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最強のストレス解消法

 最強のストレス解消法が欲しい。時も場所も選ばない、費用も掛からず死ぬまで使えて、はちゃめちゃに効果的な史上最強完全無欠出前迅速落書無用なストレス解消法が欲しい。面倒なことに振り回されず、ストレスと無縁で副交感神経がクソ優位であり続ける人生を送りたい。

 という経緯で、僕は最強のストレス解消法を探すことにした。まだまだ日本人の平均寿命からすると余命は長い。早いうちに残りの人生を気楽に生きられる方法を見つけてヘラヘラ笑って過ごしたい。早ければ早いほど効果を発揮する期間は長くなるからなる早で。仮に余命が短かったとしても見つけたい。単なる好奇心と人生の実績解除のために。


 そうなるとまず明らかにしなければならないのは既存の方法ではなぜ駄目なのか、という点だ。ネットを漁っていい方法が見つかるなら別に苦労はないが、それで上手くいく奴はたぶんカラオケ歌ってしまいにできる

 僕はストレス解消法なるものに対し、かなり強い猜疑心を抱いている。カラオケにしろ散歩にしろ、その他諸々のストレス解消法として挙げられるものは、何をしてもスッキリしない。心の片隅がずっとモヤモヤしている。友達と遊べば楽しいし、大声で笑えばそれなりにはスッキリする。だけど、どれだけ我を忘れようとしても自分の中の冷静な部分はストレスを忘れてくれないし、胸の真ん中にはうっすらとした息苦しさが渦巻いている。嫌なことから遠ざかろうと頑張ったところで、結局元の場所に戻らなければならないという現実をすぐに思い出してしまうのだ。

 もちろん、よくある方法で十分ストレスを解消できている人もいると思う。もしかするとそっちの方が多いのかもしれない。ここで僕がはっきりさせておきたいのは、メジャーな方法にケチをつけたいのではなく、その方法が自分に合っていない、ということだ。大勢に効果があったとしても、自分個人に効果がなければ他の方法を探すしかない。

 既存のストレス解消にあまり効果を感じられないのは、どんな方法も所詮現実逃避に過ぎないという意識があるせいだろう。ストレス解消による逃避が終わればいつかは現実と直面することになる。ならばストレス解消は必ず来る『いつか』を先送りにしているだけで、根本的な解決にはなっていない。だったら逃避などせず、少しでもその元凶をどうにかすることに時間を費やしたい。僕はどうしてもそう思ってしまう。

 そうなると、僕が求めているのは『現実逃避ではないストレス解消』という、一見矛盾するような代物だ。可能ならばそこに『原因を完全に潰せる』という言葉を付け足したいが、それが出来ればストレスなんてものはこの世にありはしないし、いつでもそんなことができるとは限らない。ひとまず『すぐには解決しない・できない』問題を対象として考えることにする。

 現時点での情報を整理してみよう。『問題はすぐには解決しない・できない』ので、一旦問題はそのままにしておいて、ストレスを解消する必要がある。しかし、そのストレス解消は『問題から目を背ける現実逃避であってはならない』。

 この二つの要素を両立させなければならない。


 既存の方法を見返してみると、基本的に何かをしてストレスを解消しようとしている。運動、深呼吸、おいしいものを食べる、誰かと話す、読書、映画、……当たり前かもしれないが、『すぐには解決しない・できない』問題を対象としている以上、これらはすべて問題それ自体を解決することとは無関係の行為となる。つまり現実逃避である。そうなると困ったことになる。何らかの行為によるストレス解消が現実逃避ならば、目標としている『ストレス解消は現実逃避であってはならない』という条件を満たすことができなくなってしまう。

 始まりは何らかの行為でストレスを解消しようとしていた。だが、そのアプローチではどうしても目的地にたどり着けそうにない。問題が解決できないから逃避する方法を選ばざるを得ないのに、それが逃避であってはならないのだ。もしかすると最初から発想を間違えていたのかもしれない。

 こういうとき、どうすればいいか逆転裁判プレイ済みの僕は知っている。発想を逆転させるのだ。

 つまり、何かしてストレスを解消するのではなく、何もせずストレスを解消するのである。これ逆転してるか?

 この仮説を思いついたとき、当然だが理論も何もなかった。ただ既存の方法が通用しないからどんなに無理筋だったとしても別ルートが必要だったのだ。

 ひとまずこの方法を試してみたところ、上手くいった。

 嘘ではない。本当に上手くいった。気が楽になったし、開き直れるようになった。問題の何もかもは取るに足らない小さなもので、心を砕く必要などどこにもなかったと気づけたのだ。

 上手くいったのは何故か。自分なりに理由について仮説を立ててみよう。 

 仮説1。『ストレスを解消しなければならないと思っていると、それ自体がタスクになってしまう』。

 ストレスを感じているというのは余裕がない状態なのに、それに加えてストレス解消をしなければならないというのは、仕事で忙殺されている人間にさらに仕事を頼むようなものだ。自分がやらなければならないと思うことを極限まで減らし、ハードルを下げられるだけ下げてしまった方がいい。余裕がなければストレス解消も本来の機能を発揮しない。

 仮説2。『ストレス解消を目的に何かしようとするとストレスを思い出してしまう』。

 ありがちな話だが、ストレス解消のために何かをすると、何故これをしているのかと考えてしまい、ストレス本体を思い出してしまうことがある。ストレス解消を通じてストレスを思い出しているのだ。一説によれば、人は忘れようとすると主語であるその『何か』に意識が向いてしまい、結果としてより忘れにくくなるらしい。目的のために手段はあるが、ことストレス解消に限って言えば、手段に当たっている最中は目的を忘れなければならない。

 他にも理由はあるかもしれないが、とにかく『何もしない』は現時点で成功していると言っていいだろう。


 ここまで色々と考えてみたが、『結局問題解決してなくない?』と反論したい方もいると思う。それはそうである。マジでそうである。なんせ『何もしていない』のだから、問題が解決するはずもない。これで問題が解決するならこんな楽な話はない。

 一方で気が楽になったのも事実だ。問題が解決していないことは間違いないが、いい変化があったことも紛れもなく事実なのである。何が言いたいかというと、『問題が解決しているかどうかはストレスとは関係しない可能性がある』ということだ。

 その考えが正しいとすると、認識を改める必要が出てくる。これまでは①問題がある=ストレスがある、②問題がない=ストレスがないと思っていたが、この二つは実はそれほど強く結びついていないのかもしれない。問題を解決せずとも気楽でいられるのなら、問題と気持ちはそれぞれ別個に存在していると考えられる。

 目標を再設定しよう。

 問題と気持ちがそれぞれ独立していると仮定するならば話はそう難しくない。この話のゴールは最強のストレス解消法。精神をいかに安定させるかという話だ。解決できない問題と安定した精神。これらを自らの心の内に同居させる。それこそが求める心の在り方である。

 つまり、再設定された新しい目標は『問題がありつつもストレスを抱えない』状態である。


 振り返ってみると、なぜ僕は問題があることを不幸と思っていたのだろうか。それはきっと、問題を抱えている人たちが浮かない顔をしていたせいだろう。小さなころからそんな光景を見ていたせいで、無意識のうちに問題と自らの不幸をイコールで結んでしまっていたのだ。

 本当は違った。問題があるから不幸なのではなく、問題に拘るから不幸なのだ。嫌なことがあったからと言って、気持ちをそれに付き合わせる必要はどこにもなかった。出来事とメンタルは必ずしも連動しないし、またそうさせなければならない道理もない。

 こう考えると、ストレスへの考え方も変わる。問題の有無と自らの不幸が無関係であるなら、どれだけ嫌なことが起ころうともストレスの大きさには影響しない。むしろ、ストレスの大きさとは嫌なことに拘る自分の気持ちの大きさに比例しているのかもしれない。嫌なことが起きたとしても、その直後に『それどころじゃない』何かが起きれば嫌なことの比重は小さくなる。決して絶対的な指標ではない。

 先述した通り、解決できない問題と安定した精神を心に同居させることが新しい目標だが、それは現実逃避に当たらないのか、という問題がある。なんやかんやいっても、やはり問題は解決していない。この状態を逃避とは呼ばないのだろうか。

 個人的な意見としては、呼ばないと思う。逃避とは問題から背を向け、存在を見て見ぬふりをすることだと思っているが、今は解決できない問題があると受け入れているからだ。重要なのは問題を解決することではない。在り続ける問題に拘って心を疲弊させてしまわないか、ということだ。陳腐な言い方になるが、何もかもを受け入れることがストレス解消の最善策となる。

 嫌な思い出は誰しもあるだろうが、そのことについて常日頃から思いを馳せている人は少ないだろう。ほとんどの人は記憶の押し入れの奥深くに置いたまま、そんなことがあったと言われない限り思い出すこともない。それくらいの距離間で生きている。逆に言うと、あったことは認めている。過去を認め、存在を肯定し、それでもそれについて『そんなこともあった』と言うに留める。必要以上に逃避することもなければ、心を付き合わせることもしない。事実を事実として認め、ありのままの現実を受容する。

 これが僕なりに考えた最強のストレス解消法だ。

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