと吊り上げる小鳥遊。
「もう、ここにあるのに慣れちまったよ。それで? なんだって俺の家に来たがったんだ? そろそろ理由を教えてくれよ」
「ナシのナシっておっけーっスか?」
「んん?」
話が見えなくて、俺は首をひねってしまう。
小鳥遊は一体何の話をしてるんだろう?
「人がいないところなら、話せるんスよね?」
ここにきて、ようやく小鳥遊が何を言っているのかわかった。
すでに終わった話だと思って、ここまでまったく思い至らなかったわけなのだが。
……それで「ナシのナシ」か。
「おい、まじか」
「まじッス。自分と先輩は一蓮托生! 情報共有希望っス!」
「勘弁してくれ……」
「ほらほら、はやくはやく。ここに座るっす」
小鳥遊が自分の隣をぽんぽんと叩いて、俺を急かす。
俺は軽くため息を吐いて、言われるがままにベッドに腰を下ろした。
その瞬間、ふわりと小鳥遊の匂いがして俺はギクリとする。
今の今までまったく意識してこなかったが、唯以外の異性がこの部屋に入ってきたのは初めてだ。
それにこの構図。唯と並んで座った昨日にそっくりではないか。
思考が右往左往して、うまくまとまらない。
「……」
「先輩?」
黙り込んでしまった俺の顔を、小鳥遊が覗き込む。
その拍子に、少し体が触れた。
それに動揺した俺は、まとまらない思考のまま口を開く。
「唯とは、丁度こんな感じで並んで座って話してて……その後、唯がカメラの電源を入れたんだ。それで唯がベッドの上に戻ってきて──」
「……ッ」
つらつらと話す俺をまじまじと見る小鳥遊の顔が、みるみる赤くなっていく。
「あ、っと、すまん」
「あはは、は、ちょっとびっくりしたけど大丈夫っス」
照れ笑いをする小鳥遊の隣で、俺は頭をかく。
どうにもいけない。唯人のあの夜の気配が部屋に漂っていて、話していると妙な気分になりそうだ。
「続きは? もう終わりっスか?」
「はー……お前はもうちょっと危機感を持て」
小さくため息を吐いて、後輩の頭をぐりぐりと撫でくる。
このよくできた後輩は俺のことを安心安全と思っているようだが、そうでないことは今の話から想像できるはずだ。
「ほら、部屋は見たろ? そろそろ駅まで送っていこう」
「先輩がイジワルっス!」
「あんまり煽ってくれるな。間違いが起きたらどうする」
軽口を叩いて立ち上がろうとする俺の手を、小鳥遊がゆるく握って囁く。
「間違い、起きるんスか?」
「小鳥遊……?」
「自分でも、その──……」
何を言いたいかは想像に難くないが、それに正直に答えるは些かまずい。
しかし、上目遣いに俺を見上げる小鳥遊はそれを待っているように思えた。
「起きるかも、しれないだろ? 間違い」
「そうなんすか?」
「そうだよ。俺は節操のない危険な男なんだ」
少し冗談めかして答える俺に、小鳥遊が悪戯っぽく笑う。
「ちょっとくらいなら、いいっスよ?」
安い挑発だが、今の俺には少しばかり毒が過ぎる。
この迂闊な後輩をどうこうしてやるわけにもいかないので、俺はそれをぐっと抑え込んだ。
「バカ言ってないでカバン持て。ほら、帰るぞ」
「うぎゅッ」
後輩の額をデコピンで弾いて誤魔化し笑いを顔に貼り付けた俺は、苦笑と共にベッドから立ち上がった。




