入院
目覚めると、霞がかかったような感じで、家族と何か話したような気もするが、また寝てしまっていた。肝心なお腹ではなく、足が痛い気がして、ひどく寝苦しかった覚えがある。
今となれば、血栓予防の弾性ストッキングが、その痛みの原因だったのではとも思えるが、起き上がるのにも一苦労という体力の衰えにはびっくりさせられた。骨折が引き金で寝たきりになってしまうという話も、あながち大げさなものではないなというのが実感だった。
手術後すぐに麻酔から覚めた私が、主治医の先生に「これで長男の運動会に行けそうです」と嬉しそうに言っていたと看護士に聞かされて、全くそんな記憶が残っていないのには驚いた。そんなことは、気にもしていないつもりだったので、すわ別人格の出現か?と、以前から昨日の私が今日の私にきちんとつながる不思議を想っていたので、それ以来出てこない家族想いの人格が少しかわいそうにも感じた。
あまりに寝心地の悪いベッドと、夜中に徘徊する患者の声、どうにも消えない息苦しさから逃げ出したいと、とにかく早い退院のみを希望にして、リハビリに励んだ。積読状態の本を読む時間が出来たと最初は喜んでいたものの、読書にも体力が必要なことに気付かされた。
孤独が気にならない性分だったが、面会の間だけが手持ち無沙汰が解消される時間だったので、誰かが入院したらなるべく面会に行ってあげねばと悟らされた。
主治医の先生はとても感じの良い方で、手術前の打合せで、家族ともどもこの人になら命を預けられると、安心して身を任せられた。退院後の定期検査で傷跡を見るたびに、上手に出来たと自慢されているのが失礼ながらかわいらしくも思えた。
健康診断で胃と大腸に「要精密検査」とあったので、大腸カメラと胃カメラの検査を受けたのだが、最初に受診した内科の先生が告知を嫌がった為に検査結果のお知らせをたらいまわしにされ、つい先ほど胃カメラの検査をされた先生のところに戻って告知されたのは笑えたし、そんな時代だったということでもあろう。ちなみに入院棟も主治医の先生も外科だった。病院としてはどうだろう?
当時は民間療法の一種とされていた「免疫療法」でつい先日、別の営業所の方が1ヶ月ほどのお休みで会社に戻ってこられたのを見て、あらためて医療技術の進歩に驚かされると共に、「標準医療」が現在利用できる最良の治療であるという認識を新たにさせられた。