第11話 エディル侯爵の欲望
ようやく物語が盛り上がってきた気がします。
明日もう1話投稿させて頂きます。
貴族の下で働く人間の朝は早い。
屋敷の清掃から始まり、朝食の準備から今日一日のスケジュールまで。秘書から下働きのメイドまでせわしなく屋敷の中を動き回っている。
しかし今の私はそれどころではなかった。朝の支度もほどほどに済ませて、私はコウキの部屋に突撃をかけ……ようとした。しかし自分の部屋のドアノブを握った瞬間、私の理性はその先の行動にストップをかけたのだ。
(コウキもマリーさんも居るこの屋敷だけど、ここは敵地。私は今何をしようとしていた? こんな、いつもはしない行動をおこしたら絶対に怪しまれる。
……落ち着け、落ち着け私。
私はそう自分に言い聞かせて高ぶった心を落ち着かせた。
明日にはエディル侯爵がこの屋敷に戻ってくる。そうなればどんな邪魔が入るかも分からない。今夜、コウキと作戦を決めて明日朝に決行する?
でも今の私とコウキで本当に養父様をあの地下牢獄から救いだせるのだろうか?)
今の私は体が頑丈なだけの一騎士程度の力しかない。今の私には大神殿の神官による魔法・奇跡封じの結界がなくとも、一切の戦乙女としての力を使えなくなっていた。
あの時。
東の砦での作戦会議で自分の能力について話していた時だ。私は自分の体の異常をコウキとケイカさんに打ち明けていた。
「どこか体の調子が悪いのか?」
心配そうにコウキが私の顔を覗き込む。
「いえ。私の体にはどこにも異常はありません。ないのに、何もないはずなのに、聖気を使おうとすると私の体が拒絶するのです」
何時から使えなくなったかと言えば、私の中で答えはすでに出ていた。
私とコウキがシグルド王の戴冠と共に壇上に上った、あの聖女としてのお披露目の時だ。あの時まで、私は戦乙女としての力を自分の物にしたと思い込んでいた。そんな慢心にもう一人の私、戦乙女エルルがつけ込んだのだ。
私は自分を責めた。なぜそんな当たり前の事実に注意を怠ったのかと。私の中に尋常ならざる敵がいる、ならば私以外に誰が彼女を止められるのか。そんなことは彼女から身体を取り戻した時点で気付いていたはずだったのに。
結果として私は彼女を止められなかったし、今でも前王シグムント陛下を刺した感触がこの手に残っている。戦乙女としての覚醒以来、自分の力として使ってきた力を、私は自分への罪として無意識に封じてしまったのだ。
そんな自責の念にかられる私に向けて、あっけらかんとした声でケイカさんが口を開いた。
「なら、それは解決の糸口なんて一つしかないわね」
「「え?」」
その言葉に、私とコウキの声が重なる。
「貴方が、この一件を解決させて自分自身を許すこと。ごくごく単純なことじゃない?」
「でもそれって……」
「わかってる。事は単純ではあるけど易しくはないわ。でもするべきことは分かりきってる。助けるべき人を助けて、貴方は貴方自身を救わなければならない。なら、あとは突っ走るだけでしょ?」
その時のケイカさんの笑顔は今でも覚えている。失意のどん底にいた私に一筋の光明を与えてくれた人。そんな恩人の期待を裏切るわけにはいかない。
握っていたドアノブを捻ることなく手を離す。私はそのまま化粧台に向かい、いつもと同じように身嗜みを整えた。その間も頭の中では今後のプランをどうするかめまぐるしく思考が回転している。今日のお昼休みも日課である三人でのティータイムがあるだろう。その時ならコウキやマリーさんに話せる時間ができる。私は自分の格好を再三、確認してからあらためてドアへ手をかけた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
お昼。
毎日のようにこなす業務を終えてから、私はいつものお茶の場へ足を向けた。もちろん、お茶の用意も忘れずに。コウキは私の淹れるこのお茶が一日の癒しだと言ってくれて、もはや毎日の恒例行事となっていた。
「あーうっ、くっ。……あぁ~~、つ~かれたよっと」
「なんだいコウ? はしたないったらありゃしない。もっとシャンとしな! 午後からも仕事が山積みなんだからね!!」
「わかってますけどぉ……。ここなら誰も見てないでしょ? ならお昼だけは息抜きしてもいいじゃないですか~」
目の前にはテーブルに上半身を投げ出したコウキと、それを諌めるマリーさんがいる。宝珠竜として超人的な身体をもつコウキでも日々の労働での疲れは感じるらしい。
でもまぁ、この屋敷にきてから始まったいつもの光景でもある。これなら誰も不思議には思わないだろう。幸い、周囲に働いているメイドさん含め、下働きの下男の姿も見えない。
「コウキ、マリーさん。実は……」
と、私が話しの口火を切った時。
「帰ったぞ!!」
私の肩がビクンッと跳ね上がった。本人の性格を表したような横柄な大声が屋敷内から聞こえてくる。
「えっ!? 帰ってくるのって明日じゃなかった!?」
「そのはず……なんですけどねっ!」
コウキが驚きの声をあげる。事前の連絡では、王城での滞在は明日までの予定だったのだけど……予定が早まった!?
「驚いているヒマはないよ! 主人が帰ってきたら全員で出迎える。それがこの屋敷のルールだ。急ぐよ!!」
「「はい!」」
マリーさんの指示に従って席を立つ私達。
この場合、他の仕事を中断してでも主の帰還をねぎらうために動かなければならない。私達は即座に屋敷の玄関へと急いだ。
屋敷の玄関から屋内へと続く通路には既に殆どの家人が主を出迎えるべく、下働きの使用人から私達の仕事を統括する執事さんまで通路の両端に整列している。新参者の私達は玄関から一番遠い末席へと並んだ。
カツッ、カツ、カツッと歩幅の広いテンポで侯爵閣下の足音が無音の玄関に響き渡る。ジャーリ伯爵はこのように権力を下々に見せつけるような習慣を良しとしなかったので実家では見るはずもなかった光景だ。
それにこの習慣は侯爵家においてもう一つの意味を持つということを私はメイド長から教わっていた。
「お館様がご帰宅になられた場合、どんな仕事をしていても必ず全員で出迎えます。女性のメイド・秘書がこの規則をやぶった場合、特に重い叱責を受けますので頭の中に叩き込んでおくように」
メイド長が仕事始めの私に言った台詞だ。
「女性は特に……ですか?」
「貴方ももう子供ではないのです。これくらいの意味は理解できると思いますが?」
この主人の帰還を出迎える、仰々しいと言えるほどの儀式はこのあと誰が侯爵閣下の世話係になるかを決める場でもあるというのだ。私は伏せていた目線を反対側に並ぶ家人の皆さんに注いだ。
世の女性は半歩下がって男の後ろを歩くべし。コウキから言わせれば女性差別だと言わしめるこの世界の常識は、この場だけにいたっては逆転している。女性のメイド達が男の執事、近衛の騎士達を差し置いて最前列に並んでいるのだ。
この事実から察するに、つまり、まあ、そういうことなのだろうと私は言葉足らずで終わってしまったメイド長の教えを思い返していた。
つまりは、主の帰還を出迎えると同時に[夜のお供を仰せつかる者]を侯爵閣下が吟味する場でもあると。そういうことだった。
普通の貴族にはありえない(と少なくとも私は思う)光景が侯爵邸ではまかり通っている。貴族の長男ともなれば、世間体というものは特に気を使わなければならない。
「あそこの貴族の坊ちゃんは手当たりしだいにメイドを口説き、お手つきにしてしまう。そんな男に大切な娘を預けることなどできようか」などと噂が立ってしまえば、紳士の模範ともなるべき貴族の子息には深刻なスキャンダルだ。立場的に女は男の下につくものだとはいえ、男性にも紳士的な対応が求められる。
だが、この屋敷の主人はそれを瑣末なこととして自分の欲望のままに支配していた。
「まったく。先代シグムント王が崩御されてからというもの、あたらしき政治体制を確立させるためとはいえ忙しくてならん!」
「お館様、帰ってくるなら帰ってくるで一足先にお知らせ下さいませ! こちらも準備というものが……」
「わかった、わかった!」
頭を垂れたまま目線だけで確認すると、私達より一足早く出迎えたメイド長が主の横に陣取り苦言をていしている。メイド長の主へ向けた言葉は当主への、と言うよりはまるで母親のようだ。
聞けば、メイド長は侯爵の乳母も勤めた人らしくこの屋敷で唯一、主人に向かって堂々と物を言える女傑だ。エディル侯爵は露骨に顔をしかめながらも、不必要なほど長い廊下を歩いてくる。その際には両端にならんだメイド達を視姦するのも忘れない。なんとも自らの快楽に忠実なものだ。
カツ、カツ、カツ……。と、静かな廊下に侯爵の足音が鳴り響く。
誰にも気付かれないようにしながら軽く溜息を吐いた私の目の前で、―――足音が止んだ。地面に向けられた私の視界に、人の影が写りこむ。
「今夜は、――――貴様だ」
「えっ?」
思わず頭を上げてしまった私の正面には、卑猥に表情をゆがませたエディル侯爵が立っている。頭に充血した血が一斉に足へ流れ落ちる感触を、私はこの一瞬で味わった。
(じょ、冗談じゃないわよ!)と叫びそうになった自分の口を必死にふさぐ。
「わ、私のような新入りが……そのような施しを受けるわけには……」
ダメ元で遠慮してみるが、私の意見など通るはずもないことは分かりきっていた。
それに他の先輩メイド達が未来の公爵夫人になるチャンスを狙っているのかもしれない。そう思ったというのもあるのだけど、不思議と周りからの抗議や嫉妬の視線は一切、なかった。
(……。この色ボケ侯爵、そこまで嫌われているの!?)
私は心の中で叫ばずにはいられなかった。
普通、貴族の娘ならば多少の嫌悪感など目をつぶって立身出世のチャンスを掴みにいくものだ。彼女達の将来は、どれだけ裕福な貴族の家に嫁ぐかにかかっている。この侯爵は、それすらも考慮した上で、家中の女達に嫌われている。
「気にするでないわ。お前達以外の女共はもうすでに俺の施しを受けておる。何事も不平不満が出ぬよう平等に扱うのが主の務め。だろう?」
だろう? じゃないわよ! と叫びたくなる衝動を必死に押さえて、私はこの窮地をどうやって脱しようか必死に考えていた。
そんな私にこの好色侯爵は更なる爆弾を投げつけてくる。
「なんならそっちの金髪の娘も一緒に連れて来てかまわんぞ? [太陽の聖女]などと呼ばれるに叶った逸材であろうしな」
「うぇっ!? ……じゃなった、はい!?」
エディル侯爵の卑猥な目線が私の隣にならぶコウキに移る。まだまだこういった状況になれないコウキは思わず顔を歪めてしまった。そのコウキの表情にメイド長のカミナリが落ちる。
「……無礼な」
「まあ、まて。この者は貴族でもなければ平民ですらない、どこぞと知れぬ出自の者よ。このような場に慣れぬのも仕方があるまい」
一見、コウキをかばってくれているかのような言動だが。コウキの出自を馬鹿にしている口調がすべてを台無しにしている。
「なればこそ、このような者を屋敷で働かせるばかりでなく情けをかけようとは……侯爵家の当主としてあるべき姿ではありませぬ!」
かつてシグルド王によって[聖女]なんて呼ばれそうになった私達だけど、そこには当然のように不満をあらわにする勢力もあった。おそらくこの侯爵家もその一派なはずだ。このような性格の貴族がもっとも重んじるのは、その血脈なのだ。
「だからこそ、この俺自らがこの者の正体を見定めなければならんのだ。……どうやらシグルド王は今だ、この小娘達が帰還するのを待ち望んでおるらしい。親の仇だというのにまったく薄情な王よ。こうなれば、この俺自らの手でこやつ等の化けの皮を剥がねばなるまいて」
そういいながらエディル侯爵はコウキの顎を持ち上げ、好奇に染まった笑顔を浮かべている。その顔を見た瞬間、私の覚悟は決まった。こんな男にコウキを穢されてなるものか!
「侯爵閣下、そこまでお急ぎになることもありませんわ。今宵は私がお相手を勤めさせていただきます。私、これでもシグルド王に求婚された身ではありますが、侯爵閣下の命とあらばこの身、この身体。侯爵閣下に捧げたく存じます」
私はその場から一歩前に出ると、エディル侯爵の前で一礼した。シグルド王が欲した女を自分のモノにできる。この一点にコイツは必ず食いつくはず!
「……良いだろう。せいぜい俺に愛されるよう、身体をみがいておくのだな」
私の思惑は、見事に的を突いていた。
私の悲痛な決意に満足したエディル侯爵はそのまま屋敷の奥へ足を進めてゆく。しかし、私の脳裏にはコウキの顔と身体を見つめるエディル侯爵の欲望に満ちた眼光が、焼きついて離れなかったのだった。




