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第十話 狂乱


 次の日、また事件が起きた。

 自転車通学の祐喜は、昨晩、ネット上の地図とにらめっこし、学校までの近道たる新ルートを開拓したのだった。そして今朝、脳内に焼きつけた新ルートマップを頼りにペダルを漕いだ。しかしその先で待っていたのは、工事のための通行止めだった。


 クソっ、クソっ、クソっ! なんて運が悪いんだ。


 新ルートを試すのは、時間に余裕のある帰り道にしておくべきだった。

 慌ててひき返す。本来の道に辿りつくまでに、かなりの時間を費やした。このままだと遅刻してしまう。さらにペダル回転数(ケイデンス)を高めた。歯を食いしばり、立ちこぎする。力の限り加速した。ああ、どうして朝っぱらから、こんな必死にならなくてはならないのか。

 ちなみに冒頭の『事件』とはこのことではない。


 学校に到着した。ほぼいつもの時刻に正門を通過できたのは、奇跡としか思えなかった。汗にまみれた努力が報われたということだ。

 自転車を止め、鍵をかける。


 おや?


 駐輪場を含む裏庭全体が妙に騒々しい。いままでこのことに気がつかなかったのは、遅刻しまいと一心不乱にペダルを回していたためだろう。


 何かのイベントでもやっているのか?


 そんな呑気なことを考えていた。だが周囲を見回し、唖然とした。

 十数人の生徒たちが目を剥き、狂ったように暴れている。普段とは異なる妙な喧騒は、裏庭を囲む生徒たちの悲鳴や叫び声だったのだ。


 あの狂態はなんなのだ。

 駐輪場に並ぶ自転車を、次々と校舎に投げとばしている生徒。鍵のかかった体育用具庫の戸を、無理やり素手でこじ開けている生徒。掃除用物置を持ちあげてしまう生徒。大声を発しながら、校舎の窓ガラスを頭突きで割りつづける生徒。さらには、心配して近づいてきた生徒に、襲いかかろうとする生徒など。


 彼らは馬鹿なのか。DQNなのか。いいや、馬鹿やDQNどころの騒ぎではない。いかれている。脳みそが発酵しちゃっている。ああ、みそは初めから発酵しているんだっけ。

 こんな無茶苦茶な暴れ方を、以前、どこかで見たことがあった。ああ、そうだ。思いだした。テレビのニュースでやっていた『バーサーカー症候群』そのものではないか。


 理性を失った生徒たちの頭上には、何体もの霊が右往左往していた。おそらく彼らの憑依霊なのだろう。それら霊たちの慌てぶりは滑稽にも思えた。


 なんの理由で誰が暴れていようと、どうでもいいことだ。しかしとにかく彼らは邪魔だ。これでは校舎にいきにくい。騒ぐのならば他でやってもらいたいものだ。

 祐喜の隣に若い女が現れた。魅夜だ。


「まるで祭りのように賑やかだな」

「まったくだ。いったい何が始まったんだか。魅夜はあれらをどう思う?」

「さあな。皆目見当もつかぬ」


 魅夜にもわからないとすると、霊的なものが原因ではないのかもしれない。

 裏庭中央に一人、しゃがみ込んでいる生徒がいた。暴れくるう生徒たちの真ん中で、震えながら頭を抱え、小さくうずくまっている。魅夜はその生徒を指差した。


「祐喜、あれは穂香だぞ」


 たったその一言で、他人事ではなくなった。


「なんだと!」


 じっと目を凝らした。伏せた顔は確認できないが、いわれてみれば穂香っぽくも思える。


「穂香!」


 狂乱する生徒たちの中に、突入していこうとしていた。


「待て。いけば命がないと思え」


 魅夜が祐喜を制止する。確かに魅夜のいうことは正しい。彼らの怪力ぶりはヒグマ並みに思える。まともに攻撃を喰らえば、即死かもしれない。だがいまの祐喜に冷静な判断ができるはずもなかった。穂香が危機に直面しているのだ。選択肢は一つに限られている。


 無我夢中で穂香のもとへ向かった。

 狂気の彼らが襲いかかる。ハンマーのように力強くふりおろすコブシから、間一髪のタイミングで身をかわした。ふう、危ない、危ない。

 しかしその先に左右に開いた両手が待っていた。祐喜の体を掴みかからんとしている。彼の腕力でタコのように絡みつかれたら、絞殺されるまで逃げることは不可能だ。

 祐喜は走る足に急ブレーキをかけた。だが自転車とはわけが違う。ひらりと格好よく身をかわしたかったが、そうはいかず、足がもつれてコケてしまった。結果としてはそれがよかった。彼の両腕が空振りしてくれたのだ。

 祐喜は地面を二回転して立ちあがった。そこから猛ダッシュ。どうにか、うずくまる穂香の背後に立った。


「大丈夫か」


 穂香の肩に手をかけたそのとき、彼女は意識を失ったように前かがみに倒れていった。咄嗟に祐喜は両手で支えた。それでも安堵する暇さえ与えられていなかった。


 殺気を感じた。

 すぐ傍だ。


 鼓動が高鳴る。頭をあげると正面に、一人の男子生徒が立っていた。歪んだ表情を見ればわかる。彼もまた正気ではない。片手で自転車を高くあげていた。いまにもそれを真上から投げおろさんとしている。これをどうかわす? 両手で穂香を支えていた祐喜は、どうすることもできない。ただ穂香を庇うため、覆いかぶさるのが精いっぱいだった。


 ズブっと鈍い音がした。


 音の方をゆっくりと目で確認する。自転車を持ちあげている生徒の左わき腹に、親指を除く四本の指がつき刺さっていた。魅夜だ。

 魅夜は左手をひき戻し、滴る血をふり払った。長く伸びていた爪がもとに戻っていく。

 ときどき見せてくれる気まぐれに、祐喜は何度も救われている。それらが本当に気まぐれなのか否かはともかく、この魅夜の介入には心から感謝した。


「ありがたい。おれ、なんといったらいいか」


 返事はない。ただ黒く美しい髪が妖しく風に靡いていた。

 しかしこれで終わったわけではない。左わき腹を刺された生徒からの反撃があった。まるで体に痛覚などないかのように、自転車を縦に横にとふり回している。彼のシャツには赤い血がにじんでいた。


「魅夜っ」

「騒ぐでない」


 魅夜の鋭く伸びた爪がふたたび彼をつき刺した。右手上腕部だ。続いて背中にも喰らわせた。それでも彼の動きは弱まる気配をまったく見せない。そのうえ狂気と化した別の生徒たちまでもが、じわりじわりと歩きよってきた。

 穂香はいまだに意識の回復を見せない。彼女を抱えてこの場から脱したいところたが、四方を狂った生徒たちに囲まれていては動きようがない。


「くそっ、こいつらは化け物か」


 魅夜は指先に残った血を拭いとっている。


「かもしれぬな。奴らの体は不可解なナニカの層で覆われている。霊気に似たナニカだ。それゆえあのように素手で金属をも破壊でき、鎧でも着たような防御力を備えているのであろう。そのうえ厄介なことに痛覚が麻痺しているようだ。たとえ腕をもごうとも、足をもごうとも、奴らの奇行は収まるまい。まったくなんなのだ。霊気とはまた別次元のもののようだが……。いったいこの不可解なナニカは、どこから流れてきたものなのだ」


 祐喜は舌打ちした。


「ちっ! あいつらの奇行が収まらないって、じゃあ魅夜でもどうにもならないってことか」


 魅夜は目に冷たい薄笑いを浮かべた。


「解決手段としては、これらを殺すしかあるまい」

「殺すって」

「しかしそれはわたしが並み程度の霊だった場合の話だ。うぬは黙って見てるがいい」


 魅夜の女体がテンに化けた。同時に大気が揺れ、轟音を鳴らした。風が吹いた。風というよりも、これは魅夜の強烈な霊気だ。

 何かが重くのしかかる感覚と、吹きとばされそうな感覚が重なりあった。魅夜の普段の霊気とは違い、とても乱暴で荒々しいものだった。

 祐喜は穂香を抱えたまま、小さく伏せるしかなかった。裏庭の生徒たちもバタバタと地面に倒れていく。頭上を飛びかっていた霊たちも地面に落下した。やがて狂乱生徒たちの動きは止まり、そのまま昏睡してしまったようだ。


「魅夜、さすがだぜ」


 魅夜の霊気がもとに戻っていく。祐喜は上体を起こした。

 ゆっくりと穂香の目が開いた。意識をとり戻したようだ。ぼんやりとした穂香の視点が、次第に定まっていく。祐喜が腰をあげると、穂香も立ちあがった。祐喜の支えがあればなんとか歩けそうだ。穂香を連れて保健室へと向かった。

 その途中、穂香がようやく声を発した。


「ありがとう……祐喜」

「なーに、構わねえよ」


 無人の保健室に入った。穂香をベッドに寝かせようとすると、彼女は自分で靴を脱いだ。穂香の頭が枕に乗った。


「ビャクっ、いるか」

「大きな声ださなくても聞こえてるよっ」


 ツインテールの少女が現れた。祐喜はビャクを見て安堵した。またどこかへ遊びにいったのではと不安になっていたのだ。


「さっそくだが、穂香に回復処置してやってくれないか」

「うん、いいよ」


 すると穂香が顔を起こした。


「ビャクちゃん、いるの?」


 声はまだ弱々しい。


「いるよ」


 穂香の視線がビャクに止まった。


「ビャクちゃん、久しぶり」

「久しぶりだねっ」


 にっこりと穂香に微笑む。

 続いて魅夜も部屋の隅で若い女の姿を現した。


「わたしもここで挨拶しておこうか。穂香、しばらくぶりだな……といっても、姿を消していただけで、うぬのことは見ていたのだが」


「ご、ご無沙汰してますっ」


 たちまち穂香の表情が強ばっていった。

 祐喜は慌てて魅夜と穂香の間に立った。


「おいおい、お前が現れると穂香が怖がる」

「し……心外だな。霊道門なら現れておらぬ。それなのに襲うとでも思ったのか。まあ、よい」


 魅夜はふたたび姿を消した。


「待って、魅夜さん。ちが……」

「大丈夫だ、穂香。あいつは別に怒っちゃいない。気にする必要なんてねえよ。さてと、ビャク。そろそろ回復処置に、とりかかってくれないか」

「はーい。でもいっておくけど、あたしの回復処置は怪我ならともかく、すべてのものに有効ってわけじゃないからね」


 ビャクは断りを入れてから、穂香の顔をのぞきこんだ。


「やっぱりね。どこも悪くないみたいだよ。少なくともあたしの能力でどうこうできるものじゃない」


 祐喜は聞きかえした。


「どこも悪くないだと?」


 大きくうなずくビャクを見てから、穂香本人に確認してみた。


「具合、どうなんだ」

「うん、悪くない。ビャクちゃんの顔を見たら、すっかり元気になっちゃったみたい。あっ、もちろん魅夜さんの顔も見たから……」

「無理しなくたっていいさ」


 祐喜が笑うと、焦ったように穂香は首を左右にふる。


「無理じゃないっ。魅夜さんにも久々に会えてその……本当に懐かしいと思ったから」

「穂香がビビるのも仕方ねえよなあ。担任の耶馬っちは、黒霊と邪霊は違うといってるけど、ヒトの魂を食いたがるんだから、黒霊の魅夜は邪霊に相違ない。だけどあいつ、結構いい奴なんだぜ。おれ、あいつにはいつも感謝している。そもそも名門と呼ばれるこの学校に転入できたのも、魅夜が憑依してくれていたおかげだし、それに……。おっと、ごめん。穂香もおれと同じく黒霊クラスに入ってきたんだよな。邪霊なんて口にすべきじゃなかった。あー、でもびっくりだぜ。穂香にも黒霊が憑いているってことだからな」


 穂香の小さな顔が俯いた。


「どうした。また具合が悪くなったのか?」

「そうじゃないの。わたしね……。祐喜だから話すことだけど、内緒だよ」

「おう。誰にも話さない」

「わたし、黒霊クラスの生徒なのに、霊が憑いているっていう自覚がないの」

「それ本当なのか?」




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