4-23 紫薔の暴君
【この作品にあらすじはありません】
ダトリカ帝国一の商家、グランクト家の夫人が死んだ。その夫ハウェルに妻の病名が伝えられてから二週間と少しした頃だった。
ハウェル・グランクトは大人の娯楽場と呼ばれる帝国の黄金の家と呼ばれる家の一人息子。彼が築いた富は計り知れない。
鴉の濡羽色の艶めいた髪を後ろになでつけ、項をまるで尾羽根のように飾り立てる社交場での彼のスタイルは、数多くの婦人の心を蕩かした。
そんな彼を射止めたのは、由緒正しき名家メッサリア家の隠し令嬢。その病弱さ故に存在を秘匿されていた長女だった。
ただ、名家とは名ばかりのメッサリア家は今では落ち目、公爵の位を継がせる事と引き換えに借金を引き受けて貰ったのだ。
大人の娯楽場と呼ばれる帝国は快楽と享楽を貪るような施設が多い。経済格差は底知れず、道一本外れた先は地獄であった。そこに住む物乞いたちに未来ある支援を施した人物こそがクランクト夫人、コルネリアである。
その場限りでない、いずれ自分の力で生活を掴めるよう生きる術を教えた彼女の姿は聖母のような美しさと戦士のような凛々しさがあったと、その場にいた者は語る。箱入り娘と思われたコルネリアは、生の強さに満ち溢れ輝いていた。
ハウェルは妻、コルネリアの業績を持ってゲイブドの巫女が住まう聖域オラティオに向かった、レコルドルの聖歌に加えてもらうために。聖歌に加えて貰った者は永久に名前を紡いでもらう栄光にあやかれる。身内に紡いでもらう者が出れば、それこそ名家の箔よりもよほど映える肩書き―レコルドルを名前に加えることが許される許可―を与えられる。
コルネリアを妻に貰う前からあったハウェルの悪名は人々の口元を面白おかしく飾るには充分魅力的な興味深さを、コルネリアを慕う者たちにとってはしかめっ面になるほど醜悪さを放ちながら国中を駆け巡った。
-----------------------------------------------
「コルネリア=グランクト、私たちの手が回らなかった者たちの救済をした誇り高き女性です。正に後世に紡ぐ者として相応しい。ですが、この名誉があの金の亡者の商売のための駆け引き道具として使われるのは腹立たしいですね」
聖域オラティオに住まう巫女の一人が一際衣装が豪華な老齢の女性に書類を渡す。振り向いた老齢の女性は書類を見て、横書きの名前を指先で撫でる。
「私が直接確かめましょう」
「巫女長様!でも他にも検討すべき方たちがっ」
「私ももう年です、いつまでも私に頼るわけにもいかないでしょう。貴方はもう見極める目を持っていると、私は確信しています」
「巫女長様…」
--------------------------------------------
ハウェル=グランクトはある計画を立てていた。空中庭園、紫の薔薇が咲き乱れる縦長の円形状の庭園の設計図を睨む。
紫水晶を薄く伸ばして加工したような薔薇はある特定の島の土でしか咲かない。当然高価なそれを何株も植えて、更に管理するには膨大な手続きなど面倒くさいものがある。
勿論、金も貴族ですら苦しいほどの額になる。しかし、莫大な資産を持つハウェルにとって、金は問題ではなかった。睨む理由は交渉が上手くいかないせいだ。庭園を埋め尽くすには最低でも三百株必要で、元々株単位で売買してない島民たちにとっては金貨を積まれても簡単に頷けるものではなかった。
亡き妻の葬儀が始まる前に、庭園の話をつける、それは彼の頭の中で決定事項であった。故に、思考を邪魔することは許されない。
例外があるとすれば、現在携わっている商売、もしくはコルネリアに関することだ。
扉をノックする音が静かな部屋に響く。
「旦那様、オラティオの巫女長が旦那様と話したいと申しております」
「通せ」
「お目通り叶い大変うれしく思います。ハウェル様」
傲慢な男、ハウェルは書類から目を離さず。声をかけられて初めて顔を上げた。
目の前にいたのは身を飾り立てた老齢の女性。意志の強い目は巫女特有の灰色がかったアイスブルー、白布で額から目元以外を覆い隠しており布の上から頭と口元を宝石でを加工した飾りを身につけている。
青い宝石を細い細い輪っか状に加工し、半円を形作るそれで頭と口元を飾るのは巫女のみが許されこと。聖者の名をを紡ぐ口元を汚さぬためであり、女神が祝福を授けるため口づけた口と額を守るためである。
いたって常識的な知識だが使うことはぼぼないそれを頭から引っ張り出して、巫女長特有の制服であることを確認するとハウェルはようやくペンを置いた。
「巫女長、自らがどうしてここにおられる。てっきりコルネリアがレコルドルの聖歌に相応しいか審議しているかと」
「審議の結果、私が直接判断した方がいいという結論が出たのです。コルネリア夫人の功績は認めています。問題は貴方です。貴方の駆け引き道具に使われるのではないかと懸念しているのですよ」
「ハッ、肩書きになるんだ。使わない奴らが出ないわけないだろう。それに今までにだっているじゃないか。何で俺一人だけが問題視されなければならん」
光沢を放つセピア色の机に肘ついて組む両手は歪んだ口元を隠しているが、目が現在の機嫌を充分物語っている。
「私たちだって分かっていて認証してます。けど、申請時からここでもあからさまなのは貴方が初めてですよ」
「それで俺は巫女長サマに?何をすればいいんだ?」
それには答えず、ゆっくりとした足取りで机に近づく。
「次の商売についてかしら。随分と素敵な絵」
ハウェルは設計図を見られたことに関しては咎めず、寧ろ広げて説明し始める。
「コルネリアの墓だ。俺の妻でグランクトの夫人だ、これくらいするのは普通だろう」
「グランクト家とあなた自身の威厳のため?」
「そうだと言ったら巫女長サマはコルネリアの聖歌への追加を却下するのか?」
「そうだと言ったら涙ながらの演説が聞けるのかしら。氷の鴉から公爵になったハウェル様に…」
愉快そうに笑う巫女長はそのまま踵を返し、扉に向かった。
「明日、もう一度こちらに参ります。コルネリア夫人の話、私も無下にしたくありませんから。だから、このお墓作りに私も協力しますわ。貴方自身が聖人めいた逸話を持つのもよろしいんじゃなくて?」
そう言って自分から扉を開けて退出していった彼女の後を少し見つめた跡、書類に目をおとして思考に入る。
葬儀は二週間後、せめて話だけでも付けておきたい。
ハウェルが葬儀に必要な物としたのは、空中庭園、長手袋、棺、その他諸々だがほとんどは既に手配済みであり、残すはこの空中庭園のみなのだ。巫女長ならば役に立つかと、早速翌日の段取り決めに頭を切り替える。
(あるべきものは、然るべき所にあるべきだ)
--------------------------------------------
巫女長、マギニトが住まう聖域オラティオには、飾りは無しの額から口元だけを出す布だけ被った状態の巫女たちも住んでいる。全員、女性であり男性は緊急時、もしくは許可された日の日中の時だけ出入りすることができる。
女性は宿す力をもつ者で、夜は生と死を司る月の所属に入るため男性のその間に入ることは禁じられているのだ。巫女になる女性は、自身が持つ宿す力を能力と魔力の開花と維持に回すため、男性との交際、性行為等を禁じられる。
合格した志願者は儀式により、月の女神から接吻をその唇と額に受ける。唇に受ける接吻はこれから聖者の名を紡ぐ唇を清めるため、額への接吻は能力と魔力を授けるためだ。そのため巫女は皆、額に祝福を受けた証となる印がある。
当然、マギニトも持っており、決まり通り一日の終わりに額の印に香を塗って清めていた。
「巫女長様、ハウェル=グランクトはどんな様子でしたか?」
先日、マギニトの元にやってきた巫女が心配そうに伺う。
「傲慢と言われているのが納得な態度でした」
疲労の様子はなく、静かに思い出し笑いをする巫女長だったが、巫女にとっては憤慨ものだ。
「やはりっ!巫女長様、もう少し香油を持ってまいります。念入りに清めておきましょう。ただでさえ、殿方にお会いしたのですから」
「その物言いは止めなさい」
それまでの祖母のような口調と雰囲気が一変し、強い意思の通った目でさっと向き直る。
「殿方を汚れと認識してはならない。ここに入る前にそう言ったのを忘れましたか。私たちは自身より他者のために生きることを決め、その実践のために最も効率が良い生き方を選んだ結果、殿方との接触を減らすのが一番となっただけです。本来なら殿方と交わり、子を産み育てる事に適した身体を律して強く生きるには、徹底して力を内に向けなければならないのです」
「はい、申し訳ございません」
すっかり萎縮してしまった巫女は消沈した様子。マギニトは反省した彼女の肩に手を置き、今度は慰めに入る。
「この世に汚れた人間など誰一人もいません。レコルドルの歌で紡がれる聖者は特別視された者、私もハウェル=グランクトも、全て尊い命です。そして貴方も」
「巫女長様」
「さ、貴方も清めて寝なさい」
「はいっ」
巫女長の言葉で自信を取り戻した巫女は涙目だが元気よく返事をして自室に戻っていった。
マギニトの頭の中にはハウェルの元に向かう道中に聞いた親子の話を思い出していた。
「女神様のお許しなく力を持った魔女は怖い所に行ってしまうのよ」
雑念渦巻く心を無理やり沈めたマギニトはそのまま就寝の準備に戻った。