01:魔王、家出する
「……あーーっ、暇なのじゃぁーー!」
頬をこれでもかと膨らませ、身の丈以上もある座椅子に腰掛ける少女はつまらなそうに顎に手を乗せて不貞腐れていた。
十分前に勇者が第六都市へ攻めて来たという知らせを受け、では妾も出ようと意気込んで準備しているところに、配下の幹部連中が血相変えて止めにきたのだった。
魔王が自ら出陣しては行けないなど知ったこっちゃないと言うのが妾の意見だったが、いつまでも文句を言っていても結果は変わらないのは明白だったので渋々引き下がる事にしていた。
そして現在に至る訳である。
「……はぁ……つまらん。つまらんのぉ……」
先代より魔王の座を引き継いだのは良いものの、まさかここまで魔王が暇を持て余す立場だったとは露ほども知らなかった。
「魔王様は何もしないで宜しいのです」
幹部連中は皆、口を揃えてこう言っていた。
妾が飲み物を取りに行こうとすれば、「我々がお持ちしますからお任せ下さい!」と言って健気に取りに行ってくれるし、妾が眠いと言えば、「では私の背中に乗って下さい。寝台までお運び致します……ハァハァ……」と言って背中を向ける輩までいる。
取り敢えずハァハァしていた変態は早々に粛清しておいたが、他の者達に関しても過保護かっ!!と、つい叫びだしたくなってしまう。
お飾り魔王など正直言って辞めたいと心の底から思っていた。
「…………あっ、そうか。辞めてしまえば良いのか」
この日を境に、魔王城から魔王の姿を見たも者は誰一人いないのであった。
ここは王都より東に山二つ程超えたところにある渓谷の街リンゲル。
常に霧が発生しており、一日中薄暗い事で有名な小さな街であった。
そんな小さな街で暮らすこと十八年、毎日の日銭を稼ぐことに精を出す俺、リアンは本日も背中に釣籠と釣竿を引っさげ、一人渓谷にある川辺へとやって来ていた。
岩盤が剥き出しになり、川へ大きく突き出したところに位置取って腰掛ける。
「よし、今日こそは大物釣ってやるからな」
ここ数日は不漁気味でまともに稼げてもいない。
リンゲルの街では不景気が続き、領主様も高い徴税をかけている為、皆必死になって働いている。
天候の関係で農業など生産系の産業が望めないこの地域では、主に出稼ぎに山を二つ越えて単身出稼ぎに行くか、近場の鉱山で毎日辛い炭鉱作業に浸るか、あとは俺のように狩りや釣りで毎日の日銭を稼ぐしかないのである。
本日の目標は大物三匹。釣れるまで意地でも粘るつもりで釣り針を投げ入れた。
俺には奥さんや恋人がいないので、一人分の稼ぎで良かった為、出稼ぎに行くような事はしていなかった。
しかし俺と同い年の者たちは既に街を出ていってしまっている。
一番多いのは、魔王軍と戦うために軍入りをする者たちだった。
簡易な宿舎だが、寝床もあり食事も与えられ、無事に戻れば給金も貰えると喜んで出て行く者たちが多かった。
その誰一人として街へ戻ってくる者はいなかったのだったが……。
「……俺もそろそろ軍入りを考える必要があるのかもな……」
ぼんやりと釣り竿を眺めて呟いていると、ピクッと浮きが大きく揺れ、次の瞬間には勢いよく糸が引っ張られた。
「来たっ!!」
俺は逃さないように慎重に合わせて本日の獲物に神経を研ぎ澄ませる。
ーーなんだ? ヤケに大きくないか……?
ここらで取れる大物と言ったら責めて30センチがいいところだった。
だがこれはそんなの比にならないくらいに大きいのではーーーー。
俺が竿を引き上げる事もなく、大きな水飛沫を散らし水面から姿を現した“少女“に俺は眼を釘付けにされていた。
ーー俺はこの時の出会いほど、後悔した日はないだろう。こちらを紅蓮の瞳で見つめるあまりにも人間離れした美しい、そして誰よりも愛しい彼女との出会いを呪いたいーー。
一糸纏わぬその身で俺の前に降り立つと、無垢な笑みに小振りな胸を反らせて口を開いた。
「この魚、妾が貰って良いかの?」
少女の右手には、小さな魚が握られていた。
続けてもう一話投稿致します。