夜中の初詣
深夜の初詣(´▽`)
空が澄んでいる。
吐息が少しだけ白くなってささやかな光に満ちた星空へ霧散した。
月が出ていない夜だったから、あたりはいつもより宵が濃い気がした。
「咲季~さむい~」
隣を歩く美来が頰に手を当てて高い声を出した。
大人しい彼女がいつもより楽しそうにしている。
俺はその様子を横目にふっと笑った。
あと数分で年が開けるこの瞬間に、外を出歩いているのは俺たちだけ。
いつも通勤で通る道もいつもとは違って見える。
「手ぶくろ取ってこようか? 俺ん家ならまだ取りに戻れるけど」
静かでなんだか少しさみしい街が俺と美来をじっと見ている。
「ううん、大丈夫」
えへへとはにかむ表情はまるで子どもだ。
俺はそう、と気の無い返事をして頭をかいた。
もう彼女との付き合いも十年になろうかとしているのだけど、未だに慣れないことがある。
美来はゆっくりと俺の隣を歩き、空を見上げた。
栗色の瞳に写る星々は彼女の瞬きに捕らえられていく。
彼女がまだ少女と読んで差し支えない時代から、俺は彼女の横顔を見てきたが、彼女の表情は見ていて飽きない。
いや、「こんな時こんな顔をするのか」と思うことが年々増えているとさえ思う。
10年一緒にいても、知らないことはたくさんあるらしい。
と、不意に美来がこちらの顔を伺う。
俺は慌てて目をそらしブルゾンのポケットに両手を突っ込み、今日は冷えるなと咳をした。
「?」
自分でも、我ながら嘘が下手だとなと思う。
仕事の話だったら延々と喋っていられるんだけど、こんな時自然な会話が出てこない。
(本当はもっと素直になりたい)
けど、どうしてだろう。
どうして彼女が「寒い」と言った時に「じゃあ手でもつなぐ?」と言えないんだろう。
もしくは何も言わずにスマートに彼女の手を取ってポケットの中で手を重ねられないんだろう。
確かにわかってる。
俺はそういう”柄”じゃないのだ。
俺は小さくため息を吐くと未来に言った。
「寒いし早く初詣済まして帰ろうぜ」
「うん、そうだね」
今日もそうやって多少の自己嫌悪を抱きつつ、神社へ続く街路樹を左に曲がった。
「あ! 結構並んでるよ!」
美来はまたぱっと笑うと、パタパタと鳥居に向かって駆けていく。
「あ、おい! あぶないぞ」
シンと冷えた空気の中に、ぼんやりと暖かな提灯の明かりが境内を照らしている。
小さな神社だが、町内会やらの出店が2店、3店と軒を連ね、甘酒を売る気のいい女性は湯気を薫せ行き交う人に声をかけている。
石畳の道をそぞろ歩く初詣の行列は非日常の時間を楽しんでいるようだ。
美来はなんのためらいもなく列の最後尾に並ぶと俺に向かって手招きをする。
無邪気に笑ったその顔に、ずいぶんと懐かしい記憶を呼び起こされる。
俺は夕暮れが大嫌いだった。
「まだ帰らないの?」
神社の境内の脇に腰を下ろし、つまらないひとり遊びをする俺を、その色白の顔は覗き込んだ。
授業はとっくに終わり下校する生徒もまばらになる夕刻、その質問はぷらぷらと暇を持て余していた俺の全てを見透かしたように感じられたんだ。
「…」
俺はその問いかけを無視する。
また地面に適当に木の枝で絵を描く。
ボサボサの髪に砂埃が舞う。
ずいぶんと着古した見っともない格好で何を考えてるかわからない、どう見ても周りからは関わり合いたくないと思われていたであろう少年に、美来はなんの物怖じもせず話しかけてきた。
小さい頃は輪をかけて無口だったし、はっきり言って学校では浮いていた俺は、話しかけられることに慣れてなかった。
たとえそれが同年代の子であっても。
「何してるの?」
「…」
夕暮れの人気がなくなる時間帯、俺は単に時間を潰すだけのためにそこにいた。
カラスが鳴く声が遠くに聞こえた。
何も答えず下を向く俺の隣に美来はゆっくりと腰掛ける。
白いスカートが砂に汚れることなんて臆する様子も見せず、彼女の瞳には俺が地面に描く下手な絵が広がっている。
俺が描く様子を真っ直ぐに見つめ、それを止めるでも一緒になって描くでもなく、ただ隣にいた。
ふと俺が彼女の顔を見やると、静かににこりと笑った。
「…なに」
「ううん」
なぜか彼女は嬉しそうの首を振った。
栗色の綺麗な髪が柔らかそうに風になびいた。
全然、俺と似ていない。
「続けて」
「…」
でも、
「…」
何も言葉にしなかったが、美来は小さく鼻歌を歌った。
再び俺は退屈な絵を描き始めたが、不思議とその時間を退屈だとは思わなくなった。
俺はよく彼女と時間を共に過ごした。
その頃から夕暮れを嫌いだと思うこともなくなった。
夕暮れ時、思い起こすのは、彼女の小さな鼻歌と、隣に並ぶ人の暖かさだ。
「咲季~早く~」
2度目の呼び声ではっと我に帰る。
共通の思い出はいくつもあるけど、不器用で大事なことほど口に出してこなかった。
それは照れや恥ずかしさからくる子供染みた感情の延長なのだけれど、今思えば、俺だけじゃなく美来も昔からそうだった。
俺は急いで美来の隣に並ぶ。
「結構並んでるからお参り時間かかりそうだね~」
美来は両手を擦り合わせて前方を確認した。
俺は隣から美来の手を取る。握る右手に力が入る。
「…いいんじゃないかな、時間はたくさんあるんだし」
少しだけ驚いたように美来が俺を見つめる。
もしかしたら彼女も、俺と同じで言わなかったんじゃなく、言えなかったのかもしれない。
俺は繋いだ手を自分のブルゾンのポケットに一緒に入れ、隣り合う彼女の瞳を見つめた。
あの頃と全く変わらない澄んだ瞳が不思議そうに俺を見つめ返す。
そうだ、きっとこれが彼女の精一杯。
互いに不器用で、でも思っていることは同じ。
「…こうしていられる時間が増えるわけだし」
俺はふっと笑った。
自分で言っててつくづく似合わないなと思った。
それにつられるようにして美来も笑う。
「そうだね」
誰になんと思われても構わない。
ただ自分の1番大切な人を、今この瞬間、大切にしよう。
彼女に一分一秒でも長く、俺の隣で笑っていてもらえるように。
※※※
「もうすぐわたしたちのお参りの番だよ」
「ん、あぁ、そうだな」
口数の少ない彼はいつになく素っ気なくそう答えた。
ただいつもと違うとすれば、ちょっとだけ顔が赤い気がする。
わたしはお参りの準備のために繋いだ手を離そうと彼の方を伺う。
しかし、その手の力は一向に弱まらない。
「…咲季?」
「あ、ごめん」
その一言で咲季はハッとして手を離す。
いつもは冷静沈着な彼のそんな表情は、とても珍しい。
そして少しホッとする。
彼にも人並みな感情があるんだな、なんて呑気なことを思ってしまう。
わたしは嬉しさと安堵とで彼以上に顔を紅潮させてクスクスと笑った。
「なんだよ」
「ふふ、なんでもないよ」
「…なんでもなくないだろ、それ」
ムキになって言う。
「ごめん、でも」
きっと彼は優しいから、いつもわたしのことを色々難しく考えてくれているのだろう。
論理的でどうするのが最適か、そうやってわたしたちの未来を考えてくれるのだろう。
もちろん、そう思ってくれるのはとても嬉しい。
けどね、わたしはあなたが今わたしを想ってくれただけでいい。
わたしを大切に想ってくれた、それだけでいいんだよ。
「お参り終わったらまた手つないで帰ろうね」
笑顔で言うわたしの目に、彼がどんどん紅潮していく様子が映った。
読んでいただき、どうもありがとうございました(*´ω`*)
この二人が出てくる小説「ヒステリック・ナーバス」もぜひよろしくお願いいたします。