第四話 天敵
◆ ◆ ◆ ◆
祐喜は魅夜を追って走った。そこは街灯もない田舎の夜道。月が雲に隠れようものなら、たちまち暗晦をさまようことになる。
道の前方から人工的な小さな灯りが現れた。懐中電灯のようだ。前方にヒトが歩いている。
ヒトの背中が近くなった。
祐喜が追いぬきかけたとき、ヒトが声をかけてきた。
「止まれ」
ヒトは道を塞ぎ、懐中電灯の灯りを消す。
祐喜はその場に足を止め、ヒトを睨みつけた。
「なんだ、おまえ」
「キミは黒霊宿しだな? 霊道門が現れても、これほど意識を保っているとは珍しい」
「それがどうした。そこを退け」
ヒトは穏やかな表情で首を横にふった。
「ここは通さない。僕がここにやってきたのは、キミのような黒霊宿しが霊道門にいくのを、阻止するためだからだ」
「なんだと!」
祐喜は相手の胸倉を掴もうと手を伸ばした。
すると魅夜が祐喜を叱責する。
「油を売っている暇はない。祐喜、急ぐぞ!」
「ああ。おれもそのつもりだ」
宙に浮いた魅夜がヒトを見おろす。ふたたび顔をあげると、姿を消しているビャクを呼ぶ。
「ビャクに頼みがある。わたしたちに代わって、奴の相手をしてやってくれぬか」
「嫌だよ。あたしは下衆な戦闘タイプの霊じゃないもん」
ビャクは魅夜の依頼をきっぱりと拒否。
そのときだった――。
ヒトが懐から数珠をとりだし、それを真上に投げた。
高くあがった数珠が閃光を放つ。その瞬間、祐喜は目をやられてしまった。
その痛みが和らいだ頃、そっと目を開けてみると、数珠が魅夜の尻尾に巻きついているのが見えた。魅夜は尻尾を揺らし、数珠をふり払おうとしている。それでも数珠は尻尾に絡みついたまま離れない。
「油断した。わたしとしたことがしくじった」
魅夜は地面に着地し、尻尾の先の数珠を眺めた。
そして息を吸い、大きな声をあげる。
「はぁーっ」
すると魅夜の尻尾を捕らえていた数珠が粉々に砕かれていった。
「さすがはテンの黒霊だ」
ヒトはそれを見ても笑っている。
ひんやりした風が吹いてきた。ヒトが顔を少し横に向けた。明るい月の光が、絶好の角度でヒトの顔を照らす。鼻筋が通り、目もと涼しげな、すっきりした顔立ち。年齢はおそらく祐喜とあまり変わらない。
まもなくして別の人物が後方から現れた。中学生くらいに見える少女だ。
「遅れて……しまい……ました……」
少女はずいぶんと息を切らせている。
祐喜は立ちふさがるヒトに聞いてみた。
「なんだ、こいつ? ぜーぜーいってるが、お前の妹か? 顔が似ているな」
ヒトは何も答えない。祐喜のことなど眼中にないらしい。ヒトはただじっと魅夜のようすをうかがうのみ。
「おい、こら。おれを無視かよ」
代わって少女が口を開いた。
「いかにも妹でございます。唐突で恐縮ですが、わたくしが貴方のお相手いたします」
少女の鋭い眼光が祐喜を射抜く。どうやら祐喜とひと勝負するつもりでいるらしい。
「お、お嬢ちゃんがお相手?」
祐喜はなんだか、やる気が失せてきた。
少女は真剣な表情で人差し指を唇におき、ごにょごにょと呟いている。人差し指が祐喜に向いた。
少女の指の先から火柱があがる。その真っ赤な火柱が祐喜に向かってきた。
祐喜はさっと横へ跳び、冷静に身をかわした。
内心、驚いた。その妙な技にも興味があった。
「へぇー、面白い技だな。お前らはいったい何者なんだ?」
「兄様とわたくしは『祓い師』と呼ばれております。邪霊から人々を守護することがわたくしたちの使命でございます。今宵この近辺に霊道門が出現しました。ですからこうして、霊道門に集う邪霊たちのゆく手を阻み、退治しております」
「そ、そりゃどうも、お疲れさんッス」
祐喜はペコっと頭をさげ、祓い師という少女の労をねぎらった。
頭をもとに戻そうとしたそのとき、赤い物体が祐喜の視界に入ってきた。兄のいる方向から飛んでくる。それは激しい炎に包まれた大きな数珠だった。
くそっ、避けられねえ――。
事態を理解したときには、炎の数珠はもう祐喜の目の前。腕で顔を隠すのが精一杯だった。
「あれっ? 助かった」
両腕の隙間から、魅夜の姿が見えた。飛んできた炎の数珠は地面へ落下。魅夜の尻尾が数珠を叩きおとしていたのだ。
「ふう。危なかった。感謝するぜ、魅夜」
魅夜が鋭い目つきで祐喜を睨む。
「愚か者、よそ見などしてるからだ! わたしの尻尾が火傷でもしたらどうする」
返す言葉がない。祐喜は一呼吸を置いて、祓い師の兄を怒鳴りつけた。
「おい、てめえ。さっきの数珠があのまま当たっていたら、おれは黒こげになって死んでいたかもしれねんだぞ。祓い師という奴はヒトをも殺すのかっ」
祓い師の兄は無表情に淡々と答える。
「無辜の人間を護るためならば、邪霊宿しの人間を殺めることもやむをえない、と考えていてね」
「それって人殺しだぞ!」
祓い師の兄は首をかしげた。
「キミも人殺しに向かっているのではなかったのかな?」
祐喜は両腕を組み、ゆっくりと首肯する。
「そ、そういえば、そうだったかも」
頭上から魅夜が祐喜を叱りとばす。
「何を納得している! 祓い師などさっさと片づけてしまうぞ。時間がないっ」
「魅夜、霊道門がでてるんだろ? んじゃ、狩るのはこいつらの魂でいいんじゃね?」
しかし何故か魅夜は憮然とした面持ちで、首を横にふった。
「無理だな」
「無理? こいつらに勝てないとでもいうつもりなのか」
魅夜が祐喜の肩に着地する。そこから祐喜の顔を覗きこんだ。
「一つ問う。いま、うぬはここで、あやつらの命を奪う勇気があるのか?」
「あるさ」
「うぬは嘘ばかりだ」
肩から魅夜が飛びあがる。祐喜はムッとした。魅夜のさっきの言葉が理解できない。いったい何を以って『嘘』だといいきるのだ。
「こちらですわ」
祐喜の斜め後ろから、不意をつくような祓い師妹の声。声の方を確認する。いつの間に背中へ回ったのか。
そして前方に向きなおったとき、真正面の兄が不意打ちのように、懐中電灯で祐喜の顔を照らしてきた。目が眩む……というほどでもなかったが、思わず目を瞑ってしまった。
「それっ」
祓い師兄の声だ。
目を開けると、懐中電灯による祐喜の影に、クサビが打ちこまれていた。状況からすると、クサビは彼によってうちつけられものと考えられる。
このとき信じられないことが起きていた。
体が動かない。手足の自由が奪われてしまっていた。
「くそっ、動かねえ。何したんだ」
動かせる部分は首から上のみ。背後から祓い師妹がいう。
「兄様の影縫いですわ」
「こいつらぁ! ありえねえことしやがって」
祐喜は頭上に魅夜を発見した。魅夜を呼ぼうとするが、なんだかようすがおかしい。
「まさか、嘘だろ?」
魅夜は浮遊したまま静止している。祐喜同様、動きを封じられたようだ。
「兄様、成功です。いくら強力な憑依霊であろうとも、媒体の影を縫ってしまえば、ともに動きを封じることは可能。兄様の目論見どおりでした。どうぞ霊祓いをお願いします」
祓い師妹は口調こそ冷静を保ってはいるが、その顔には隠しきれない喜色が浮かんでいた。祓い師兄が首肯する。
だがこの状況にもかかわらず、魅夜の妖しげな笑い声が聞こえてきた。
「ふふふ。さて、ならばこれでどうだ」
魅夜の体毛が逆立った。小刻みに口を動かし、何かを呟いた。そして体を大きく後方へ一回転。どうやら魅夜は体の自由が戻ったようだ。
祓い師兄はあんぐりと大口を開けた。眼前のできごとがよほど信じられなかったようだ。
「僕の術が解かれた? なぜだ」
魅夜がゆっくりと地面へ降下。
「難しいことではない。わたしほどの霊力ならば、ヒトに憑くも離れるも自由。憑依した媒体からいったん霊的に遊離すれば、もとの媒体が受けた呪縛の影響はなくなる。さて、現在わたしは誰の憑依霊でもなくなった。かりそめのことだがな。本来は霊的に離れる前に、儀式をきちんと済ませねばならぬのだが」
祓い師兄は目を見開き、ますます驚愕した面持ちとなった。
「こんなことってあるのか。憑依の関係を、いともたやすく無効にできるとは」
祐喜の影に刺さったクサビを、魅夜がとり払った。
たちまち肩が軽くなった。手も足も動かせる。
「ふう。サンキュー、魅夜」
祓い師兄は懐から新しい数珠をとりだし、魅夜に向かって投げとばす。
数珠が炎そのものと化した。しかし燃えたぎる炎は、またもや魅夜の尻尾にふり払われて鎮火。
「なんということだ。数珠の炎が二度も消されるなんて」
魅夜の鋭い爪が祓い師兄の腹を裂く。祓い師兄はばったりと地面に伏した。祓い師妹も腰が抜けたように尻もちをつく。
勝負がついた。魅夜の圧勝だ。
「ふん、つまらぬ」
魅夜がつぶやいた。
祐喜はもう一体の憑依霊ビャクを呼んだ。
「ビャク、あいつの回復処置を頼んでもいいか?」
「うん、いいよ」
ビャクの快諾の声だ。少女の姿でビャクが現れた。
「そんじゃ、ビャク。おれと魅夜は急いでいるんだ。あとは頼む」
「わかった。あとからいくね」
祐喜と魅夜は霊道門へ向かった。
祓い師兄は傷ついた腹部を手で押さえながら、不思議そうにビャクを見あげた。
「この少女の霊気は白霊のものだ。するとあの人間は……。対峙する白霊と黒霊の二重憑依だったということなのか? 信じられない。常識ではありえないことだ」
祓い師妹が兄に這いよる。
「兄様」
◆ ◆ ◆ ◆
テンに憑依された人間は去っていった。
――僕が黒霊に敗れるなんて。だけど相手は二重憑依だった。この勝負、当然の結果だったかもしれない。
しかも屈辱的なことに、いま彼の白霊に手当てを施されている。
少女姿の白霊は、腰をあげた。
「はい、応急処置はおしまい。じゃーね、バーイ」
白霊はそういって、飛びさっていった。
腹部に手を置いた。痛みが和らいでいる。
「あの白霊、たいしたものだ」
「兄様、あの少年を追いかけなければなりませんね」
「今回は諦めよう。仮に我々が十組いたとしても、彼らに勝つのは難しい」
「兄様……。諦めなさるなんて兄様らしくありません」
「相手が格上だと察すれば戦わない。それが『大人の戦い方』というものだ」
妹は駄々をこねるように首を横にふった。
「大人の戦い方……。わたくし、大人にはなりたくありません」
「望まずとも人間はみな、老いていくものだ。真由、そんな顔はしないでくれ。彼らとの勝負をまったく諦めたわけではない。大人の戦い方とは、格上を相手に直接戦うのではない。勝てる方法を探して勝つことだ」
「勝てる方法を探して勝つ?」
「そうさ」