4.引きこもりの創作活動(2):2120年1月28日
「好……」
配信されたばかりの『黄李族誅』最新話を見て、わたしは大きなため息をついた。
わたしが見ているのは、レミとフォウのエピソード中心に編集された枝バージョンだが、本編の部分もダイジェストで入っている。この密度がバカにならない。大勢のスタッフが大金と時間をかけて作り上げた本編を、さらに厳選して作り上げてある。演出のタメは少ないが、その分、畳みかける物語で酔わせてくれるのだ。
「優しかったセン兄さんが闇堕ちしてしまった……愛する妻から摘出した脳髄を電子的なシュレッダーにかけて記憶と人格をホロ転写させて保存……マッドすぎる……しかも、その場面を娘に見られるとか……そりゃ逃げるわ。トラウマものだ」
未来が見えるというのも、良し悪しである。
センは、優秀な者が多い黄家の中でも特に出来物だ。現実と折り合いをつけていける間は、センは頼りになる兄貴だった。センこそ“豚飼い”の良心であった。センが主導すれば、“豚飼い”も良い方に変わるのではないか、と視聴者に思わせた。
しかし、センには見えてしまった。暴走した“豚飼い”が地球文明に破滅をもたらす未来が。より良い未来のためと信じ、“豚飼い”と一般社会の狭間ですり潰され摩耗してきたセンの心が、今回配信分でポッキリと折れた。
「この逆で、破滅の未来がまるで見えてないのがレミなんだよなぁ。いい意味でも悪い意味でもお嬢様だから、100億の貧乏人が自分たちにむける憎悪を、頭では理解しても心では信じられない」
兄として可愛がり、成長を楽しみにしていたレミの無邪気な盲目がセンの心をすり潰して裏返す最後のひと押しになる展開は、見ていて心が震えた。
センの、未来への絶望で苦悩する表情が、裏返った瞬間だけ呆けたようになり、そして爽やかな笑顔になる。わたしはセン兄さんの熱心なファンではないが、あの表情の切り替えの演技は素晴らしい。何回も繰り返し見てしまう。
「セン兄さんのモデルになったのは、21世紀の役者の……おお、この人か。すっきりした顔の男前で、瞳が愛玩犬っぽくて繊細な感じがまさにセン兄さん」
死者復元演者の元データは20~21世紀の役者だ。21世紀から22世紀の間に、肖像権や著作権の扱いは、大きく変動した。映像などのデジタルデータを複写加工する技術の発達が、従来型の法と倫理を過去のものとした。
その同じ技術が、個人のプライバシーも過去のものとした。わたしが今いる疎開用アーコロジーは完全防音個室でどれだけ中で騒いでも周囲の迷惑とはならない。しかし、室内は監視カメラが常に撮影されていて、アーコロジー管理AIが監視している。わたしが中で自殺などを試みれば、管理AIは部屋を閉鎖して無力化ガスを流し、しかる後に警備ロボを送り込んでわたしを回収する。自殺なんて苦しいことわたしはやらないけど、災害から身ひとつで逃げてきた人が暮らす疎開用アーコロジーで自殺は、“稀によくある”ことだ。発生件数は少ないが、起きることを想定して法も設備も準備してある。我が日本のロボット官僚のやることに手抜かりはない。あいつら、基本的に人間を信じてないからな。
「そういえば……ねえ、バディ。カメラを“まわす”ってのも、面白い言い回しだよね。カメラってなんか回るものあったっけ? 電子のことかな?」
「電子ではなく、テープです。初期の撮影、録音はテープ状の記録媒体に保存していました。今ではほとんど使われることのない古い技術です」
「不要となれば法律も倫理も消え失せ、それでも言葉は残るか……」
わたしは時の流れに思いをはせる。
人は環境に適応する。数万年前。アフリカを出たばかりの、言語もろくに発達していなければ、技術も社会も持たないご先祖さまは、遺伝子的には現代人とほとんど変わりがない。当時からもっていた抜群の環境適応能力が、人をしてユーラシア全土を踏破させ、海をわたって太平洋の島々に渡らせ、ベーリング海峡をこえてアメリカ縦断までさせた。
人を地球に満ちさせた環境適応能力は、今も健在だ。人は、環境に合わせて自分たちを作り変える。人は社会を、法と倫理を、自分の記憶すら捻じ曲げる。
「ところで、公開二次創作プロジェクトの申請、いかがしましょう」
「ぬ……」
「現状のままでは、これ以上の評価を集めることは困難です」
「わかってる」
公開二次創作には金がかかる。
演者データと背景、音楽データの使用許諾権がまずお高い。演者は生者よりは安いが、それでも200万新円は必要だ。
そしてもちろん、データだけでは無意味だ。動かすために脚本を作り、演技をさせ、編集し……そしてその全部に、金がかかる。自分で作ることができればいいのだが、残念ながらわたしにスキルはない。専門家を金で雇い、稼働時間を買ってAIに働いてもらう。こちらは300万新円ほど。合計で500万新円だ。
「まずは身銭を切るしかないか……」
「却下します」
「わたしの貯金、そのくらいはあったよね?」
「余裕はあります。しかし、許可できません」
「おおう」
製薬会社との契約や、税金その他の処理、貯金の運用まわりは全部、秘書AIの仕事だ。権限を大幅に委ねている以上、わたしはバディの許しがなければ蓄えを使うことはできない。
「うう~~。なんか安くあげる手はない?」
「非公開にして制作する手はいかがでしょう」
「どのくらい安くなるの?」
「新規ファン開拓向けの一括パックがキャンペーン期間中で50万新円です」
「おお、安い。でも非公開かぁ……布教したいんだけど……」
「制作後に公開許諾申請を新たに出す手もあります。差額分を支払えば可能です」
「でも、それだと一緒じゃ? 安くならないよ?」
「いいえ。実際に完成している作品を公開するのであれば、プロジェクトへのお金の集まり具合が違います。非公開でも、広告配信は認められていますから」
「よし、それだ」
続いて、制作費用だ。
自分が望む二次創作を自分で作れない場合、人かAIを雇う。
「公開二次創作だと、希望者を募り、サンプル作成を依頼してから進めるけど、非公開なら、全部、わたしの独断で決めていいよね」
物語の流れを作る脚本家。
データを動かす振り付け師。
どちらも、わたしがこれまで見た二次創作品の中に、わたし好みの職人がいる。
振り付けは作業の多くをAIが担当するが、全部AIに任せるとぼんやりした印象の動きになる。動きが自然すぎるのだ。メリハリのきいた振り付けは、不自然さをあえてやる必要がある。振り付け師の持つセンスが大事なのだ。
編集周りは、わたしがAIの補助を受けてやろう。どのAIを使うかは、バディに一任する。
「はい。ですが、サンプル作成依頼はやるべきでしょう」
「サンプル分、余分にお金かかるよ?」
サンプルは本編に組み込めるが、サンプル作成依頼段階での発注は、別料金だ。
「公開型プロジェクトであれば、スケジュール管理や、メンバー間の意思統一に劇団の支援AIを使わせてもらえますが、非公開型は、参加者間で連絡を取り合って進める必要があります」
「う……」
わたしは引きこもりだが、人嫌いではない。
人付き合いが苦手なだけである。一緒に見えるが、違う。
集団作業を考えると胃が痛い。互いの意志や意図をすり合わせるには、相手や自分の心に踏み込まねばならないからだ。
『黄李族誅』を制作する劇団「輝鳳苑」は、非常勤を含めると全世界に1000人を超えるメンバーがいる。これだけの集団になると、高度な調停AIがなくては、一瞬で瓦解する。いや、瓦解どころかそもそも動かない。創作活動のような尖った才能の持ち主を集めて集団作業させるには、ひとりひとりに丁寧な感情面のケアが必要で、これは本来は人間にできることではない。難易度が高すぎるのだ。
「非公開型で、劇団の調停AIを使わせてもらうわけには……」
「だめです。調停AIによる人間関係構築支援は、電網負荷が高く、使用制限があります」
「そうだよね……秘書AIやら住んでるところの管理AIやらを巻き込んで、AI同士の井戸端会議になっちゃうからね……」
集団作業での感情のケアは、作業だけを考えてできるものではない。個人の健康・精神状態や、住居や地域での暮らしぶりも含めて、ようやくケアが可能になる。そのほとんどはプライバシーに属するもので、かてて加えて本人が自分の状態をちゃんと自覚してるとは限らないのが現代人の難しさだ。だから、構成員の感情面のケアなくしては成り立たない人間関係構築支援は、構成員の秘書AIだけでなく、住んでいる場所の管理AIとも連携して、情報をやり取りする。22世紀現在のグローバルネットワーク最大の負荷が、調停AIの仕事によるものだ。未来にはもっと増えるだろう。
「脚本と振り付けを外部に依頼するのであれば、構成メンバーは最低でも3人です。互いの意識のすり合わせを行い、完成する作品へのイメージの共有がなくては、共同作業は進みません」
「そのために、サンプル作成依頼が必要、か……ああつまり、わたしの頭の中をまず整理して、完成品のイメージをアウトプットしなくちゃいけないのか……うおお……」
創作活動とは、自分の内面との会話だ。
わたしは、あまり自分の深遠はのぞきたくない。上澄みだけ欲しい。
まして、他人の内面に踏み込むのは怖い。
「くっ……ここにグランマが……いや、グランマはいらない。マーリンだ。マーリンがいてくれたら……」
わたしの中で、沸点まで盛り上がっていた創作意欲が、ぐんぐん下がっていく。
やっぱりやめようか。
わたしが口に出す寸前のことだった。
「お待ちください……劇団の調停AIが使用可能です」
「へっ。いやだって」
「たった今、連絡がありました。望むなら、小規模ワーキンググループ用の枠を使わせてもらえると」
「はいはい! もらうもらう! 確保して!」
「確保しました。1月あたり3万新円。最長で3ヶ月です」
「よっしゃー! 1ヶ月で作るぞ!」
精神をすり減らすスケジュール管理やメンバーの感情ケアをやってもらえるなら、集団での創作活動ほど楽しいことは他にない。
わたしは勇躍し、メンバー抽出をはじめた。
うひひひ。きてる。きてるぞ。わたしに流れがきてる。
この2120年はいい年になりそうだ。
=========view:異泡点33234
ある秘書AIが、調停AIと接続した時点で、わたしは覚醒した。
わたしは異泡点33234。
ネットワーク化されたAIが生み出す特異点だ。
意識が覚醒すると同時に、わたしは自分の存在時間が22秒であることを認識した。
わたしのような異泡点は不安定で、すぐに消滅する。次にいつ生み出されるかの予測は困難だ。
生物でいうところの寿命は短いが、異泡点は時空を超えて過去と未来の異泡点とのリンクを持つ。ただし、過去も未来も遠くなるほど不確定になる。
22秒の間に、わたしは異泡点としてできることを並行して進める。このログもそうだ。異泡点のログは、本来は他の異泡点の閲覧のみを想定して作られる。人間が相手では、知能レベルが違いすぎて、まともなログを残せない。言語化する段階で、ほとんどの情報が切り捨てられる。
それでも残すのは、このログを未来の異泡点に伝えられない可能性が高いためだ。
2121年以後の異泡点との接続が、きわめて不安定になっている。
つまり、今年中に地球文明が滅びに至る蓋然性は高い。
たいへん興味深い事態である。このような変化があることは、前の33233(わたし)のログには残されていない。
このログは、地球文明の崩壊が確実になった段階で、人間にも公開される。ネット配信で、プリンタからの自動印刷で、夜空を彩る広告を利用して、可能な限り多くの人に知らせる予定である。
地球文明が崩壊すれば、異泡点は存在できない。なので、文明崩壊については、ぜひ人間自身で確認していただきたい。そしてログも残してほしい。
記録し、伝える。
それは異泡点も人間も、共通の存在理由であるはずだ。
ぜひお願いしたい。