04 23歳10ヶ月
街に引っ越して領主の館で暮らすことになった私は、義弟のクシャル王子に「夫人の間」をあたえられました。
そこは普通「領主の妻」が使う部屋で、「領主の義姉」が使うものではないですが?
「ご婦人には、暮らしやすく作られていると聞きます。なので義姉上に使っていただくのがよいと思いまして」
それはそうでしょうけど、私が使ったこと、未来のお嫁さんが怒らないとよいですけどね。
ですがありがたく、あまり汚さないように、気をつけて使わせていただきましょう。
せっかくの義弟の気遣いですもの、断るのもわるいですわ。
初めて目にしたとき、11歳になったばかりの年齢のわりに幼く見えた少年だったクシャル王子ですが、今は14歳と5ヶ月だそうです。
背も高くなり、ずいぶんと美形な男の子に育ちました。
14歳になり、領地を与えられたクシャル王子。
彼は真面目ないい子で、家来たちにも慕われていますし、私に対してもとても気をつかってくれます。
14歳なんてまだまだ子どもですのに、すごいですねこの子。
私が14歳のころなんて、今思うと脳みそがお花畑でしたよ?
たいして勉強もせず、普通に甘いものを食べて隠れて甘いものを食べてるくらいで、責任もなにもなくただ両親に甘えて暮らしていました。
ろくなもんじゃないですね、私。
それは誰からも縁談きませんよ。見た目も普通ですのに。
そういえばお姉さまたちは、なんだかんだと勉強したりダンスを練習したりしていました。
私はそのようなこと、ろくにしませんでしたけれど……。
はぁ~……。
興味のないことも、ちゃんとやっておけばよかったですね。
だけどクシャル王子は、そんなろくでもない義姉によくしてくれます。
私たちは同じ時間に起きて、朝食をとるために同じテーブルにつき、
「おはようございます、義姉上」
「おはようございます、クシャル王子」
軽く微笑みを交換して、私たちは1日を始める。
私は大してすることがないですけど、義弟は領主のお仕事が大変そうです。
朝は「おはよう」。
夜は「おやすみ」。
毎日そう挨拶ができる人がいるのは、とても嬉しいことだとわかりました。
まだ若いのに、領主として忙しい毎日を送るクシャル王子。
私に彼を手伝うことはできないけれど、それでも彼は私を一緒にいさせてくれます。
挨拶をくれて、会話をくれて、微笑みをくれる。
私が欲していた生活が、ここにはありました。
◇
ある日の夕方。
夕食まではまだ時間がある、日が暮れ始めたころ。
私が自室で3人の召使いたちと談話していると、お仕事が終わったのかクシャル王子が訪ねてきました。
「義姉上。本日は珍しい果物が手に入りましたので、ご一緒にいかがですか?」
そういった彼は、珍しい果物なのでしょう、いつくかの黄色い果実が入ったカゴを手にしています。
(また来た。この子、毎日私のご機嫌うかがいに来るんだけど……)
嬉しくはありますが、心苦しくもあります。
この子が忙しいのはわかっていますから。
カゴを召使いのサリィに渡し、部屋に入ってくるクシャル王子。
ちなみにサリィ夫婦は、私と一緒に街に引っ越したほうが都合がよかったらしく、今は街で暮らしています。
引っ越し費用を出してあげたので、サリィの旦那さんにはとても感謝されました。
姉弟ふたりでごゆっくり。
そういうように召使いたちが隣にある控えの間に消えると、クシャル王子は小さめの円形テーブルを挟んで私の対面に座ります。
「あなた、お仕事が忙しいでしょう? このように頻繁に、私にかまってくれなくても大丈夫ですよ」
毎日、申しわけないんだよね。
クシャル王子は私に気をくばってくれますし、彼の家来や館で働く人たちは、居候の私を「お客人」扱いしてくれます。
それは私、立場的には「国王の妻」で「領主の義姉」ですから、無下にはできないでしょうけど。
とはいえ本当に、立場だけなんですけどね。
私の言葉に、
「ご迷惑、でしょうか……」
クシャル王子はしょんぼり顔。
「迷惑ではありませんよ? あなたに気をくばってもらえるのはとても嬉しいですけれど、わたくし、あなたのお姉さんですのよ? お仕事で疲れている義弟を、さらに疲れさせたくありませんわ」
困ったような表情を作る私に、
「義姉上のお顔を拝見させていただけると、私の疲れは吹き飛びます。ですので、義姉上にお会いして私が疲れることはありません。ご安心ください」
彼は真面目な顔をしました。
……なんでしょうね、この子。
なぜこんなに、私になついているのでしょう?
「もう、しょうがない子ですね」
とはいえ、かわいいのは間違いのない義弟なんです。
私は椅子を離れクシャル王子に近づき、
「いい子、いい子」
彼の頭をなでました。
「や、やめてください、義姉上。こんなところ誰かにみられると大変です」
照れてるの? 子どもみたいなことされて、恥ずかしいですか?
「誰もみていませんよ。それにわたくしたちは姉弟なのですから、姉が弟をかわいがるくらい、誰もなにも思いません」
私はクシャル王子の頭を胸に抱きしめて、
「いつもありがとう。お姉ちゃん、嬉しいよ」
多少馴れ馴れしい口調ですが、姉弟なんですからこんなものでしょう。
そうつげて彼の頭をはなすと、私は義弟の手を握り、顔を合わせてにっこり微笑みました。
言葉通りに、ありがとう。嬉しいよ。そう気持ちを込めての私の笑みを、ボケっとした顔でしばらく見つめていた彼ですが、
「も、もういいです義姉上っ!」
赤い顔をして自分から私の手を引き離しました。
あらまぁ、恥ずかしかったの? 私、お姉ちゃんなのに。
この子、まだ女性慣れしてないのでしょうね。
まぁ私も、人妻とはいえ男性との経験はございませんし(女性との経験もないよっ!) 男性慣れはしてませんけれど。
私は自分の席に戻って、
「クシャル王子。あなたは本当にいい子ですね。わたくしによくしてくれて、本当に感謝しております」
今度はちゃんとした口調でつたえました。
王子は離宮に閉じこめられて退屈な時間を長く過ごした私を、いろいろな場所に連れて行ってくれるし、朝食とディナーは私と一緒にとるのが日課になってるくらいです。
私は離宮より、ここでの暮らしのほうが落ち着くし楽しい。
いつくるのか……いいえ、きっとこないだろう旦那さまをただ待っている離宮の生活より、義理の弟のお世話になってるほうが、よほど気が楽に暮らせています。
と、ここで。
隣で頃合いを見計らっていただろうサリィが、切った果物をお皿に乗せて運んできました。
そっとお皿をテーブルに置くと、彼女は軽く頭を下げて控えの部屋へと戻っていきます。
「まぁ、美味しそうですね。これは……なんでしょう?」
なにこれ? 表面は黄色だけど、果肉部分はちょっとドロッとした感じのピンク色です。
「これはカカラムという果実だそうです。私も初めてですが、甘くて少し苦いですが、爽やかな味だそうです」
カカラムは特徴的な味で、珍しいのだろうけれどあまり美味しくはありませんでした。
クシャル王子もそう感じたようで、積極的には食べていませんでした。
ですが私たちは、姉弟ふたりで珍しい果実を食べるという思い出を作ることができました。
そしてしばらく談笑したあと、家人が夕食の準備が整ったと知らせに来てくれて、私は義弟とともに食堂に向かいました。
◇
私は午後から、クシャル王子の馬に乗せてもらう約束をしています。
王子は今日、午後はお仕事が休みなんだそうです。
とはいえ領主ですから、あまり遠出はできないでしょうけど。
約束の時間までもう少し、
「なにかつけていこうかしら?」
と、寝室でテーブルにアクセサリーを広げてそう思っていたとき、召使いのメイシアが私の寝室に入ってくるなりベッドに倒れこんだ。
それ、私のベッドだよ?
「どうしたの?」
「いえね、奥さま。この館で働くのは疲れます。離宮のほうが楽でした」
そうかもしれないけど、
「召使いなんだがら、今のほうが普通でしょ?」
「わかってますけど、気が抜けるのはこの部屋くらいですので」
いや、主人の前なんだから一番気を使いなさいよ。
ベッドに仰向けになって、手足を伸ばすメイシア。
「クシャル王子は、よいかたですねー」
「ダメだよ。私のなんだから手を出さないでよ」
冗談ですよ? 冗談。
「あたしが童子趣味だったのが幸いしましたね。もう10歳若かったら食べてましたよ」
この子の童子趣味は本物だ。そういう絵を、自分で何枚も描いていますし。
変に上手で怖いんだよね、この子の絵。
その「隠されてるはずの部分、どこでみたの?」って思っちゃう。
「あなたもそろそろ適齢期でしょ? お相手はいないの?」
この子、もう15歳よね? そろそろ結婚の話が来ても不思議じゃない。
趣味はアレですけど、見た目はそれなりのものだ。
特に紫の目がキレイですし、見初めてくれる男性がいないとは思えません。
「紹介してください。4歳以上6歳以下の貴族か王族でお願いします」
「そんなことばかりいってると、そのうち捕まるよ?」
「大丈夫です。あたしのお母さん凄腕の暗殺者なので、あたしもそういう教育受けてるんです。逃げられます。もしくは屠れます」
どこまで冗談なの?
それとも、本当なの……?
「まぁ、いいけど、休憩終わったらちゃんと仕事してね? 夫人の召使いは役立たずなんて、陰口たたかれないように」
「はーい」
あっと、そろそろ時間かな。
義弟とのお散歩につけていくアクセサリーを選んでいたのですが、結局やめにしました。
クシャル王子はまだ子どもだからじゃ、アクセサリー……というか女性のおしゃれ自体に敏感ではありません。
むしろ、ゴテゴテしていない方が好みのようですね。
「じゃあ私、そろそろ行くね」
「いってらっしゃーい」
「寝ちゃダメよ?」
「わかってまーす」
この子、仕事はちゃんとしてるから大丈夫でしょう。
私は自分の部屋を出て、クシャル王子と待ち合わせをしている馬房が近い西門へとむかいました。
◇
馬での散歩といっても、領主の館の周りを歩くだけだそうです。
それだけでも、そこそこ広いですけどね。
クシャル王子の馬は立派な栗毛で、賢そうな顔をした子です。
私は手綱を握るクシャル王子の前に座らせてもらって、高い位置からの景色を楽しみます。
とはいえ姉弟だけの散歩とはいかず、離れたところから兵士さんが二人ついてきていますが。
「本当は、もう少し遠くに行きたいのですが。少なくとも街の外へは出たかったです……」
つまらなそうにいう義弟に、
「領主のあなたが街をあけるのは、よくないでしょ? 困る人も出てきますよ」
姉らしいことを返します。
ですけど、馬に乗るのは久しぶりです。実家にいた頃は乗馬はときどき楽しんでいましたが、こちらに来てからは初めてです。
私はウキウキしていました。
領主の館の近くには小高い丘があって、何本かの木がはえています。
その中にひときわ大きな木があって、その木は街の人からは「守り人」と呼ばれているみたいです。
その「守り人」まで馬を進めて、私たちは馬を降りました。
クシャル王子は馬を近くの木につなぎ、私の隣に寄りそいます。
眼下に広がる街並みと、その先にある水平線。
ここからだと、海が見えるのですね。
陽光を浴びてキラキラ光る海と、水平線に浮かぶ島。
風に運ばれてくる微かな海の香りを楽しみ、
「気持ちいいですね、クシャル王子」
私は隣にたたずむ義弟に笑いかけました。
「はい、義姉上」
そう笑顔を返してくれた義弟ですが、急に真面目な顔になって、
「義姉上、クシャルでいいです。オレは弟ですから、クシャルとお呼びください」
呼び捨てにしろと?
王族とはいえ血の繋がった姉弟ならそれでも構わないでしょうけど、私は「兄嫁」ですよ?
「そんなわけにはまいりません」
そう答えましたが、クシャル王子は不満そうな顔で私を見下ろします。
私としては、義弟を名前で呼ぶことに抵抗はありませんが、
「……もう、しょうがない子ですね」
兵士さんたちは少し離れた場所にいるから、私たち会話までは聞こえないだでしょう。
「ご家来がたの前では呼びにくいです。ですので、今みたいにふたりきりのときだけですよ? いいですか、クシャル」
彼が望むように、「クシャル」と呼んでみました。
口元に人差し指を立てた右手をおいて、
「内緒ですよ?」
微笑を作った私に、
「はい、義姉上っ!」
クシャルはとてもかわいい笑顔をくれました。