第12話 凶行
旅先から投稿しています(笑
今回のお話も暗いです。15禁の範囲だとは思いますが、苦手な方はご注意を。
「まったく。ブオリの戦での指令官といい、あの男といい、この国にまともな貴族はいないのかしら?」
私は今。そんな怨嗟の呟きをもらしながら、他の誰よりもはやく風呂場で身を清めていた。メイド長曰く、これも[夜のお勤め]を頂戴する女性の特権らしい。
時刻的には夕食を終え、皿洗いや明日の朝仕事の準備で皆が忙しく動き待っている時間帯だ。名ばかりの秘書である私は、いつもはこの時間帯になるとメイドさん達にまじって家事のお手伝いをしている。
しかし、今日だけは台所にも廊下の掃除用具にも私は手をつけさせてもらえなかった。侯爵閣下に夜のお勤めを命じられた者は、以降の職務をすべて免除されて身嗜みを整えるよう命令されるからだ。
しかも自分の意思では他の家人との接触も禁じられるという、まるで罪人を扱うかのような扱いだ。メイド長に連れられてゆく私を心配そうに見つめてくれたマリーさんとコウキには申し訳なかったけど、戴冠式から始まった今回の一件は私の甘さが招いたことだ。自分勝手かもしれないけれど、コウキが傷つくくらいなら私が……という自虐的な思考が私の頭を支配していた。
「これに着替えなさい」
身を清め終わった私が自室に戻ると、メイド長と二人の先輩メイドが薄手の巫女装束を持って待ち構えていた。周りのテーブルには私を飾るための宝石類が所せましと並べられている。必要最低限の会話しか許されないようで、いつもは快活な先輩メイドもこの時ばかりは粛々と私の準備を進めている。
「一つだけ……、一つだけ、よろしいでしょうか?」
私の髪を高級なブラシでこれでもかというほど梳いていたメイド長に問いかける。
「なんですか?」
「さきほど、侯爵閣下のお言葉で[この屋敷で働く妙齢の女性すべてがお情けを頂戴している]とお聞きしました」
「……事実です」
母親代わりのメイド長にとっては、息子同然であるエディル侯爵の傍若無人のかぎりを尽くした生活に耐えかねるものもあるのだろう。私から話しかけないかぎり口を開くことはなかった。
「となれば、近い将来。もしくは早ければ明日にもコウキ=ヴィーブルに指名がくるかもしれません。……それだけは、それだけはやめて頂くよう言って頂けないでしょうか?」
私とコウキはメイド長にとって、いきなり主が連れてきた部外者だ。好ましい印象を持たれていないのは百も承知している。
それでも。
この屋敷でエディル侯爵に意見できるのはこの人だけ。この人だけなのだ。
「…………マリー殿にも似たような懇願をされましたね」
もっとも、マリー殿は二人ともという願いでしたが。と、私の願いを聞いたメイド長は苦笑するかのように口を滑らせた。
「……っ! ならばっ!!」
「ですが、貴方達は他のメイド達とは違う。お館様にとって政治的な価値があるのです。[月の巫女]、[太陽の聖女]。新王派の象徴として掲げられた貴方達二人を自分の物とすることは、貴族派の革命を勢いづけるカギとなるでしょう」
そこまで言うとメイド長は一旦、口を紡ぎ、次の言葉を一気に吐き出した。
「――――違いますか? 天界から降臨なされた、戦乙女様」
メイド長の口調が、私達の正体を知る者へと変化した瞬間だった。
「なっ!?」
思わず後ろへ振り向こうとした私の頭を、両手でガッシリと固定したメイド長は話を続ける。
「これはマリー殿やエダ殿にとっても悪い話ではありません。今の貴殿らは王殺しの大罪人としてミズガルズ全土に知れわたっております。たとえ今の窮地を脱したとしても、その罪は生涯の汚点となってつきまとうでしょう。ですがお館様の寵愛を受け、貴族派に属せるとなれば……」
そこでメイド長は言葉を止めた。その先を口にするのはメイド長といえども覚悟がいるようだ。彼女はゆっくりと深呼吸をしたのち、再び口を開いた。
「……愚王を討ち果たした天界の使者、革命の英雄としての未来が開かれます。むろん、ジャーリ伯爵も解放されるでしょう。どちらを取るのが利口か、お分かりになりますね?」
言うべきことを言い終えたメイド長は私の髪をブラッシングする作業に戻った。しかし先ほどまでとは違い、髪を持つ手が微かに震えているのが私にも伝わってくる。メイド長とて、自分が何を言っているのか重々承知しているのだ。この先、ミズガルズ王国において革命戦争が起きるならば、巨人大戦以来となる多大な血が流れるということを。
心の中で様々な葛藤が渦をまく。どちらを選ぶにせよ、私にメイド長ほどの覚悟があるのだろうか?
私はその場でメイド長に伝える言葉を持たなかった。――――いや、持てなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
身にまとうは、肌が透けるほど薄手の巫女装束。両手両足の爪には色が塗られ、髪の上には黄金の髪飾り。歩くたびに身体中に付けられた装飾品からシャンッ、シャンッと軽い金属音が廊下に鳴り響いた。
私は、ある意味での臨戦体勢でエディル侯爵の寝室前に立っていた。すでに私の周囲にはそれまで付き添っていたメイド長や先輩メイドの姿はない。この先は、私の決闘の場なのだから余人が介する必要もないからだ。
この時になっても、私は今だ覚悟を決めきれずにいた。
ジャーリ伯爵、シスター長、そしてコウキ。今の私は、守らねばならない家族の命を預かっている。
(そう、一晩だけ。一晩だけ、私が屈辱に耐えれば苦境から脱することができる。……情けないわよエダ。覚悟なんてもうとっくに決めたはずでしょう?)
胸を両手で抱き締めながら自分の心を落ち着かせる。
心はこの窮地を受け入れねばならないと理解している。だが、それに反して身体の方が全力で拒否反応をしめしているのが、今の私だった。
しっかりと防音対策を施しているのか、寝室のドアの向こうからは一切の物音は聞こえてこない。よほど厚みのある壁で作られているのだろう。
私は意を決して、ドアをノックする。
「お待たせ致しました。エダ=ヴォルヴァ=ジャーリ参りましてございます……」
「……入れ!」
重みのあるドアレバーをゆっくりと下へおろす。そして、更にゆっくりと、自分自身の覚悟を試すかのように扉を押した。
部屋に入った途端、あたたかな空気が私の顔を叩いた。
冬の到来が間近だというのに、この部屋はまるでいち早く春の到来を告げたかのように暖かな空気が支配している。見渡せば、大きな暖炉が赤々と燃え盛っていた。
その部屋の中心には、家族がそろって川の字になれそうなベッドが鎮座している。その上に見覚えのある顔が二つ。
「遅かったではないか?あまりに退屈だったのでな、先に初めておったぞ?」
「エダっ! 来るなっ!!」
私の耳にコウキの悲痛な叫びが飛び込んでくる。
その光景が信じられなかった。信じたくなかった。それと同時に不安が的中したとも思った。眼孔が限界まで開き、私の脳がその光景を理解するなと拒絶する。
それでも、その光景がまぎれも無い現実なのだと私は理解せざるをえなかった。
私の目の前には。
両手両足を荒縄で拘束されたコウキの上に馬乗りとなった、半裸のエディル侯爵がいた――――。
その瞬間。
私の脳は目の前の男を敵として明確に認識した。それでいて、脳からの命令を待たずに身体が動く。目の前の怨敵をこの手で葬りさるのに、何のためらいがあるだろうか。
「きっ、き……きさまああああああぁ――――――!!!」
私は目の前の男に向けて飛び掛った。この行動の結果、後にどんなことになるかなんて知らない、考えない。この男は正に、私の逆鱗に触れたのだ!
私は拳を振りかぶり、正確に男の顔面を殴りつけようとした。いかに聖気による奇跡がつかえなくとも戦乙女の身体能力は健在だ。私のこの一撃で侯爵の顔面が潰れる。
――――――はずだった。
「やめろっ!! エダ!!!」
その静止の声は、私の煮えたぎった脳内を冷や水のように冷却した。今の私へ声を届けられる人間はこの部屋の中では一人しかいない。
あろうことか私の拳を止めたのは襲われている当人の、コウキだった。顔面ギリギリのところで拳が止まる。それでも私の怒りは止まらない。両の瞳に涙を溜めたまま、静止させた本人を問い詰める。
「なぜっ!? なぜ止めるんですか! コウキ!!」
「……っ」
コウキの口から明確な返答は返ってこない。その視線は寝所の隅へ注がれている。その視線につられるように私もそちらへ顔を向けた。
――――そこには。
騎士フィンによって拘束され首に剣を当てられた、シスター長マリーさんがいた――――。
「な、なんということを! ……ぐっ!?」
まさか、この男がこれほどまでに堕ちているとは。あまりの事態に身体を硬直させてしまった私に、男の平手打ちが襲い掛かった。
寝所に、バチィィンッという音が鳴り響く。真っ赤な絨毯が敷かれた床に尻餅をついた私は、それでもこの部屋の主をにらめつけていた。
「この事態を想定していたとはいえ、少々肝が冷えたわ。拳を止めて正解だったぞ?もしこの俺に一撃でも危害をくわえようものなら、貴様の養母の首は落ちていたのだからな」
コウキの腰から降りたエディル侯爵は、私の胸倉を掴むようにして自分の前に引き寄せる。
「貴様達二人は、この女の前で俺に身体を捧げるのだ。異論は許さん、これはミズガルズ王国エディル侯爵家の当主である俺の決定だ」
「ふざけるなっ!!」
――バチィン!
私の頬に今一度、男の平手打ちが襲い掛かった。
「ふざけてなどおらんさ。この場、この屋敷では俺の言葉こそが法だ。貴様等は俺の法に従っているだけでよい。……うまく俺に媚びることができれば、また三人での奉公を許してやってもよいぞ?」
この男は本当に人間なのだろうか。人間という存在は、ここまで邪悪に染まれるものなのか。竜神に純潔を捧げ、人の道を人々に説いてきた巫女である私からすれば、この男の所業は悪魔のものとしか思えない。私の心は瞬く間に絶望につつまれた。
「くくくっ……。ようやく、ようやくお前を俺の物にすることができる。五年前、騎士養成学校でお前を見た時から、この時を待ち望んでおったわ。あの時、この俺が受けた屈辱、片時も忘れることはなかったぞ! そらっ!」
私は胸倉を掴まれたまま、コウキの居るベッドへ放り投げられた。幸い、羽毛が詰められたベッドとコウキの身体の柔らかさが衝撃を吸収してくれる。
「エダっ!」
「コウキ! コウキ……、ごめんなさい。……ごめんなさい。私、わたし……」
「大丈夫、まだ何もされていないよ。エダが謝ることなんて何もない。何もないんだ」
自分の胸の中にコウキを抱いた私は、その一言で一瞬の安堵を得た。だが、この状況が好転したわけではない。私達の危険は今だ目の前にあるのだ。
「大人しく観念することだな。先ほども言ったが、大人しく恭順するならば悪いようにはせん。なにせ貴様等は新王派に対する大事な駒なのだからな」
ベッドの端に片膝を乗せ、右手を伸ばしてきた侯爵に鳥肌を立てつつも私は叫んだ。
「もはや、貴方の言葉に何の信頼もありません。……指一本でも触れてみなさい。この場で、舌を噛み切ります!!」
私の必死の叫びに対しても、この男が動じることはなかった。むしろ唇の両端を上げ、あざ笑うかのように口を開く。
「ほう? 貴様等全員の命が俺の手の内にあることをまだ理解しておらんらしいな。貴様の相棒も、養母も。俺のさじ加減一つでどうにでもなる。それでも自分一人で命を断つ気か?」
すでに男の右手が、コウキを抱く私の眼前にまで迫っている。
もうだめだ。私の中で本当の絶望が心の中を支配した。もはや、私の身体一つで満足してもらえるよう懇願するしか……。
そう覚悟した私が口を開こうとした時、一人の男が声を発した。
「閣下。……もうおやめ下さい。これ以上は閣下の尊厳を傷つけるのみでございます。どうか、どうか……」
その声の主は、――――騎士フィンだった。
ボトリと、彼の持つ剣がマリーさんの首筋から離れ、床に落ちる。
「……なに? 貴様。俺が拾ってやった恩も忘れ、歯向かうというのか? 没落しかけた貴様の家へ援助してやった恩を仇で返すというのか!」
ギロリと蛇のような眼光が私達から彼の方へ移る。
「なればこそ、なればこそ!! 主君の道を正すのも騎士の役目にございます!!!」
普段は物静かで声を荒げることのない騎士フィンが、絶叫した。それは文字通り、命をかけた諫言だった。
だが、その言葉さえ今の侯爵の心には届かない。
「……貴様」
ゆらりと私達の居るベッドから立ち上がったエディル侯爵は、騎士フィンへと歩み寄る。そのまま、ベッドのサイドテーブルに立てかけていた剣に手を伸ばした。
その光景は彼を絶望へと突き落とした。ガックリと膝をつき、自らの首を無防備にさらけだしている。
まずい……。侯爵の目、この男は本気だ!
彼の命の危険を感じた私は、無理矢理にでも侯爵の凶行を止めるべく腰を浮かせた。コウキが動けない今、私がなんとかしなくては……!
すでに男の剣は騎士フィンの真上にある。
間に合うか? お願い、間に合って!!
そんな私の願いを神様は聞き届けてくれなかった。無慈悲にも剣が、彼の首に向けて振り下ろされる。ダメだ、間に合わない!
やめて! お願いだから、やめて!!
思わず目をつぶりそうになった私の願いを聞き遂げたのは、私でも、コウキでも、騎士フィンでもなく。
「いい加減にしな。……あたしゃ、いい加減、堪忍袋の尾がきれたよ!!」
剣を握った男の手首を払いのけ、騎士フィンの前に立ったのは。
私達の頼れる母、マリーさんだった。




