4-14 マリファナ売りの少女
「アーティストって、ドラッグがないと良いもの作れないんでしょ? くっだらない」
ラップバトル──それはラッパーたちが己のラップスキルを競いあう、熾烈なディスりあいのタイマンである。
そんなシーンに、ドラッグが蔓延していた。噂によると黒キャップの女がいるバトルは盛り上がるらしい。
彼女、キレイはドラッグの売り子をしていた。いつも通りクラブでドラッグを売りさばいているところに、あるラッパーと出会う。
「好きで売っているわけじゃない」
「俺は、仲間にドラッグを流すやつを許さない」
そうして、彼らはバディとして組み、ラップバトルに勝ち上がり、ドラッグを売りさばく真犯人を突き止めていく。
「やっと見つけた真犯人」
決勝に立った彼らが見た景色とは。
ラップバトルで勝ち上がり、ヒップホップシーンだけでなくさまざまなアーティストシーンを轟かすバースを生み出した、最強バディの大どんでん返しの物語。
──ユトリロ、あなたは作品にアルコールを注いだのですね。
黒キャップの女はクラブの壁に背中を預けて呟いた。ミラーボールが女の頬に星を散りばめていた。
「ユトリロって知ってる? 画家でね、極度のアル中」
クラブ前方のステージに二人のMCが上がる。
恒星と反して閑散とした地上。ビートで万華鏡のようにミラーボールが自転。その周辺で衛星のようについてまわるのは人間たち。DJのスクラッチ。ボールが停止。太陽などとうの昔に死んだよ、と言葉を脳内に弾ける。ミラーの流星が彼女の手に持ったアルコールに宿る。銀色の液体が宇宙人の皮膚のようにてらてらと。
「創作のためなら、アートを楽しむなら、ビートにのるならドラッグは必要じゃない? お兄さん、アルコールもらい忘れてない? とってこようか?」
ステージの上に二人の恒星が回っている。どちらもプロップスという衛星を抱え、マイク一本で相対する。
「いや、」ポケットのスマホが震える。『薬物保持でラッパー逮捕』とのポップアップ。いつものことだ。「そんなのなしで飛ぼうぜ」
ほどよくビートに酔えていた。このぐらつく世界を手放すのは惜しい。
「でも、興味ないし」
「まあ、見てなよ」
司会のガラリa.k.a青天井がマイクを握る。
「いよいよ決勝戦。DJ紫煙ビートお願いしやっす」
曲は『知らざぁ言って聞かせやSHOW』。MCたちは先攻後攻のじゃんけんをする。
「ラップバトルは見たことない?」
彼女に尋ねたが、返事がないところを見るに知らないのだろう。教えてあげやSHOW、と曲のサンプリングをする。
「上がるぜ」
司会が叫ぶ。
「それじゃあいきましょう。先行サショウ、後攻伊緒、8小節3ターン。レディファイト」
知らざぁ言って聞かせやSHOW
知らないやつの蹴飛ばすケツを
誰がネタだって これは俺のキャラだって
お前とお前とお前とビートにのせるぜ
アートをつくってくぜ、てめぇとな
今日は決勝で会えてよかったぜ
久しぶり、伊緒
でもてめぇとあんなに楽しみにしてたのに視線が合わねぇ
死線はささらねぇ
優勝 似合わねぇんじゃねぇの
「なんでこの曲になるとみんな同じフレーズ言うの?」
隣の彼女が自然と疑問を浮かべる。
「サンプリングって言って原曲を倣ってパズルのように歌詞を組み立てるんだ。バトルだと知識を持ってるやつが観客を盛り上げる。MCサショウはサンプリングを得意とするMCだし、これまでネタネタ言われてきたんだよ」
スクラッチ。
ストリーーーーー……
と、透き通るフロー。音楽性に富んだ伊緒の即興。
ストリートを歩いてきたぜ みんなとな
決して一人じゃできねぇ
チーム友達 チーム友達
ひいきめなし ひとりぼっちにはさせない
詐称してんじゃねぇ 過小評価のセッション
ファッションのマイクロフォン
最高峰のフロウで上げてく最終章
見ているのは優勝じゃねぇ
アーティストのてっぺんだ
今日は圧倒的なセッティングで倒しにきました
好敵手
を、夢見るラッパー
と、呼んでみる
はは、と伊緒の皮肉じみた笑いで多くの手が上がる。圧倒的なフロウと韻の固さを見るに伊緒の調子が良さそうだった。彼女も音に乗っているが、なぜか瞳に寂しさが宿っている。
続く2バース目のサショウは言い淀んでしまう。
「フロウって聞き心地のこと?」
「そう、伊緒のフロウは若手の中で気持ちよさは格別だ」
「あの人の歌好きかも」
「1バース目のアンサーもきちんと返せていたし、今日の伊緒は違うな」
伊緒の目が冴えている。1バース目で持って行かれた空気を覆すのは難しい。観客のノリ方も違っている。手を上げるやつ、声を上げるやつ、笑うやつ、ライムを読むやつ、それらはマフィアのように不気味に揺れている。
「なあ、ラップバトルってのは面白いだろ」
彼女に向き直るとバトルの勝敗を見ずに背を向けていた。キャップを被り直す。くっだらない、と聞こえた。
「もう少しいない? 持っているソレよりか酔えるよ」
背後で観客が投票の手を上げていた。俺の意識がズレる。サショウには閑散とした拍手を、伊緒には多くの手が上がっている。
「逆らえないよ」
彼女は鼻で笑って去って行く。
ドリンクを片手にステージへ向き直る。にしても今日は異常なくらい空気が陽気だった。伊緒がウィニングラップをしている。
「久しぶりじゃねぇか」と観客の中からマイメンが俺を見つけ出した。元気か、兄弟、と肩を突き合わす。
「そういえば黒キャップの女と仲良いのか?」
「いや、初めて会ったよ」
「あいつが来ると良いラップバトルになるんだよな」
多分、それは──
いや、と彼女を記憶から消してDJのトラックに聞き入る。今日もクラブミュージックは最高だし、音楽に酔えたらそれでいい。
「今日は良かったな、サショウのサンプリングも景気良かったし」
「でも、伊緒の1バースが全部持ってった」
まぁな、と兄弟と笑いあった。
そうしてビートの波に身体を挟みこんで仲間と戯れる。深夜まで駆け巡る星々が儚く散っていく。
その後、ある朝のニューストップに『薬物保持のラッパー一斉検挙』の文字が映し出されることになる。
俺はコーヒーカップ片手に「あのときの女がかかわっていたりして」と笑い飛ばし朝の白い光をあびて変わらない日々を過ごすのだ。
これは大きな事件の発端になった日。俺は何も知らなかった。あるラッパーのいずれシーンに轟く、あのバースも。
やっと見つけた真犯人
あんたを救える転換期
俺はてめぇを公開処刑
革命起こすぜ
俺たちの存在証明
因みに、この物語に俺は登場しない。
○
黒キャップは私の防波堤だった、顔を見られないようにするための。私が女だと知った人はすぐに暴力を振るう。この世で一番強い武器は暴力だと、私は知っている。
ペンでも、絵でも、言葉でも、マイクでもない。
でも、なぜかアーティストはそれを持つ。そして持つがために自分を追い込んでいく。そして彼らは私にこう言うのだ。
「あれをくれ」
アートなんてくだらない。
ペンも、絵も、言葉も、マイクも、全部。
アーティストが良いものをつくるにはこれが必要なんでしょ?
ラップバトルの勝敗がついた後路地裏に移った。するとTシャツを汗で濡らした客が現れた。目がかっぴらいている。鬼の仮面をはめているみたい。
「ユトリロって知ってる?」
私は合言葉を告げる。
すると視界はぐるんっと回った。
「ああ、知ってるよ。アル中の画家だろ。早くくれよ」
気づいたら鬼が私の顔に迫っていた。胸ぐらを掴まれている。帽子のつばが当たって浮いてしまう。風がふいたようにふわっと落下していく、帽子。見送ることも拾うことも出来ずポケットの重みに囚われていく。
私は頷きながらポケットに手を入れる。
「良かったじゃん、これのおかげで優勝できて──MC伊緒」
伊緒は鬼の仮面を外す。
瞬間、今度は世界が明滅した。身体が衝撃を受けた反動で崩れている。ポケットから指をひっかけてアレを落としてしまう。散らばるそれらを伊緒はかき集めた。
「あんじゃねーか。最初から出せよ」
そのまま引っ込む気だ。
遅れて頬の痛みが広がる。痛覚が暴力の全てを吸い上げる。
でも。
「待って、お金」
「は?」
伊緒の唾が帽子にかかる。
私の、帽子。あんまりだ。今日の売り上げがなければ、私は生きていけないし、身体を売るなんてごめんだし、頬は腫れている。
でも、こんなやつに媚を売るのは、もっと嫌だ。
悔しい、伊緒の足を掴んだ。
「誰だ、そこにいるのは」
知った声が聞こえた。
「お前、伊緒か」
路地裏にのこのこ来たそいつは伊緒に負けたMCサショウだった。
「伊緒、それ」
伊緒が私の手を蹴り上げた。
「おい、伊緒。待て。それ、大麻じゃねぇか」
サショウの姿が暗闇に伊緒は溶けていく。あとから逃げ足の残響が伊緒を追っていく。
これで今日の売り上げはパーだ。私はくたびれて地面に座り黒キャップに手を伸ばした。
が、サショウが取り上げる。
「お前、誰の差し金だ」
「言えない」
「あいつは俺とのバトルに大麻を使ってたんだぞ」
「別にいいでしょ。ヒップホップじゃよくあることだし」
「俺に隠してたんだぞ」
返して、とキャップをとろうとするけれど、指先がかすっただけ。人質にとられている。「あいつとは同じ01世代なのに。バトルに薬を持ち込み、暴力までふるう薬中になりやがった。少し前まで普通だったのに。こんな短期間で」
彼は私の頬を優しく撫ぜた。ここには悔しさのあまり泣きそうな鬼がいた。寂しさの中で船が出向するように何かがゆるりと動いた。
こんなに大切にしてくれる誰かがいただろうか。
「平気な顔をしていられるのは今のうちだ。このままならお前も同じ薬中か立派なソープ嬢だ」
小名浜港の汽笛を背に受け、私は震えている。
「私、元締めをそもそも知らない。でも、私が売るのはラッパーが多い。それも、ラップバトルによくでるラッパーに」
まさか、と互いに真実を飲み込む。
上客がラップバトルに多いのと、売り子がラップバトルに出没するのは偶然か。それはラップバトルシーンに元締めがいるということにはならないか。
サショウと私は路地裏からクラブを見上げた。黒い箱が私たちを見下ろしていた。
彼はキャップの埃を払い、私の頭に被せた。
「なあ、売り子。組まないか」