4-24 失せ物探しの明石さん
――私は昔から何となく、いい事や悪い事が起きる予感を感じる時がある。
ある日、いつものように嫌な予感で天候の崩れを感じ当てた私は、無事にそのささやかな凶事から逃れ、同僚のスピリチュアル否定過激派な男性同僚・高柳と共に帰路についていた。しかし途中で、和装のよく似合う女性――明石さんに呼び止められる。
彼女は不思議な人だった。私の直感がそう告げていた。そんな彼女が言ったのだ。「貴女には失せ物がある。それらを早めに集めなければ、貴女の命に関わります」と。
母が避けていた、亡くなった祖母。過去に遭ったかもしれない事故。明石さんの占いで失せ物探しをしていくうちにだんだんと紐解かれていくのは、事実と確執と運命と思いやり。
心を解く明石さんの占いに導かれた私は、やがて占いで誰かを導く側になる。
たまに、「今日はいい事が起きる」とか、逆に「よくない事が起きそう」だとか、そんな事が分かる時がある。
――今日は何か、嫌な予感。
昔からこういう勘は当たる。それでも今日は平日で、私は社会人なのだから、きちんとそれに見合った動きをせねばならない。
「そろそろ出ないと、遅れちゃう」
時計を見た私は、今日の天気を告げているテレビを急いで消して、私は椅子から立ち上がった。食べかけのパンの口に押し込んで、小走りで玄関の方へと向かう。
つっかけるようにしてパンプスを履き、カバンを引っ掴んで扉を開ける。
無駄に眩しい太陽に目を細めながら空を見れば、雲一つない晴天だった。今日一日晴れの予報はどうやら間違っていないらしい。そう思いながらカバンの中に目をやり――なんとなく、折り畳み傘の持ち手が見えるのを確認してから外に出た。
◆
夕焼けになっている筈の空は、見る影もない。
「おいおい、マジかよ。最悪だ」
たまたま会社を出るタイミングが同じになった同期の高柳が、目の前の様を見て忌々しげに顔を歪めた。
辺りには、雨がアスファルトを打つ音や、濡れた足音。少し遠くでポンッと鳴ったのは、誰かが傘を開いた音だろうか。目の前には暗い灰色の空と、ゲリラ豪雨と呼んでも違和感のない雨足がある。
会社から最寄り駅までは、徒歩7分。途中のコンビニまで走って傘を買うにしても、辿り着くまでにずぶ濡れになるだろう。
「高柳、置き傘してなかった?」
「忘れたのかよ、一昨日部長が『置き傘禁止』って厳命してたの」
「あー……」
そういえば、たしかにそんな事もあった。私は置き傘はしない派なのであまり関係のない話だったけど、一昨日持って帰るのをうっかり忘れたふりをして置き傘を継続した彼が部長に見つかって怒られていたっけ。
「こういう事があるから、置き傘してるんだってのに」
言いながら隣に目をやれば、口を尖らせているスーツ姿の成人男性がいる。
この男、顔はそこそこ整っているし、体型も見栄えがする方だ。背丈はあるけど、猫背なのが玉に瑕だろうか。それでも結局は傘を持って帰っているあたり、結構素直だ。
そう考えると、同年代の男性にしては悪くない。にも拘らず恋愛対象に入らないのは、端々に見える子供っぽさが原因かもしれない。まぁ彼も私は恋愛対象ではないみたいだし、だからこそ帰りにバッタリと会えば二人で一緒に帰ったり、飲みに行ったりするのに気兼ねもない。今の距離感のままでいられるといいなぁ……なんて思っていると、カバンの中のスマートフォンが何らかを受信してヴ―ッと震えた。
待ち受け画面を見てみると、メッセージが一件届いている。
送り主は、苑恵順子。少しだけ見える本文は「帰ったら電話して。そろそろいい加減お祖母ちゃんの遺した――」というところまでしか見えないけど、それだけで何が言いたいのかは十分察せられた。
――自分が要らない物を、ただ押し付けたいだけのくせに。
内心でそう呟けば、思わず呆れとも苛立ちとも取れぬため息が口から漏れ出てしまった。それを彼は聞き逃さなかったようだ。
「嫌な連絡か? 苑恵」
猫背を更に丸めるようにして、私の顔を覗き込んでくる。
「別に? それより――」
小さな嘘と共に、私はカバンからある物を取り出す。
「高柳は、止むまでここで雨宿りするの?」
「ズルいぞ、お前だけ傘持ってるとか」
ムッとした表情の彼を横目に、私は涼しい顔で傘を開く。
「ズルいと思うなら、折り畳み傘、高柳もカバンに入れておけばいいのに」
「いつも入れとくとか、重いし邪魔だろ」
「そういう人は、こういう時の雨も甘んじて受けてください」
「優しくねぇなぁー……」
高柳が、背中を丸めて下を向く。その姿が、何やらしょんぼりとした犬のように見えた。
大の男を、そうでなくても幅の小さい折り畳み傘の中に招き入れるなんて、どう考えても狭い。でも。
「コンビニまでなら」
雨の中に傘を差し一歩出てから振り返り、仕方がなく右側のスペースを開ける。
彼が元々の猫背を、更に少し屈めて入ってきた。
「せまっ」
「じゃあ出る?」
彼の答えは無言。結局相合傘状態で、二人でコンビニまで歩いた。
先程「傘を持ってるなんてズルい」と彼に言われた時に「なんとなく今日、『よくない事』――たとえば帰りに雨に降られたりしそうだなって思ったのよ」と答えたところで、きっと「結果論に過ぎない」と言われたに違いない。
その証拠に、ためしに透明のビニール傘を手にコンビニから出てきた高柳に「もし『私の第六感はよく当たる』って言ったら、信じる?」と聞いてみたら、片眉を上げながら「霊感的な? 俺がスピリチュアル全否定人間なの、お前も知ってる事だろ」と言われた。
私の直感を、霊感とかスピリチュアル的な何かだと言っていいのかは、分からない。にも拘らず私が自身の直感の説明に『第六感』という、スピリチュアルを連想させる言葉を使ったのは、おそらく幼い頃にお祖母ちゃんがそう形容していたのを、どこかで覚えていたからだ。
実の娘であるお母さんは、お祖母ちゃんのそういう物言いを嫌っていた。そのせいで母方の実家との縁は薄かったし、実際にお祖母ちゃんと会ったのも、25年の人生の中で本当に数える程しかない。
上京しての、一人暮らし。何かと忙しく過ごしている私としては、疎遠だったお祖母ちゃんを思い出す事なんて今まで滅多になかった。
なのに何故今、彼女の事を思い出したのか。理由は分かっている。きっと先程のお母さんからの、あのメッセージのせいだ。
――これまで全然思い出さなかったのに、先日亡くなったからって今更。
薄情に思える自分に呆れ小さく自嘲していると、片眉を上げた高柳が「……何だよお前、今そういうのにハマってんの?」と聞いてきた。
「そういう訳じゃないんだけど……世の中にはあるじゃない? 『運命』とか『赤い糸』とか? そういうのって本当にあるのかなって」
咄嗟に言い訳を探すと、彼はハッとバカにしたように笑う。
「あるわけねぇだろ、そんなもん。バカじゃねぇか? 幽霊だとか神だとか占いだとか、あんなのを信じる人間の気が知れねぇな」
「入社時からずっと変わらないよねぇ、高柳は」
入社式の日。休憩時間に他の同期たちが「朝の占いがよかった」と言っていたのを聞いて、先程とまったく同じ事を言っていた。
そんなファーストコンタクトのせいで、彼は同期の――特に女子からは、辛辣で取っつきにくい人物認定されてしまっていたりする。単にスピリチュアル過激派なだけで、仕事もできるし、何なら疲れている時には缶コーヒーを差し入れてくれたりという優しい一面もあるのだが。
「フンッ、占いなんて特にクソくらえだ」
一体何が彼にここまで、占いを拒絶させるのか。吐き捨てるように言った高柳に、私は思わず苦笑した。
その時だ。
「そこの貴女」
女性の声が誰かを呼び止めた。
それでも私が振り返ったのは、雨の音。水たまりを踏む足音や、車の通るシャーッという音。そして雨が傘を叩く音。辺りには音が満ちているのに、叫ぶでもないその声が、まるで静寂の中でリンとなる鈴の音のように、ひどくハッキリと聞こえたからである。
――向けた視線の先にいたのは、和傘を差した着物姿の女性だった。
都会のビル群、特に通勤ラッシュの時間に差し掛かっている今の時間帯には、オフィスルックの人が多い。そんな中、彼女のその姿はものすごく異質だ。にも拘らず、今までまったく気が付かなかった。
しかし一度気が付いてしまうと、妙な引力に急に目が離せない。
纏められた長い黒髪に、綺麗なかんざし。控えめな雰囲気ではあるものの、和服がよく似合う綺麗な女性だ。しかし目が離せないのは、きっとそんな理由ではないだろう。そう直感で分かってしまった。
こんな人に出会ったのは初めてだ。その存在にも、そう確信してしまっている自分自身にも、思わず言葉を失った。そんな私に、彼女がゆるりと微笑み告げる。
「貴女、失せ物をしたでしょう」
「失せ物?」
反射的にオウム返しにする。まるで心当たりがない。
「えぇ。昔、貴女が事故に遭った時にお祖母様から受け継いだ筈の物。貴女は今、お持ちではない」
思わず目を見張ってしまった。
お祖母ちゃんの話題は私にとって、あまりにタイムリー過ぎた。でも事故? 受け継いだ物? 覚えがない。そんな私の目をジッと見て、彼女は「あぁいえ、すみません」と続ける。
「欠片はまだ残っているようですね。他は、落としてきたようですね。失せ物探しは私の十八番ですから、きっとお役に立てるでしょう」
「何だあんた、急に話しかけてきたから道でも聞くのかと思ったら……って、あっ! お前そのマーク!!」
肩を怒らせながら会話に横入りしてきた高柳が、ピッと彼女を……いや、彼女が持っている巾着袋を指さした。そこには刺繍された家紋のようなマークがある。そして中に、『占』の文字が見える。
「お前、もしかして占い師かっ! 妙な客引きをしやがって! 帰れ!!」
彼は隣で初対面の人にするには失礼にも程があるシッシッと追い払うしぐさをしているが、そちらにまで気が回らない。
「貴女が昔から、そして今も抱いているその『感覚』は、気のせいでもなければ偶然でもありません。お祖母様が亡くなった今、早く欠片を一つにしなければ――命に関わりますよ?」
雨音より強い鈴の音に柔らかな口調で告げられた物騒な言葉には、まだあまり実感が掴めない。しかし私の直感は、彼女の言葉を「真実だ」と言っていた。