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桐生さん


 この学校で、桐生今日子の事を知らない生徒はいない。大袈裟だと思うかもしれないが、私は本気でそう思っている。

 彼女、桐生今日子さんは、私と同じクラス、私立牙城高校の二年生だ。上質な金糸のようなストレートの髪を腰まで伸ばし、物語の中から切り取られてきたような美しい顔立ちで、眺めているだけで嘆息を禁じ得ない存在だ。

 去年、彼女がこの学校に入学した時は、それはもう大騒ぎになった。休み時間の度に色んな男子生徒が彼女の元に訪れ、甘い言葉を囁いた。しかし、そんな日々は一月ほどで終わりを告げた。どんなに頭の良い男子にも、どんなにカッコいい男子にも、彼女は一切心を開かず、まるで事務作業のように淡々と彼らをあしらった。

 こう言う時にありがちなのが、他の女子からの僻みややっかみだ。生意気だとか、調子に乗ってるとか、たちまち目をつけられていじめの対象となる。だが、不思議と彼女はそうはならなかった。誰も彼女の悪口を言わない。貶さない。それどころか、私を含めたほとんどの女子が彼女に好印象を持っている。以前私の友達が、こんな事を言っていた。


「桐生今日子は、この学校の精霊だから」


 正しくその通りだと思った。あの容姿もさることながら、何より、いつも一人でいる姿はどこか近寄り難く、彼女独自の空間を作り出している。

 桐生さんは、その不思議な姿や雰囲気から色んな噂が多い。念能力が使えるとか、実は魔女だとか、幽霊と話が出来るとか。彼女のことがよくわからないから、そんな噂が一人歩きして尾ひれがついて。だが、そんな桐生さんも歴としたこの学校の一生徒だ。授業は受けるし、学校行事にも参加する。私は二年連続彼女と同じクラスになったが、情報の少ない彼女の、僅かながら知っていることを開示しよう。

 まず、成績は良い。いつもテストは上位五十番辺りにいる。眠そうに窓の外を眺めているだけの彼女が、いつ勉強しているのかは全くもって謎だ。ここは理系のクラスだから、特に数学が得意みたいだ。

 運動神経も割と良い。走るのは速いし、バレーやサッカーなどでも、意外と活躍したりする。その金髪をポニーテールに結わえて汗を流す姿は、男子はもちろん、一部の女子からも異常な人気があったりもする。だが、私が知ってるのはこんなところで、これなら誰にインタビューしても返ってくる内容だ。彼女の深い部分は、誰も知らない。誰もが知ってる桐生今日子は、その本質を誰にも知られていない。








「えー、委員決めの件だけど、先生勝手に決めてきた。今から発表するから、ちゃんと従うように」


「えーマジかよー」


「先生サイテー」


 先日、幼馴染の女性との結婚が決まった担任の紫先生は、今日も絶好調だ。彼は生徒皆から好かれている先生なので、こんな横暴なやり方でも、生徒たちは冗談交じりに文句を言うだけで、クラスの雰囲気は柔らかい。


「じゃあ、委員長から……」


 一人一人、名前が挙げられていく。委員とかはめんどくさい。出来れば当たりたくないな、そう思っていたら、


「図書委員、愛坂あいさか


 当たってしまった。図書委員は、持ち回りで昼休みと放課後に図書の貸し出し作業や、書架整理をしなくてはならない。地味で面倒な委員だ。部活もある私としては、少し気が滅入ってしまう。しかし、紫先生が次に呼んだ名前が、そんな私の気持ちを変えた。


「あと、桐生。じゃ、よろしくな」


 クラスが一瞬固まった。書き物をしている生徒は筆を止め、談笑している者は口を半開きにする。だが、それもほんの数秒で、何もなかったかのようにまたすぐいつもの光景に戻っていく。それでも、皆分かり易いもので、ちらちらと一番後ろの桐生さんに目をやっている。彼女がこう言った役割に当たるのを初めて見た。皆それが珍しいのだろう。かく言う私も、隣に座る桐生さんを見てしまう。


「あ、あの。一緒の委員だね。よろしくね」


 正直、桐生さんが今何を考えているのか見当もつかない。怒っているのか、イラついているのか。それとも何も考えていないのか。クラスの行事などにはてんで興味なさそうに、窓の外ばかりを見つめる彼女に、それでも挨拶する。


「ん、よろしく」


 すると、穏やかな声で返してくれた。桐生さんと会話が出来た。それだけで嬉しくなってしまう。


「う、うん! じゃあ、今日の放課後ね!」








 ドキドキして待っていた図書委員会はしかし、あっさり終わった。桐生さんと二人で、狭い教室で当番が割り振られていくのを黙って傍観しているだけだった。会話もしなかった。だが、私のクラスの当番がいきなり今週から当たってしまった。明日から一週間、桐生さんと二人きりで、図書室で作業することになる。何でも無い事のはずなのに、今から緊張してしまう。どんな話題を振れば良いのだろう。彼女はよく読書をしているから、そう言う話をすれば、私と会話をしてくれるかもしれない。それか、彼女の部活の話をしようか。彼女は写真部と言う、なかなか珍しい部活に所属している。噂では、今年の新入生が一人入部して、二人になったらしい。

 そんな事を考えながら、私は帰りの道を急いでいた。部活の練習が長引いてしまったのだ。私の家は門限があるし、何より暗くなってしまって、ちょっと怖い。ポツポツと照らされた街灯を横目に走る。そこで、公園の前に着いた。ここを通ると近道になる。公園の中は電灯が少ないが、門限に遅れないようにするには突っ切るしかない。私は意を決して公園に足を踏み入れた。すると、


「あれ……?」


 公園のベンチに、見慣れた人影を見つけた。間違いない。あの綺麗な金髪は、絶対桐生さんだ。こんな所で何をしているのだろう。この辺りに自宅があるのだろうか。でも、これまで登下校で彼女を見かけた事は一度もない。門限は大事だったが、何より気になってしまって、私は桐生さんの背中に声を掛けた。


「あの! 桐生さん、何してるの? 家この辺だったっけ?」


「ん、愛坂さん」


 振り向いた桐生さんが、私の名前を呼んでくれた。同じクラスになって二年目にして、初めての事だった。覚えてくれていたのか。彼女は自分から誰かに話しかけることはないし、そのため誰の名前も覚えていなさそうだから、思わず顔がにやけてしまう。遠くに小さな電灯があるだけの薄暗い公園の中で、彼女に近づいて行く。そうすると、遠くからは見えなかった物が見えてきた。


「猫……」


 桐生さんは、その手に仔猫を抱えていた。白い毛並みの大人しそうなその子は、彼女に懐いているようで、腕の中で気持ち良さそうにしている。


「どうしたの? その猫、桐生さんの家の猫なの?」


「ノラ猫。今から別の公園に移動させようと思って」


「え?」


 不思議な事を言う。家に連れ帰って飼う、ではなく、別の所に連れて行く。その行為に何の意味があるのだろうか。


「それか愛坂さん、この猫飼える?」


「あ、いや! ごめん、うちマンションだから……」


 可愛らしい猫だったが、こればかりは仕方ない。


「桐生さんは、猫好きなの?」


 桐生さんと猫がじゃれあっている姿は、かなりほっこり出来る。しかし、彼女はそれを冷たく否定する。


「別に」


 なら、何故猫を他の場所に移動させるなんて事をしようとしているのか。それを聞こうとした時、私の背筋を凍らせる事が起こった。

 ころころと、サッカーボールがこちらに転がってきたのだ。ゆっくり転がってくるそれに力はない。だが、どの方向に目をやっても、暗闇があるだけで誰もいない。誰もいないはずの暗闇から、突如ボールだけが転がってきた。


「え……? 何……?」


 向こうには誰もいない。でも、何かいる(・・・・)。首の後ろにいきなり氷嚢を当てられたような、急激な寒気を感じて、私は二の腕をさすった。暗闇から目が離せなくなる。


「投げ返してあげて」


 そんな私に、桐生さんはそう声を掛けた。


「え?」


「猫が、怖いんだって。だから、この子を別の公園に連れて行くの」


「それって……どう言う……」


 固まったまま動けない私を見ると、桐生さんは猫を抱えたままボールの所に歩いて行って、それを優しく爪先で蹴った。そのボールはゆっくりと闇に向かって転がって行って、そして消えた。


「大丈夫。遊んでるだけだから」


 そして最後に呟いて、桐生さんは帰って行った。その手に抱えた仔猫が、小さく闇に向かって鳴いた。









 翌朝。私が登校すると、桐生さんはもう席に座って窓の外を眺めていた。昨日のあれは何だったのか。どう言う意味だったのか。聞きたかった。けど、


「おはよう、桐生さん」


「ん、おはよ」


 私には興味なさそうな事務的な挨拶をする彼女に、これ以上何かを言うことは出来なかった。ここでふと、ある噂を思い出した。


 桐生今日子は、幽霊と話が出来る。


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