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第十一話 キツネ憑きの生徒


 穂香の話してくれたことは、葉月から聞いていたとおりだった。彼女は黒霊クラスにいるのに、霊に憑依されている自覚はないらしい。きのうは信じられなかったが、まさか本当だったとは。

 保健室のベッドに横たわる穂香に再確認する。


「憑依されてる自覚がないってこと、学校側は知ってるのか」

「うん、もちろん承知してる。わたしがこの学校にくる数週間前、綿野先生が学校転入のスカウトにやってきて、そのとき初めて聞いたの。わたしには霊が憑いているのだと。でも綿野先生の話が信じられなくて、何度も否定したし、転入も断りつづけた。結局は転校してきちゃったんだけどね」

「そっか。おれのときもスカウトにきたのは綿野だったな」


 祐喜はこの高校に転入する直前のことを思いだした――。


****


 綿野が祐喜を訪ねてきたのは、中二の終わり頃だった。

 噂をどこで聞きつけたのだろうか。祐喜に憑依している『ヒト食い霊』を見たいといってきた。そう。綿野が見たがっていたのは、霊道門出現時にヒトの魂を欲する霊、すなわち魅夜だったのだ。しかしビャクの存在には気づいていなかった。


 面会を受けいれた祐喜は、魅夜に姿を現すように頼んだ。綿野はテンの霊を見て大喜びだった。さっそく浅城高校入学の勧誘が始まった。

 浅城高校といえば県内屈指の名門校だ。そのうえ好条件を提示してきた。学費やその他の教材費、家賃補助などの支援。両親が飛びつきたくなったのも当然だった。

 しかし魅夜は綿野を訝しんでいた。話が盛りあがっていたときのことだ。


『解せぬな』


 魅夜は怪訝そうな面持ちで、綿野の話に口をだしてきた。


『わたしはヒトを喰らう邪霊だぞ。うぬらはわたしを招きよせ、いったい何をするつもりだ』


 綿野はニコリと笑った。


『あなたが災いをもたらしうる霊だということは知ってるよ。だけどわが校はねえ、善なる霊だろうが邪なる霊だろうが、特に差別も区別もしてないんだ』

 魅夜は妖しく目を細めた。


『ならば、うぬの目の前でわたしがヒトを襲ったとしよう。うぬは何もせずじっと見ていられるのか』


 綿野は笑顔もそのまま、明るく穏やかな口調で魅夜に答えた。


『ある種の特別な邪霊がヒトを襲うのは、それが使命だから仕方がないことだ。それでもすぐ目の前でそうような行為があったとしたら、さすがに私はあなたを止めようとするだろう。しかしその場で止める以上のことはしないつもりだけどね』


 魅夜は納得したのか、黙ってその場から姿を消した。

 推薦入学に対して両親は大賛成。魅夜も反対せず。しかし祐喜は拒否という回答を呈した。名門すぎて自分には不釣合だと思ったからだ。


 そして地道に勉強し、一般入試を受け、学区外の公立高校へ入学した。すばらしい高校生活が始まると予感していた。しかしその高校でも入学早々、憑依霊の噂が立ってしまった。学区外の高校だったのに、同じ中学の卒業生がいたのだ。結局、孤独であることは中学時代と何も変わらなかった。

 幸いなことに、綿野からの勧誘は高校入学後も続いていた。そして転校を決意したのだった。



****


 祐喜は保健室の窓のカーテンを開けた。薄暗い室内に陽光が射しこむ。窓から見える校庭にヒトはいない。正門から登校する生徒たちは、裏庭の方に回っていくからだ。

 騒がしいサイレン音が聞こえてきた。正門からパトカーと救急車が入ってきた。裏庭へと向かっていく。魅夜にめった刺しにされたあの生徒は大丈夫だろうか。


「とにかく穂香に怪我がなくてよかった」

「祐喜が助けにきてくれたおかげだね。ありがとう」


 穂香の双眸が祐喜を見つめている。祐喜は照れくさくなった。


「そういえばさあ。この前、おれと交差点で会ったときのことだけど、あれは学校の下見だったのか?」

「うん、そんなところかな。いろいろ不安があったから……」


 穂香がいたずらっぽい表情で微笑む。


「……本当はね、白霊クラスに入る予定だったんだ」


 祐喜は思いがけない話に耳を疑った。


「白霊クラス? さっき憑依の自覚がないっていってたけど、実際には白霊に憑かれていたってことか?」


 もしこの話が黒霊クラスの生徒たちに知れわたったら、間違いなく大騒ぎになるだろう。

 穂香は首を左右にふった。


「ううん。わたしに憑依しているのが白霊なのか黒霊なのか、先生たちにも判断つかなかったみたい。だから白霊クラスは『とりあえず』っていう感じだったの」

「それじゃ、どうして黒霊クラスにくることになったんだ?」


 穂香はもったいぶるように黙って微笑み、きょとんとする祐喜を指差した。


「祐喜に会ったのは、学校の下見にきたときっていったでしょ。でね、あのとき綿野先生に話したの。『祐喜と同じクラスだったら、転校してもいいかな』って。そしたら黒霊クラスになったんだ」


 祐喜はすうっと赤面していった顔を、隠すように穂香からそむけた。

 しかしある不安が脳裏を横ぎった。慌てて顔を穂香に戻した。


「ビャクのこと、もう誰かに話したか? おれが憑依霊を二重に宿していることは、この学校の誰にも話していないんだ。だからおれは黒霊宿しとして、黒霊クラスに所属していられる」

「大丈夫だよ。祐喜の憑依霊について、この学校にきてから話題にあがったことはまだないから」


 祐喜は胸をなでおろした。

 そろそろ朝のホームルームが始まる時間だ。穂香は心配する祐喜を教室へいかせた。祐喜は念のため、ビャクをそこに残した。

 教室へ向かう途中でチャイムが鳴った。遅刻だ。しかし穂香を保健室に連れていったという大義名分がある。

 チャイムが鳴りおえたところで、魅夜が話しかけてきた。姿は見せていない。


「一つ尋ねる。さきほどのことだが、うぬもわたしが怖いか」


 それは穂香が魅夜を怖がっているという話の続きのようだ。少しの間考えた。廊下の窓から空を眺める。


「穂香はお前に怯えている。そりゃ怖いだろう。魅夜に本気で襲われたら、誰だって瞬殺される。だから恐ろしい存在じゃないなんていったら、嘘になるかもしれない」

「ならば、うぬも怖いのだな?」


 魅夜は上半身のみを現した。胸のあたりから下は霞んでいる。妖艶な黒瞳には祐喜が映っていた。

 祐喜は首を横にふった。


「それもちょっと違うかな」

「違う? 煮えきらないいい方だな」

「昔、お前に命を助けられた。しかもおれだけじゃなく……。だからおれはお前と霊宿しの誓いを交わしたんだ。魅夜が欲するのなら、おれの命なんかくれてやるさ。お前のためなら何も怖くない」

「古い話だな」


 今度は逆に祐喜が尋ねた。


「魅夜はおれの命を奪おうと思ったことはあるか?」


 魅夜の長く鋭い爪が、祐喜の喉に触れた。


「不甲斐ないうぬを見ているときは常にそうだ」


 魅夜は無愛想な微笑みを残して、姿を消した。


 祐喜が教室前に到着。戸を開けると朝のホームルームがちょうど終わったところだった。穂香を保健室に連れていったことを話すと、遅刻扱いは免れた。


 そして二時間目の授業のとき、学年主任の綿野からこのクラスの生徒に話があった。今朝の事件についてのことだ。病院へ搬送された生徒は黒霊クラスが二人、白霊クラスが五人、進学クラスが四人とのことだった。ちなみに黒霊クラスの生徒二人というのは二年生と三年生であり、このクラスでは穂香を除けば誰も関わっていない。

 穂香が教室にやってきたのは三時間目からだ。もうすっかり元気になったようすだ。クラスの女子たちが穂香に声をかける。男子たちも彼女たちに続いた。三時間目の授業は耶馬の霊学だった。耶馬は穂香の顔を見ると、嬉しそうにうなずいた。授業が始まった。


「えー、霊宿しは憑依霊が憑依霊となる前の記憶を、夢として見ることがあります。それは憑依霊の心の奥に深く刻みこまれた思いの一場面です。実をいいますと、私もそんな夢をよく見るのです」


 ここで担任の目が葉月に止まった。こっくりこっくりと船を漕いでいる。隣の生徒が鉛筆で突くと、葉月は驚いたように跳ねおきた。笑いが教室内をどっと包む。


「まあ、私の事例のことはおいておきましょう。さて……」


 睡魔に襲われているのは祐喜も同じだった。腿や膝をつねり、眠気を堪えた。

 この日は前の席が空いているので、眠ったらすぐにバレる。ちなみにそこはキツネ霊を宿した八雲すばるの席だ。

 八雲が休みでなかったことは、あとになって知った。朝のホームルームに遅れた祐喜は聞きそびれていたのだ。教えてくれたのは葉月だった。それは昼休みになってのことだ――。


「これは絶対に何かあるよ」


 祐喜が食後の昼寝につこうとしたとき、葉月はいきなり顔を近づけ、そう切りだしてきたのだった。


「なんの話だ」

「八雲くん、自主退学だって」

「はあ? 冗談だろ。そんないきなり」


 葉月の目は笑っていなかった。嘘ではないようだ。


「自主退学なんてありえない。だっておかしいから。今度の日曜日、加藤くんと釣りにいく約束してたらしいの。それなのに急に学校を辞めるなんて信じられる? 朝のホームルームのときだって、耶馬っちは最初にぼそっといっただけだった。自主退学なのに一言で終わったんだよ。いまスマホも応答がない。だからクラスのみんなは、学校に消されたんだって噂してる」


 ここで葉月は溜息をはさんだ。


「あたしたちパンの耳も駄目だなあ。事前に情報を掴めなかった……」



 それから数日間、変わったことは起こらなかった。

 金曜日となった。


「ただいまー」


 ツインテールの少女がカーテンを通りぬけ、家の中に入ってきた。


「ビャクか。ずいぶんと遅かったな」


 実はこの日、ビャクは用事があるとのことで、祐喜を先に帰宅させていたのだ。

 ビャクが顔に喜色を浮かべている。


「祐喜っ、祐喜っ! あたし少し字ぃー覚えたよ」

「じぃー? じぃーって文字のことか?」


 珍獣の霊に字を覚えられるわけがない。怪しいスパム・メールのタイトルを眺めるような目をビャクに送った。

 ビャクは誇らしげに大きく首肯する。


「うん、読み書きの字のことだよ」

「そんじゃ、例えば何が書けるんだ?」


 ビャクは祐喜の鞄の中から、鉛筆とノートを引っぱりだした。鉛筆を持った手をゆっくりと丁寧に動かす。本当に字を書いているのだった。


「これが恋っていう字でしょ」


 祐喜は感心した。平仮名や片仮名ではない。いきなり漢字だ。しかも結構しっかりした字を書いていた。相当練習したものと思われる。


「マジかよ。それ、漢字だぜ。難しい字をよく覚えられたな」


 祐喜が褒めると、ビャクは得意顔になった。


「うん。もっと書けるよ。えっと、これが浪漫」

「おお、ビャク。ロマンを漢字で書くなんて、なかなかやるじゃん」


 調子づいたビャクは、祐喜のノートに次々と漢字を書いていった。


「んで、これが純愛。あとね、相思相愛、岡惚れ、三角関係、火遊び、横恋慕、邪恋、盲愛、狂恋、痴情、接吻、猥褻」


 ちょっと待った。字を覚えたつったって、全部そっち系の言葉じゃねぇーか。


「わかったから、もういい」


 すごいといえばすごいのだが、なんだか拍子抜けした思いだった。

 ビャクは目を輝かせ、無邪気に白い歯をこぼした。


「ね、書けたでしょ?」

「字が書けるって、お前なあ……。つうか、猥褻なんて漢字、おれだって書けないぞ」

「祐喜は書けないの? 教養がないね」

「うるせ」


 ビャクからの嘲笑の眼差しは、屈辱的だった。それはともかく独学とはとても思えない。ヘンな字ばかりを教えたのは、いったいどんな奴だろう?


「猥褻なんて誰が教えたんだ。書けたとしても別に偉くねえぞ」

「穂香だよ」


 へっ? 穂香? 教養あるんだな。おれもこのくらい書けた方がいいかもしれない。

 ビャクが茶目っ気たっぷりに笑う。


「なーんて。教えてくれたのは、ともだちだよ」

「……」


 ビャクの友達はとんでもない奴だということがわかった。


「いいか、ビャク。友達はなあ、選ばないと駄目だぞ」


 話を聞いているのか、いないのか、ビャクは祐喜の袖を掴んでいる。


「おい、ひっぱるな」


 ビャクは部屋の隅を指差した。そこには山積みされたマンガや小説があった。どれもビャクが友達から借りてきて、祐喜が読んでやったものだ。


「かなり溜まったな。いったい何十冊になるんだ?」

「あのね、ともだちがね、そろそろ返してほしいって」

「じゃあ返せばいいだろ」


 あどけない顔でビャクが、祐喜を見つめている。黒く大きな瞳が、何かを訴えている。祐喜は嫌な予感がした。


「一人じゃ無理。重たいもん。あした返しにいこっ」

「気をつけていってこいよ」


 わざとすっとぼけた。


「祐喜も一緒だからねっ」

「どうしておれもいかなきゃならんのだ!」


 ビャクは大きな目をますます広げて顔を強ばらせた。迫力はまるでないが、おそらく威嚇のつもりだろう。むしろ頬をつけてスリスリしたい衝動にも駆られた。


「あたしのともだちが、今度祐喜も連れておいでっていってた」


 そういわれたとしても誰がいくものか。荷物持ちなんてごめんだ。ビャクにそういいかかったところで思いとどまった。

 これはチャンスではないか? その友達に会い、妙なことをビャクに教えないよう、ビシッといってやろうと思ったのだ。


「いいだろう。いってやる」

「わーい」




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