9.アーティ到着2
ミルバーン公爵邸で最も豪華な「鳳凰の応接室」に通されたアーティは、ネズミのようにキョロキョロしていました。
私の装いを上から下まで眺めて、昨晩の己の行いを思い出したのか顔を真っ赤に染めています。
「あ、あの……愛人教育って……具体的には何をしたらいいんですか」
「そんなに怯えないで大丈夫よ。さあ、そこに座ってリラックスして」
私はふふっと笑って、アーティに椅子を勧めました。
「もうすぐテイラー公爵夫妻がいらっしゃるわ。ええそう、バーナード様のご両親よ」
アーティが目をまん丸くしました。何が入っているのかはわかりませんが、持ってきた手提げかばんを抱きしめて震え始めます。
「バーナードの、お、お父さんとお母さん……」
彼女がつぶやいたとき、テイラー公爵が肩を怒らせて応接室に入っていらっしゃいました。
「結婚前から我が息子を呼び捨てにする無作法、これだから平民は。お前のような娘に、お父さんなどと呼ばれるなど……反吐が出るわ」
「まったくですわ。バーナードはもう少し賢い息子だと思っておりましたが、女を見る目をどこへ落としてきたのやら」
「あ……あ……」
愛する人の両親にじろりと睨まれて、アーティは口も利けないようでした。恐らく、バーナード様から都合のいいことばかり耳に吹き込まれていたのでしょう。
両親は私を気に入っていないとか、必ず僕たちの味方になってくれるとか、そういった類のことを。
それにバーナード様には、ご両親は今日、全く違う場所にいると伝えていましたしね。ええ、バーナード様がアーティにつけた護衛と侍女、そしてあの屋敷の使用人たち、すべて昨晩のうちにテイラー公爵にお願いして懐柔しておいたのです。
「お前の首がまだ繋がっているのは、ここにいるイブリン嬢の恩情だということをゆめゆめ忘れるでないぞ、娘。あの甘ったれのバーナードは正妻と愛人、両方を手に入れられると思っていたようだが、事態はそう甘いものではないのだ!」
激高するテイラー公爵、震えるアーティ。後から入ってきた私の父がとりなします。
「テイラー公爵、あまり怯えさせると腹の子に良くないだろう。落ち着いて話を進めよう」
私の母が侍女たちに指示をして、紅茶とブランデー、ケーキやクッキーなどの菓子類の皿が置かれました。
私はアーティの紅茶のカップに、ほんの少しブランデーを入れました。
「この程度ならお腹の子に悪影響は無いわ。ブランデーは気付け薬でもありますからね。これを飲んで、まずは落ち着きましょう?」
こんな展開は予想していなかったのでしょう。動揺するアーティは素直にカップに手を伸ばし、ブランデーでぬるくなった紅茶を一気に飲み干しました。
今の段階では、彼女の頭の出来は分かりません。下半身の緩さと知能が直結しているわけではありませんし。
それでも混乱の極みにある彼女には、要点を絞って伝えた方がよさそうです。
「……私がバーナード……様、と結婚できるんですか……? あの人のたったひとりの奥さんになれるの……?」
私が伝え終わると、アーティはまずそう言いました。
「相当に頑張れば、ということよ。まず、1週間後に男爵家の養女になってもらいます。さらに1週間後にテストをして、クリア出来たら子爵家の養女に。さらに1週間後のテストをクリアしたら伯爵家の養女に。最終的に我がミルバーン公爵家の養女になるのは、並大抵のことではないわ。あなたにできるかしら?」
私は挑発するように笑って見せました。アーティはカチンときたようです。人様のものに手を出すくらいですから、やはり気の強いところがあるのでしょう。
「で、できます! バーナード様のためなら、どんなことでも耐えて見せる……!」
「これから2か月間、バーナード様とは一切会えないけれど、それでも?」
「え…………」
アーティが絶句しました。
テイラー公爵がふんと鼻を鳴らします。
「当り前だ。我がテイラー公爵家は、ミルバーン公爵家との縁組に失敗して大恥をかくところだったのだぞ」
「で、でも……バーナード……様は、公爵に愛人がいるのは普通のことだって……」
「ミルバーン公爵令嬢イブリンを娶る者はそうではない! 現在の8大公爵家で適齢期の娘は彼女だけ、その価値は王女と同等なのだ! 値千金の縁組だったというのに、あの馬鹿息子め、自分の都合のいいように考えよって……っ!」
「お、王女と同等……」
「そうだ。そのイブリン嬢との結婚前に、平民の愛人を作るような大馬鹿者は勘当されて当然なのだ。それを、ミルバーン公爵が手を差し伸べて、お前たちが結ばれる道を作ってくださるのだ。寝食を忘れて努力しないでどうする!!」
「…………………ひっ、……ふぇ」
テイラー公爵の怒号に、とうとうアーティの瞳に涙が浮かびました。