10.最後の条件
アーティの涙はテイラー公爵夫妻を大いに呆れさせました。私の両親もです。
自分を取り囲む冷たい視線を感じたのでしょう、あろうことかアーティはブランデーの入ったデキャンタに手を伸ばしました。
困ったものね、と思いながら私はアーティの手に己の手を重ねました。
「駄目よアーティ、貴女はお母様になるのでしょう。8大公爵家のひとつ、テイラー公爵家の血を引く子どもがお腹にいるのよ。『気付け薬』として少量飲む分には構わないけれど、『飲酒』になってしまうと赤ちゃんに悪影響が出るわ」
ブランデーは紳士の飲み物です。既婚女性ならば夫と一緒に嗜むこともありますが、若い淑女はシャンパンやリキュールを楽しむもの。まあ、アーティは妊娠中なのでそれも飲めませんけれど。
「あ、アタシ……落ち着きたくて……」
あらあら、と私は微笑みました。アーティの目が未練がましくデキャンタを見つめています。よほど気付け効果があったのでしょう。
まさか、ブランデーの味を覚えてしまったということはありませんわよね。たしかに1瓶でちょっとした宝石が買えるほどの高級品ですが。
「では、いまは深呼吸をなさい。ブランデーは1日にほんの少し、害のない量なら紅茶に入れても構わないでしょう。1日に1杯のお楽しみにするといいわ」
私はアーティの手のひらをぽんぽんと叩きました。彼女は素直に深呼吸をしました。ええ、素直な子は好きですわ。だって教育の成果が出やすいですもの。
「次にバーナード様に会えるのは、2か月後の結婚式よ。きっと驚かれるでしょうね、花嫁のベールをめくったら、そこに愛する貴女がいるのですもの! きっと感動に打ち震えて、貴女を抱きしめて下さるはずよ。庶民から公爵令嬢へと華麗に変身した貴女に、平民たちも夢中になるに違いないわ」
「そ、そんなお伽噺みたいなこと……すてきだけど……でもあなたは……イブリンさま、は、本当にいいんですか……?」
私は笑みを深くしました。ちょっと眉を上げたり、微笑んだりするだけで、人は勝手に相手の気持ちを推し量るもの。アーティも私の表情から、勝手に何かを読み取って感動しています。
私はテイラー公爵夫妻、そして私の父と母を順番に眺め回しました。
「さあ、早速アーティの教育に取りかからなくては。まずは彼女の外見を淑女らしくするところから始めようと思いますの。バーナード様が心奪われるくらいですもの、きっと磨けば光りますわ」
「う、ううむ。そうであろうか……」
首をひねったのはテイラー公爵です。アーティの体はぶかぶかの木綿のワンピースに包まれていますから、その下にある体のラインが想像できないのは致し方ありません。
でも、この娘は『私のために作られたドレス』を着られるスタイルの持ち主なのです。外見を淑女レベルにすることは難しくないでしょう。
「ご心配なさらないでください、テイラー公爵様。それはそうと、ひとつ確認させていただきたいのですが。アーティが出発してから、バーナード様に謹慎を命じてくださったのですわよね?」
「あ、ああ。我が家の家令をあれの屋敷に遣わして『結婚前に愛人を作ったこと』に対する処分として、結婚式まで仕事を休むように申し渡した。あの馬鹿息子のことだから、軽い処分にほくそ笑んでおるに違いない」
私は内心でそうでしょうね、とうなずきました。
ミルバーン公爵家の令嬢である私を徹底的にコケにした代償が、たった2か月の休職で済んだわけです。
私との4つ目の約束として、社交の場に出ないようお願いしていましたから、2か月間行く場所はありませんね。
「ありがとうございます。それでは、もうひとつお願いしたいことがあるのですが。私が2か月間アーティの教育に励む間、バーナード様には新たな使用人の面接をして頂きとう存じます」
「使用人の面接? 何のために?」
「もちろんアーティのためですわ。2か月後にあの屋敷で新婚生活をスタートするアーティのための使用人を、バーナード様に選んでいただきたいのです」
アーティが小さく「アタシのため?」と呟くのが聞こえました。
「彼女と日常的に触れ合うことになる侍女頭と、侍女を3名。嫁いでからも教育は必要ですから、マナーとピアノと声楽の講師。あまりにベテランで気位が高い女性だと、アーティが気後れしてしまうでしょうから、ほどほどにお若い方がよろしいかしら。アーティがのびのび振る舞えそうな候補者を探して、バーナード様が面接できるように取り計らっていただきたいのです」
「この娘のためにそこまで……イブリン嬢、あなたは何と広い心の持ち主なのだ。わかった、早急に手配しよう。バーナードにとってもよい暇つぶしになるであろうし」
そうですわね、と私はうなずきました。よい暇つぶし。ええ、きっとそうなりますわ。だって、愛する女性を支える人々を2カ月かけて選べるのですものね。
「バーナード様にこうお伝えください。使用人はじっくり吟味するようにと」
「わかった。あの馬鹿息子がミルバーン公爵家の方々の温情を知れば、涙にむせぶことだろうが──」
「ふふ、約束通りまだ秘密でお願いいたしますわ。私はバーナード様が愛する人と正式に結ばれて、感動の涙を流す方が嬉しいですもの」
「本当にイブリン嬢は聖女のようだね」
テイラー公爵が感嘆の息を漏らしました。
アーティは感動の面持ちで私を見つめています。面白いほどに感情が顔に出やすい子です。
バーナード様がそういったところを愛したのなら、矯正しない方がいいかしら──そんな風に思いながら、私はアーティの手を取って立ち上がりました。
「さあアーティ、2か月間頑張りましょう。バーナード様が貴女のために選んでくださる使用人たちが、無駄にならないようにね」
「は……はい……っ!」
さあ、淑女教育の始まりです。




