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序話Ⅰ 小さな獣


※ ※ ※ ※


 夕暮れの公園に、群れた六つの体。どう見てもヒトではない。怪異と呼ばれる卑しき存在だ。それらは獲物を見つけるや、たちまち狂喜乱舞。囲まれているのは小さな獣だ。かわいそうに、どれほど怯えていることか。


 六体のうち一体の怪異が天を見あげ、耳をつんざくような奇声をあげた。その顔はただれているが、かろうじて女のものだと判断できる。強烈な腐臭を放った〝彼女〟は、小さな獣に両手を伸ばしていく。


 だがどうしたことだろう。


 小さな獣は逃げようともせず、毛づくろいを始めるのだった。恐怖のあまり、状況が呑みこめなくなったのか。それとも生きた獣の五感では、怪異の存在を認識できないのか。


 怪異たる〝彼女〟の長い指先が、獣の華奢な体に触れかかったその瞬間――。


 小さな獣が豹変。鋭い牙をむきだした。ぴょんと高く一跳びすると、〝彼女〟の体をひき裂いた。噴きだす血汁をまともにかぶり、体半分どろりと濡れた。

 泡と化して消えゆく〝彼女〟を見届けたのち、残る五体の怪異に視線を流した。前方に四体、後方には一体いる。

 前方四体の殲滅は、電光石火の早業だった。恐るべき圧倒的な強さ。群れた怪異たちとは格が違った。

 怪異は後方の一体のみとなった。ずいぶんとのっぽな骸骨だ。右手中指がひときわ長く、その爪は鎌形に湾曲している。骸骨はカクカクと顎を鳴らし、左胸骨を激しく掻いた。小さな獣と向きあうと、体をひるがえして逃げだした。


 小さな獣はそれを追わなかった。

 また毛づくろいを始めた。



※ ※ ※ ※


「おい、見ろよ。また釣れたぜ」


 ロン毛の男が釣った魚を高く掲げる。ニット帽の男は彼を怒鳴りつけた。


「バカ、大声だすんじゃねえよ。この池じゃ、夜釣りは禁止されてるんだ」

「こーんな真夜中の、こーんな場所に、わざわざ人がくるかっていうんだ。仮にきたとしたら、そいつぁ人じゃねえな。知ってるか? でるって話だぜ、このあたり」

「変なこというな。鳥肌が立ってくるだろ」

「へえ。お前、そんなでっけえ図体のわりに、こういう話は苦手だったのか。幽霊なんて一度でいいから、見てみたいもんだがな。できれば美少女の幽霊希望。ぎゃはははは」


 大笑いしたロン毛男の口が閉じる。静寂が戻ったのはいいが、やけに森閑としすぎる。妙な気配に二人は背筋が凍りついた。そして同じことを思った。

 誰かいるのか?

 ありえない。ここには誰もいないはずだ。さっきも周囲を確認したばかりではないか。科学の発達したこの世の中に、そんな馬鹿な話があるものか。


 ぺたっ。


 いまのは何だ。足音か?

 断言していい。確実に誰かがいる。

 二人はおそるおそるふり返った。


 いた――。


 裸足の少女が一人。丈の短いワンピースの裾が、風もないのに揺れている。ぬっぺりとした白い顔。焦点の定まらない双眸。それらはまるで人形、あるいは死人のよう。二人は〝彼女〟が人間でないことに気づいた。たちまち震えあがり、その場から逃げだした。草地を走る。


「あいつ、足速いぞ。こりゃ、子供の女なんかじゃねえ。やっぱり人間じゃなかったんだ」


 追ってくる〝彼女〟を背中に、ニット帽男がそういった。

 ロン毛男は彼よりやや後ろを走っている。


「わかってたさ。そんなことより、お前、なんとかしろよ」

「できるか。そっちこそ、さっきなんかいってたよな。美少女の幽霊がどうのって。ああいうのを希望してたんだろ」

「そんなの冗談に決まってるだろ。なあ、提案がある。このまま一緒に走ってたら、どっちも捕まるだけだ。二手に分かれようぜ。俺はこっちへいく」


 ロン毛男は返事を待たずして、ひょいっと左へと曲がっていった。小回りの利かないニット帽男は、そのまま直進するしかなかった。


 裸足の〝彼女〟が追ったのは、まっすぐ走るニット帽男だった。距離が次第に縮んでいく。ニット帽男はとにかく逃げた。

 前方に二本の喬木がそびえていた。その間隙から、またもや少女が現れた。後ろの少女ととてもよく似た顔立ちだ。まるで双子のよう。

 ニット帽男は前方の少女を避けようとするが、体のバランスを崩してしまった。後ろの〝彼女〟の右手が異様なまでに伸びた。数メートルはあろうかという長い手は、とうとうニット帽男の体を捕まえた。その手には体温というものがなかった。わめき叫ぶ彼をひき寄せ、小さな胸に抱きしめた。〝彼女〟の口は横に長く裂け、蛇のように大きく開いた。霧のような白い息をはく。そして――。


 ニット帽男の首筋をガブリ。そこから真っ赤な血が噴きだした。


 ところが〝彼女〟はとどめを刺さない。口を彼から放してしまう。

 前方の少女が歩いてきた。ニット帽男を抱えている〝彼女〟に代わり、彼の首筋に唇を運ぶ。小さな唇には体温があった。生身の人間のものだ。少女は恍惚として彼の血肉を貪った。

 近くの川辺には、炎に包まれた六本の柱が立っていた。ニット帽男が最期に見たものはその不可解な火の柱だった。



 一方、ロン毛男は〝彼女〟が追ってこないことに安堵し、呼吸を整えた。それでもまだ危機を脱したわけではない。


「あれは?」


 はるか向こうに炎をあげた六本の柱が見えている。勘のいいロン毛男はそれが凶兆だと察知した。


 同時に、六本の柱を眺める人物がもう一人いた。名を邑塚祐喜(おうつかゆうき)という。彼の耳元で誰かが囁く。だが姿はない。


「祐喜よ。ヒトがきたぞ」


 邑塚祐喜は周囲を見回し、ロン毛男を見咎めた。じわりじわりと彼に寄っていく。

 気配を察したロン毛男はあたふたと逃げだした。


「さあ、早く追え。そいつの魂を喰らうのだ」


 邑塚祐喜の耳元でまた同じ声。

 ロン毛男は運悪く大樹の根につまずき、その場に転倒した。

 祐喜の足も止まった。


「どうした、祐喜。急ぐのだ」


 祐喜の体の中から、暗色の煙が放出された。その煙に黄色や褐色も混じり、三、四十センチ程の小さな獣を形づくった。黒味を帯びた四つの足、ふわりとした長い尻尾。イタチのような外形だ。毛づくろいが終わると、祐喜を睨視した。


「何故そいつを喰らわぬ」

「ごめん。きょうは昼から気分がすぐれねえ」


 口ぶりこそぶっきらぼうだったが、小さな獣がどれほど恐ろしく危険なのかを、じゅうぶん承知している目だった。


「ならば代わりにうぬの血を少々いただくぞ」

「好きにしてくれ」


 祐喜が右腕を差しだす。小さな獣はかみついた。血が滴りおちていく。

 柱の炎の勢いが衰えた。単にそれは偶然だった。

 牙が腕から離れる。


「おれの血、それっぽっちでよかったのか」


 小さな獣は人間の若い女と化した。長く美しい黒髪を垂らし、影色の衣をまとっている。ただし足はない。見えているのは上半身のみだ。思慮深そうな瞳を彼に向けた。


「霊道門が消えてからの血肉はうまくない」


 若い女と化した小さな獣は、ふたたび全身の姿を消していった。


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