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第七話 パンの耳

 教室の戸を開けた。

 生徒たちのしゃべり声は聞こえるが、騒がしいというほどではない。前日とはどこか雰囲気が違っていた。緊迫感のようなものが漂っている。浮遊している霊は見あたらない。葉月が叫ぶ。


「柿田くん!」


 葉月の視線の先は最前列の窓際の席。そこには容貌魁偉な生徒がいた。見誤りはない。あの厳つい顔は昨夜の男だ。やはり彼が柿田だったのだ。

 その柿田はつまらなそうに頬杖をついていた。葉月に会釈すら返さない。

 祐喜は柿田と目が合った。ほんの一秒足らずのことだ。その時間は長くもあり短くもあった。先に視線を切ったのは柿田だった。


 祐喜が彼の席へと近づいていく。

 生徒たちがいっせいに口を閉じ、教室内は嵐の前触れのような静寂に包まれた。全クラスメイトの視線を浴びている。自分の足音がはっきりと聞こえた。

 柿田もピリピリとした空気を感じとったらしく、再度、祐喜に顔を向けた。凄味のある目つきだ。

 鬼憑きとテン憑きの対面――。

 周囲の緊迫感が飽和に達している。これから始まるであろうことに、無関心でいられる生徒はいなかった。


 祐喜は歩きつづける。

 後ろから誰かに袖を掴まれた。葉月だ。彼女が首を左右にふる。


「駄目だよ」


 具体的に何が駄目なのか、明確に示していない。だからそのまま進んでいった。柿田の真横で立ちどまった。柿田が顔をあげている。同じ高一には見えないほどゴツゴツした老け顔だ。

 先に祐喜が口を開く。


「おう」

「よう」


 短い返事だったが、祐喜のことを覚えていたらしい。

 とりあえず挨拶を済ませ、自分の席へ向かった。なおも誰一人として物音を立てる生徒はおらず、森閑とした教室の空気は張りつめたままだった。

 そんな中で葉月が祐喜の顔を見て、微笑みながら首肯する。しかし祐喜にはその意味がわからなかった。


 教室の戸が開いた。一時間目の教師が入ってきたのだと思ったが、そうではなかった。担任の耶馬が戻ってきたのだ。彼は朝のホームルームを終え、退室したばかりのはずだ。


「えー。一時間目は綿野先生の授業ですが、綿野先生は緊急会議に出席するため、一時間目と二時間目を入れかえます。したがいまして、この時間は私の授業となります」


 それぞれが机上の教科書とノートを仕舞い、別のノートをとりだした。彼の授業『霊学』には教科書がない。耶馬は軽く咳ばらいし、講義を始めた。


「白霊も黒霊も霊的に平等であって、本校では両者に差別はなく……」


 まったくふざけた教科だ。

 それでも単位を落とすわけにはいかない。他の生徒たちはノートをとっている。祐喜もノートを広げた。


「また霊と媒体よりしろは憑依関係にあるからといって、テレパシーのように頭で考えただけで意思疎通できるわけではなく、伝達内容を小声でもいいから〝音〟にて表さなくてはならないのは、皆さんのご存じのとおりです。しかしながら瀕死に直面したり死期が近づいていたりする場合、極めてまれに音声によらずとも会話がなりたつこともある、という報告もあります。ただし、じゅうぶんな検証がいまだできておらず、その信憑性についてはあまり高くないとされています」


 消しゴムが足もとに転がってきた。

 誰かが落としたのだろう。それを拾いあげた。右隣の男子生徒が下に手を伸ばしていた。彼のものだったようだ。彼に消しゴムを差しだした。ところが彼は手をひっこめてしまった。かなり慌てたようすだ。


「この消しゴム、落としたんじゃなかったのか」


 すると彼は無言でうなずき、ふたたび手を伸ばしてきた。それも両手だ。顔を洗うようときのように、てのひらを横に合わせて広げている。そこに消しゴムをおいてやると、彼は畏まりながら低頭した。


 一時間目が終わった。椅子に座ったままの生徒もいるが、親しい仲間同士で集まる生徒もいた。また幾人かは廊下へでていった。

 視界の隅に葉月がいた。横向きで座っている。祐喜と目が合うと、小さく手をふり、椅子から立とうとした。ちょうどそこへ別の女子生徒が葉月に声をかけた。葉月の浮いた腰はふたたび椅子の上に乗った。二人は楽しそうに話しこんだ。


 祐喜のもとに歩いてくる男子生徒がいた。クラス委員の樺澤翔馬だ。祐喜に近づくにつれ、教室内の話し声や笑い声は消えていく。生徒たちから静かな視線を受けた。


「邑塚くん、ちょっといいかな」


 そういって廊下に指を向けた。声こそ毅然としていたが、目が泳いでおり、頬もひきつっている。消しゴムを落とした生徒と同様、怯えているようすだ。


「何故わざわざ? ここじゃできない話なのか」

「いいや、ならばここでいい。それにしても邑塚くんに憑いているテンはすごいじゃないか。霊力の高さはどこかの伝承どおりだ。それから邑塚くん自身にも驚愕した。霊を五体、いいや、六体だったかな。それらを相手に素手でやっつけてしまうとは」

「何がいいたんだ。お世辞をいいにきたんじゃないんだろ」


 樺澤は教室内に横目を送った。重々しい表情だ。


「邑塚くんはヒトを殺害することはない。それはじゅうぶん承知している。だけど霊たちの魂のことをどう思っているのだろうか。白霊……。そう、俺たちを蔑み、敵視している連中に憑依している霊。あいつらは俺たちの敵だといっていい。だからといって、それらを浄化させてしまうのはやりすぎだと思う。話が広まるのはあっという間だ。今朝の事件はもうクラスのみんなが知っていることだ。邑塚くんの行為は教室中を震撼させたよ。俺たちはテン霊宿しの邑塚くんに勝てないし、暴走が起きたら止められない。だから頼みがある。俺たちの霊には手をださないでほしい。このさき意図せず、邑塚くんの気に障るような言動をとってしまうことがあるかもしれない。そんなときは、俺たちの憑依霊を害する前に、どうか話しあうチャンスを与えてほしい。それだけだ」


 おいおい。ヒトをなんだと思ってるんだ、と大声で怒鳴ってやりたかった。しかしできるわけがなかった。


「やれやれ。おれのことを誤解してないか。大抵のことじゃ、喧嘩をふっかけるつもりはないし、霊を懲らしめる気だってさらさらない。それにあれらの白霊が予想以上に弱すぎただけで、抹殺するつもりなんて全然なかった」

「わかった。その言葉、信じよう」


 樺澤は踵を返した。室内はなおも静かなままだった。

 祐喜はトイレへいくために席を離れた。廊下にでようとしたとき、入ってくる女子生徒とぶつかりそうになった。女子生徒は顔を見るや、「ひゃっ」と声をだした。祐喜はすばやく避け、通り道を譲ってやった。彼女は後ずさりする。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」


 そういって体をひるがえし、小走りで逃げていった。

 祐喜はあらためて廊下にでた。トイレに向かって歩く。たちまち教室に喧騒が戻った。にぎやかな声を背中越しに聞いていた。


 こんなことはいまに始まったわけでない。多少の例外こそあれ、転校してくる前もほとんど独りぼっちだった。魅夜に憑依された小四のときからずっとだ。周囲で起こる不可解な現象により、クラスメイトたちから気味悪く思われていた。そして異常なほど怯えられていた。だから魅夜に人前では常時姿を消し、おとなしくするようにと頼んだ。要望には応じてもらったが、ときすでに遅かった。噂や評判が消えることはなかった。子供ながらに、日々、懊悩し煩悶した。

 それでも高校にあがれば変わると思っていた。だが同じ中学出身の生徒により、噂は広く流されてしまった。そこでもまた居心地悪くなったのだ。


 黒霊クラスのある浅城高校について、実は中二の頃からスカウトされていた。しかしそれをずっと断っていた。今年になり、別の高校に入ってもスカウトは続いていた。そして入学からたった一ヶ月で転校を決めた。

 しかし結局、何も変わらなかった。黒霊宿しの集まるこのクラスでさえも孤立している。こうなってはもう諦めるしかない。笑うしかない。それが運命であり宿命なのだ。孤独にはもう慣れっこだ。


 トイレから戻った。次の授業は一時間目と交替になった綿野の現代文の予定だ。教科書とノートをだして待った。

 するとそこへ職員室から戻ってきた葉月がやってきた。


「一時間目が始まる直前のことだけど、ビックリしちゃったよ」


 祐喜にも一つだけ救いがあった。この葉月だけはどういうわけか、祐喜を避けるようすも怯えるようすも見られない。怖くないのだろうか。


「ビックリとは?」

「うん。邑塚くんが教室に入って、いきなり柿田くんに向かっていくんだもん。喧嘩を始めたらどうしようかと思っちゃった」

「ヒトを狂犬病みたいにいわないでくれ」


 そういえば身近に狂犬が一匹いた。

 昨晩咬みつかれた首筋を擦る。


「だってそんな雰囲気だったから」


 葉月が無邪気に笑っている。


「そんな雰囲気だったか? 確かにあいつの顔、とっつきにくそうだ」

「とっつきにくそうなのは、邑塚くんも一緒だけど」

「おれも?」


 心外だ。目を丸くすると、葉月が大笑いした。


「へえ、自覚なかったんだあ」


 ふと思った。孤立していた原因は、霊宿しのためだけではなかったのかもしれない。それはだいぶ前からなんとなく気づいていたことだ。

 そう、自らも壁を作っていたのだ――。

 壁作りの行動は、祐喜の恥ずかしいほど稚拙なプライドに起因していた。誰も近づいてこない自分というのが格好悪かった。格好悪い自分を認めたくなかった。だから『誰にも近づかない自分』から『誰も近づかせない自分』へと自己認識をすり替え、それに基づく行動をとるようになっていったのだ。

 たびたび魅夜に笑われる。祐喜は口ばかり達者だが、弱虫で臆病者なのだと。悔しいがそのとおりだ。それもみっともないプライドがなしたことだ。ただ、長年築きあげてきたきた性格は、なかなか変えられるものではない。



 放課後になった。駐輪場から自転車を引っぱりだし、ペダルを漕いだ。校庭脇の銀杏並木を走りぬけ、正門をつっきった。


「待ってー」


 ビャクの声だ。空からツインテールの少女が、ふわりと地上に舞いおりてくる。


「おっと、ごめん。お前のことを忘れてた。だけどビャクが悪いんだぞ。帰る時間だっていうのに、どこまで遊びにいってたんだ。そもそも憑依霊だという自覚はあるのか。ホント、毎日がお気楽そうで羨ましいぜ」

「あのね。ともだちができたの」


 ビャクは屈託ない笑顔を見せ、自転車の荷台にちゃっかり腰をかけている。


「それはどうでもいいが、早いところその姿を消してくれないか? 一般人にはいまのお前が見えないだろうが、ここには大勢の霊宿しがいるんだ。少女姿のお前を他の奴に見られでもしたら、おれはまた変な誤解を受けるかもしれない」

「うん、わかった」

「おっと、いいわすれた。珍獣の姿になるのはもっとマズいからな。何度もいってるように、白霊がおれに憑いてることは内緒だ。家に着くまで姿を完璧に消しておいてくれよな」

「はーい」


 ビャクは素直な返事とともに消えた。

 空は気持ちいいほど澄みわたり、遠くに連なる山々が青々としていた。


「邑塚くーん」


 そんな声が耳に届いた。前方で待ちうけていたのはちょうど赤信号。信号手前で停止した。その真横で自転車のブレーキ音が響いた。追いついた葉月が笑顔を見せる。


「きょうも帰りが一緒だね」


 だな、と返事した。信号が青に変わった。葉月と並んで自転車を漕ぐ。


「ねえ、邑塚くん。きょう暇? 話したいことがあるんだけど。時間あるかな」

「生憎きょうは用があって忙しいんだ」


 間髪入れずに答えた。気さくな葉月はもちろん感謝すべき存在だ。しかし人づきあいに不慣れな祐喜にとっては、かなり苦手なタイプだった。もう少しうち解けあうまで、ある程度の距離をおきたかった。


「それは残念。コーヒーでも飲みながらって思ってたんだけど。もしかしてこれからカノジョとデートとか? あるいは例の美人霊さんとのデートだったりして」


 いたずらそうな視線を祐喜にぶつけている。祐喜は力強く答えた。


「バカいえ。魅夜とはそんなんじゃねぇーし、勝手な想像はやめてほしいぜ、まったく」

「ふうーん。じゃ、どんな用事?」


 祐喜は上空を眺めながら、適当な用事はないものかと考えを巡らせた。


「えっと……そうだ。昨晩テレビが調子悪くて、早いとこ直してぇーんだ」


 嘘をついてみた。


「テレビ? あしたじゃ駄目? それともきょう見たい番組とかあるの?」

「ある、ある。えっと、なんだっけな。ああ、そうだ。昨日バーサーカー症候群のニュースやってたじゃん? あれってすごくね? きょうもまた特集とか組んでないかなーって思ってさ」


 ちょっと嘘臭かったか? 顔をうかがってみると、意外なことに喜色を浮かべていた。


「へぇー。邑塚くんは、バーサーカー症候群に興味あるんだぁー」

「まあ、ちょっとな」

「それじゃ、いいこと教えてあげる。ウチの学校ね、バーサーカー症候群関連で、動きはじめたらしいんだ」

「はあ?」


 思わず聞きかえした。学校が動きはじめたとはどういうことだ。憑依霊とバーサーカー症候群はどう考えても別物だ。不可解なことすべてを憑依霊の仕業にすればいい、とでも思っているのか。


「信じられない話だな。それ、ガセじゃないのか」

「うん、ガセじゃない保証なんてない。だけどわけあって諸々の情報には敏いつもり。特に学校の動きにはね」


 しばらくの間、二人並んで黙々と自転車を漕いでいた。二十分以上は走ったかもしれない。この辺はもうかなりの田舎だ。車の往来もなくなった。

 突然、葉月が祐喜に顔を近づけてきた。


「邑塚くん。あたしたちの仲間に入らない?」

「なんだ、いきなり」


 葉月のいう仲間という言葉を訝しんだ。


「生徒失踪について邑塚くんに話したことあるでしょ?」

「ああ。二度も聞いた。それが葉月のいう仲間ってーのと関係あるのか?」

「学校が重大なことを隠している」


 葉月の顔は大真面目だった。


「また学校がでてくんのかよ。学校が生徒を拉致ったとでもいいたそうだな」

「少なくとも関わっているのは確実ね。学校は決して無関係じゃない。みんなでいろいろ探ってわかってきたことなんだ」

「みんなで?」

「うん。メンバーは同じクラスの五人。学校が隠している秘密を探る仲間。その仲間を『パンの耳』って呼んでるんだ」

「パンの……。なんだそりゃ」

「ヘンテコな名前だと思ったでしょ。これでもずいぶんマシな名前に落ちついたんだ。最初にあがった候補は、もっと変な……というより恥ずかしくなる名前ばかりだった。いわゆる中二病的な。でもそれはないね、って考えなおしになった。『漢字にカタカナのルビ』は禁止という条件もつけた。すると途端に意見がでてこなくなったな。でもやっと誰かが提案してくれた。学校を探るわけだから、『聞き耳を立てる』という言葉から連想しようって。じゃあ、なんの耳がいいってなって、パンの耳にしようってなった。美味しいからだって。でもあたしは白いところの方が美味しいと思うんだけど」

「同感だ。白いところの方がいい」


 葉月がじっと見つめている。


「あたしたちの仲間『パンの耳』に入ってほしい」


 そのときだった――。

 ふふふ、と風音のように小さな笑い声が微かに聞こえた。魅夜だ。葉月の耳には届いていないだろう。

 魅夜が囁く。


「葉月が近づいてきたのは、ただならぬ好意によるものだと思い、祐喜に感心していたのだがな。しかし妙な仲間ごっこへの勧誘のためだったとは」

「るせ!」


 葉月は驚いた顔で聞きかえした。


「えっ? 何かいった?」

「なんでもない、こっちのことだ。だけど葉月、おれはパンの耳に入るつもりはない。学校が何をやってようと、何を隠していようと、そういうことには首をつっこみたくないんだ」


 今度はビャクが囁いた。


「あーあー、もったいない。ともだちがいっぱいできるチャンスだったかもしれないのに。これじゃまたいつもの祐喜だよ」


 祐喜はいい返さなかった。

 声の届いてない葉月がいう。


「そっか、残念。テン憑きの邑塚くんがいてくれたら心強かったんだけどな。実はさ、鬼憑きの柿田くんにも断られちゃったんだ。こういうのって無理にとはいえないからね。でも邑塚くん、今後、もし気が向いたら仲間に加わって」

「ああ、気が向いたらな」


 途中で葉月と別れた。

 思っていたよりも早く自宅に到着した。テレビの調子が悪いわけではないが、この日はテレビを見なかった。もちろんバーサーカー症候群なんていうニュースもどうだっていい。代わりにビャクが古い恋愛アニメの再放送に大喜びしていた。




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