4-05 Penetrator ~突き進む竜とズッ推しの翔竜記者~
競翔という、レース用に品種改良された競翔竜と呼ばれるドラゴン達が競い合う競技がある世界。ある日、両親に連れられてレースを見に行った少年は、そのレースに優勝したドラゴンに顔を舐められる。
ドラゴンからしたら、自分を応援してくれた小さい人間に対してのファンサービスだったのかもしれない。
だが、少年はその事が切欠となり初恋をした。レースにも、顔を舐めたドラゴンに対しても キミに、キミたちに関われる大人になると決意させる程に。
ある競翔新聞社のオフィス。自分のデスクで記事を書いている二十代前半の男性がいた。彼の名は、マノ・コレル。彼が今書いているのは、新入社員が入って来た時期恒例の『自分が一番好きな競翔竜』紹介コーナー。その記事の一部には、こう書かれている。
ペネトリューア。それが僕の顔を舐め、将来の夢を決める切欠となったドラゴンの名前だ。通算成績18戦9勝。競翔竜が勝利を目指す『七杯』(セブンストロフィ)という大きなレースの一つ、桜竜杯というレースを二連覇した雌の竜。
美しい白竜は、その二回を共に鮮やかな飛翔で逃げ切って勝ち取った。スタートからゴールまで突き進むその姿は、まるで白い弾丸のようだったと言われている。
「マノくん、本当にリューアの事が大好きだよね」
「……僕の、初恋ですから」
「初恋かー。確かこの子の引退レースの時にマノくんは顔を舐められたんだっけ。この子達の種族の、昔の習性だったらしいけど、別に接点は無かったんでしょ?」
「はい。僕は両親に連れられて彼女のレースを見に行きました、まさか引退レースだなんて思わなくて……」
「そこで電撃的出会いかー。確かにそれは幼心に初恋の気持ちを与えちゃってもおかしくはないよね。ちなみに、この記事は普通に良い記事だから、不適切な所が無ければそのまま次号に載せてしまうけど、構わないかしら?」
「あっ、最初の僕の顔を舐めは恥ずかしいから直します!」
「面白くていいじゃない。それに最初の自己紹介の時に、ここの皆には話してるわよ?」
「社長ー! 意地悪をしないでくださいー!」
僕に対してフレンドリーに接している四十代前半くらいの女性は、この新聞社の社長だ。なんでも昔は、競翔竜の乗り手もこなしていたという。
「七杯の一個くらいは、私が乗ってた子に取らせてあげたかったんだけどね。落竜して大怪我してそのまま引退しちゃったからね、私」
「確か、華竜杯の最有力候補でしたか、社長」
「詳しいわね。うん、華竜杯の直前のレースで落竜しちゃって。その後の競翔再試験のせいでその子を出してあげられなくなっちゃったのが、本当に申し訳なかった」
「でも、その子の子供が、確か華竜杯と竜王杯を」
「それは本当に嬉しかった。所謂、母の無念は子が晴らす! 的な。だからこそ、余計にその子に申し訳なかったっていうのがね。記事の続きを、見せてもらっても構わないかしら?」
「どうぞ。社長に校正していただけないと、まだ出せませんからね」
社長は僕の書いた記事の原稿に目を通す。中身の大まかな内容はこうだ。
セブンストロフィとは、桜竜、武竜、樫竜、勇竜、楓竜、華竜、そしてその六つの杯のうちのどれかを獲らななれけば出場すらかなわぬ竜王杯を合わせての七杯。なので、それを二連覇したペネトリューアは、紛れもなく僕の一番好きな競翔竜です。
「七杯の説明をする必要はあるのかしら? とは思ってしまうけど、そういえば今年のシーズンは来月からよね。そこから競翔に興味を持つ人もいるでしょうし、初々しいからオーケーにします!」
「顔を舐めた部分は消させてください!」
それは却下! と僕に伝え、満足気に社長は自分のデスクに戻っていく。きっと、退屈しのぎも兼ねていたのだろう。
現に、人員は、僕と社長を残し出払っている。理由は当然、先程も社長が言っていた七杯の有力竜の取材及びリサーチだ。母や父になった元競翔竜の現在や、僕の記事みたいに推しを紹介する人。勿論、僕の記事よりも大きな扱いだが。
「リューア、元気にしてるかなぁ」
子供の頃から彼女がずっと好きだった。彼女が居たから頑張れたし、夢を持つ事ができたとも言える。ただ、好きすぎて両親を呆れさせた事もあったし、もう引退したヤツだろそいつとからかわれたりする事もあった。
僕の将来は、競翔竜の乗り手になる事だった。その頃の僕には、関われる仕事というのはそれだけだと思っていたからだ。だから、体力作りも頑張ったし学業も頑張った。そのおかげか学校での成績はほぼ一桁順位。頑張りは報われたと思ってしまった。
慢心をしていたわけではない。ただ、思春期にありがちな全能感は、心の何処かで持っていたのかもしれない。
夢に向かい努力をしているのは、自分だけではない。努力をして夢を叶える事ができるのなら、世の中には夢を叶えた者ばかりで溢れている筈。
そんな簡単な事に気付くのは、彼が競翔の専門学校に入学してからだった。周りの凄さに圧倒され、自分は大海を知らない井戸の中の蛙のようなものだと。だが、彼はその後も諦めはしなかった。乗り手以外にも、競翔竜に関わる仕事はある事を、外部からの情報ではなく、内部から知る事ができた。
乗り手ではなく、書き手で関わる。それが彼の取った選択。そしてそれを拾い上げたのが今の社長。決して大きな新聞社ではないが、社長が元乗り手だった事もあり、根強いファンがいる。
先の記事を載せた新聞が世に出てから一週間後。新聞社に一通の手紙が届く。それは、ペネトリューアを生産した牧場からの手紙。宛先こそ新聞社だったが、その内容は明らかにマノ宛。もう十年以上も経つのに、今でもあの子を好きでいてくれてありがとうとのお礼の言葉が綴られている。と、同時に彼女が病に侵されてしまい、もう長くはない可能性が高い事と、それまでに会いに来て欲しいという事も、手紙には書かれていた。
「マノくん。早速だけど大きな仕事がやってきたね」
「社長。リューア、もう長くないかもしれないって書いてありました。そっか、僕がまだ子供の頃に現役で走っていましたから……競翔竜の寿命は二十年から三十年と言われていますからね」
「リューアは若い頃に子供を残す事ができなかったから、ファンには愛されていたけれど、後継を残す事ができなかったのが残念ね」
「リューアの話題を殆ど聞かなくなったのは、その所為だったりするんでしょうか?」
「……貴方には酷な話かもしれないけど、そうね。七杯を勝つ竜は毎年生まれている。三年くらいなら人の記憶には残るでしょうけど、それ以上となると余程好きな人でなければ、そうなるのが自然な話よ」
そこまで話しながら、社長はマノの頭をくしゃくしゃと撫でる。
「思い出を風化させないのも、記者としての仕事! ほら、わかったら支度をしてとっとと取材に行きなさい! 情報は速さが命よ!」
「は、はいっ!」
マノはペネトリューアが繋養されている牧場へ足を運んだ。入口の守衛さんに手紙の件を伝えると、暫くして牧場長らしい初老の男性がやってきた。
「遠方からのご来訪、ありがとうございます。あなたですね、ペネトリューアをズッ推ししてくれている方と言うのは。新聞、ご拝見いたしました。きっと彼女も喜んでくれると思います」
「ズっ推し?」
「若い方々の間では流行っているらしいのですが、違いましたか?」
「確かに、僕にとっての彼女はズッ推しです」
その言葉に改めて深々と頭を下げられ、マノは感謝するのは自分の方ですと伝える。
こちらですと案内されたのは、ペネトリューアのいる厩舎の小屋。牧場長がリューアの名を呼ぶと、奥から一頭の白い竜がゆっくりと歩いてきた。
「もう、眼も耳も遠くなってきてしまっているけれど、ペネトリューア、君に会いたいって子が会いに来てくれたよ」
年老いはしたが、純白の体色、力強い翼はまさに当時の面影を色濃く残していた。彼女はマノの顔へ鼻を鳴らしながら近付くと、ゆっくりと彼の顔を舐めはじめた。
「あの時もどうしてか、君の顔を舐めたらしいね。リューアは気難しい子だったのに、どうしてだろうね」
「わっぷ。リューア、嬉しいけどそろそろ舐めるのを……やめさせてくださいよぉ……」
「すまないね、リューア。そろそろ彼の事を離しておやり」
グルルゥと鳴き、彼女はマノを解放する。よだれまみれの顔をタオルで拭きながら、マノは当時の記憶を思い出していた。
「引退レースの時に負けそうになったリューアに対して、頑張れって応援したからかも。でもそれは、皆思っていた事だから……」
「競技としてだけではなく、一頭の竜として見てくれた事が、嬉しかったんだろうね」
その時だった。厩舎の裏手から一人のマノと同じくらいの歳をした女性が現れる。彼女はマノに近付くと、首根っこをいきなり掴んだ。
「やめなさい、ティア。初対面の人にそんな事をしちゃダメだろう!」
「アンタがリューアのズッ推し? だったらこの子もズッ推しになれるよね?」
「この子って、誰ですか……」
「レイター! こいつよ! こいつがアンタに乗って七杯も何もかも勝ってやるんだから!」
「レイター? もしかして……」
「アンタの大好きなペネトリューアの子! ペネトレイター号よ」
ティアと呼ばれた女性が連れてきた黒竜は、確かに体格こそ立派だったが、肝心の翼が曲がっていた。これでは、他の競翔竜のように飛べないだろう……。
「ティアさん、ごめんなさい。僕は乗り手ではないんです。あと、この子は……」
「そこを何とかするのが仕事じゃないの?」
ティアに詰め寄られるマノ。二人の間に入り双方の顔を舐める黒竜。喧嘩は止めろというサインだった。
「僕はこの子には乗れませんが出来る事はあるかもしれません。レイター。まずはレースに勝とう。そしてお母さんが勝った桜竜杯を、まずは大きな目標にしよう!」
「実戦もしたことがないのに大きく出たね。でも不思議だ。可能性が0とは言い切れない」
「気に入ったわ、マノ!」
白竜から産まれた漆黒の竜、ペネトレイター、これが後の世で『突き進む者』と呼ばれる竜と、それを追う記者との出会いだった。