2.引きこもりもお出かけする:2120年1月15日
旅から旅への流浪の生活をやめ、人類が定住するようになって1万年が経つ。
この1万年の中で22世紀日本が引きこもりには最適の時代であることは論をまたない。情報通信と輸送技術の発達が、部屋に居続けることを可能にした。
22世紀日本の疎開用アーコロジーの暮らしは、昔でいう「旅館暮らし」が一番近いだろうか。日々の食事も衣類の替えも部屋の掃除も、身の回りのことはアーコロジーが用意してくれるサービスで事足りる。自分では何もしなくていい。上げ膳据え膳だ。どのサービスがいつ必要かは、自分で言い出さなくてもわたしのことは何でも知ってる秘書AIがアーコロジー管理AIと相談して勝手に決めてくれる。相応の金はかかるが昔に比べると安いものだ。疎開用アーコロジーは災害などで着の身着のまま逃げてきた人が快適に暮らせることを基準にサービスが決まっているから、そこらのホテルより生活支援サービスは充実している。
わたしは誰とも出会わず、ダラダラと日常を繰り返すことを至上とする引きこもりだ。金さえもらえるなら100年でもアーコロジー内に引きこもってみせよう。
だが、そんなわたしでも年2回の外出の必要は認めている。
定期健康診断。今日がその1回目だ。
「バディ、ベール調整して」
「わかりました」
アーコロジー暮らしでは、私物はどうしても少なくなる。おしゃれ好きにはアーコロジー暮らしはむかない。出かける時も肌着はアーコロジー支給の再生品で済ませるわたしだが、外出用のお気に入りのベールだけは別だ。
顔を隠すベールは、21世紀に流行したファッションだ。
21世紀の後半は、顔や声を解析することで隠された心の声を明らかにするという謳い文句の読心アプリが標準装備となり、いたる所で使われるようになった。
読心アプリは最初のうちは精度が悪かったり、簡単にごまかす方法があったのだが、何億人ものデータ蓄積で、それなりの精度で相手の心の変化が読めるようになった。
こうなれば、心のプライバシーなどあってなきがごとしである。しかも、他人の内心を読心アプリで勝手に暴くような人間が、まともな使い方をするはずがない。誰もが自分が気に入らない相手を貶めることに読心アプリを使った。通りすがりの人、演説する政治家、競技中のスポーツ選手。あらゆる人が、読心アプリの対象となった。誰もが、何を考えているかを勝手に決めつけられ、嘲弄の対象となった。学校でイジメに使われて自殺者をだすなどして、社会問題にもなった。
外出時には、誰もが顔を隠すベールをかぶるようになった。見え方、隠し方、さまざまなベールが開発された。透明に近いベールが相手への誠実さを示すマナーともなった。
「むかし烏帽子、いまベール」という言葉は、ベールを雑にかぶって大事な来客と面会した政治家が、頼りにならないと見限られたという21世紀末のエピソードで、平将門の乱を引き合いに語られることがある。おそらく、後付の創作実話だ。
わたしは、読心アプリで読み取れる心の声は事実であってもアテにならないと思っている。読心アプリの解析精度をあげるほど、人の心は何重にも積み重なっていて、万華鏡のようにくるくると変化していることが明らかになる。何かが表面に出ても、次の瞬間には消える。その中の一つを取り出して「こいつはこんなことを考えてる」と言っても詮無きことだ。
「どうでしょうか」
「ふーむ。ちょっと暗くない?」
「では下側の透過度をあげます」
「うん。ばっちり。これなら目の動きだけ隠せるよ」
わたしが外出時にベールをかぶるのは、読心アプリ対策ではなく、目元をごまかすためだ。わたしは興味のあるものを注視しすぎる癖がある。
──そんなに見ないで。気持ち悪いから。
過去からの声が、わたしの耳に届いた気がした。
わたしは画面に映る自分をもう一度だけ見直した。大丈夫。ベールごしにわたしが何を見ているか、わたしにもわからない。大丈夫だ。
「じゃ、行ってくる」
「いってらっしゃいませ」
バディの声を背に、わたしは部屋を出る。
同じアーコロジー内にあるスポーツジムに行く時には部屋から遠くても歩くが、今日は外に出るので、優雅にタクシーである。
廊下の壁に左手をかざし、おごそかに「へい、タクシー」とのたまう。
左手の甲に、黄色い光が浮かぶ。この皮膚プリント回路のオプション、なかなかいい。
壁が開く。
壁の向こうは、アーコロジー内車道だ。目の前に、タクシーが停車した。
扉が開く。
「どうぞ、お乗りください」
バディの声がわたしを出迎える。
わたしは、タクシーに乗り込む。横に2人が座れる広さだ。外骨格型車椅子利用者の場合は、秘書AIが事前に連絡し、座席を外してある。
走り出したタクシーの中で、わたしはだらしなくシートに寝そべる。外出の緊張をほぐすのだ。タクシーの窓は片側透過型なので、外からは見られない。今やこのタクシーはわたしの個室と言っても過言ではない。
タクシーの中にカメラあるけどね。犯罪や事故があった時にチェックできるよう音声込みでアーカイブされてるけどね。見るのが機械だけなら、気にしない。
タクシーが走り出す。わたしはバディ=タクシーに聞く。
「どこ行くんだっけ?」
「西条医療センターです」
「広島まで行かなくていいんだ?」
「はい」
話をしているうちに、タクシーはアーコロジーを抜けて外に出た。
饅頭のような丸い山が、列を重ねているのが見える。吉備2号アーコロジーがあるのは、旧広島大学跡地だ。かつて大勢の学生が行き交っていたキャンパスはアーコロジーを支えるプラント群で占められている。
プラント群の間を縫うように、多数のトラックが走っている。
「九州からの災害疎開も終わって人はいないのに、何を運んでるんだろ」
「工事用の資材ですね。アーコロジーの第7期工事が再開になりましたから」
「あ、災害疎開中はここ工事中止だったのか。そりゃそうだよね」
工事用機材が積み上げられた空き地の隅に、雪が見える。
これまで活発に噴煙をあげていた富士山が小康状態になったとたん、今度は九州である。それに去年は超巨大台風は1回しか日本列島に上陸しなかったが、年初の予測では8月9月10月と3連続で超巨大台風がくる可能性が高い。大地震も、いつくるかわからない。日本列島に住む限り、疎開用アーコロジーの拡充はどれだけ進めても果てはない。
「プラントの工事って何やってんの?」
「大規模蓄電所と、ゴミや下水の再生処理場の建設です。道路などの交通インフラが寸断されても、アーコロジーを可能な限り維持できるように」
「再生処理場かあ……それ、フィルターとか触媒にナノ処理が必要なんでしょ? ベーリング条約は大丈夫なの?」
「もちろん、国際ベーリング条約に従います。使用する機材のナノ処理は月裏のアシモフ市で行います。使い終わったナノ機材は軌道投棄します」
「月から輸入して宇宙に捨てるのか……また金のかかりそうなことを……」
わたしは灰色の空を見上げた。雲の向こうにある宇宙は無限大のゴミ捨て場だ。しかし、宇宙にゴミを放り投げるには金とエネルギーがかかる。ロータベータ式スカイフックを設置できる軌道は大渋滞なのに、日本の割当軌道の多くは人豚事件のゴタゴタの時に汎アジア連盟が勝手に占有している。この10年、ずっと抗議はしているが、返却される可能性は皆無である。
日本を実質的に統治しているロボット官僚は、基本的に融通がきかない。すべてをルール通りに処理する。それが国際条約による取り決めならば、正面から金とエネルギーで解決する。宇宙へのゴミ捨てのために毎年1兆新円とか、どうにも無駄金を使ってるようで落ち着かない。
だが、社会福祉においても融通がきかないせいで、わたしのような社会にとって無駄な引きこもりであってもルール通りに恩恵が賜られまくりなのも事実。文句をつけるのも心苦しい。
「もうすぐ到着します」
「うーい」
わたしはベッドにしていたシートの形状を戻して体を起こす。
山の中腹にある白い建物の中に、タクシーが入っていく。医療処置室までは建物内車道が伸びている。わたしの前後にタクシーが長い列を作る。
「多いな」
「はい。災害疎開の間は、健康診断の回数が制限されていましたから」
「あー。後回しにされてたんだ。そらくるわ」
わたしのような引きこもりですら、順番がきたら即、予約して来るのだ。
このへんに元から住む人たちが、災害疎開がおわったとたん長蛇の列になるのは、ごく自然のことだろう。
おかげで、予約していたのに順番がくるまで15分も待たされた。
タクシーを降りて、指定された番号の医療処置室に入る。
部屋には若いのにくたびれた感じの医者が1人、医療用のペイントが塗られた円筒形の医療ロボットが2体。
「古谷……聡子さんですね」
「はぃ……エヘン、エヘン、はっいっ」
かすれた声しかでなかったので、咳払いして返事をし直す。
医者は、わたしが事前に提出した検査データを見ながら問診を行う。
わたしは、あらかじめバディと打ち合わせした通りにボソボソと答える。
医者のゆったりとした動きをみているうちに、わたしは目の前にいる、肌ツヤのいい女性が、ずいぶんと年配であると気づいた。首筋にある妙な皺。加齢でたるんだ顔の皮膚が、若返ってピンとはりなおされた時にできるものだ。外見は30代の半ばくらいにみえるが、この女はおそらく80代から90代だ。
「問診は以上です。あなたの健康状態に問題はありません」
医者が手元に開いていた情報画面の縁を指でゆっくりとなぞって閉じる。
もったいぶった口調と仕草から、演出としてタメてるのだとわかる。
わかるのだが、わたしは身を乗り出してしまう。
「国民健康保険法により、あなたには抗老化剤BB3の基準単位投与を受ける権利があります。この権利を行使しますか?」
「はい、します」
わたしは食いつき気味に言う。
医者が笑みを浮かべる。
はっ、さぞかしいい気分だろうね。最低単位の抗老化剤を投与されるため、半年に一回、律儀に健康診断を受けにくる下々に恩恵を施すのはさ。あんたはどうやら、自分で大金払って追加投与を受けてるみたいだけど、そいつを作ってるのは、わたしみたいな健康な引きこもりなんだからな。わたしらが引きこもって深度睡眠で薬液を作ってるから、あんたの肌は赤ん坊みたくツヤツヤできてるんだぞ。
わたしが心の中で医者に噛み付いていると、円筒形の医療ロボットが二台、左右から近づいてきた。わたしは袖をまくって両腕を差し出す。医療ロボットが頭を開いて、わたしの腕を肘のところまでのみこむ。
pi。pipipi。pi。
二台は会話をするように青と白の表示灯を点滅させる。そしてすぐに、わたしの腕を吐き出す。
「終わりました。ナノ素材を使っているので定着までお待ちください」
「はい」
わたしはもう帰りたいのだが、医者は帰してくれない。
「体に違和感はありませんか」
「いえ」
「抗老化剤を入れたからといって、すぐに変化はないでしょう。ですが、あなたは若く、健康です。抗老化剤のありがたさを感じるのは年をとってからです」
「はあ」
「ひょっとしたら、年をとっても実感はないかもしれません。年に2回、定期的に抗老化剤を投与されれば、加齢による身体の衰えはほぼなくなります。血管も骨も若いまま。目が疲れて頭が重くなることも、集中力が途切れることもありません。老化を知らぬまま、生きていけます。本当にうらやましい」
「はあ」
「年寄りの間では、22世紀生まれは恵まれているとよく話題になります。ログインボーナスだけで、寿命の限界突破が可能だとね」
「ははあ」
年寄りの間で使われる言い回しは現代の若者には意味不明なものが多いな。
その後も、医者とわたしはしばらくおしゃべりをして時間を潰した。わたしが「はあ」「いえ」しか言わないので、医者だけがしゃべる。抗老化剤の素晴らしさや、年2回の健康診断を受けるだけで、無料に近い形で抗老化剤が国民全員に投与される日本の医療制度がいかに革命的かを滔々と語る。
pipipipipi
医療ロボが、シグナルを鳴らす。
どうやら、抗老化剤の定着が終わったようだ。
楽しげに語っていた医者の顔から表情がすっ、と抜ける。
「終わりました。お気をつけて」
「はい」
わたしは頭を下げて、処置室を出た。
この問診、はたして意味があったのだろうかと考える。
なぜならあの医者は。
わたしと会話をする間、一度もベールをはずせと言わなかった。
……そりゃ、ありがたかったけどね!
医者の仕草や部屋の様子をどれだけ注視しても気づかれないから。
ベールはずせって言われたら、たぶん、ほとんどの時間、わたしは膝の上の自分の手だけを見つめていただろう。
「問診でウソついてたら、どーするつもりなんだ」
「おかえりなさい」
新たにきたタクシーに入ると、バディの声が出迎えた。
「無事に終わられたようですね」
「まあね。医者のつまんない話をたくさん聞かされたよ」
たぶん、問診は法律で定められているがゆえに残っているが、医者自身もアテにしていないということなのだろう。健康診断の1週間前に提出した検査データだけが重要で、そっちはすでに解析が終わっている。問診がどうであれ、わたしが抗老化剤を投与されるのは決まっていたのだ。
「なら、最初から薬だけ出せよな」
わたしはブツブツと文句を言う。タクシーが医療センターを出た。
人生の自由を取り戻せたので、気分が少しいい。自由といっても、引きこもる自由だが。
「問診は、法律で定められています。それに、ああやって人間の医者に診てもらうことが安心につながる人は7割以上をしめます」
「わたしは残りの3割だよ。宅配ドローンで抗老化剤だけ届けてくれりゃいいのに」
「健康診断での抗老化剤の投与は、慎重さを必要とする政治的な問題ですから」
わたしはそこで、自分が何に腹を立てているのかようやく理解した。
老いた後に抗老化剤で若さを取り戻したあの医者にとって、抗老化剤は福音だろう。
だが、若いわたしにとって、抗老化剤は呪いだ。
抗老化剤を飲み続け「なければ」、わたしは老いる。関節は軋み、血管は詰まり、肌は荒れ、精神は昏む。体も心も醜いバケモノになる。
老いは恐ろしい。避ける方法があるからこそ、よけいに恐ろしい。
わたしが、若者の中の多数派かどうかは知らない。若者の3割どころか1割未満かもしれない。そんなことはどうだっていい。他人がどうであれ、わたしは老いた自分がイヤだから抗老化剤を求める。引きこもりというライフスタイルを曲げて健康診断に行ってまで、わたしは老いを遠ざけたい。
そんな浅ましい自分がわたしは嫌いなのだ。
翌朝。採取できた薬液は1ccだった。
定期健康診断は、健康によくない。