6.引きこもりは引きこもりと再会する(表):2120年2月11日
いつものように、朝5時15分に起床。
薬液の出荷作業を行い、ゆっくりと食事をすませた後で、待ち望んでいた通知がバディから届いた。
「講習に割り当て分の調停AIを使う件、申請が通りました。全5回。1回50分」
「おお! 言ってみるもんだね。『黄李族誅』の二次創作じゃないのに」
「劇団AIによれば“豚飼い”と人豚事件について学ぶことは、『黄李族誅』をより深く楽しむことにつながるとのことです」
「なんと帯域の広い……劇団AIは神か」
私は手を合わせてナムナムと唱えた。
「ただし、条件があります」
「……そんなことだろうと思ったよ。聞こうじゃないか」
「他の受講者と同期して授業を受けることになります。ログは逐次公開方式です」
「うおう」
不満気に唸ってみせたが、これは引きこもりとしての矜持からくる仕草で、根っこのところでは、さほどイヤではない。
何度も繰り返すが、わたしは人が嫌いなんじゃない。人付きあいが嫌いなんだ。
受講の時だけ顔を合わせ、あまり会話もせず、終われば後腐れなく縁を切れる。
これならば、引きこもりのわたしでも、大過なくやり過ごせる。
はずだ。
「いかがしましょう」
「いいよ。進めちゃって」
「わかりました」
最初の講習は、すぐに決まった。2月14日水曜日の午前9時から。
『黄李族誅』の前史を禁忌技術を中心に学ぶという講義の内容を公開するとすぐに受講希望者が集まった。やはり、興味がある人は多いらしい。
もちろん、一番興味があるのはわたしだ。
胃が一番シクシクするのもわたしだけどな。
「明々後日か……」
引きこもりにとって、自分が参加するイベントへの思いはアンビバレントだ。イベントが楽しみなのと、イベントまでの時間が苦行なのが同居する。あれこれ思い悩むせいで睡眠の生産性も下がるし。
こういう時は、頭ではなく、体を使う。
頭はウソをつくが、肉体はウソをつかない。
「スポーツジム、これから予約できる?」
「できます。ですが、他の方と一緒になります」
「そこは我慢する」
「では15分後で」
「はやっ」
バディが「わかってる」と思うのは、こういう時だ。
くなくな先のことで思い悩むわたしには、時間の余裕を与えない方がいいこともある、というのを相棒は心得ているのだ。
急かされたことでわたしがブチ切れることもあるが、それはそれでストレスの解消につながる。感情を持たないAIが相手だからこそ、わたしは後ろめたさを感じることなく感情を爆発させることができる。
……本当、秘書AIに感情をもたせようという連中の考えることは理解できないよ。
秘書AIが、感情をもってないから、付き合う側は気楽でいいんじゃないか。人間が何度も同じ失敗を繰り返しても、呆れられて見限られたりしないんだから。
「いってくる!」
「はい。いってらっしゃい」
半ば駆けるようにして、わたしはアーコロジーの廊下を進む。
去年のうちに九州からの災害疎開が終わり、アーコロジー内に人の気配は少ない。
それでも、スポーツジムには、何人かの人がいた。4人、5人……あ、あれは人ではなくPロイドか。旧式のPロイドは手が長くてシルエットがお猿っぽいからすぐわかる。
トレーナー役のPロイドに見守られながら、できるだけ他の人の目が向かない方角にある器具を使ってトレーニングを行う。
む。誰か近づいてきた。
目を合わせないように、視線を床に向ける。あー、レッグカールが太ももにきく。
床に靴が見えた。つま先がこっちに向いている。うぇ。
わたしの隣にももう1台レッグカールあるし、そっちは誰も使ってないから、順番待ちではない。つまり、こやつわたしを見てる。やだなあ。トレーニングに夢中で気づかないフリしよう。いやダメだ。レッグカール重い。これ以上は太ももが死ぬ。
つま先のちょい上に、ひらりとした何かがあった。布だ。
タオル?
タオル!
顔をあげる。女がいた。
一ヶ月前に通路で会った女だ。
タオルを貸してもらい、お返しにタオルを貸した。
どっちのタオルも再生品のタオルで、アーコロジーが下着と一緒に毎日届けてくれるヤツだけどな。洗濯しないで分解して汚れを取り除いてリサイクルする。環境負荷は水を汚す洗濯より低い。
目があうと、女がぎこちなく微笑んだ。
「覚えっっ(↑)てますか、ここで、タオルを」
裏返ってんぞ、声。
「ん、んっ」
声をだすとわたしも裏声になる自信があるので、かわりに何度もうなずく。
「よかった」
女が笑顔になる。声はまだ硬いのに、笑顔はすごく自然。
いいなあ。そういうの、ちょっと憧れる。
「それで、あの、タオルを……」
わたしは、女が握ってるタオルを見た。
淡い黄色の生地に、模様が入ってるのがわかる。無地の再生品じゃない。
「タオルを……」
女の顔が、みるみる青ざめていく。
あ、これは頭の中でこの後の展開をシミュレーションしているヤツだ。
タオルはあって悪いものじゃないが、プレゼントとなると違ってくる。ここは災害疎開用アーコロジーだ。快適だが部屋は狭く、私物は最小限が鉄則である。
そういう場所に転がり込んだわたしのような引きこもりは、よほど理由がないと私物を持ち続けることはない。
タオルをプレゼントされたわたしが、困った顔で受け取って、部屋でもてあます。
目の前の女は、それがわかってしまうのだ。自分がやろうとしていることが、自己満足でしかなく、相手への負担になる未来が見える。妄想だけど、ありありと見えちゃう。
なぜわかるのかって?
わたしがそうだからだよ!
「えへんっ! えへんっ!」
わたしは咳払いしてレッグカールから下りた。太ももの裏が張ってる。
バッグからタオルを出す。
「あの……また、交換しようか? タオル? よかったら、だけど」
女の顔が、ぱっ、と明るくなる。
眩しいから不意打ちはやめて。
「はいっ! はいっ!」
「わたしの方は再生品だけど、いいかな」
「かまいません」
わたしは女とタオルを交換した。
指に触れたタオルの生地の柔らかく吸い付く感触に、思わず「へっ」と声をあげる。
手にしたタオルをまじまじと見る。顔から首筋を拭いてみる。
何これ。
ひと拭きで、皮膚の表面から濡れた感覚が消えた。
「コレすごいヤツだ」
「それ、スポーツ選手、とか、愛用してるやつで」
「ああ、道理でモノがいいと。ナノ化処理してあるんだろうな」
ちょっと待て。
交換でわたしが渡したの、アーコロジー居住者全員に配られてる再生品だぞ。
今度はわたしの顔から血の気がひく。
「ごめん! まさかこんなに差のあるタオルだとはついぞ思わず! しかも、そのタオル、今日、何回か汗拭いてるヤツだから!」
「いえ! これでいいです! 大丈夫、匂いません!」
やめて。口にあててスハスハしないで。恥ずかしくて死にそう。
わたしと女はしばらく見つめあい。
「ふへへっ」
「うへへへ」
そろって気の抜けた、ダメな笑いをもらした。
可愛いのになあ。もったいない。
女は……いや、いつまでも“女”って識別の仕方も失礼だよな。
「えと」「あの」
同時に口を開き、続いて同時に手を出して相手にしゃべらせようとする。
少し沈黙して。
「名前」「名前」
なんだろうね。
もしかしてクローン姉妹か何かか、わたしらは。
いや、人の遺伝子配列など、性格や行動パターンの一部でしかない。わたしらの息がピッタリなのは、遺伝子からではなく、生活習慣からくるものだ。
つまり、わたしも彼女も、どうしようもなく引きこもりなのである。
それも、うぬぼれていいならば、頭がよく、健康で、かつダメ人間な引きこもりだ。
22世紀日本では、さほど珍しくない。生きるのに必要な社会性は秘書AIが補うからな。
「聡子。古谷聡子」
「遙華。銀天象遙華」
同時に名乗った。
……ギンテンショウ? 日常的に聞く名字じゃないが、霞ヶ関ナノハザードのゴタゴタで戸籍がボロボロになってから、日本では名前は自分で好きなのつけるようになってる。個人識別は、複雑な暗号を使ってロボット官僚と秘書AIの間で把握できていればいいのだ。
わたしと遙華は、トレーニングの合間にポツポツと話をした。
どちらも相手が引きこもりなのはわかってるから、個人情報に近づくことは口にしない。
家族、交友関係、仕事、どこに地雷が潜んでるかわかったもんじゃない。
こういうときには趣味の話がいい。別に布教活動をしようというわけじゃないよ。
「ねえ。『黄李族誅』って知ってる? “豚飼い”を題材にした史劇だけど」
わたしはトレーニングマシンの負荷を調整しながら、話しかけた。趣味の話って、興味ない人間は、反応に困るからね。相手の顔を見て話さないのは「たいして意味のない話題だから、興味ないなら流して。どうぞ」という合図だ。
遙華が息をのむ気配があった。お。これはひょっとして食いついてくるかな。
「……そのドラマは見てませんが、“豚飼い”と人豚事件には興味があります」
食いついた。
わたしは2月14日に、黄家と禁忌技術の関係についての講義の1回目があることを伝え、遙華を誘ってみた。
「いいですよ。楽しみです」
ひゃっほーい。
今日はよい日だ。




