第十七話 拾得物
翌日の昼休み。
教室前の廊下で、葉月とすれ違った。
祐喜にとってはクラスで最もよく話す相手だが、毎日毎日会話をしているわけではない。また席もあまり近いわけではない。この日は初めて言葉を交わした。
「よう。きのう葉月が教室をでていった直後、ゴンに会ったぞ。ほぼ入れ違いだ。タイミングが悪かったな」
「えっ、ゴンに? 探してたあたしの前には現れないで、祐喜のところに現れたってわけ?」
不満そうに口を尖らせる葉月に、思わずフッと笑ってしまった。
「おれも葉月も、憑いた霊にふり回されっぱなしだな」
「まったくだよ」
「ところで葉月はゴンのことをどう思ってる?」
「そりゃ大好きだよ」
「んじゃ、憑依されてよかったんだな」
「うん」
葉月は力強く首肯した。
「当然だよな。聞くまでもなかった」
「違うよ。当然なんかじゃない」
「どういうことだ」
「ウチのクラスの子、憑いたのが黒霊で万々歳なんて思ってない。無意識の状態とはいえ、魂狩りに協力していることで、みんな少なからず心を痛めてる」
「意外だな。じゃあ、みんな自分の黒霊から離れたがってるってことか」
「それも違う。やっぱりね、情や愛着っていうのがある。親友なんだよ。矛盾してるけどね」
「そっか」
互いにそこから立ちさろうとしたところで、葉月が突然声をあげた。
「ああっ!」
「ど、どうした」
声に驚愕する祐喜を葉月が見あげる。やや上目遣いに。しかしまたまたパッと顔を伏せた。
「祐喜、あの……知ってる?」
「だからなんのことだ」
「えっと、確かこのくらいの背の女の子で……」
葉月のあげた手の位置からすると、かなり小柄な『女の子』のようだ。まず高校生ではない。したがって校内の人物ではなかろう。
「……とても元気がよくて、あと……」
「テレビや映画にでてくる有名人か何かか?」
「そうじゃなくて、身近な人物の話で……。もし知らなかったら別にいいんだけど」
そんな会話の最中だった。
今度は別のところから声があがった。教室の中からだ。
「あれっ。穂香、バッグの中から何か落ちたよ」
開けっぱなしの窓を通して、教室内に視線を注いだ。
穂香の姿が見えた。その後ろでポニーテールの女子生徒が身を屈めている。落ちたものを拾っているようだ。ポニーテールの生徒は、それを拾いあげるなり絶叫した。
「えーーーっ」
ポニーテールの生徒は拾い物をじっと見つめている。
穂香もそれを目にするや、驚愕の声をあげた。
「ああっ!」
このクラスは大声だすのを憚らない生徒ばかりなのか。
ポニーテールの生徒が穂香の顔を確認する。
「穂香、ちょっとこれ何? どうしたの」
「し、知らない……。誰かのイタズラかしら」
穂香は慌てたように首を横にふった。
するとポニーテールの生徒の肩越しから、近くにいた男子生徒がその拾い物をのぞきこむ。
「わっ、すげっ」
男子生徒がその拾い物をさっと奪った。白い物がちらりと見えた。拾い物は『紙』だ。
するとまた別の女子生徒が、その『紙』を男子生徒の手から抜きとった。
「きゃっ、かわいい」
しかしまたもや別の男子生徒の手に渡ってしまった。
「なんだ、なんだ。何があるんだ。俺にも見せてくれ!」
「あ、返してぇー」
穂香が手を伸ばすが、男子生徒は紙を取られまいと背中を向けた。
「キャッチ!」
そういったのは、さっきまで祐喜と話をしていた葉月だった。男子生徒から見事に紙を奪っていた。
――葉月、いつの間に。
祐喜は感心した。
無事にとり戻された紙は、穂香に差しだされた。
「はい、これ」
穂香の白い指が紙に触れようとする。
ところが葉月は紙を目の高さまであげた。じっと紙を凝視する。そして廊下の祐喜に向いた。
「ちょっと、祐喜っ」
葉月の口もとがぴくぴくと小刻みに動いている。必死に笑いを堪えているようだ。
祐喜は状況が呑みこめない。教室に入っていき、葉月と穂香のそばに立った。穂香は葉月から紙を受けとると、それを祐喜に見せた。
「これ書いたの、祐喜じゃないよね?」
「なんか書いてあるのか」
祐喜は紙に書かれているものを黙読する。
ほのかへ
こんにちは。あたしはゆうきです。あたしは、ほのかがとても好きです。
しぬほど好きです。そればかりか、しんでたましいになっても好きです。だから恋人になって愛しあって、浪漫ちっくに接吻と猥褻をしましょう。
ゆうきより
「ツッコミどころ満載なラブレターね」
葉月は面白がっている。
祐喜は言葉がでてこない。
穂香が先ほどの質問をくりかえす。
「祐喜のはずないよね?」
返事をする気にもなれないが、はっきりと否定しなくてはなるまい。
「あたりまえだ、こんなもの」
もちろん書いたのは祐喜ではない。しかし誰が書いたかということならば明白だ。
あのやろー。
葉月は穂香の手にあるラブレターを何度も読みかえしている。
「うんうん。誰も信じないから大丈夫よ」
教室中がざわめいた。祐喜の顔をちらちら見ながらひそひそと噂している。面と向かってからかってくれた方がよっぽどいい。しかしそんな度胸のある生徒はいなかった。
ラブレターの内容については、葉月のいうように、誰も信じてはいないだろう。だが絶対に嘲笑の的になっている。ふだんは近づけないほど恐ろしい人物が、ドジったり失敗したり恥をかいたりした場合、それがたいしたことでなくても、二倍も三倍もおかしく思えてしまうのはよくあることだ。中には心の中で気の毒に思う者もいるかもしれないが、むしろそういった憐みの眼ざしを受けることの方が辛い。
あー、もう、すべてを破壊してしまいたい。
「くっそ」
「大丈夫、大丈夫。本当に誰も信じていないから。ここしばらく心の中で笑われているのを、ちょっぴり我慢するだけで済むことだよ」
つゆほどもフォローになっていない。ようやく葉月の顔から笑いが収まった。ラブレターを眺めながら、何やら感心している。
「字はしっかりしてるのよねえ。全体的にひらがなが多いのに、浪漫とか接吻や猥褻なんかが漢字になってる。辞書でもひきながら書いたのかなあ?」
祐喜に目をやった。
「だからおれに聞くな。おれが書いたんじゃねえ!」
「被害妄想だよ。祐喜に尋ねたわけじゃないから」
「ならいい」
漢字について確かに辞書はひいていないだろう。これの書き手は、変な言葉だけは漢字で書けるのだ。
葉月が真顔になった。
「でも本当はどうなの? 観門さんのこと」
「別にそんなことは思ってねえ。アホか」
「本当?」
「本当だ。何度もいわせるな」
祐喜は穂香の前に立った。
「穂香。これ、おれがもらっていいよな? これ書いた奴を叱ってやらなくちゃならねえから」
「うん。それは祐喜が処分しておいてね。でもあんまり叱っちゃ駄目よ。きっと悪気はなかったんだから」
穂香にも犯人がわかっているらしい。
祐喜はラブレターをポケットに仕舞った。
ひどい目に遭わされたが、なんとなくいい方向へ向かっているような気がした。クラスメイトたちの笑った顔を久々に見た。屈辱的な赤っ恥の向こうには、親しみやすさを生むきっかけが待っているものなのではないか。ただし彼らが本当に恐怖しているのは、祐喜でなく魅夜なのだが……。
ふたたび教室からでようと歩きだした。
そこへ、またまた葉月の大声だ。さすがにうんざりする。
「きゃーっ、観門さん!」
葉月が口にしたのは穂香の名だった。
祐喜は穂香を顧みた。
「穂香、どうしたっ」
すぐさま穂香のもとへ走りよる。
ようすがおかしいのは本当だった。その場にうずくまっている。呼吸も荒い。ついさきほどまで普通に振舞っていたのだが。
ふと思いだしたのは、先日の霊道門からの帰り道でのことだ。あのときと同じ状態ではないか。とにかく穂香の背中を擦った。無意味かもしれないが、やることがそれしか思いつかなかった。
「しっかりしろ!」
声をかけつづけた。そのうちに祐喜自身も体に異常を感じてきた。まるで穂香から伝染したように。やはりこれも霊道門からの帰りと同じだ。
なんとかしなくてはならない。そうは思うものの、意識が朦朧としてきた。
突然、眼前の机が持ちあがった。
それを持ちあげているのは、最初にラブレターを拾った女子生徒だ。彼女のポニーテールが波打っている。目は瞳孔が開き、視点が定まっていない。口からヨダレが垂れながしだった。
ポニーテールの生徒は机を上から床に叩きつけた。あまりにも強烈な力だったため、机の脚はへし折れてしまった。
もしやバーサーカー症候群? そう、テレビで見たアレだ。それしか考えられない。ポニーテールの生徒の頭上に浮遊する球体は、彼女の憑依霊なのだろう。ただ困ったように旋回するだけで、為す術なしといったようすだ。
「葉月、ここをすぐ離れるんだ! みんなも早く!」
棒立ちとなった葉月の背中を祐喜が押す。
「えっ、でも祐喜は?」
「いいから早く教室からでろ」
葉月は祐喜のいうとおり廊下にでた。
ポニーテールの生徒はまだ暴れている。壊した机をさらに蹴りあげた。机は黒板に激突。深い穴を空けた。もはや人間の力を超越している。
窓の外から何かが教室に入ってきた。そんな気配がした。気配のもとを探すべく、全身の感覚を研ぎすます。すると真後ろから声が聞こえた。
「祐喜ぃー」
ビャクだ。
「祐喜、どうしたの、これ」
少女姿になっている。学校では絶対に姿を現すなと、ビャクには普段から口を酸っぱくしていってきた。しかしこのときばかりは、そんなことをいっていられなかった。
「ビャク、大変だ。穂香がまた……」
ドタン。
鈍い音が祐喜の声を遮った。教室にまだ残っていた男子生徒が、ポニーテールの生徒の強烈な蹴りをまともに食らい、壁に激しく衝突したのだ。
「邑塚、いったいこの事態はなんだ」
教室に入ってきた柿田の声だった。
「まったくわからねえ。見てのとおりだ、としかいえねえ」
柿田は眉間にシワを寄せ、バーサーカー状態になったポニーテールの生徒を睨んだ。
「周蔵、でてきてくれ!」
柿田が叫ぶと巨大な鬼が現れた。
ポニーテール生徒が鬼の周蔵に飛びかかる。周蔵はそれを片手で弾きかえした。女子生徒は床に転がるが、すぐに起きあがった。暴れくるう彼女の両手を周蔵が掴む。バーサーカー状態といえども、鬼の力には敵わなかった。彼女はもがき狂うが、周蔵の手から放れられない。
穂香が立ちあがった。苦しそうに大きく背中で呼吸している。目を剥いており、正常でないことは一見してわかる。祐喜が背中に手をかけると、それを片手で祐喜の体ごとふり払った。
祐喜は飛ばされ、後ろに並ぶ机を、ボーリングのピンのように倒していった。
なおも穂香が寄ってくる。
両者の間にさっと少女が割りこんだ。
背中越しにビャクが尋ねる。
「祐喜、大丈夫?」
「このくらい、たいしたことじゃねえ」
祐喜は痛みを堪え、立ちあがった。ビャクが周囲を見回す。
「いい? みんな聞いて。あのポニテの子みたいになりたくなかったら、穂香と目を合わせちゃ駄目だよ。体に触れるのも駄目。意識を持っていかれちゃうから。なるべく遠くへ逃げて。教室には近寄らないで!」
教室の生徒たちはいっせいに退室し、廊下から教室を見ていた生徒たちも散っていった。
「ちょっと待て。お前は白霊だな。俺のリザがそういっている。リザには特技があって、ひと目で白霊と黒霊の区別ができるんだ。どうして汚らわしい白霊がここにいる!」
クラス委員の責任感からか、樺澤翔馬はまだ教室に残っていた。隣でキツネ霊のリザが顔をだしている。
ビャクは体を穂香に向けながら、樺澤とリザを一瞥した。
「話はあとだよ。いまはそれどころじゃない」
「ごまかすな!」
「ならばそのキツネがなんとかできるっていうの? へえ、ならばやってごらんよ」
樺澤がリザに目配せする。しかしリザは首を左右させた。
「あの生徒を傷つけずに、ことを片づけるのは至極困難」
それがキツネ霊の返答だった。
「ほーらね。さっさといった、いった。あたしの邪魔をしないで」
樺澤は固く結んだ唇を右につりあげ、リザとともに廊下へと向かった。
ビャクは樺澤が教室からでるのを見届けてから、柿田と鬼の周蔵に指示する。
「周蔵、そっちの暴れてるポニテの子をお願い。とりあえず教室の外に連れだして。柿田も早く廊下にでて!」
鬼の周蔵はビャクの指示に従い、狂気の女子生徒を抱えて教室をでていった。柿田も周蔵を追った。教室に残ったのは、穂香とビャクと祐喜の三人のみとなった。
「あーーーーっ」
ビャクが声をあげた。視線の先は床に落ちた鞄にあった。
「みっけ♪」
穂香を置きざりに、ひょいっと跳ねた。鞄を拾う。そこにマスコットがぶらさがっていた。
あのマスコットは――。
祐喜にははっきりと見覚えがあった。あれは穂香のものだ。
ビャクは穂香の鞄を勝手に開けた。何かを探しているようだ。
「おい、ビャク。こんなときに」
「しっ。これは大事なことなの」
一方で、穂香が動物のような奇声をあげた。狂気の形相でビャクを追う。
しかしビャクは歩いてくる穂香にお構いなしだった。熱心に探し物を続けている。
「ビャク、お前が探してるの、これだろ?」
心当たりがあった。
祐喜はポケットからラブレターをとりだした。
「あっ、それ! あたし、それを探しに教室にきたんだ」
ビャクは目にもとまらぬ速さで、祐喜の手からラブレターを奪いとった。
「お前には、あとで説教してやる……が、いまはそれどころじゃないだろ」
「ごめんね、祐喜。あたしがこれを書いたとき、とっくの昔に祐喜が穂香にフラれ済みだなんて知らなかった。でもね、これ、あたしが初めて書いた文章なんだ」
ビャクの顔は実に誇らしげだった。力作を褒めろといわんばかりだ。
こいつはのんきそうに!
しかしどうして穂香にフラれたのを知っているのだ?
「おま……」
「前にも話したことがあったけど、あたしは戦闘タイプの霊なんかじゃない。祐喜が襲われようと殺されようと、ひたすら傍観を貫くつもりだよ。それでも今回、祐喜を守ってやるのは、心からのお詫びってことで。だからこれでチャラ。手紙についてのお小言はナシだからね。今後、あたしが祐喜の手助けするのもナシになるけどさ」
「……」
「それにしても祐喜はさすがだね。あたしと魅夜が憑依した人間だけのことはあるよ。今回はまだ意識があるなんてさ。多少は免疫みたいなのがついたのかなあ」
確かに体に異変は感じているものの、意識はまだ少しはっきりしていた。意識を完全に失ってしまった霊道門の帰りのときとは違う。
穂香の足がふらふらと祐喜に向かってくる。
手紙の回収を果たしたビャクは、ふたたび祐喜と穂香の間に入った。祐喜を背にして穂香に告げる。
「ねえ、あたしを襲ってみてよ」