第十二話 ともだち
翌日、大量の本を持ち、ビャクの友達の家へ向かった。
それにしても、こんなにたくさんの恋愛もののマンガや小説……。ビャクの友達は重度の恋愛オタだと思われる。
連れていかれたところは、古色蒼然とした大きな家。屋敷とか邸宅などと呼ぶべきなのかもしれない。きっと大富豪が住んでいるのだろう。
雲一つない空なのに、じめじめした湿気で不快だった。辺りは不気味なまでに森閑としている。武家屋敷のように構えた大きな門には呼び鈴があった。しかしそれに手をかける気がしない。激しい胸騒ぎを覚えたのだ。門をくぐることを体が拒んでいる。閉ざされた門を眺めながら溜息をついた。
ギギギッ。
まだ呼び鈴も押していないのに、勝手に門が開いていく。その音は晦冥の淵にひそむ怪異のざわめきにも聞こえた。この向こうに誰がいる? 何が待ちかまえている? 得体の知れない何かが飛びだしてくるのでは、と警戒した。
門が開ききった。
「いらっしゃいませ」
そこに立つ人物の顔に、祐喜は一驚を喫した。
「お前は……」
「お久しぶりです」
「つうか……」
「さきほどビャクの気配を感じましたので、ただいまお迎えにまいりました。中へどうぞ」
平然とすました顔で、門の内側へといざなっている。
しかし祐喜は立ったまま、門を入ろうとしない。
「どうかなさいました?」
不思議そうに小首をかしげている。その人物の言動すべてがわざとらしく思えた。
祐喜はひょいっと後方へジャンプし、身を構えた。
「おい、何を企んでやがる」
その人物は白々しさ満点の笑顔を送ってきた。
「企むだなんて。わたくしは祐喜さんがいらっしゃったことを、ただ歓迎したいだけです。さあ、どうぞ」
ビャクの『ともだち』が祓い師妹だったなんて、予想もしなかったことだった。ビャクが袖をひく。
「あのね、真由は付属中学に通ってるんだよ」
どうやら真由というのが祓い師妹の名前のようだ。ちなみに付属中学は、祐喜の高校の道路を挟んだ隣の敷地にある。ビャクは学校でしょっちゅういなくなるが、おそらくそこへ遊びにいっていたのだろう。
とにかくこの真由こそ、ビャクにろくでもない漢字を教えていた犯人だ。しかしまだ中学生のくせに、猥褻などという難易度の高い漢字を書けるのとは、なかなかたいしたものだ。それともビャクに教えるため、わざわざ辞書等で調べたのか。
「早く入ってぇー」
もたもたしている祐喜の背中をビャクが押す。玄関前までくるとビャクは姿を消した。そこから真由が客室へと案内する。
戸が静かに開けられた。客室は無人ではなかった。そこに二人いる。片方は祓い師兄だった。兄妹そろって色白の美形なのが、祐喜にはつくづく気に食わない。祓い師妹がビャクに祐喜を連れてこさせたことになっているが、もしかすると祓い師兄の指示だった可能性もある。
彼と対面することは、門をくぐったときから、なんとなく予想できていた。だが驚愕すべきはもう片方の人物だ。いくら刮眼しても、これは見誤りではない。
「おい。どうしてここにいるんだ、柿田」
鬼宿しの柿田は口をぎゅっと結んでいる。答える気がないようだ。代わりに祓い師兄が声をかけてきた。
「ようこそ、邑塚祐喜くん」
危険な匂いがする。祐喜の目が鋭くなった。
「柿田、お前は知ってるんだろうな。ここの兄妹は祓い師といって、おれたち黒霊宿しの敵になる」
祓い師兄は微笑みを崩さない。
「はっきりいうねえ」
祐喜は祓い師兄を無視し、柿田の反応を待った。すると柿田は思いがけないことを口にした。
「恭介はいい奴だ」
祓い師兄の名が恭介だったことを思いだした。以前、葉月がそういっていた。しかし『いい奴』とはどういうことだ?
柿田は祐喜の疑問を察してか、言葉をつけ加えた。
「恭介には恩がある」
言葉だけを考えると『恩』よりも『怨』の方がピッタリきそうだ。
「恩? なんの恩だっていうんだ」
柿田は答えない。
祓い師恭介がコホンと咳払いした。
「他人のプライベートについては、放っておいたらどうだい?」
恭介の物言いにはムカつくが、反論するつもりはない。正論だからだ。彼は真向かいの柿田の隣に手を差しだした。座れといっているのだ。祐喜がそこへ座ると、妹の真由が対面に回った。しかしなかなか座ろうとしない。じれったそうな顔を祐喜に向けている。
「ところで、例のものをお持ちしてきていただけましたか?」
祐喜がこの家にやってきたのは、ビャクが借りていた本を返すためだった。祐喜は大きな鞄のチャックを開け、マンガや小説の本をとりだした。
「借りっぱなしだったみたいで悪かったな」
柿田がぴくぴくと震えている。しかし彼は寒いわけでも怯えているわけでもなかった。体を小刻みに動かしながら、必死に笑いを堪えているのだ。視線の先は山積みとなったマンガや小説だ。表紙や背表紙にある題名やイラストが、少女向けの恋愛ものであることを露わにしている。口にだして読みあげるのさえ恥ずかしい題名のものも含まれていた。
祐喜の顔は紅潮し、全身から汗が噴きだした。
「お、おれが借りたんじゃねえぞ。ビャ……」
ビャクの姿はない。当然だ。ここはクラスメイトの柿田の前。祐喜のいいつけどおり、クラスメイトにバレてはならないと姿を消しているのだ。
ビャクのせいにできない状況下でいい直す。
「借りたのはおれじゃなく、魅夜が……」
すうっと魅夜が姿を現した。柳眉を逆立てている。
「わたしはそのたぐいの本などに興味ない」
ひとこと残してふたたび消えた。
「あっ、待て、魅夜……。柿田、誤解すんじゃねえぞ。おれだってこんなものに興味なんかねえ。本当だ」
「興味あろうとなかろうと、きちんと返してくだされば、それで結構です」
真由の冷めた視線が、山積みとなった本に向く。冊数の確認に入った。
体を振動させていた柿田は、ついに堪えきれず失笑した。それでも笑うべきでないと思ったのだろうか、すぐに顔を伏せ、抑えきれない声を無理に抑えようとしている。笑いは祓い師兄の恭介にも飛び火した。客室に笑い声が響きわたった。
柿田が咳払いする。
「邑塚?」
「なんだ、くそっ」
祐喜は敵意剥きだしで柿田を睨んだ。
「人それぞれ趣味は異なる。決して悪いことじゃない。安心しろ、おれはお前の趣味について他言するつもりはない」
「だからおれの趣味じゃねえっつうんだ!」
祐喜は立ちあがった。真由にいう。
「返すものは返した。だからおれはもう帰る」
「待っていただけませんか」
真由が祐喜を止める。そしてこの場の三人にいった。
「祐喜さん、柿田さん、兄様。これらのマンガや小説は書斎にあったものです。わたくし一人では、とても持ちきれません。運ぶのを手伝っていただけませんか」
そのくらいのことならば、やってあげてもいい。他の二人も了承した。四人で本を手分けして持ち、真由を先頭に書斎へ向かった。
書斎は邸宅の母屋から離れたところにあるらしい。だが理解に苦しむ。どうして靴を履いていかなくてはならないところに書斎を作ったのか。金持ちのすることはわからない。
離れの書斎にやってきた。外観は簡素な造りの小屋だ。真由が鍵を開け、中に入る。祐喜たちも本を抱えて中へ入った。内部は仕切りがなく、小屋全体が書斎となっていた。広いスペースの割に書棚は少ない。しかも書棚には本がびっしりと埋めつくされているわけでなく、せいぜい四割程度のスカスカな状態だった。
「本は奥のテーブルに置いてください。あとでわたくしが仕分けます」
いわれたとおり、三人は本をテーブルに置いた。真由だけが本を持ったまま戸の前に立っている。彼女は本を床に置き、内側から戸を閉めた。
その瞬間――。
書斎の隅に並ぶ無数のロウソクがいっせいに火を灯した。ロウソクは誰の手にも触れていないはずだ。
祓い師兄妹が書斎の中央に立つ。さっと数珠を手にとった。蛍光灯の明りが消えた。立ちならぶロウソクの炎が、書斎を下から明るく照らす。
「なんだ?」
祐喜は周囲を見回した。祓い師の兄妹が数珠を持ちながら口を動かしている。小さな声でぶつぶついっているが聞きとれない。
「おい、お前ら。何をやってんだ」
祓い師兄妹は何も答えない。
しばらくすると柿田の額から汗が滴りおちてきた。祐喜はそれが不思議だった。気温はたいして高くない。むしろ涼しいくらいだ。
「柿田、やけに暑そうじゃないか」
祓い師兄妹と同様、何も答えない。
祐喜は舌打ちし、閉じられた戸に向かった。
「んじゃ、おれ、帰るぜ」
戸に手をかける。しかし開かない。首をかしげた。建てつけが悪いのか。
もう一度、手に力を入れてみた。
ガラッ。
今度はきちんと戸が開いた。
「まさかっ」
声をあげたのは恭介だった。驚愕したような眼差しを祐喜に向けている。
何を不思議がっているのか、祐喜にはさっぱりわからない。
「兄様っ」
真由は目を見開き、恭介の顔をうかがった。反応のない恭介から、視線を祐喜に戻す。
「祐喜さん、なんともないのですか!」
なんともないはずがない、といわんばかりの顔をされても、祐喜としてはきょとんとするばかりだ。一応、自分の手足を確認してみた。だが、おかしなところはない。
「別になんとも……」
「よく戸を開けることができましたわね」
「そりゃ、鍵はかかってなかったからな。開くのはあたりまえだのクララ・ゼーゼマ……」
強い口調でいったつもりはない。だが真由の目は半泣きしたように充血していった。ゼーゼマンがいけなかったのだろうか。
真由が恭介を責めたてるかのように問う。
「どういうことですか、兄様。霊道門をじ……」
「真由っ」
恭介の一喝に、真由はあっと口を開けるが、すぐに両手で覆った。
祐喜はさすがに二人を怪しいと感じた。柿田も同様だったらしく、恭介に詰めよった。しかし息を切らしており、しゃべるのもやっとのようだ。
「恭介……はあ、はあ、……何をやろうと、……はあ、はあ、はあ」
「なんでもない。さあ、客間へ戻ろうか」
祐喜には恭介のすまし顔が不自然に思えてならない。もっとおかしいのは柿田のようすだ。額の汗はさらにひどくなっており、目の周りから頬にかけて紅潮している。
「柿田、具合が悪そうだが?」
祐喜は優しく声をかけるが、なおも柿田は答えない。
そのとき室内の空気が揺れた。そしてどこからか声が聞こえてきた。どすの利いた低音だ。
「すぐ外へでるのだ」
姿なき者の声。ということは怪異だろう。応答したのは柿田だった。
「周蔵……、もしかしてこれはまた……」
声の主が柿田を急かす。
「早くせよ。急ぐのだ」
柿田は祐喜の開けた戸から屋外へでる。祐喜も小屋からでると、巨大な物体が立ちはだかっていた。物体の天辺を仰ぎみると、厳つい鬼の顔があった。かつて目にしたことのある鬼の顔だ。
鬼は身をかがめた。柿田の正面へと巨頭を近づける。
「霊道門が出現した。ゆくぞ」
ますます呼吸を荒げた柿田は、走って門を越えていった。
「祐喜よ」
魅夜が呼ぶ。テンの姿を現した。
「霊道門が現れた。さあ、わたしたちも向かうぞ」
「真っ昼間から霊道門なんて珍しい。こんなこともあるんだな。とりあえず了解だ。いこうぜ、魅夜」
魅夜は宙を蹴った。
祐喜が追う。門をでたところでふり返り、片手を小さくあげた。
「つーことで、じゃあ」
祓い師兄妹を残して立ちさった。家が見えなくなったところで「あっ」と声をだした。大事なことを忘れていた。ビャクに変な字を教えるなと、まだ祓い師妹にいってなかった。しかし、いまさらひき返す気にはなれないし、そんな余裕もない。
魅夜がスピードをあげると、祐喜の走りも加速した。ヒトとは思えない速さで走っている。これは魅夜の霊力によるものだと思っている。霊道門へ向かうときはいつも体が軽くなるのだ。しかし魅夜と祐喜に限ったことではないようだ。前方に柿田と鬼の周蔵が見えてきたが、彼らも人間離れした速度で走っている。ということは、すべての黒霊と黒霊宿しに共通するのではなかろうか。
猛スピードで先をゆく鬼と柿田に追いついた。パワーに関しては知らないが、少なくともスピードならば魅夜は鬼に負けてなかった。
祐喜たちは彼らを追いぬき、さらにひき離した。
「ところでビャク」
走りながらビャクに尋ねる。
「なーに?」
「どうして祓い師の妹なんかと、仲よくしてられるんだよ」
「だっていい子じゃないか。本を貸してくれるし、それに字も教えてくれるんだよ。それからあのことは心配しなくても大丈夫。あたしのことは学校に内緒にしてくれるって」
考えてみれば、祓い師は黒霊や黒霊宿しの敵であるものの、ビャクのような白霊には無害な存在なのだ。祓い師妹との交友は放っておいてやろう。
前方を飛ぶ魅夜は姿をヒトに変えた。鋭い視線が祐喜を刺す。
「ん? おれに何かいいたいことでもありそうな顔だな」
「やはりうぬにはわからぬか」
「はあ?」
はて、なんのことだ。
魅夜がイラつくように眉をひそめる。
「あの家で突然、柿田の体が熱くなっていたことには気づいたか?」
祐喜はほんの数十分前までのことを思いおこした。
「そーいやー、あいつ、汗掻いてたっけ」
「そうだ。小屋の中が霊道門付近で漂うような空気で満たされていった。あのような空間を人為的に作りだすとは、目を見張るべき術使いだ」
人為的に作りだす……? あの何本もあったロウソクや、兄妹がぶつぶついってたあれか。
「密封されたような小屋だったから、熱気でちょっと蒸しただけじゃないのか。もし本当に霊道門付近の空気とそっくりだったら、お前ら黒霊は冷静さを欠いたり、そこにひき寄せられたりしただろ。でも魅夜は姿も見せずに大人しくしていたし、柿田の鬼がいたのもずっと小屋の外だった」
「それはわたしもあの鬼も、霊力が高かっただけのことだ。兄妹はうまく空気を模造したが、紛い物ではわたしや鬼を動かすことはできぬ。もし仮にわたしたちが霊力の低い輩同士だったならば、彼らの術にハマって互いを殺しあっていたとも考えられる」
「なるほどな。すると、おれと柿田を家に招いた狙いがそこにあったのか」
「奴らの思惑はどうでもよい。わたしがいいたいのは火照りや汗だ。祐喜よ。霊道門に導かれるような邪霊の憑いた人間ならば、誰しもが柿田のようになるはずだ。体は発熱し、瞳孔が開き、理性のほとんどを喪失する……」
「へえ。それじゃ、おれも霊道門が現れるたびにそうなってたのか。まったく自覚なんてなかった」
「いいや、祐喜は違う。霊道門の顕現時でさえ平常どおりだ。何ひとつ変化はない。さきほどもそうだ。うぬが内側から戸を開けたとき、あの兄妹の驚愕した顔を見なかったのか。おそらく戸に術でも仕かけていたのだろう。にもかかわらず祐喜は平然と開けてしまった」
「ふうん。平常だとか平然だとか、おれっていつも冷静ってことなんだな」
祐喜はちょっぴり鼻が高かった。そんな気分を魅夜が害する。
「祐喜が魂を狩れない理由は、そこにあるのだろうといってるのだ。通常、霊道門へ向かう霊宿しの思考は麻痺し、そのときの記憶すら残らぬことも珍しくない。それなのにうぬは平常すぎる。ゆえに魂狩りを恐れるのだ」
「バカいうな。きょうは狩る。見てろよ」
それからしばらく会話はなかった。