05 25歳11ヶ月
私が義弟のクシャル王子のお世話になり始めて、2年が経過しました。
そしてその間で、私が離宮から連れてきた3人の召使いは、すべていなくなってしまいました。
料理が上手なサリィは子どもができたのでひまを出し、幼い男の子の絵を上手に描いていたメイシアは「実は本職が暗殺者」だったらしく、国を裏切ろうとしていた貴族を殺してどこかに消え、酒豪な美女のリリィは、自分が育った孤児院の院長になりました。
彼女たちは、それぞれにそれぞれの人生があって、いつまでも私と遊んでいられないというわけです。
それはそうでしょう。
私がこの国に嫁いできて、もう5年以上になるのですから。
時間だけを過ぎさせる「立ち止まっているしかない私」に、先に進もうとするあの子たちがいつまでも付き合ってはいられません。
私だって、それでいいと思います。
これでも私は「私の人生」を生きていますし、私以外の誰かは、それぞれ自分の人生を生きているのですから。
私には新しい召使いがつけられましたが、最初に雇った3人のようにはいかず、ごく普通に女主人と召使いの関係です。
まぁ、それが正常なのでしょうけど。
あの3人との関係は、主従というより友人のようでしたから。
領主の館での暮らしにもなれ、私は1人ででも……といっても召使いを連れてですが、街に出かけるようになりました。
そして街の人に、いろいろな話を聞かせてもらえるほどに親しんでもらえ、街の人は私を「領主さまの義姉」という意味で、「あねさま」と呼んでくれるようになりました。
この街で領主……私の義弟クシャル王子の評判はいいです。
税率は国王陛下がお決めになるものなので下げることはできませんが、無理な取り立てはしないし、彼が領主になってから領内の治安は、これまで以上によくなっているみたいです。
クシャル王子はまだ若く正義感が強いところがあって、「悪いこと」に対して「厳しい対応」をしています。
私からすると、
「少し、やりすぎじゃないかしら?」
と、心配になるくらいに……。
◇
レイムラム王国は、比較的暖かな気候ですが、冬は冷える時期もあります。
この街にも、そんな短い冬が訪れた頃。
クシャル王子の厳しさが歪みとして現れたのか、街の北の山に山賊が住み着いたという連絡が入りました。
クシャル王子の強い取りしまりで、街中で悪事が働けなくなった人たちが山賊になったのだと思います。
街の人たちも、そう考えているようでした。
クシャル王子のやり方が良い悪いでなく、一定数は「悪人」となってしまう人がいるのは避けられないでしょう。
それは、どの国でも同じだと思います。
「山賊の被害が広がらないうちに討伐する」
領主のクシャル王子は、そう判断を下しました。
それ自体はごく真っ当な判断ですが、兵を率いて山賊の討伐にむかうのは、領主であるクシャル王子だというのです。
兵士さんが調べたところ、山賊の数は30人ほど。
規模は大きくないそうですが、攫われた女性が3人と、子どもが2人いるとの話でした。
すべての山賊を討伐、もしくは捕縛。
そして、人質を救出する。
それを目的とした山賊討伐の準備は整い、明朝には出立だそうです。
その日の夕食の場で私は、
「兵士さんたちに任せることはできないのですか? 兵士長さんは、元は名のある冒険者だったとか。街の人たちも兵士長さんはとても強い人だといってましたよ?」
クシャル王子に進言しました。
余計なお世話だし、私が口を出していい問題でないことは理解していましたが、いわずにはいられませんでした。
「義姉上、これは領主である私の仕事です」
それはわかっています。
16歳になったクシャル王子は、少年というよりは青年といった風体で、身体もしっかりとしてきました。
身長はさらに伸びて、完全に私を見下ろす背丈です。
「ですが、あなたが戦場に出る必要があるのですか? 兵士さんたちに任せることはできませんか?」
どうしてでしょう、心配で仕方がない。
「そうですね。もっと大きな戦なら、私は後方で指揮をとるのが正解でしょう。ですが今回は、小規模な山賊退治です。この規模の戦にも出られない領主は、臆病者と呼ばれるでしょう」
その理屈はわかります。
この国では、「強さ」が「良いもの」とされていますから。
臆病者の領主など領民は支持しないし、義弟は王子でもある。強さを示さないといけない立場にある者です。
「義姉上は心配性ですね」
私を安心させようとしたのか、やわらかな笑みを作るクシャル王子。
「女は、このようなものです」
そうでしょうか。
自分でもわからないけれど、私はクシャル王子に、
「あなたが心配だから戦いにはいかないで」
といえる立場ではありません。
それは、いってはいけない。
実質がどうあろうと、私は立場的に国王の妻であり、王子の義姉です。
私はクシャル王子の「義姉」で「彼の女」ではないのですから、義弟が手柄を立てるように見守るのが正解でしょう。
一つ深呼吸して、
「どうか、ご無事で」
それだけを義弟につげました。
◇
二日後。山賊討伐を終えて、すべての人質を救出したクシャル王子は、右腕にケガをして帰ってきました。
自分と同じような年頃の新兵をかばって、山賊に斬られたというのです。
その場はすぐに兵士長さんが助けに入り、それ以上のことはなかったらしいですけど。
クシャル王子。それは人間としてご立派ですが、領主としてはいかがなものでしょう。
あなたは無事であることも、お仕事のうちですよ?
ケガは大ごとではなく、命に関わるものではない。
医師の見立てですと、腕に少し傷跡が残るだけだというのですが、それでも私の胸には重い苦しみが落ちてきました。
「殿下をお守りできず、申しわけございませんでした」
領主の館の前。義弟の帰還を出迎えた私に、兵士長さんが頭を下げました。
義弟のことを領主ではなく殿下と呼んだのが気になりましたが、なぜ私に頭を下げるのかも気になりました。
私より少し年上でしょうか。30歳になっているかどうかに見える兵士長さんは、確かに強くて貫禄があるというか、兵士というよりは勇士といった雰囲気の人でした。
戦事にうとい私にもわかるほどなのだから、この人が「強い」のは間違いないのでしょう。
「いえ、義弟を助けてくださり、ありがとうございました」
私も彼にしっかりと頭を下げた。
この人がいなければ、たぶんだけれど、クシャル王子は死んでいたのだろう。
兵士長さんの真剣なお顔から、「クシャル王子のケガは軽い出来事ではなかった」というものを感じ、私は血の気が引きました。
そして私は兵士長さんと別れると、クシャル王子の部屋へとむかいました。
彼は今、自分の寝室で、医師の治療を受けています。
私が部屋に入ると、ちょうど治療が終わったようで、医師が私に頭を下げて部屋を出ていきました。
医師を見送り、急いでクシャル王子の側に駆け寄ります。
「だからいったでしょ。気をつけてって、ケガしないようにって」
私の心配をよそに、
「こんなもの、なんでもありません。大丈夫です」
クシャル王子はそういいますが、もし賊の刃物に毒が塗られていたらどうなったのでしょうか。
取りあえずは平気そうな義弟の姿に安心しましたが、私の膝からは力が抜けて、とても立っていられる状態ではありません。
私はクシャル王子のベッドの側にへたりこみ、知らずしらずのうちに涙を流していました。
「あね……うえ?」
へたりこんで泣き出した私に驚いたのか、クシャル王子が恐るおそる声をかけてきます。
「も、もうっ! バカっ」
身体が勝手に動き、私は義弟の胸に顔を押しつけるように抱きついていました。
こんなこと、いけないのはわかってる。
私はこの子の兄の妻で、こんなふうに義弟の胸に顔を押しつけて涙を流すことは許されていない。
なのに、
「泣かないでください、義姉上」
「あなたが泣かせているのでしょ!?」
自分がどうしてしまったのかわからない。
10歳も年下の義弟に泣いてすがりつく。これは「兄嫁」がすることではない。
でも私は、自分をおかしくしてしまうほどに、クシャル王子のケガに動揺していました。
(もし、この子が死んでしまったら)
そう思うと、怖くて仕方がなかった。
自分の生活がとかそういうことじゃなくて、本当に義弟の……クシャル王子のことが心配だったから。
「申しわけございません、義姉上……」
泣き続ける私を、クシャル王子の両腕がそっと包みこむ。
こんなところを誰かに見られたら大変だ。
私だけならまだマシだけれど、クシャル王子の立場も悪くなってしまうかもしれない。
ですが、私が意志を持って身体を離そうとすると、腕に力を入れたクシャル王子が、私を強く抱きしめてきました。
(こ、こんなこと、ダメなのに……)
でも私は自分の力を抜いて、彼の腕に身体を任せてしまいます。
私を捕まえる彼の力をとても心地よく感じてしまい、義弟の胸に顔をあて、その心臓の音に安心しながらまぶたを閉じた私は、その瞬間だけ彼の「義姉」ではなくなっていました。
◇
山賊退治以降、クシャル王子はそれまで以上に剣術の訓練に力を入れるようなりました。
もちろん、領主のお仕事もきちんとこなしながらです。
とはいえ、それ以降は領地に問題が起こることはなく、18歳になり成人したクシャル王子は、誰もが認める立派な領主となっていました。
そして私は、なにも成長することなく、27歳になりました。