MOON 2
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神社の石段をおりたあと、すっかり暗くなった辺りに気持ちがざわつく。
空を見上げると月が少し欠けて輝いている。
まるで一人では埋めることの出来ない心の穴のようだ。
足を止め、ボーッと目を奪われているとサラサラとしたせせらぎ音が聞こえてくる。
そして風が草木をくすぐる音をたて、冬の寒さに紛れたしっとりとした空気が頬を撫でた。
「光る……石」
ハッとして前を見たとき、河川敷の方向から水の跳ねる音が聞こえてきた。
何も考える余裕はない。
ただ走って走って、気づいたら月明かりが照らす川を見つめていた。
高校生最後の星祭り、私たちは願いを石に込めて川へと投げた。
どれだけ願っても願い事は簡単には叶わない。
打ち砕かれたことの方が多い。
血を吐きそうになり、地面を這うことだってある。
どうしようもなく泣き叫んで周りから変な目で見られることだってある。
それでも本当に諦められないことは、最後の最後に残って顔を出してくるんだ。
「私は黒咲くんに会いたいっ! 私は!! 黒咲くんを抱きしめたいんだ!!!」
ゆらゆらと滲む月に手を伸ばして飛び込む。
ーー欠けていた場所に一番星が光っていた。
そこはまるで宇宙空間。
星々が光る夜空の下で私は水に溺れゆく一番星を捕まえた。
思いきり引き寄せて、水面へと顔を出し息を吐き出した。
「うっーー、ゴホッ……ゴホッ……!」
「黒咲くんっ!!」
「……時森?」
困惑して水に濡れた手で頬に触れてくる。
感触を確かめるように震える指先が輪郭をなぞる。
「これは、また夢……?」
星が交わる。
私は過去に想いを馳せて変わることを期待した。
夢だろうが、黒咲くんが自殺する未来を回避したかった。
何をしても変わらなくて……ここで泥に沈むように死に咲こうとする。
(あぁ、もう……なんだっていい)
目の前にいる愛しい人を抱きしめた。
「なんで、なんでだよ……」
「黒咲くんのバカッ!! バカバカバカバカーッ!!!!」
骨がおれるのではという勢いで抱きつく。
「死んじゃやだ……絶対やだあ!! 死なせるもんか! そんなの絶対に認めないんだから!!」
「……離してくれ」
ジタバタと暴れる私の肩を押し、悲壮に満ちた目で見てくる。
黒真珠は、今はもうドロドロに溶けて粘り気さえ帯びている。
長い時間が輝きを奪い、くすませてしまった。
黒咲くんにとっての星はあまりに圧倒的に輝いていた。
それでも目をそらしてはいけないと焼かれ続けて気づいたら溶けてしまっていた。
黒咲くんだけの光が飲み込まれていた。
まるで呪いのようにそこで咲くしかなかった百合の花。
「オレにはこれしかない。オレは星の中でーー」
「やだって言ってるでしょ! お願いだから私の星を奪わないで!!」
「ときーー!」
足が取られる苦しさもわかる。
目の前が真っ暗になり、雑音が身を引き裂く痛みもわかる。
全てが身を蝕むどうしようもない連鎖から逃れるのは難しい。
一人で立てないことなんていくらでもある。
誰かがいても立たせ方が違うと余計に重くなる。
全部わかるけど、わかってても手を伸ばさずにはいられないことだってある。
ーー呪いを解くのはいつだって、誰かを想う愛のキスだと思うから。
水が跳ね、水滴が落ちて波紋が広がる。
ゆるやかな川の流れの中、石が沈んだ場所に足を着いて私は黒咲くんにキスをした。
「……え?」
唇が離れると目を丸くして固まる黒咲くん。
私は黒咲くんの手を掴む。
「絶対死なせない。黒咲くんは私が守るんだから……」
私の一番星。
その笑顔が消えてしまうくらいなら、私は全てを壊す。
夢も希望も呪いも、全部から引き離してみせる。
「生きて。黒咲くんの時はまだ、動いてるんだから。……私の一番星は恐怖の大王にだって奪わせない」
涙が溢れ出す。
ずっと泣いていなかったであろう不器用な泣き方は嗚咽が多く、息を吸うのも苦しそうだ。
掴んだ手を握り返され、私は真っ直ぐに黒咲くんを見つめる。
「ごめん。……ごめんな」
それから川から出て、私たちは河川敷に倒れ込んだ。
草むらの上に身体を寝転がせる。
冬の川に入ったことで身体はすっかり冷えていた。
しばらく荒い呼吸を繰り返し、ようやく重たい身体を起こすと気まずそうに目をそらし、小さく腰を曲げる黒咲くんがいた。
「時森、オレ……」
「うっ、うぅ……うあああああん!! あああああああん!!」
それはもう子どものような一心不乱な泣き方だった。
黒咲くんに抱きつき、濡れた後頭部を引き寄せ存在を確かめる。
「生きてる……黒咲くんが生きてる。よかった、よかったよお! もう、黒咲くんがいない世界はやだよお!!」
「……ごめん。ごめんな、時森。オレ……オレは……ぁ、あ……ぁあ……!」
それから黒咲くんは泣き続けた。
二人して下手くそに声をあげて泣いた。
さらさらと流れるせせらぎ音と、草が揺れる音、互いの荒い息づかい、水が落ちる音。
雑音のない世界で私たちは不器用に泣いて抱きしめあっていた。




