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第十四話 第二音楽室



 巨大な蜘蛛がヒトを食している。血の滴る肉をむしゃむしゃと貪り、ぼりぼりと硬い骨を砕く。口からは、ピンク色の小腸がだらりと垂れて揺れている。祐喜は吐き気を催した。同時に見えている世界が変わった。少女が現れた。いいや、現れたのではなく、初めからそこにいたのだ。じっと祐喜を見ている。悲しげな眼で。そして叫んでいる。しかし声は届かない。



 目を覚ました。またあの夢を見てしまった。ここは祐喜の家のすぐ前だ。小さなビャクの背中に体を担がれ、両足はだらりと地面をひきずっている。どうやら家までビャクに運んできてもらったらしい。


「ビャク?」

「やっと目が覚めたみたいだね。まったく祐喜は重いんだから」


 祐喜は自分の足で立った。


「すまない。ありがとな」


 玄関に入った。ビャクはまっすぐ本棚に向かった。少女向け恋愛マンガを手にするが、それはきのう本屋で買ってあげたものだ。

 ビャクを横目に見ながら身構えた。マンガの読み聞かせを求めてくるに違いない。いま活字を読む気力など微塵もなかった。かといって、断りぬく自信もなかった。

 だがビャクは本棚の前にちょこんと座ると、自分自身で読みはじめるのだった。祐喜は大きな驚愕ののち、解放された気分になった。ビャクが自分で読めるようになったのならば、もうわざわざ読んでやる必要がなくなったということだ。ビャクに字を教えてくれた祓い師妹に、心の中で礼をいった。


 机に頬杖をついて窓の景色を眺めた。もう夕方なのに陽はまだ沈んでない。夏至まであと約一ヶ月。ウスバカゲロウが飛んできた。黒くてきれいだった。それを目で追いながら、まったく関係ないことをぼんやり考える。頭を掻いた。考えてもわからない。もどかしい。


 自分の身に何が起こったのだろう。


 いましがたビャクに担がれて帰宅したわけだが、その少し前ことがまったく思いだせない。穂香と二人で歩いていて、突然、彼女のようすが変わったことまでは覚えている。それからの記憶が欠落しているのだ。

 はっとした。そういえば穂香はどうなったのだ?


「ちょっと聞いてもいいかな」


 ビャクに睨まれた。


「あー、もうっ。読書に集中できないよ」

「ごめん。あれから穂香はどうなった? 無事なんだろうな」

「たぶんね。怪我はなかったしさ。だからその場においてきた。あとは知らない」

「おい、おいてきただと?」

「だってあたしが憑依してるのは祐喜だよ。穂香はあたしの媒体じゃない。面倒みるのは祐喜で精いっぱい。気になるんだったら、電話でもかけてみればいいでしょっ」


 それもそうだ。祐喜はスマホをとりだした。

 するとビャクのふくれっ面は、いたずらそうな表情に豹変した。本を開いたまま裏返しに床へおき、祐喜の顔をのぞきこむ。


「穂香のこと、気になるんだぁ」

「うるせ。そんなんじゃねえ」


 祐喜はビャクに背を向け、穂香に電話をかけた。

 穂香が電話にでた。すでに帰宅していたそうだ。無事だったことがわかると、祐喜はホッとした。さらに詳しく聞いてみたところ、帰り道でしゃがみこんだあたりから、穂香も記憶がないのだという。気がつけば周囲に誰もおらず、そのまま一人で帰ったらしい。


 ということは、魅夜が穂香に襲いかかったアレは夢だったのか?


 今度は穂香から尋ねてきた。あのあとはどうなったかと。祐喜は自分も同じ場所で意識を失い、目が覚めたら家の前までビャクに担がれてきていたことを伝えた。

 電話を切ってから、穂香に話したことを思いかえした。家の前まで連れてきてくれたのはビャク……。そう、ビャクなのだ。

 それじゃ魅夜はどうしたんだ? 

 辺りをきょろきょろし、魅夜の気配を探してみた。しかし姿を消されたら探しようがない。だからといって特別な用事もなく呼ぼうものなら、魅夜に半殺しにされかねない。それでも祐喜は呼ぶのだった。


「魅夜ぁー」

「いないよー」


 返事はビャクからだ。


「魅夜をおいてきちゃったのか」

「ううん、魅夜は自分で離れていった」


 自分で離れていった?

 嫌な予感がした。


「じゃあ、魅夜はどこへいったんだ」

「知らなーい」


 祓い師の己宅から霊道門へ向かうとき、何があっても魂狩りを成功させるつもりだった。魅夜にもそう宣言していた。だが結局、成功とはならなかった。

 とうとう魅夜に見限られたのか?

 魅夜ほどの霊的能力の高さがあれば、霊的に憑くも離れるも簡単。以前、祓い師兄妹と戦ったあと、魅夜がそう話していた。霊的に離れるも簡単……。



 翌日の日曜日も、魅夜は帰ってこなかった。そして月曜日となった。

 魅夜がいなくなったことは、学校の誰にも話すつもりはない。下手に報告でもしようものなら、退学あるいは進学クラスへの編入なんてことになりかねない。また教室に邪霊たちがうようよとひしめく中、これまでのように魅夜の威光に守られることがないというのは、実に恐ろしいことなのだ。命にもかかわる問題といえなくもない。

 それに魅夜が本当に離れてしまったともいいきれない。また戻ってくるかもしれい。そう信じたかった。

 さて、登校前にビャクには姿を完璧に消してもらった。魅夜がいないという不安を抱えたまま校門をくぐる。

 駐輪場で偶然、遠間葉月と顔を合わせた。


「祐喜、おはよう!」

「おう」


 今朝の葉月はどこか違っていた。やけに機嫌がよさそうだ。異様なほどニコニコしている。教室へ向かう途中も、ずっとにやけていた。理由を尋ねるのも恐ろしいほど、その笑顔は気味が悪かった。

 もう一度、葉月の顔を見た。


「ん? あたしの顔に何かついてる?」

「い、いいや」


 教室に入った。葉月には仲間の女子たちが群がってくる。彼女は人気者だ。きっと明るい性格だからだ。あるいは逆に人気者だからこそ、いつも明るく振舞われるのか。

 一方、祐喜に視線を合わせる者はいない。席に向かって歩いていくが、祐喜が近づくと誰もが怯えた。樺澤の席の脇を過ぎる。キツネ霊がリベンジを挑んでくることはなかった。

 遠回りになるが観門穂香の席の横を通った。挨拶を交わす。穂香の顔を見て安堵した。もうすっかり元気そうだ。

 祐喜の前の席はいまもなお、ぽつんと空いている。着席してから数分後、柿田が教室に入ってきた。彼の具合については不明だ。彼はギャーギャーと騒ぐタイプではないし、服の上からだと怪我のようすも確認できない。だがビャクが回復処置を施したのだから、もう大丈夫だろう。

 二時間目は担任の耶馬の授業だった。


「……黒霊も白霊も便宜上、霊という言葉を使用していますが、憑依するのは霊のみとは限りません。つまりこの場合の霊とは、死霊や生霊など本来の霊の他、妖怪や神など憑依したものすべてを含みます。ウチのクラスでは柿田くんの鬼がいい例でしょう」


 ほとんどの生徒が真面目な顔で聞いている。祐喜は魅夜のことを考えていた。どこへいってしまったのか。いつ戻ってくるのか。ちゃんと帰ってくるのか。離れていったのはおれのせいなのか。いつまで経っても不甲斐ないからなのか。


「……えー、ご存じのとおりですが、霊道門が出現すると黒霊宿しの人間は理性を失い、人間の魂を狩らずにはいられなくなります。それはのどが渇ききったときに、水をがむしゃらに求めるがごとくです」


 綿野はそういったが祐喜には当てはまらない。ヒトの魂を狩らずにいられないわけではない。狩ろうとするのは魅夜がそう欲するがためだ。そう。魅夜が欲したのに一度たりとも成功させたことはなかった。魅夜が離れていくのも当前だ。一時的ではなく本当に離れていったのかもしれない。


 三時間目の現代文の授業でも、魅夜のことだけを考えていた。

 頬杖を崩し、自分の指を凝視した。

 もしかして……。試してみるか。

 人差し指に意識を集中する。指の爪は鋭く伸び、長さ二十センチにも達した。魅夜の爪はまだ使える。まだ霊的に繋がっている。そういうことだよな?


 昼休みとなった。

 祐喜は柿田が弁当を食べおわったのを確認した。彼を呼びだす。


「よう。食ったばかりで悪いが、ちょっときてくれねえか」


 その一言で教室中が静まりかえった。巨体が立ちあがる。鬼ほどではないが、かなりの長身だ。同じ高校生とは思えない。生徒たちの注目は、向かいあった二人に集まっている。葉月が心配そうな顔で近づいてきた。


「ねえ、祐喜。二人ともクラスメイトなんだし、その……喧嘩とかじゃないよね」

「そういえば、以前にも似たようなことがあったな。心配すんな。今回もそんなつもりはねえよ」


 葉月の表情が弛緩する。室内に生徒たちの雑音が戻った。

 柿田を連れだした場所は、人気の少ない第二音楽室だった。


「こんなところに呼んで、なんの用だ?」


 祐喜はこめかみをぼりぼりと掻いた。


「おととい霊道門が現れたとき、その……。いろいろと悪かったな。体の怪我、大丈夫か?」

「何かと思えばそんなことか。いきなりコクられるのかと思ったぜ」


 冗談のつもりなのだろうが、厳つい顔にいわれると、笑って返すのが難しい。


「そんなことがいえるとは、体の方は回復したみてぇーだな」


 柿田は視線を外し、体を横に向けた。


「周蔵、現れろ」


 巨大な鬼が姿を現した。鬼は天井低しと、あぐらをかく。鋭い眼光には迫力があった。

 魅夜のいないこのときに、こんな鬼に襲われたら一溜まりもない。


「見てのとおりだ。周蔵の怪我はほとんど完治している。俺も同じだ。お前のちっこい、もう一体の憑依霊のおかげだな。霊道門の出現時には顔をださなかったが、あれは白霊か?」


 答えに迷った。校内で白霊ビャクの存在を知っているのは、いまのところ穂香と祓い師恭介だけだ。学校側には知られたくない……。

 柿田を信用することにした。


「ああ。白霊だ」

「ふむ。それを学校の職員やクラスの連中が知ったら、面倒なことになるかもしれない。黙っておいた方が賢明だな」

「そのつもりだ」


 祐喜は椅子に腰をおろした。

 柿田が床に座りこむ。


「邑塚のテンの憑依霊、立派だぜ。つえぇーし、それに美人だしな」

「柿田の鬼だって、すっげー迫力あってカッコイイぜ」

「たとえそうだとしても、俺たちの黒霊はクラスの連中に受けいれられない。過度に怯えられている。霊力があまりにも高すぎるんだ。だから誰も近づいてこない。何故か遠間葉月は別だがな」

「葉月かあ。あいつは変わり者だからな」

「違いない」


 柿田のごつい顔が笑った。


「ところで柿田は霊道門が現れる前、祓い師の家になんの用があったんだ?」


 ずっと気になっていたことだ。

 柿田は遠くを見るような目をして、ゆっくりと語りはじめた。



 俺は幼いときに両親を失くした。だからずっと親戚の家を転々と渡りあるいてきた。本当は中学を卒業したら、就職することになっていた。

 だがそんなとき、この学校から誘いがあった。ここは俺が進学を諦める前、ひそかに志望していた高校だった。だから俺は飛びあがるように喜んだ。周蔵が憑依してくれていたおかげだ。学費や教材費はもちろん、家賃も学校が全額肩代わり。それどころか生活費についても、かなり支援しくれるという好条件だった……。



 話の途中で祐喜は目を丸くした。この高校を志望していたということは、柿田はメチャクチャ勉強ができるということになる。EやFのクラスは例外として、AからDまでの進学クラスは、県内の成績優秀者が集まっているのだ。

 それから目を丸くした理由がもう一つあった。祐喜の場合、学費や教材費は免除だとしても、家賃は半分の補助がでるだけ。生活費の補助はいっさいない。鬼の存在がかなりレアだったから、学校が好条件を提示してきたのだろう。

 柿田の話は続いた。



 ……俺はこの学校に入学した。でも本当に入りたかったのは進学クラスだった。もちろん進学クラスへいけば金銭的な補助はなくなる。それでも俺は進学クラスへの編入を希望している。優秀な大学にいって勉強したいんだ。それでバイトを始めようと思った。生活費や学費、大学の入学金のために。

 そんなときに己恭介が現れた。俺に仕事を斡旋するといってきた。どこで俺の事情を嗅ぎつけてきたのかは不明だ。バイト情報誌を買っていたのを、見られていたのかもしれない。とにかく驚いたことに恭介が紹介してくるのは、どれも好条件のバイトばかりなんだ。まったくあいつはいろんな意味で恐ろしい奴だ。



 そういわれても、祐喜には恭介という人物のことが信用できない。柿田にいう。


「ところが祓い師は、おれたちを戦わせるために近づいてきたわけだ。霊道門が現れたのは偶然だったが、あの怪しい小屋でおれたちを戦わせようとしてたのは明白だ。柿田をバイトの斡旋で釣ってくるとか、わざわざそこまで手を回すとはビックリ仰天な奴らだぜ」

「邑塚が少女チックな趣味に釣られてきたことについては、俺もかなり驚いたがな」


 祐喜が言下に否定する。


「あれは違う! あの趣味はおれじゃなくて……」

「またテンのせいにしようと?」

「ビャクだ、白霊のビャクだ!」

「今度は白霊のせいにするのか」

「本当だ! 本当にあれはビャクの趣味なんだ」

「わかった、わかった」


 柿田が声高に笑う。


「おい、柿田! わかってねえだろ」


 いくら否定しても、柿田は笑うばかりだった。

 祐喜は誤解であることをくり返して主張した。ようやく柿田が真顔でうなずいたので、どうにか信じてもらえたようだが……。

 とにかく話を戻すことにした。


「あいつらの計略は失敗に終わり、あんな形で本性を晒してきたわけだ。するとこれで柿田のバイトの話もなくなったのか」

「いいや。きのう恭介から連絡があった。バイトの斡旋は俺が納得するまで、責任持って続けてくれるそうだ。恭介は黒霊や黒霊宿しにとっては敵だが、ヒトとしてはまともな奴だ」


 話してみてよくわかった。柿田は悪い奴ではない。やはりヒトは外見ではないのだと、しみじみ思った。


「柿田。お前っていろいろすげえよ。なんつうか、男が男に惚れるとは、きっとこのことだぜ」


 祐喜は椅子から立ちあがった。

 柿田が不快そうに眉間にシワを寄せる。


「やはりコクられたじゃねえか。男にコクられるなんてトラウマになりそうだ」

「いってろ。さあて、そろそろ教室に戻るとすっか」


 第二音楽室の出口へと歩きだす。戸の前で柿田に呼びとめられた。


「邑塚は遠間葉月とかなり親しいみたいだな」


 祐喜は出口の戸に手をかけたまま、柿田を顧みた。


「なんだかんだいっても、あいつには世話になってる」

「遠間葉月から妙な団体の仲間になれと、誘われてるんじゃないのか?」

「誘われたことはあった。それがどうかしたか」

「実は俺も誘われたことがある。探偵ごっこのマネは苦手なので断ったがな。でも遠間葉月たちの気持ちはわからないでもない。事実この学校は、とてつもないことを隠している」


 柿田の顔は真剣だった。周蔵という名の鬼も同様に厳しい表情になっていた。


「それじゃ、柿田は知ってるのか? 学校が何を隠しているのかを」


 柿田はゆっくりと首を左右にふった。


「俺は知らない。だが周蔵によれば、この学校に〝死神臭〟が立ちこめてるんだとさ。推薦入学の面接で初めてここを訪れたときも、死神独自の波長を持った霊気を若干感じたらしい。ただしそのときはまだ確信には至らず、入学してから次第にその匂いが強まっていったんだそうだ。ちなみに周蔵が死神に出くわしたのは、俺に憑依する前の話だ」

「死神ねえ。ところでビャクは死神臭に気づいてたか?」


 ビャクに話をふると、声が返ってきた。


「ううん。いままで会ったことないから、匂いなんて知らない」


◆ ◆ ◆ ◆


「きょうは朝からずっとご機嫌だね。なんかあった?」


 葉月の顔を沼瀬愛里がのぞきこんだ。仲間たちはとっくに弁当を食べおわっているのに、葉月は半分も食べおわっていない。また笑った。


「へへへ。今朝、いい夢見ちゃった」

「えー、どんな」

「恋かな。たくましい腕がわたしを……。ふふふ」

「駄目だ、この子。完全にいっちゃってる」


 沼瀬愛里は相手にするのをやめた。

 しかし下総智香は葉月の夢の話に、興味を抱いたようだ。


「ねえ、それって邑塚? それとも柿田?」

「なんでそうなるの。どっちでもないって」

「えー、違うの?」

「どうして意外そうな顔するかな」

「じゃあ、誰」

「まあ、夢だからねえ。知らない人だった……。あれ? でもヒトだったかなあ。その腕、ごつごつしてて、ひびが入っていた」

「ひび割れ? お肌カサカサな人?」

「あー、カサカサとは全然意味が違う。もっと硬くて頑丈な……」


 ここでまた沼瀬が話に割りこんだ。


「頑丈っていうんなら柿田だよ、その夢の人。ただ葉月が意識として認めてないだけで」

「何、そのいい方。みんな誤解してる」

「あー、はいはい。誤解、誤解。どうでもいいし。それよりパンの耳には入ってくれないのかな、あの二人」

「うん、でも誘うのは諦めた」

「あらら。じゃあ、あたしが誘ってみようか。鬼もテンも超怖いけど」


 ちょうどそのとき葉月がくしゃみした。


「あれ? 誰かが噂してるのかな」

「お気に入りの柿田くんと邑塚くんだったりして」


 下総智香が葉月をからかった。


「だからお気に入りとか、そんなことないって。それにあたしのことなんか、絶対、話題にでてこないよ」


 沼瀬がいう。


「どうせ葉月は変わり者だって、二人で話してるんじゃない?」

「うるさいっ」


◆ ◆ ◆ ◆


 放課後、祐喜はいつものようにビャクを待っていた。

 遠くにきらっと光るものが見えた。道路を挟んだ付属中学の方からだ。飛んでくるのはビャクだった。手に持っているのは一冊の本。

 ビャクが祐喜の前に着地する。


「お待たせ」

「ビャク、その本って……」


 ビャクがニッコリと微笑む。


「うん、真由が貸してくれた」

「そっか、よかったな」


 祐喜はなんだかホッとした。祓い師の妹はいままでどおり、ビャクに仲よく接してくれるようだ。


「それからね、昼間、魅夜に会ったよ」

「おい、本当かっ」


 気づかぬうちに両手がビャクの胸倉を掴んでいた。

 ビャクが目を細める。


「祐喜のエッチ」


 祐喜は手の位置に気づき、ビャクの襟もとから慌ててそれを放した。


「そんなこといいから早く話せ! 魅夜は何をやってるんだ? 元気なのか?」

「うーんとねぇ。わかんなーい」


 本当にどうしてしまったのだろう……。魅夜、お前は何をやっている? 何故戻ってこない? いいや、わかってることだ。おれがいつも不甲斐ないからだ。愛想を尽かれても仕方がないことをずっとしてきた。おれに憑依したことをとても後悔しているはずだ。


「ビャクに教えてほしいことがある」

「うん、話してみて。誰かに恋したとか?」


 ビャクが大きな目を輝かせている。

 思わず溜息を漏らした。真面目な話をすることに躊躇してしまう。それでも聞いてみることにした。


「魅夜はどうしていなくなったと思う? やっぱりおれがいけなかったんだよな」


 ビャクは首をひねった。


「わかんなーい。きっと、そんなお年頃なんじゃないのかなあ」


 聞くだけ無駄だったか。

 ん? もしかして。


「ビャク。まさか魅夜に口止めされてるんじゃないだろうな?」

「ううん。口止めはされてないよ。あー、思いだした! 祐喜に告げておくようにいわれたことがある」

「なんだっ、いえ!」


 ビャクはもったいぶるようにコホンと咳した。そして自転車の後ろにちょこんと乗る。


「祐喜、漕いで」

「何してる! さっさと話すんだ」

「ここじゃ無理。他の生徒に聞かれたらマズいから。それにあたしの姿を見られるのもマズいよね? さあ、ちゃっちゃと漕いでって。走りながら話すよ」


 ビャクが姿を消す。

 祐喜はチッと舌打ちし、ペダルを漕ぎはじめた。下校する生徒たちを追いぬいていく。大通りから細い道に入った。通行人の疎らになったところでビャクがいう。


「それじゃ、魅夜からのことづけを話すね。『穂香には近づくな』だって」

「どういうことだ」

「あたしもねぇー、聞いたんだ。祐喜が穂香と親しくするから妬いたんでしょって。だけど違うんだって」


 アホか、こいつ。


「前置きはいいから、どういうことなのか早く説明しろ」

「あのね……」


 ビャクの声のトーンがさがった。


「……テレビで最近よく見かけるバーサーカー症候群。その起点が穂香だといってた」

「まさか! そんなはずない。魅夜の間違いだ」

「でもそれは魅夜だけの見解じゃないよ。あたしも起点は穂香にあると思ってる」

「う、嘘だ」

「信じられないって顔をしてるね」

「……」


 祐喜は口を固く結んだ。


「おとといの霊道門からの帰り道、祐喜は意識失っちゃったんだよね。あのとき祐喜はバーサーカーになりかかってた。目なんか瞳孔が開いちゃって、もうあっちにいってたもん。たぶん穂香本人も自覚はないんだろうなぁ」


 ショックを受けた。自転車のハンドルから両手を放し、漕ぎながらてのひらを広げる。指紋やシワを凝視した。


「バーサーカーになりかかって? 信じられねえ。それに穂香が……」

「よしよし」


 ビャクはふたたび姿を現した。宙に浮きながら祐喜の頭を撫でる。


「魅夜はね、穂香に近づくなっていってたけど、あたしはそんなこといわないよ」

「ビャク……」

「うん。もし穂香がまた祐喜をバーサーカーにしようとしてきたら、魅夜に代わってあたしが穂香を殺してあげる。だから安心してていいよ」


 背筋がぞくぞくっとした。


「おい、冗談だろ?」

「なーんてね。あたしは下衆な戦闘タイプじゃないから」


 頭を撫でる感触がなくなった。いいたいことをいい終えて、姿を消したようだ。




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