災いの木
妬ましい。恨めしい。あいつが、あの子が、あの人が。私達はずっとここにいるのに、どうして彼女達は笑っているの? 不公平だわ。だから呼ぶの。ほら、私達の仲間になりましょう? 聞こえるわ。この樹も喜んでる。
今週が終わった。金曜の七時間目がすむと、すぐにホームルームが始まる。そこで熊野先生がいくつか注意事項を話して、僕達も下校になった。僕はこれから部活があるが、半分くらいの生徒はそのまま帰宅するだろう。
「犬柴くん」
すると、隣の席の天嵐さんに声をかけられた。紫先生との件があって、最近は少し元気がなかったが、今の彼女はそんな様子はない。
「うん、どうしたの?」
「その、また相談があるの。私じゃなくて、咲ちゃんなんだけど……」
天嵐さんは、彼女に抱えられるようにして立っている横縞さんに目をやる。横縞さんは、僕らと同じクラスの女の子だ。眼鏡をかけていて、大人しい子だという印象がある。
「その、酷い写真が撮れちゃったんだ」
「分かった。じゃあ部室に行こうか。横縞さん、こっちだよ」
天嵐さんは、怖い写真でも、不思議な写真でもなく、酷い写真だと言った。それが僕は少し気になったが、とりあえず今は彼女の側の横縞さんに目を向ける。横縞さんは、顔色が悪く、足取りも覚束ない。見るからに憔悴しきっていた。思わず肩を貸したくなるが、彼女がそれを手で拒んだ。
ついてこようとする天嵐さんを、横縞さんは部活があるでしょうと言って断った。天嵐さんは最後まで心配そうだったが、それでも僕に彼女を託して水泳部へと向かった。
「さ、入って。そこの椅子に座って」
横縞さんをとにかく椅子に座らせる。どうやって今日一日学校で過ごしていたのかと思うほど体調が悪そうだ。
今日も優雅に読書をしていた三角先輩が、その整った眉をひそめている。桐生先輩はまだ来ていない。確か図書委員の当番だったはずだ。すると、三角先輩は僕の耳元で囁いた。
「これ、やばいかもしれない」
「やばいって……」
「桐生君がくるまで、話を聞くのは待った方がいい」
その顔は初めて見る真剣さだ。僕も先輩の忠告に従って、桐生先輩を待つことにする。気の利いた話題なども振れないので、結果部室で二人静かに座るだけだ。そして、時間にしては十分くらいだろうが、一時間近くにも感じる沈黙が、僕らの部長によって破られた。
「これは……」
「あ、桐生先輩、この人が……」
「分かってる。あんた、早く写真見せて」
いつものどこか力のない話し方ではない、やけに慌てたような口調で、桐生先輩は話を促した。
「これ、なんです」
横縞さんは、その青い顔のまま写真を差し出した。それは以前見たような茶色い封筒に厳重に包まれていた。彼女曰く、先週の日曜日に友達三人とお花見をした時の写真だと言う。
「分かった。開けるから。それと豆柴」
「はい」
「あんたはまだ見るな」
それは、厳しい声だった。かつてこんな風に言われた事はない。いつも隣で気軽に写真を見てきた。今回は、それすら出来ない程の写真だと言うのか。しかし、僕だって部員だ。何か力になれる事があるかもしれないし、何より、こんなにも辛そうな横縞さんを見ていたら、自分だけ安全な所にはいられない。
「いえ、僕も見ます」
「……後悔するよ」
舌打ち混じりにそう言った桐生先輩だが、それ以上は止めなかった。彼女がゆっくりと封を開けていくのを、力のこもった眼差しで見つめる。正面に座る横縞さんは、封が開けられていくごとに、さらにその顔を青くしていく。
そして、とうとう写真が露わになった。写真の異常さに僕の背筋が凍りついた。ぞくぞくとした不快な何かが、何度も僕の背中を走り抜ける。
それは、桜舞い散る風景の中、赤いシートに座って楽しそうにお花見をする女の子達の写真だった。横縞さんと、あと二人、僕の知らない女の子が笑っている。だが、そんな彼女達を睨む目が複数あった。彼女達の後ろ、写真の隅に遠く写っている背後の木には、三人の女が首を吊って死んでいた。そのうちの二人は、悪鬼の形相で、三人の中央に座る女の子を睨みつけている。そして、あと一人の女は、不気味な笑顔でカメラを見ていた。三人とも肌は青白く、真っ黒な長い髪を地面に垂らしている。
恐ろしくてたまらないのに、目が離せない。特に、こちらを向いて笑う女には、不気味な引力を感じる。
「こ、これは……」
「真ん中の子」
桐生先輩が、その眉をひそめて横縞さんに声をかける。
「真ん中の子。今どうしてる?」
「え……? 三日前から学校を休んでます。体調が悪いからって。私もとにかく怖くて、それで天嵐さんに写真部の事を聞いたんです」
震える横縞さんは、すでに目尻に涙を溜めていた。こんな写真の存在を知ったまま、この一週間一人で過ごしてきたのか。
「分かってると思うけど、この写真はかなり不味い。その子を今すぐ呼んで。最悪でも明日までに」
「わ、分かりました。明日なら大丈夫だと思います」
「絶対に、絶対に呼んで来て。じゃないとこの子、四人目になる」
それは、普段の桐生先輩ならあり得ない程の切羽詰まった声だった。何度も何度も、横縞さんに釘をさすように言い聞かせる。
「あと、この写真は私が預かる。明日、その子と、これに写ってる全員をここに連れて来て」
「だ、大丈夫なんですか?」
僕が聞いたのは、そんな不気味な写真を桐生先輩が持っていて大丈夫なのかと言う事だ。明らかにおかしな物だ。何か不吉な事が起こる気がする。
「確かに、この写真は人が持ってるとやばい。でも、持ってないともっとやばい。あんたも、明日必ずここに来ること。良いね?」
こうして、只ならぬ雰囲気で今日の部活は終了した。恐怖で足腰が立たなくなっている横縞さんを、僕が彼女の自宅に連絡して迎えに来てもらった。
「ちゃんといるね」
翌日の土曜日、心地よい日差しが入りこんでくる部室だが、その中は異様な空気が漂っていた。
桐生先輩の正面に座る三人の女の子は、皆一様に恐怖で顔を真っ青にして震えている。左端の女の子などは、もう性も根も尽き果てていて、目が死んでしまっていた。
「この写真は、一枚だけなんだね?」
そんな三人に、桐生先輩が念を押す。手元の写真を、きつい視線で睨んでいる。
「はい。そうです」
横縞さんが、なんとか絞り出したような小声で呟いた。
「じゃ、見てて。しっかり見てて」
桐生先輩が、その写真を裏に向けて、僕らには見えないようにする。そして、その写真にマッチの火をつけた。
「え? 良いんですか?」
「良くはない。でも、もうこれしかない」
心霊写真などは、燃やしてしまうと更に霊が強まると言う話を聞いた事がある。しかし、桐生先輩は、もうこれしかないと言い切った。そこまで事態が悪化しているのか。
「それより、三人、ちゃんと写真を見て。目を逸らしてたら意味ないから」
桐生先輩の言葉に、三人は何とか写真に目をやる。するとその時、
「きぇえぇえぇえぇえぇえぇえぇえぇえ!!」
写真が、叫び声をあげた。まるで、火に焼かれて苦しんでいるかのような壮絶な声だ。その恐ろしい声に、僕と女の子三人はびくりと肩を震わせ、縮こまる。女の子達は大粒の涙を流して抱き合っていた。その叫び声は、写真が綺麗に燃えつくされて灰になるまで続いた。桐生先輩は、それを見届けると、小さく嘆息して、灰を丁寧に集めてビニール袋に入れた。
「とりあえず、もう大丈夫。ただし、あの木には金輪際近づかないで。絶対」
「はい……! はい……!」
女の子達は、互いにしがみつきあいながら、何度も首を縦に振った。まだ完全には恐怖から逃れられていない。きっと、それはこれから長い間続くだろう。一度しか写真を目にしていない僕も、まだあの女の笑い顔が頭に焼き付いている。
そして、女の子達は支えあいながら帰って行った。桐生先輩と僕に、何度もお礼を言っていた。しかし、僕は今回も立ち竦んでいただけだ。
「あの、桐生先輩」
「なに」
「その写真は、何だったんですか? これまで僕が見た写真とは、全然違いましたけど……」
僕の質問に、桐生先輩は難しい顔で灰を見つめる。そして、その口を重々しく開いた。
「どっちが先かは分からない。木か、それとも最初の女か。でも、どっちも悪いモノだったから、互いに引き付けあってより悪いモノになってしまっていた。それに、二人の女の人が巻き込まれて、あの写真になったみたい」
つまり、あの彼女達を睨みつけていた女二人も、被害者だと言うことか。だからあんな顔をしていた。そして、笑っていた女。最も不気味だったあの女と、あの木自体が悪かった。
「私は、この灰の始末と、あの木を何とか出来ないか掛け合ってみる。あんたは帰れ」
「はい。分かりました……」
最後に桐生先輩は、僕にもあの場所に近寄るなと一言厳命して、部室から出て行った。足早に、駆けるようにして部室を後にしていく。その背中を見送りながら、僕は考える。彼女は一体、何なのだろうか。どうして、あんな恐ろしい写真の対処が出来るのだろうか。それは、僕には分からなくて、不思議で、そして、どうしようもなく恐ろしい事のように思えた。
後日聞いた話では、例の木の撤去作業が始まったらしい。しかし、度重なる事故や災難で、作業は遅々として進んでいない。
あの木は、まだそこにある。