12.最終関門
「……素晴らしい。よくぞここまで……」
テイラー公爵がほうっと息を吐きだしました。ミルバーン公爵家の大広間に集った方々も、夢見るようなまなざしでアーティを見つめています。
彼らの視線の先では、アーティが見事なワルツを披露しています。パートナーを務めるのは私の兄のレイクンです。
病がちでずっと領地におりましたが、私が領地の医師たちと開発した新薬のおかげで快復したのです。
「うむ、たしかに素晴らしい」
アーティの最終試験である小規模な夜会、その主賓である国王様が大きくうなずきました。
その他の参加者の皆様──アーティの養子先となってくださった貴族の面々も、アーティの仕上がり具合に満足そうな面持ちです。
「あの振る舞い、身のこなし、まるでイブリン嬢の複製のようではないか。これならば、ミルバーン公爵家の養女として恥ずかしくあるまい」
国王様はすっかり感心していらっしゃいます。私も微笑みながらアーティを見守りました。
私の複製と国王様はおっしゃいましたが──こういったことは、自分ではわからないものですね。
元より身長も手足の長さもほぼ同じでございましたから、同じ化粧師と髪結師に身支度され、同じデザイナーのドレスを纏えば、似て見えるのも致し方ないのかもしれません。
何より、アーティが受けた教育は『私の12年間』を抜粋したものですから。この短い期間で淑女に変身するためには、私が生きた手本になるしかありませんでした。
ええ、いい出来栄えです。表面的には十分合格点でしょう。まだまだ足りない部分も多いですから、引き続き教育が必要ですけれど。
「イブリン嬢には何とお礼を言えばいいのか……」
テイラー公爵が私に頭を下げます。
「たった2か月でアーティを一流の淑女にするなど……最初は半信半疑……いや、9割方無理だろうと思っていた。貴女は本当に、我々の想像の先を行く。よくぞここまで仕上げてくれた、心から礼を言わせてもらう」
アーティを見ながら涙を浮かべていた公爵夫人も、慌てたように頭を下げました。
「いくらミルバーン家の養女になっても、平民の娘を嫁として愛せるわけがないと思っていたの。でもイブリン嬢がアーティを厳しく躾けて……アーティが懸命に頑張っている姿を見るうちに、愛情が湧いてきました」
「すべてアーティの力ですわ。あの子には、元から素養があったのです」
私は目を細めました。実際、アーティは頑張りました。
今日の夜会でアーティが見せた堂々とした振る舞い──晩餐の席でのマナー、貴族同士の気が利いた会話、軽やかなワルツのステップ。これらを習得するのは並大抵のことではなかったはずです。
つわりがほとんどなかったとはいえ、17歳まで平民として育ったアーティが血反吐を吐くような思いで耐え抜いたのですから。その頑張りを認めないわけにはいきません。
もちろん、私にとってアーティが不届き者であることに変わりはないのですが──犬猫だって3日も飼えば情が移ると申しますでしょう?
アーティのパートナーが、バーナード様の弟であるエイモンドに代わりました。彼の瞳にも、もうすぐ義姉になるアーティへの親愛の情が浮かんでいます。
「イブリン、僕たちも踊ろうよ」
私に向かって手を差し出してきたのは、14歳の王太子フレデリック殿下です。私は「喜んで」と彼の手に己の手のひらを重ねました。
私よりも少し背が高く、漆黒の髪と琥珀色の瞳の、端整極まりない顔立ちの素晴らしい王子様です。ワルツを踊りながら、私たちはたわいもない会話を楽しみました。
「そういえば、フレデリック様は婚約者を探しておられるとか。相応しいご令嬢は見つかりまして?」
「うん、おかげさまで見つかったよ。国一番の美女で、才気煥発、しかも懐が深い理想の女性さ。イブリン・ミルバーン公爵令嬢っていうんだけど」
私はぽかんとしてしまいました。
「ご冗談でしょう。私はフレデリック様より4歳も年上ですよ?」
保守的なシェブリーズ王国で、王族の花嫁が年上だった例はありません。私がバーナード様と2歳で婚約したのも、年齢の釣り合う王族の男子がいなかったからなのですから。
「昨今では珍しいことではないよ。知ってる? 姉さん女房って上手くいくんだって。僕が生まれたとき、既に君がバーナードと婚約していたから、父上も母上もそりゃあ悔しかったそうだよ」
「そんな──」
「実際、僕に相応しい相手が見つからなかった。まあでも、あの男のやらかしたことを思うと、やっぱり幼いうちに婚約するのは良くないね。バーナードは恵まれすぎて、自分がどれほど素晴らしい宝を持っていたのか分からなくなってしまったんだ」
「フレデリック様……」
「今日の夜会の様子を見るに、アーティは立派なテイラー公爵夫人になれる。レイクンも健康を取り戻したし、イブリンが王太子妃になるのに何の障害もない。正々堂々求愛させてもらうから、覚悟しておいてね」
フレデリック様が悪戯っぽく笑います。曲が終わり、彼は私の右手の甲に恭しく口づけをしました。ぼんやりしている私のところへ、アーティが近づいてきます。
「お義姉様……私、お礼が言いたくて……」
アーティの後ろには兄のレイクン、父アンドルーと母ラフィアが立っています。
男爵家から侯爵家まで、それぞれの家の養女になるためのテストをクリアしたアーティ。そして最終関門である国王様を招いての夜会を見事にこなした彼女は、晴れてミルバーン公爵家の娘になったのです。
「いいえ、私が言うべきなのはお礼ではなく謝罪の言葉です。お義姉様に、淑女として厳しく、優しく、温かく教育して頂いて……私は気づいたんです。己の行いがいかに恥ずべき事であったか……本当に申し訳ありませんでした」
アーティが深々と頭を下げます。私は彼女の肩に手を置いて、上からぎゅっと抱きしめました。
「ありがとうアーティ、その言葉だけで十分です。胸を張ってバーナード様の妻になりなさい……苦労することはたくさんあるでしょうけれど」
抱きしめたアーティの体が震えています。私はアーティの謝罪を受け取って、そして受け入れました。
バーナード様とアーティの結婚式の日は、もう間近に迫っています。
アーティの2か月とバーナード様の2か月。それらが同じ重さであることを願うばかりです。




