4-02 平塚凡太の平々凡々な一日
平塚凡太は、これといった取り柄もこれといった瑕疵もない、極々ありふれた凡庸な一般男子高校生である。
この物語は、そんな彼の一日を描く物語である。
平塚凡太は、これといった取り柄もこれといった瑕疵もない、極々ありふれた凡庸な一般男子高校生である。
名は体を表すとはよく言ったもので、『平凡』の二文字を背負った凡太の人生は、正しく平々凡々な十七年の歳月を刻むばかり。
あまりの平坦さに幸福とも不幸ともとれる彼の人生であるが、少なくとも凡太自身は自らの人生に悲観することも、かといって歓喜することもなく、起伏の無い人生を歩めることに僅かばかりの感謝を抱く程度であった。
やれ退屈な人生と掛け離れた超常だの、特別な力で世界を救うだの、そういった非日常的なものに興味がないわけではないが、巻き込まれたいなどとは露ほども思わない。
「行ってきます」
「あっ、凡太! 今日の帰りなんだけど――」
「いつものスーパーで牛乳と食パンでしょ? 任せといて」
台所で冷蔵庫を覗き込んでいる母から飛んできた注文を先取りしつつ、制服に身を包んだ凡太は玄関扉を押し開いて外へと歩み出る。
本日も晴天なり。ここ最近は雲ひとつない青空が、顔馴染みのように凡太を迎えるのが常となっていた。
時計は午前七時、右手に雨傘を引っ掛けて、平塚凡太の平々凡々な一日が幕を開けるのであった。
***
凡太の通う高校は、家から徒歩五分の最寄駅から電車で二駅の近場にある。
それなりに利用者のいる駅であるため、学友に出会すことも珍しくはない。
実際、彼女と駅のホームで出会った回数は、凡太の全指を折り数えたとて到底足りるものではないのだから。
「おはよう、百瀬さん」
「あっ、おはよう凡太くん!」
百瀬千晴は、凡太とは対照的に、筆を取ればあらゆる科目で一位の成績をとり、体を動かせばあらゆる種目で表彰台の頂上以外を汚さない、何事にも秀でた天才的な女子高校生である。
万能という存在は一般的には敵を作りやすいものであるとされるが、彼女にそのような一般的な理論を適用することはできない。
例え彼女を敵視している者であっても、一度彼女と対話すれば、数多の友人の一人となるのだから。
凡太からすれば超常の存在と言って過言でない人物、それが百瀬千晴であり、そんな彼女と何の縁か共に通学するのが凡太の日常である。
「それにしても凡太くん、今日は随分と大荷物だね? 何かあるの?」
「いや、今日は何も起きないはずだよ」
「ふーん、変なの」
そんな何ということもない雑談を交わしつつ電車を待つ二人の前を、快速列車が凄まじい勢いで走り抜けていった。
***
「おいおい、凡太お前、また百瀬さんと一緒かよ! 羨ましいやつめ!」
「……毎回それ言わなきゃ気が済まないのかよ、健斗」
「いや別に、そこまで言ってる覚えは……あるかもな! ははは!」
出雲健斗は、一言で語るならば、平塚凡太の幼馴染である。
出会いは幼稚園、あまり活発ではなかった凡太の手を引き、公園に繰り出しては泥に塗れ、野を駆け回っては怪我を増やす、典型的なガキ大将的存在であった。
小中高と同じ学校に通っていたこともあり、凡太からすれば最も気楽に接することのできる良き友人といえよう。
とはいえ、毎度毎度肩を組みにきて豪快に耳元で笑われるのは迷惑なのでやめてもらいたいところである。
「本当に仲良いよね、二人とも」
「凡太唯一のベストフレンドだかんね! ってか、百瀬さんだって凡太と一緒に登校してんじゃん?」
「健斗、唯一とか言うな。僕にだって友人は少なからずいるんだぞ」
肩に乗せられた太い腕を振り解くことはせずに、「わりぃ」と笑う健斗の顔を至近距離で見ながらため息を吐く凡太と、そんな仲睦まじい二人の側で微笑んでいる百瀬。
次々と他の生徒たちが登校する下駄箱で、さも当然のように繰り広げられる絵に描いたような高校生たちの青春劇も、凡太の平々凡々な一日を彩る一幕なのであった。
「あ、そうだ凡太。今日の放課後ちょっと手伝ってくれねえか? 鬼センに――」
「いいよ、放課後だな」
「まだ何も言ってねえよ!?」
内容を語る前に承諾されたことを驚く健斗だが、凡太からすれば彼の頼み事を断る理由などない。
凡太が困っているときは健斗が助け、健斗が困っていれば凡太が助ける、それが二人の間柄なのだから。
そもそも、何を頼まれるかなど凡太にはわかりきっているわけで――
「どうせ、窓を割った分の罰掃除でも命じられたんだろ?」
***
凡太の過ごす一日について語るべきことは特にないため、時は放課後の体育館倉庫へと移る。
「すまねえ、凡太。助かったよ。流石に俺一人でやってたら終わる気がしなくてよ」
「気にしなくていいよ。それに、あの窓だって健斗が割りたくて割ったわけじゃないんだから」
健斗が窓を割ったというのは真実だが、その過程を辿れば、凡太にもそれなりの責任がある。
というのも、多くの生徒が部活動に勤しむグラウンドに凡太がふらっと立ち入ったことが原因なのだから。
「まさかサッカー部の流れ弾が飛んでくるなんてな」
凡太の死角から凄まじい勢いで飛んできた流れ弾を弾いてくれたのが、たまたま近くをランニング中の健斗だった。
運動神経抜群な健斗のおかげで凡太の後頭部は守られたが、その代償として体育館倉庫の窓ガラスは粉々になったのである。
「まあ、全部片付いたんだ。さっさと帰ろうぜ凡太。駅前のサンイチアイスでも奢るぜ」
「ごめん、ちょっと今日はあとひとつやらなきゃいけないことがあるんだ」
「振られちまった! ははは!」
本当は健斗と共に帰る予定だったが、今日の凡太にはあと一つだけやることがあった。
――否、厳密にはこれからあと一つになるのだが。
「健斗、これ持っていきなよ」
先に帰る健斗を呼び止め、振り向いた彼に凡太が投げ渡したのは、今朝の登校時に持ち出した雨傘である。
凡太から雨傘を受け取った健斗は、しかし感謝を言うでもなく疑問を浮かべて立ち止まる。
「おい凡太、雨なんて降っちゃいないぞ?」
健斗の言う通り、今日の天気は朝から快晴であり、今も沈もうとする太陽以外に空を揺蕩うものはない。
誰がどう見ても不要な雨傘であった。
――だが、凡太は知っているのだ。
「このあと降るんだよ、健斗。そしてお前は風邪を引く。だから、その傘はお前が持っててくれ」
***
「あっ、凡太くん。やっぱり君は来るんだね」
健斗を送り出してからおよそ二分、時計は午後六時ちょうどを示している。
階段を駆け上がり、息を切らした凡太の目の前には、校舎の屋上、落下防止柵の外側に立つ百瀬千晴の姿があった。
危険極まりない百瀬の行為に、しかし凡太は何一つ動じることはない。
「――だって凡太くん、これが初めてじゃないもんね」
くすりと、口元に手を当てて笑う百瀬は、凡太の真実を言い当てる。
凡太以外は知り得ることのない、しかし、紛うことなき真実、すなわち、
「――そうだよ。僕は、君の自殺を止めに来たんだ。百瀬さん」
***
平塚凡太は、これといった取り柄もこれといった瑕疵もない、極々ありふれた凡庸な一般男子高校生である。
――このような偽りの説明文は撤回しよう。
平塚凡太は、これといった取り柄もこれといった瑕疵もない、極々ありふれた凡庸な一般男子高校生、になりたかった者であり、なれなかった者である。
――そして、この物語は彼が平々凡々な日常を掴むために、何千回もの『今日』を奔走する物語である。