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絵画


 帰りの通学路、今日あったことを思い出しながらゆっくりと歩く。もう辺りはすっかり暗くなっていて、電灯が一定間隔ごとに道を照らしていた。そして、電灯の下という場所には、往々にして幽霊がいることが多い。古くなった電灯がチカチカしている所などは特に注意が必要だ。悪い霊、いわゆる悪霊が佇んでいる場合がある。

 僕の通学路にも、そう言う切れかかった電灯があり、そこにはやはり幽霊がいる。サラリーマン風のスーツを着た男性なのだが、その人の下半身はない。腰の辺りから上だけだ。僕がその側を通ると、決まって両手を突き出してこっちに這い寄ってくるので、少々どころではなく気味が悪い。


「悪霊か……」


 今日僕が写真部に入部して、いきなり遭遇した事件に思いをはせる。









「幽霊と人間の区別がつかない? それってかなり不便、と言うか、面白い状態だね。困ることも多いんじゃないか?」


 僕の中途半端な霊感のことについて話すと、三角先輩は興味津々に食いついてきた。


「はい。初めて行く土地なんかでは、本当に見分けがつかなくて、凄く神経使います」


 身体の一部が欠落しているタイプの幽霊は簡単で分かり易いのだが、そうではない幽霊は困る。一度、電車の中で間違えて幽霊の駅員さんに切符を見せたり、改札口で立っている幽霊の駅員さんに切符を渡そうとしたりしてしまったことがある。その両方を近くの女性に見られていたらしく、もの凄く不審そうな目を向けられた。恥ずかしさでどうにかなってしまいそうだった。


「へぇ、本当に珍しいね。桐生君はどう思う?」


「別に」


 三角先輩が桐生先輩に話を振るが、彼女は一言呟いただけで話をぶった切った。先ほどから熱心に読書しているが、一体何の本を読んでいるのだろうか。赤い布のブックカバーをつけていて、題名は分からない。


「ふむ、まあこの写真部に入れば、もしかしたらその困った霊感も良くなって行くかもしれないね」


「え? それはどうしてですか?」


 気になることを三角先輩は言った。僕の中途半端な霊感が良くなる? それは願ったりだが、何故そんなことが言えるのだろう。


「この写真部はね、舞い込んでくるんだよ、その手の写真が」


 少しずつ落ち始めた夕陽を背にして、半笑いでそう告げる三角先輩は、途轍もなく怪しい。まさしく幽霊そのものと言った感じだ。その手の写真が舞い込んでくる、つまり、心霊写真のことか。そう言えば、桐生先輩も自然に三角先輩と話をしているし、彼女も霊感があると言うことになる。本当に僕らに微塵も興味を示さない彼女の、綺麗な横顔を眺める。


「あの……ここって、写真部の部室ですか?」


 そんな時、遠慮がちなノックとともに、写真部の扉が開かれた。驚いて振り返ると、ショートカットの女子生徒が、不安そうな目でこちらを窺っている。


「そうだけど」


 桐生先輩が、彼女を見ることなく答えた。


「その、ここに、写真を持ってくれば、助けて貰えるって聞いたんですけど……」


 写真? 助けて貰える? 彼女の言っていることは僕には良く分からない。だが、桐生先輩が初めて、顔を上げて本を置いた。


「入って」








「これ、何ですけど……」


 その女子生徒が、カバンの中から取り出した一枚の封筒を差し出してきた。何やら固く封を閉ざしていて、中身を怖がるかのように、何重にもセロハンテープで巻かれている。


「開けるから」


 そのどこか重々しい封筒を、桐生先輩はさっさと破って開けた。そこから出てきたのは、一枚の写真。最近はめっきり見ることも減ってきた、きちんと印刷された写真だ。


「私、二年B組の無花果いちじくって言います。こう言う、ちょっと怖い写真は、写真部に持って行けば良いって聞いて……」


 桐生先輩は、無花果先輩の話を聞いているのかどうか微妙なところだ。その切れ長の鋭い目は、彼女の手元の写真に注目している。


「ふーん、これって美術部の写真?」


 桐生先輩が、写真を机の上に放った。


「はい。そうです。四月一日に撮った、美術部の新二年生と新三年生の集合写真です」


 僕も気になったので、一言断ってその写真を手に取る。僕の背後から三角先輩も覗きこむ。そこには、楽しそうにピースしたり、肩を組んだりしている十人前後の男女が写し出されていた。


「こ、これって……」


 ただ、それだけではない。被写体の彼らの背後、壁には額縁に飾られた五枚の絵画がある。

 全て油絵で、その内二枚は風景画、もう二枚は果物の絵だ。だが、五枚目、一番左端の絵が、異様だった。

 それは、女の子の正面絵だ。その子は、両目から赤黒い血の涙を流しながら、自身の首を手で締め付けている。 眉間に深い皺をつくり、こちらを睨みつけてくるその目には、目を離せない力が宿っていて、手にとっているだけで寒気がしてくる写真だ。


「あの、もちろんこの、左端の絵は、誰かが描いたとかでは……」


「違うわ! こんな絵、私達が描くわけない!」


 無花果先輩は、少しヒステリックに机を叩く。だが、それも分かる。こんなにもはっきりと不気味な絵画が写し出された写真を見れば、誰だってそうなる。するとここで、ほとんど黙って写真を見ていた桐生先輩が、軽い口調で言った。


「ま、この写真の撮った場所に案内してよ」


 それから三角先輩を残して僕たちがやってきた美術部の部室は、西館の一階にあった。中に入ると、絵の具と油の匂いが充満していて、少し頭がクラクラした。大きな教室ではなく、十五人分の机がある。デッサン用の石膏像や、他の部員さんの作品が至る所に置かれていた。オレンジ色になってきた陽光に照らされて、どこか幻想的な雰囲気だ。


「写真は、この壁を背にして撮りました」


 無花果先輩が指差す壁には、七枚の絵画が飾られている。どれも素敵な作品で、それぞれの斜め下には、作者と賞の名前が記されている。


「あそこは、賞をいただいた特別な絵を飾る場所なんです。美術部の皆は、あそこに自分の絵が飾られることを目標にしているんです」


「ふーん」


 少し誇らしげに語る無花果先輩だが、桐生先輩は素っ気ない一言で片付けた。その壁には、当然例の不気味な絵画は存在していない。僕の見たところ、この教室の中にも幽霊はいないように思えた。


「じゃ、私らやることがあるから、あんた帰って良いよ」


「え?」


 すると、桐生先輩がいきなり無花果先輩を追い払うような事を言った。当事者である無花果先輩は目を丸くして驚いている。


「い、良いんですか?」


「うん。て言うか、いられても邪魔。その写真だけ置いて、帰って」


「わ、分かりました……」


 随分乱暴な扱いだが、無花果先輩も桐生先輩を信用しているのか、素直に帰ってしまった。僕と桐生先輩の二人だけで美術室に残る。


「で、いるんでしょ? 出てきなよ」


 そして、桐生先輩が並べられている机の一番端に歩み寄り、指で椅子を叩いた。すると、そこからぼんやりとした暗い雲のようなものが現れ、それが最終的には女の子の幽霊に変化した。


「なんで、分かったの?」


「別に。そう思っただけ」


 幽霊の女の子は、おさげ髪の小柄な姿だった。普通の話が出来ることから見ても、そこまで悪い幽霊ではない。


「で、どうしてあんなことしたの?」


 桐生先輩が壁を指差すと、そこには、あの不気味な絵が浮かび上がってきていた。


「教える義理ないわ」


 しかし、女の子はすげなく首を振る。よく見ると、今の女子生徒が着ている制服とは少し胸のリボンが違った。


「あっそ。でもあれ、あんたの恋敵でしょ?」


「っ! 何で、そう思うのよ」


「何となく。先に言っとくけど、そんなことしても、恋敵には何も影響ないから」


 桐生先輩は、近くの椅子を引いて座る。部室の時とは違い自然にぺらぺらと話す彼女に、僕は少し圧倒されていた。


「知ってるわ。あの女、結局篠峯君と結婚したんでしょ。憎たらしいったら無いわ」


「じゃ、何でそんなことしてんの? 今の美術部員、迷惑してんだけど」


「私の勝手じゃない」


 女の子は、ふっと笑ってそっぽを向いた。窓の外を眺める。


「あの女、私が篠峯君を好きだって知ってて、応援する、なんて言ってたくせに、自分が先に告白しやがって。本当、私馬鹿みたい」


「で、それが分かった帰り道、あんたは事故にあって死んだと」


「そうよ。良く分かってるじゃない」


 桐生先輩は、女の子の過去をまるで見てきたように言う。そんな事は誰にも聞いていないのに、はっきりと明言していく。


「ま、良いや。じゃあさ、頼みがあるんだけど」


「なによ。絵を描くのは止めないわよ」


「良いよそれで。ただし、あんな絵じゃなくて、私の絵を描いてよ」


 桐生先輩は、いきなりそんな事を言った。女の子の隣の席で、真っ直ぐに彼女を見ながら言う。


「は?」


「あんな絵じゃ、いつまで経っても飾られないよ(・・・・・・)


 桐生先輩は、強調するように女の子の顔を横から覗き込む。


「飾られたいんでしょ。だったら、ちゃんとした絵を描かないと」


「……」


 女の子は、桐生先輩を睨んだまま何も言わない。しばらく二人の睨み合いが続く。


「……分かった。けど、あんたその体操着脱いで。こっち来て座って」


 先に女の子が顔を背けた。彼女は溜息と共に立ち上がり、桐生先輩を別の椅子に移動させた。


「あんた美人だし、描きがいがあるわ」


「あっそ」


 それから、女の子は一枚の画用紙に、鉛筆でデッサンを始めた。時折椅子に座る桐生先輩の方を見ては、画用紙に筆を走らせる。僕はどうしたら良いか分からなくて、デッサンをする女の子の背後に回りこみ、描き上がっていく絵を黙って見つめていた。少しずつ仕上がっていくそれは、確かに美人な桐生先輩そのままで、まるで写真で写したかのようだった。

 どれくらい時間が経っただろう。電気をつけていない室内は暗く、もうほとんど何も見えない。それでも、


「出来たわ」


「見るよ」


 女の子が満足気に頷いた。桐生先輩も椅子から立ち上がって、彼女の絵を確認しにくる。


「上手いじゃん」


「美術部だから当然でしょ」


 完成されたそのデッサンは、本当に上手だった。先輩の綺麗さと、どこか近寄り難い雰囲気がよく出ている。


「これなら、あそこに飾られるんじゃない?」


 そして、そのデッサンを手に取った桐生先輩は、それを油絵の並ぶ壁に、画鋲で貼り付けた。その瞬間、


「あぁ、あぁ……!」


 幽霊の女の子が、その目一杯に涙を溜めて、自分の絵を見つめていた。


「これで、心残り無いでしょ」


「そう……! そうね……!」


 一粒涙をこぼして、女の子は光の粒子となって消えた。








 彼女は、悪霊ではなかった。恋敵の女の子を憎んでいたわけでもなかった。ただ、あの素晴らしい作品が飾られる壁に憧れる、普通の美術部員だった。

 帰りがけ靴箱で、桐生先輩に、何故そんな事が分かったのかと尋ねた。そこで返ってきた答えは、


「何となく」


 もう、幽霊と流暢に話してた彼女ではなく、ぶっきら棒で無愛想な彼女に戻っていた。


「写真部って、そう言うことか」


 心霊写真と共に、面倒ごとが舞い込んでくる写真部に、僕が入部した初日の出来事だった。



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