Black Lily 10
***
ーーそれはある雨の日のことだった。
「こんにちは、漆器の納品に来ました!」
「あー、黒咲さんどうも。すみません、バタバタしてて……あのあたり、置いてもらっていいですか?」
「わかりました」
ドラマの撮影で使用する漆器を納品し、由利は車のトランクから荷物を運ぶ。
全ての荷物を運び終え、息を着くと急に足下がガクッと折れる。
壁に手を付き、倒れることは阻止したが頭がガンガンと割れるような痛みを感じていた。
縛られるような頭痛とは違う、鋭い痛みだった。
「~~はありがとうございます。扱いでの注意事項も、事前連絡ありがとうございました。また撮影が終わりましたらご連絡致しますね」
いつの間にかスタッフと会話をしていたようで、由利はハッと顔を上げ、笑顔を貼り付ける。
「またよろしくお願いします!」
(そういえばオレって……)
ーーちゃんと笑えてるのかな?
***
雨の中、田園風景に紛れて車を走らせる。
(今日は……太陽も見えない。月も出ないんだろうな……)
「ーーえっ?」
荒れた視界に黒い影が横切る。
一瞬のそれに由利はとっさにハンドルを切るも、狭いあぜ道でタイヤが捕まってしまい途端に車のバランスが崩れる。
強い衝撃が走り、固く目を閉じただ身を小さくした。
雨の音がダイレクトに聞こえ、頬を濡らす。
「うっ……」
車は横転し、割れた窓から雨が侵入する。
(あ、やばいな。動けないや……)
頭部から血が流れており、足を強く打っていた。
だが霞む視界で“痛い”と感じることは出来ず、重たい身体を沈ませる。
「にゃー」
あぜ道から黒猫が顔を出し、ガリガリと車の扉部分を引っ掻いていた。
「よかった、お前……無事」
「にゃー」
金色の丸々とした目が、まるで月のようだった。
重なる姿に自然と口角があがる。
「なんか……似てるな……。こんな時に思い浮かぶなんて……拗らせてんなぁ、オレ……」
ーー何故だろう。
いつまでも空は晴れない。
星が見えない。
いつまでも、煙が空を覆ったままだった。
***
次に目を覚ましたとき、由利は病院のベッドの上にいた。
「……由利?」
「親、父……」
分厚い手帳を眺めていた貴利が由利の意識が戻ったことに気づき、顔を上げ安堵する。
そのくたびれた顔を見たとき、由利は鈍器で殴られたかのような衝撃を味わった。
「ごめん、ごめんな、親父。 お金、かけちゃってごめん……」
顔を見ることが出来ない。
腕を組み、顔を覆うと由利は目を閉じて暗闇に浸った。
その後、貴利に治療費を立て替えてもらい、早々に退院した。
頭部の切り傷に、右足の骨折。
松葉杖をついて病院から出ると、雨の時期は過ぎ、暑い夏が訪れようとしていた。
***
仕事に復帰した由利がパソコンで作業をしていると、腰を曲げた老人の職人が手招きをしてくる。
慣れない松葉杖をつき、老人の隣に腰かけると老人は器作りの作業をはじめた。
「よく見ておきなさい。 これが最後に作る器になるだろう」
「なにを言って……」
「ワシは結局、最後の命を燃やしても黒咲 輝利には叶わん。だがプライドはある」
【あぁ、まるで降り積もる雪のようだ】
「お前は黒咲 輝利を超えたいのだろ? なら、見ておけ」
【その曲がった背中は】
【しわくちゃの小さな手は】
【燃え続けて】
「お前の祖父は……“怪物”だったんだ」
【いつの間にか“灰”になっていた】
***
真夏の暑さが肌をジリジリと焼きつける。
今ではもう、燃えても煙は上がらない。
煙突がなくなり、流れるようにいつの間にか終わる。
技術の進歩が世界から哀愁を消していく。
誰も黒煙を見たいと思わない。
その煙の持ち主を知ってても知らなくても、煙は見たものの心に影を落とすだけ。
明るいホテルのロビーのような待合室で由利はソファーに腰かけ、長い息を吐く。
熟練された技術が、また一つ壊れた世界でなくなった。
(まだ、何も学べてないのにな……)
黒いスーツの下で腕が痒くなる。
右足がズキズキと痛み、固定されて放り出しているだけだ。
(葬式が終わったら、休んでた時の分も仕事しないと。あと星祭りだって、やりたいんだからちゃんと考えないと)
高校生最後の星祭りで投げた光る石のイベントは実質元通りになっていた。
あの時の華やかなイベントを出来るほど、運営がまわらないのが現状だ。
「……がんばらないと。若いのはオレだけなんだ」
(あれ? そういえばオレって何歳だった?)
【卒業してから何年経ってるんだろう?】




