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16.最後の饗宴3

 私の顔が露になると、バーナード様が弾かれたように立ち上がりました。


「イ、イブリン? どういうことだ? こっちのウエディングドレスの女は──」


 私はバーナード様の言葉を遮るようににっこり微笑みます。


「ねえアーティ、貴女はこんな下劣な男のために厳しい特訓に耐え抜いたのよ。私との新居でこそこそ逢引きし、私のために仕立てられたドレスを着せるようなけち臭い男のために。そもそも誠実に貴女を愛している男なら、危険のない逢引き場所を選ぶはずでしょう? 貴女のためのドレスを買ってくれたはずでしょう? わかるわねアーティ、貴女は最初の時点から愛されていなかったの」


 バーナード様の顔がさっと赤く染まります。『けち臭い』という言葉がお気に召さなかったのかしら?

 でも、動かしようのない事実ですしね。アーティの中にあるバーナード様との思い出も、ちゃんと壊しておかなくては。

 私はもう一度アーティの肩に手を置いて、軽く揺すってやりました。


「無邪気なあなたは、自分に待ち受ける運命がどんなに恐ろしいものであるか知らなかった。絶望的なほど難しい立場に立たされていることを知らなかった。貴女とお腹の赤ちゃんの命を救うためにはこれしかなかった……などという綺麗ごとを言いたくは無いけれど、実際にそうなってしまったわね。可哀そうなアーティ、バーナード様との結婚式はおとぎ話のような一日になるはずだったのに……」


 私は芝居がかった仕草で後ろからアーティを抱きしめました。本当はわずかな同情さえ抱いておりませんけれど、私が彼女の命を救ったことは恩に着せておきたいですし。


「結婚式はあらゆる女性にとっての夢舞台……アーティはもうミルバーン家の娘になったのだから、命の心配も捨てられる心配もしなくていいの。賢い貴女のことだから、どう立ち回ればいいかはわかるわね?」


「アーティが、ミルバーン家の娘……?」


 バーナード様がふらふらと前に出ます。端整な顔からは血の気が引いています。彼は震える手を伸ばしてアーティのベールをめくり上げました。


「ア、アーティ……」


「バーナード様……」


 ああ、ついに感動の再会ですわ!

 この2か月というもの、私の頭は復讐の計画でいっぱいでした。あれこれ方法を考え、アーティの様子を見ながらつまらない案を捨て、効果的な復讐方法を考えに考えて──。

 私はアーティの体から手を離し、彼ら2人が良く見える位置に移動しました。

 バーナード様はぽかんと口を開け、完全に思考停止なさっているようです。

 完璧な化粧が施されていたはずのアーティの顔は、流れ落ちた涙によって薄汚れています。でも、新たな涙は浮かんでいないようです。ぎりぎり及第点ですわね。


「……アーティをミルバーン家の養女にしたのか……まさかそんな……うちの両親が納得するわけが……」


「あら、テイラー公爵ご夫妻は大層喜んでおられますわ」


 バーナード様が私を睨みつけます。抜け出してその辺を彷徨っていた魂が戻ってきたかのように、青い瞳に怒りの炎が燃えています。


「嘘をつくな! へ、平民を養女にするなどと──いったいどれほど金を積んだんだ! いいか、笑いものになるのはミルバーン家の方なんだぞ! イブリン、お前だって義妹に婚約者を取られたなどという醜聞にまみれることになる! たかが結婚前に愛人を孕ませた程度のことで──っ!」


 バーナード様が私に向かってこようとした瞬間、コンコンコン、と気軽な3回のノックの音がしました。

 私が「どうぞ」と答えると軽やかに扉が開き、王太子フレデリック様が入っていらっしゃいました。

 バーナード様が驚愕に目を見開き、体の動きを止めます。


「たかが、などと言って貰っては困るんだよバーナード」


 フレデリック様が傲然と顎を上げます。


「8大公爵家は王家の手足、貴族にとっては手本となるべき存在。貴族の未亡人ならいざ知らず、17歳の無垢な平民の娘を孕ませるなど紳士の風上にも置けない。おまけに、それを正妻が容認したらどうなる? お前同様頭の足りない貴族の若者が、同じことをしでかすに決まっているだろうが」


 嘲りを隠そうともしないフレデリック様の言葉に、バーナード様は空気が足りなくなったかのように口をぱくぱくさせています。

 私はフレデリック様の言葉にうなずきました。


「バーナード様。貴男は私が『淑女に尊敬されている』とおっしゃいましたわね? その通り、私は若い淑女の手本です。その私が許したとなれば、他の令嬢も許さざるを得ない──正直申しまして、まっぴらごめんですわ」


 ふふ、と笑いながら、私は言葉を続けました。


「品性下劣なバーナード様のために、アーティの養子先には尊敬できる方たちを用意いたしましたの。ペイン男爵、ハモンド子爵、キャンベル伯爵、マディラス侯爵。ミルバーン家の養女になるためには、段階を踏まねばなりませんでしたから」


「いい人選だろう? みな必要以上に頭が固くて清廉潔白、なおかつ王家への忠誠心が厚い。愛しいイブリンのために選んだんだ。バーナード、君には『平民の娘に手を出すならば、ここまでする覚悟を持て』という生きた手本になって貰うよ。到底真似できないシンデレラストーリー、真実の愛を貫くヒーローというのが、君の最後の役目だ」


「さ、最後の役目……?」


 バーナード様が震えた声で、私とフレデリック様を交互に見ています。フレデリック様は私の右手を取り、恭しく口づけを落としてくださいました。


「無垢な乙女を弄べば、平民どもに反乱のきっかけを与えかねない。父上は激怒しているよ。まあ、僕もだけれど。平民とはいえ、父上や僕にとっては大切な国民だからね。ごく限られた人間による支配を続けるためには、平民は生かさず殺さず、程よく無知なままでいてもらわねばならないんだ。アーティの玉の輿は伝説となり、いいガス抜きになるだろう」


 バーナード様は両手を拳の形にして、ぶるぶると震えていらっしゃいます。アーティの顔は青ざめ、まるで美しい彫像のよう。


「バーナード様、テイラー公爵ご夫妻はぎりぎりまで貴男を信じておられましたわ。『男性を手練手管で喜ばせる職業』の平民の女性たちを何人も、使用人候補に仕立て上げて貴男の元へ送られましたの。これは私の入れ知恵ではありませんことよ?」


「あ、あの女たちが……?」


「ええ。まさか、続けざまに平民に手を出すような愚か者だとは思いたくなかったのでしょう。ですから、ご自分たちの手で貴男をテストなさったの。失望なさった末に、いまでは次男のエイモンド様にすべての望みを託しておられるとか」


 私はにっこり微笑みました。きっと、これまでで一番美しい笑みになっていることでしょう。


「エイモンド様が成人するまで4年もありますわ。せいぜい、アーティと手を取り合って挽回なさればよろしいかと。ああ、エイモンド様は先日フレデリック様の最側近に選ばれて、未来の宰相コースに乗りましたの。2か月も会わないでいると、伝えるべきことが多くて困りますわね」


 ひと息ついて、私は「それから」と言葉を続けます。


「私の今後について心配して頂く必要はありませんわ。私、フレデリック様と婚約いたしましたの。4歳も年上で恥ずかしいですけれど、国王様と王妃様、何よりフレデリック様がぜひにと望んでくださって」


 バーナード様の体がさらに震えました。私はフレデリック様の琥珀色の瞳を見つめ、そこに誠実さの輝きを見ました。これだけ意地の悪い私を望んでくださるなんて、心の広い方もいたものです。


「さあ、そろそろ花婿と花嫁を2人きりにして差し上げましょう。積もる話もあるでしょうし」


「もういいの? 話し忘れたことは無い?」


「そうですわね、それでは最後に……」


 踵を返しかけていた私は、ゆっくりとバーナード様とアーティの方に視線を戻しました。


「言うまでもないことですけれどバーナード様、貴男はもう浮気はできません。国王様、そしてミルバーン家以下5つの貴族が後見しているアーティを殺すこともできません。そしてアーティ、貴女の命を握っているのはこの5つの家だということを忘れずに。相応しくない振る舞いをすれば、親には子どもを処分する権利がありますから。私から伝えたいことは以上です。それでは、ご結婚おめでとうございます」


 私は堂々たる淑女の礼を致しました。そしてフレデリック様に肩を抱かれ、花嫁の控室を後にしました。


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― 新着の感想 ―
[一言] バーナードが謹慎してたときだけ失敗する計画で、それは有り得ない見込みだったと。イブリン嬢のマニアックな楽しみが満たされたのが、彼女にとっては表面上のざまぁより大きな収穫だったということでしょ…
[良い点] 一つ一つの言動の伏線回収見事でした。 最初は2人ともにざまあして欲しかったけど、アーティの頑張りをみると少しは報われて欲しいなと思いました。 愛する人からボロくそに言われ、頑張ってきたこと…
[一言] 予想以上に強烈熾烈苛烈激烈な復讐譚のクライマックスでございました。 アーティは男より先に自分のこれからの行く末の暗闇に気がついたのでしょう。それがどれほどの力によって作り上げられ、彼女ひとり…
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