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第九話 文字


 あれからさらに一週間が過ぎた。

 ビャクは無類の恋愛物語好きだ。ビャクに読んであげた少女向けの恋愛マンガや小説は、この一週間で二十冊近くにもなる。おかげで祐喜自身、恋愛少女評論家になれそうな気さえしてきた。


 さて、この日もビャクのために小説を一冊読み終え、コーヒーブレイクに入ったところだった。ビャクがひらりと眼前に着地。喜色満面の笑みを浮かべている。右手には鉛筆が握られていた。それを祐喜につきだしてきた。


「ねえ、祐喜。字ぃー教えて」

「はあ? どうしてお前が字を覚えるんだ」


 かったるいという気持ちを口調に含ませ、ビャクに背中を向けた。これ以上の面倒はごめんだ。それでもビャクはぴょーんと頭を飛びこえ、ふたたび祐喜の正面に回ってきた。


「あたし、本が読みたい!」


 ビャクが字を覚えてくれれば、マンガや小説を読んでやる必要がなくなる。だが一週間や一ヶ月で覚えられるものではない。そもそも怪異に文字が覚えられるのだろうか。なんにせよ、さっき小説を読まされたせいで疲労困憊しており、読み書きを教える気力など失せていた。


「くだらねえ。一人で覚えろ」


 冷たくあしらった。


「ぶうう」



 そのあと、なんだかんだで深夜まで恋愛マンガを読まされ、翌日は深刻な寝不足状態に陥っていた。仮病で学校をサボろうかと思ったほどだ。朝食で濃い目のコーヒーを飲んでも、頭はぼうっとしたままだった。しかし自転車を漕ぎはじめると、眠気はいくぶん収まってくれた。


 教室に入り、席につく。

 一時間目は担任教師耶馬の霊学だ。安眠するにはおあつらえむきの教科かもしれない。授業が始まるまで、辛抱して起きていることにした。

 朝のホームルームの時間を告げるチャイムが鳴った。耶馬はまだ教室に入ってこない。珍しいこともあるものだ。


 五分遅れでようやく耶馬が教室に入ってきた。

 生徒たちの雑談が収まらない中、耶馬は挨拶を始めた。


「おはようございます。みなさんに、お知らせがあります」


 生徒たちの雑談は続いていた。耶馬がコホンと咳払いする。


「えー、このクラスにまた転校生が入ることになりました」


 たったその一言で、教室は嘘のように静まりかえった。いままでの喧騒はどこへやら。しかしその静寂も刹那のことだった。生徒たちの歓喜の声により、さきほど以上に教室中が騒がしくなった。老教師が大声を張りあげる。


「し、静かにしてください」


 耶馬は戸を開け、廊下で待たせている転校生を呼んだ。五月だというのに、早くも祐喜に続く二人目の転校生――なんと珍奇なことか。

 生徒が入ってきた。耶馬の後ろを歩き、教壇の方へと向かっていく。女子生徒だった。男子生徒たちは大いに盛りあがった。

 転校生は黒板を背に立ち、正面から顔を見せた。

 祐喜は自分の目を疑った。


 まさかっ!


 どうしてここに穂香がいる?

 一週間前に穂香と会ったが、学校の下見だったわけか。このクラスに入ったということは、穂香も黒霊宿しの人間ということになる。祐喜は目の前の事実がまだ半分信じられなかった。

 担任は転校生の紹介を始めた。


「新しく入られた生徒は観門(みかど)穂香さんといいます」


 穂香は丁寧に辞儀した。顔をあげると教室内を見回した。視線は祐喜のところで止まった。どうやら祐喜を探していたらしい。ニコリと笑った。

 担任の耶馬が穂香の視線の先を追う。


「話を聞きました。邑塚くんは、以前、観門さんと同じ学校にいたようですね。今後とも観門さんをよろしくお願いします」


 男子生徒たちは一斉に声をあげた。


「「「「えーっ」」」」


 大小のざわめきが入りまじる。生徒たちがちらちらと後ろをふり返る。彼らは羨望と嫉妬の眼差しを、窓から二列目最後尾に座る祐喜に送っていた。それでもしっかり目が合うと、怯えるようにまた前を向いてしまうのだった。

 とうとう誰かがはっきりと口にした。


「憑依霊の魅夜さんといい、転校生の観門さんといい、不公平すぎる」


 声のもとは確認できなかったが、そんなことをいわれても祐喜のせいではない。


「まったくだ。美人が二人も身近にいたなんて。葉月さんだけと仲よくしている分にはまったく構わないんだけどさ」


 今度は声のもとが特定できた。斜め前に座る男子だ。彼の名前は記憶にない。


「どういう意味よっ」


 眉をつりあげた葉月が消しゴムを投げつける。しかし消しゴムの軌道は逸れ、祐喜に直撃した。葉月が両手を合わせる。


「ごめーん、祐喜」


 ――ゆ、許さねえ。

 朝のホームルームが終わり、そのまま一時間目の授業『霊学』に移った。


「えー。きょうは黒霊と白霊の違いについての話から始めたいと思います。さて、黒霊(すなわち)邪霊なのだと誤解している人は、もう皆さんの中にはいないでしょう。また黒霊は邪霊の一部でもありません。黒霊と白霊の区別は邪霊か否かとは別の問題であり、霊道門が出現したときの違いにて判断されるのです。つまり霊道門さえ現れなければ、黒霊も白霊も同じ憑依霊です。白霊の中にも邪霊はいますし、そうでない霊もいます。黒霊もまた然りです。えー、そして……」


 祐喜はこの時間を睡眠にあてるつもりだったが、穂香が転入してきたため、目が冴えてしまった。列の最後尾にいるからこそわかることだが、穂香をチラ見する男子生徒の多いこと。

 休み時間になり、耶馬は教室をでていった。予想していたとおりだが、穂香の周囲に人垣が作られた。穂香は彼らを掻きわけ、祐喜のもとにやってきた。


「祐喜、また同じ学校になったね。きょうからまたよろしく」


 あらためて見る穂香の微笑みは、昔とちっとも変わっていなかった。


「またよろしくな。いま、どこに住んでるんだ?」

「神代町っていうところなの」

「神代町だと? そりゃ偶然だ。おれんちも神代町だ。きょうって初日だからバスで登校したんだろ。近所なんだからおれがチャリで送ってってやる」


 男子生徒たちからの、いっそう妬ましげな視線が心地よかった。

 しかし穂香は申しわけなさそうな顔をする。


「ゴメン。わたし、放課後は先生に呼ばれてて、職員室へいかなくっちゃならないの。用事は夜遅くまでかかるそうだけど、先生の車で帰ることになっているから大丈夫」


 ざまぁー見ろ。たちまち男子生徒たちの視線は、そのように変貌を遂げた。しかし祐喜の笑顔が向くと、臆病な視線はやはり逃げていくのだった。笑顔を穂香に戻す。


「そっか、なら仕方ねえや」



 放課後になった。祐喜は職員室にいく穂香を見送り、いつものように正門の脇でビャクを待った。学校の生徒たちが次々と門を抜けていく。ビャクはなかなか戻ってこない。待ちくたびれていたところへ、ビャクの代わりに葉月がやってきた。


「あれっ、邑つ……祐喜。もしかしてあたしを待っててくれたとか?」


 ビャクを待っているとはいえない。白霊のビャクの存在は内緒なのだ。


「魅夜がまだ戻ってこないんだ」

「なーんだ、そうだったか」


 葉月は冗談っぽく、拗ねた顔をして見せた。


「もし校門の陰で女子生徒なんか待っていたら、ストーカーに思われるもんでな」

「あはは。確かに。テン憑きのストーカーがいたら、そりゃもう怖いかも。でも意外だな。魅夜もいなくなることがあるなんて。あたしの場合、帰りにゴンを待つのはいつものことなんだけどさ」


 どうやらゴン憑きの葉月も、ビャク憑きの祐喜と同じ悩みを抱えていたらしい。

 カタッ。

 祐喜の自転車の前カゴに、少女向けマンガ雑誌が放りこまれた。やっとビャクが戻ってきた。祐喜のいいつけどおりビャクは姿を消している。葉月には気づかれていないようだ。


「ビャ……み、魅夜が戻ってきた。そんじゃ、おれは帰るぜ」

「うん、じゃあ、またあした」


 しかし急ぐ用事はなかった。ペダルに載せた足を、ふたたび地面におろした。


「おれもゴンを待つとすっかな。また一緒に帰ろうぜ」

「待っててくれるの? ありがとう! ゴンはそろそろ戻ると思うから」


 葉月は白い歯を見せた。

 数分後、ゴンがヒトの姿ですうーっと現れた。鋭い目を祐喜に向けたが、すぐに姿を消してしまった。


「じゃ、祐喜。いこっ」

「おう」


 葉月と並んで自転車を漕ぐ。

 正門をでたところで、彼女の顔が祐喜に向いた。


「あのさ、転校してきた観門穂香さんのことだけど……」

「穂香がどうかしたのか」

「祐喜とつきあってるの? もしかして祐喜を追いかけて、こっちに転校してきたとか」

「つきあってなんかねえ。だいたい黒霊クラスや白霊クラスっていうのは、入りたいからといって入れるようなところじゃねえだろ」

「それもそうだね。つきあってないんだったら、話してもいいかな」

「何をだよ」


 葉月はもったいぶって、自転車のペースをあげた。祐喜が追う。


「おい、待て。どういうことだ」


 葉月は少し先で自転車のスピードを緩めた。


「パンの耳に入ってくれない祐喜には、秘密にしなくちゃならないことなんだけどさ、特別に教えてあげるね」

「ああ、頼む。話してくれ」


 祐喜は奇妙に思った。学校の秘密を詮索しているパンの耳っていうのが、どうして穂香に関わっているのだろう。

 葉月は頬にえくぼを作ってうなずいた。


「絶対に内緒だよ。あのね、観門穂香さんって、普通の霊宿しの生徒じゃないらしいんだ」

「そりゃ、普通じゃなくて黒霊宿しっていうことだろ? 黒霊クラスに入ってきたんだから」


 葉月は首を横にふった。とても嬉しそうな顔だ。さっきはもったいをつけていたが、本当はとても話したかったのだろ?


「そういうことじゃない。ウチのメンバーに憑依している霊がね、学校職員の話を盗み聞きしたんだけど、観門さんって霊宿しの自覚がないんだって」

「どういうことだ。自覚がないって。そんじゃ、穂香は自分に憑いた霊と、会話もしてないってことなのか」

「たぶんそういうこと。それからもう一つあるんだ。実は学校側もね、観門さんの憑依霊についてよくわかっていないらしい。白霊なのか黒霊なのかもね」

「待て、待て。穂香はウチのクラスに入ってきたんだぞ。それって間違いなく黒霊宿しだからじゃねえのかよ!」


 祐喜はつい感情的に大声をだしてしまった。

 葉月は穏やかだった。天衣無縫の笑顔を見せる。


「そうだね。直接、観門さんに聞いてみるといいよ。もちろんあたしたちの情報が間違っている可能性だってあるんだしさ」

「ああ、今度聞いてみる。ところで一つ聞きたい」

「ん?」

「パンの耳っていうのは、穂香の敵になるのか?」

「ううん。敵じゃない。少なくともいまのところはね」

「わかった」

「ねえ、祐喜。やっぱりパンの耳には入る気ない?」


 久々の勧誘だ。


「ないな。悪いけど」


 ここからクラスメイトの話題になった。ほとんど葉月が一方的に話しているだけだった。正直なところ祐喜は興味がなかった。クラスメイトの名前がでても、誰のことだかさっぱりわからない。名前と顔が一致しているのはごく少数なのだ。

 そうしているうちに神代町に入った。祐喜の家はもう近い。


「そんじゃ、葉月。おれ、そこのスーパーで買い物して帰るんで」


 祐喜が片手を半分あげる。

 葉月は小さく首肯し、その別れ際に聞いてきた。


「もし生徒失踪の件に観門さんが絡んでいたとしたら、それでも観門さんを庇うつもり?」

「絡んでることなんか、ありえねえよ」

「そうだよね、ゴメン。あたしもそう思う。それじゃ、またあした」


 葉月は手をふりながら去っていった。完全に視界から消えると、代わってビャクが現れた。


「きょうもパンの耳とかいうのに誘われたね。でもどうして入ってやんないの。葉月たちに協力してあげればいいのに。この前もいったけど、友達ができるチャンスかもしれないんだよ。なんのために転校してきたのさ」

「学校の詮索に興味なんかない。そんなことにつきあってられっか。それに友達だと? おれは一人でいるのが嫌じゃないんでな」

「ふうん。もしかして加入を断ったのって、誰かに気を使ってとかじゃないよね。魅夜やあたしに迷惑かけたくないとか」

「ねえよ。純粋に興味ないだけだ」


 家に到着し、玄関に入った。

 ここで少し警戒した。いつものようにビャクは、恋愛物の本を読んでくれとせがんでくるだろう。きょうは疲れているので、それをどうにか回避したい。仮病でも使おうか。

 少女姿のビャクが祐喜を見あげる。喜色満面の笑みを浮かべていた。

 さあ、くるか。


「ねえねえ。祐喜は穂香と幼馴染だったよね?」

「そうだが?」

「じゃ、決まりだね」


 祐喜は首をかしげた。本を読めと迫ってこない。ところで何がそんなに嬉しいのだろう。はしゃぎながら天井をグルグル飛びまわっている。そしていつの間にかどこかへ消えてしまった。とりあえず本を読まされずに済んだようだ。



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