11.教育は順調に
アーティの教育は順調に進みました。
最初の関門であった男爵家の養女ですが、これはまったく問題ありませんでした。テイラー公爵が選んでお連れになった男爵夫妻は、アーティの美しさに感動したようです。
テイラー公爵夫妻も、たった一週間でのアーティの変わりように目を見張っておられました。
かつては王女も鍛えた教師陣が特別メニューを組み、なおかつ私が総指揮をとっているのですから、うまくいかないわけがありません。
侍女のエリスは納得がいかないようですけれどね。
「あの娘が右往左往する姿を見て留飲を下げたかったですのに……。ひとつ失敗するたびに鞭打てばよろしいんですわ。それを、あそこまで懇切丁寧に指導するなんて……」
悔しそうなエリスの言葉に、私は小さく微笑みました。心から私のことを心配してくれる侍女というのは可愛いものです。
「もちろん、考えなかったわけではないわ。でもその程度のことなら、こんな大がかりなことをしなくてもできるでしょう」
「では、これからアーティが養子に入る先の子爵家や伯爵家、そういった先を厳選して復讐なさるのですか? 女好きのろくでなしとか、野獣のような放蕩者とか」
「いいえ? 多少お金には困っていらしても、家名も人柄も立派なところを選ぶつもりよ。口が堅い、信頼できる方をね」
エリスが顔をしかめます。
しかしこれは譲れません。8大公爵家のひとつミルバーン公爵家の養女になるためには、その前段階の養子先もそれなり以上の貴族でなければならないのです。
「あのクソ男を閉じ込めている間に、アーティとの醜聞を流さないのですか? イブリン様の傷心と献身を社交界の皆様が知れば、イブリン様は悲劇のヒロインに──」
私は右手を上げてエリスの言葉を制しました。
「私、悲劇のヒロインになるつもりは無いの。安っぽいことは性に合いませんもの」
これは事実です。社交界というものは貪欲に噂話を求めていますから、たとえ私に非がなくとも、面白おかしく噂されるに決まっています。
ですからアーティをミルバーン公爵家の養女とする計画は、直前まで秘密にしておかなければなりません。
「じゃ、じゃあ、あのクソ男の方に揺さぶりをかけているんですね。アーティのための使用人を厳選するというのは建前で、他の女に手を出させるのが目的なのでしょう?」
「まあ、バーナード様が他の女に手を出すですって? そんなこと、あり得ないわよ」
私はにっこり微笑んで見せました。お腹の中では全く違うことを考えてはおりましたが。
「そろそろ『淑女の心得』の授業が終わる時間ね。アーティの仕上がり具合を確かめてこなくちゃ」
アーティの勉強部屋に入ると、彼女は青い顔をして椅子に座っていました。腿の上で指を組み合わせ、関節が白くなるほど握り締めています。
私は教師の顔と、彼女が開いているテキストのページを見て「なるほど」と思いました。貴族の妻は夫の浮気を広い心で許さなければならない──というような内容です。
なんて男に都合のいい教えでしょう。まあ実際のところは妻の実家の力も影響しますから、全員が全員愛人を持つわけではありません。私の父なども母一筋ですしね。
「イブリン様……」
この一週間ですっかり私に懐いたアーティが、すがるような眼差しを向けてきます。
どうやら不安になったようです。一度あったことは二度、二度あったことは三度繰り返すのではないかと──。
一般的に会えない時間は愛を育てると言いますが、どうやら疑念が育ってしまったようです。可哀そうに。
「心配しないで、アーティ。バーナード様はおっしゃったわ。貴女のことを愛しているから私のことは抱けないと。だからこの教えは、アーティには絶対に当てはまらないわ」
「そ、そうでしょうか……」
「そうよ。私がアーティを教育している間に、バーナード様の気持ちはさらに強くなるに違いないわ。私はあの日あの時、バーナード様の瞳に『永遠の愛』を見たの。だからこそ身を引くと決めたのだもの、自信を持ちなさい」
アーティの頬にわずかに赤みが戻ります。私はアーティの隣に座り、彼女の手の上にそっと自分の手を重ねました。
「これから貴女の養子先となる貴族たちは、すべて貴女の味方となるわ。もちろんミルバーン公爵家も。貴族の養子縁組と言うものは軽々しいものではないのよ。バーナード様は絶対に貴方を手放せない。絶対にね」
ぽんぽんとアーティの手を叩くと、彼女の強張った体から力が抜けました。
「さあ、そろそろ仕立て屋が来る時間よ。アーティはお腹が目立たない体質だけれど、先々を見据えてお腹を締め付けないドレスをたくさん作らなくては。国一番のデザイナーだから、ぱっと見には妊娠しているとわからないドレスを作ってくれるわ」
「で、でもイブリン様、もうたくさん買っていただきましたし……私のためにそんなにお金を使って頂くわけには」
「またそんなことを言って。昨日叱ったばかりでしょう? 公爵夫人が身に着けるものは、何もかも最高級でなければならないの。値段なんか気にしては駄目、それはバーナード様が甲斐性なしと言っているようなものよ? 結婚したら、貴女を綺麗にするのはバーナード様の役目。彼ならきっと、毎日新しいドレスを着てほしがるでしょうね」
「そ、そういうものなのですか。公爵夫人って、やっぱり凄いのですね」
「そうよ。だから貴女も、今のうちから慣れておかなければね。仕立て屋の次は宝石商が来る予定ですからね、貴女には母親から引き継がれる宝石が無いから、たくさん買わなくてはいけないわ」
「は、はい。実は私、綺麗な物って大好き──心が浮き立ちます」
「アーティがおねだり上手になれば、バーナード様は喜ぶに違いないわ。貴族の男性というのはね、そう言ったことにお金を使うのが大好きなの」
「はい!」
アーティはすっかり顔色が良くなりました。私は椅子から立ち上がりました。窓の外に仕立て屋の馬車が見えます。
厳しいカリキュラムをこなしているアーティにとっては、買い物はちょうどいい息抜き。未来の公爵夫人らしく、今日もたくさんの買い物をすることでしょうね。
 




