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ローレライ


 歌うことが好きだった。才能があるとか、上手いとかは関係ない。ただ好きだった。暇さえあれば歌っていたと思う。それでも、十五年も毎日毎日歌い続けていれば、多少モノにもなるようで、高校の合唱部に入った私は、一年生ながら部の中心になった。部の先輩達も優しくて、高校生活は充実の一言。だけど、いつからか、そんな日常が息苦しくなってしまっていた。









 今日、僕らの写真部の部室は関係者が勢揃いだった。桐生先輩、三角先輩、舞風先輩、篝火先生、そして僕。この部に関わる人が一堂に会したのは初めてのことだ。六つの机はほぼ全て埋まり、最後の一つには全員のカバンや持ち物が置かれていた。ゴールデンウィークも間近に迫ってきた。この部は長期休暇の場合どうするのかと思っていた所にこれだ。部の今後の予定について何かしら話し合いがあるのかと、最初は思っていた。


「うわ、また負けたー」


「本当に篝火先生は弱いですね」


「いや、三角が強いんだよ」


 現在、桐生先輩を除く四人は、オセロ盤を仲良く囲んで和気藹々としていた。一つしかないオセロ盤を公平に使い回すために、勝ち残り式で次々勝負していく。いや、篝火先生の提案だが、これは公平なのだろうか。今も三角先輩の七連勝で、彼がずっと盤の前に座ったままだ。それにしても、篝火先生も舞風先輩も、三角先輩のことが見えていないはずなのに、よく一緒に遊べるものだ。ちょっと普通の神経ではないと思う。


「じゃあ次私ね」


 舞風先輩が腕まくりをして着席する。自然と僕と篝火先生が横から観戦する形となる。舞風先輩は序盤から後先考えずとにかくたくさん色を取ることにのみ執心するため、三角先輩の良いカモだ。篝火先生は相変わらず弱いし、僕が三角先輩に勝たない限りずっと同じ人間で戦うことになる。と言っても、僕が二回勝っただけで、それ以外はほぼ全て三角先輩の勝ちっ放しだ。

 オセロ自体は楽しい。かれこれ一時間以上いい歳をした人間が熱中している。しかし、そろそろ対戦メンバーに飽きてきてしまった。となると、当然あと一人に参加してもらって、新しい風を吹き込んで欲しいのだが、


「……」


 その人、桐生先輩は部室に来てからまだ一言も発していない。いや、舞風先輩が彼女に絡んだ時に一言だけ「うざい」と言って斬り捨てていたか。ただ、それをカウントしなければ、無言と言う事になる。最初は赤いブックカバーの文庫本を読んでいたが、今はイヤホンで音楽を聴いている。かなり大きな音で聴いているようで、彼女の背後を通る時、鼻孔をくすぐるいい香りと共に、ポップな音楽が聴こえてきた。

 その綺麗な目は、僕ら、ではなく、その向こう、窓の外の空に向けられている。腕を組んだままの姿勢で、時折その金髪をくるくるといじる。本当に、何を考えているのか分からない。退屈そうにしているが、いつも下校時間までは必ず残るし。

 そんな桐生先輩の事がどうしても気になって、僕はとうとう彼女に声をかけてしまった。


「あの、桐生先輩。どうですか。皆でオしぇロ。楽しいですよ」


 何一つ難しい単語はないのに噛んでしまった。カーッと赤くなるのが分かったが、今更目をそらせない。桐生先輩が何と返してくれるか。いや、返してさえくれないかもしれない。


「いい」


 一瞬だけ横目で僕を見て、オセロ盤を見て、そしてまた窓の外へと視線を戻した。素っ気ない。普段は本当にごく稀にしか喋らないから、いつまでたっても桐生先輩の声を初めて聞くみたいになってしまう。


「そ、そうですか……」


 返事をしてくれた事に少しだけ喜び、断られた事にがっかりしていると、背後の女性二人が僕の肩を叩いた。


「勇気は認めるわ。でもダメよ」


「舞風先輩……」


「そうだぞ犬柴。今日子はこういうゲームはしないんだ」


 そうなのか。いや、確かに桐生先輩が複数人を必要とするゲームに参加している図が想像出来ない。しかし、その後篝火先生が続けた言葉は、かなり意外な内容だった。


「今日子。めちゃくちゃ弱いから。負けるからやらないのよ」


「え?」


「はぁ!?」


 僕の声を上から被せるように、桐生先輩が声を出した。その顔には珍しく表情が宿っている。それは、怒りだった。


「あら、聞こえた?」


「豆柴、ちょっとそこどいて」


 篝火先生が口元に手を当てるがもう遅い。急に椅子から立ち上がった桐生先輩が、イヤホンを乱暴に外して、僕を押しのけて三角先輩の前にどかりと座った。二人はオセロ盤を挟んで対峙する。


「私、黒」


「じゃあ僕は白だね」


 三角先輩が静かに微笑みながら、オセロ対決が始まった。









 結論からして、桐生先輩はめちゃくちゃ弱かった。三角先輩に二連敗した後、舞風先輩、僕に負け、更には篝火先生にさえも敗北を喫した。二人の最終戦なんて、お互い選ぶ手がしっちゃかめっちゃか過ぎて、僕は見ていられなかった。

 桐生先輩は、負けるごとに眉間の皺を深くしていく。一言も喋ることなく、ただ部室の空気だけを凍りつかせた。彼女に対して新しい発見があった。負けず嫌いなのだ。勝つまでやめようとしない。つまり、永遠に終わらないと言うことだ。そんな、いつ御開きにしたものかと僕と三角先輩、篝火先生が思い始めた時、運良く部室の扉が開かれた。


「こんにちはーって、あれ? ここ、オセロ部ですか?」


「写真部」


 桐生先輩が低い声で吐き捨てるように言う。


「そっかそっか。じゃあ、見てもらいたい写真があるんだ。入っていいかな」


「どうぞ。この席に座って下さい」


 僕が立って彼女を招き入れる。短い黒髪のボーイッシュな女子生徒だった。可愛い、と言うよりカッコいい系の美人だ。しかし、その人が引き連れてきた者たちが異質だった。


「う、わ……」


「ん?」


「いえ、何でもないです。どうぞ」


 僕も三角先輩も、桐生先輩でさえ目を奪われてしまっていた。それは、女子生徒の背後。ちょうど首筋の辺りに、三つの男の頭がへばりついていた。幽霊だ。頭部だけのそれが、睨むような目つきで女子生徒を舐めつけている。


「あの、その、首が凝ったりしていませんか? それか、頭が重いとか」


「え、ないよ? どうして?」


「いえ、別に……」


 二人なら、見た事がある。電車の中で、二人の女の幽霊に憑かれている男性を見かけた。でも、三人に憑かれている人なんて初めて見た。何かよっぽどの理由があるのだろうが、それにしたって異常だ。


「それで、見て欲しいのはこれ。あ、あと、私の名前は氷海美夏こおりうみみか。二年だよ」


 氷海先輩は、にこやかに自己紹介をして、スマフォをポケットから出した。皆に見えるように机の中心に置いて、アルバムのアプリを開く。そして、何度か画面をスライドさせて、一枚の写真を示した。


「う、わ……」


「これは」


 声を上げたのは、舞風先輩と篝火先生だ。無理もない。僕も、横縞さんの時の写真を見ていなければ、平静ではいられなかった。

 それは、川沿いの写真だ。川沿いの遊歩道。奥には橋が架かっていて、電車が走っている。夕陽が背後にあるのだろう。撮影した人の影が道に写っていた。遊歩道には誰もいない。そう、生きた人間は。

 三人、人間がいた。いや、ここははっきり幽霊だと言おう。その人達は、何故か皆上半身裸で、まるで何かを求めるようにカメラに手を伸ばしてきている。そして、何より特筆すべきは、その三人全員が首から上がなかった。首なし人間が三人、はっきりと写っている。幽霊を見た事がない人が見れば、絶対にトリックだと思われるような、はっきりとした写真だった。


「一昨日、学校帰りに撮れたんだ。凄いでしょ」


「いや、凄いと言うか……。あの、本当に体調に変化はありませんか?」


「ないなぁ」


 失礼かと思ったが、それでも氷海さんの全身を観察する。肌のハリも良いし、血色も良い。本当に元気そうだった。だが、彼女の背後に見える男達がどうしても視界に入ってきて、やっぱり彼女の身体の異常を心配せずにはいられない。


「あんた、ここで歌ってるの?」


 僕と氷海先輩以外の全員が絶句している中、桐生先輩が声を発した。その目は真っ直ぐに氷海先輩を射抜いている。彼女も、桐生先輩のそんな瞳に少しだけ驚いたように口を開いて、そして頷いた。


「うん。そうだよ。私、こう見えて合唱部なんだ。ここでいつも練習してるんだよ」


 氷海先輩に言われて気づいた。彼女は綺麗な声をしている。お腹から声を出しているのだろう。聞き取りやすいし、滑舌も良い。


「やめた方が良いよ。こいつら、あんたの声に魅せられて寄ってきてる」


「へぇ、嬉しいな」


 桐生先輩の注告に、氷海先輩は、なんと喜んだ。危ないと言っているのに、まるでそんな事は瑣末な事だと言うように、軽く聞き流した。彼女は明らかに嬉しそうだった。


「幽霊も、歌が好きなのかねぇ」


「まあ、そうだね」


「私の声、気に入ってくれたのかな?」


 正直、喜んでいる場合ではないといつ割って入るべきかと考えていた。こんなおかしな写真を撮って、尚且つ幽霊を三人も引き連れている。絶対に危ない。そんな時、


「まあ、あんたが楽しいなら別に良いけど。ただ、ちょくちょく同じ場所で写真を撮って、私に見せに来て。危なくなるかもしれないから」


「ってことは……」


「今は危なくないんですか!?」


 舞風先輩と同時に絶叫していた。お互いの声に驚きあって、びくりとしてしまう。


「危なくないよ。そいつら、本当にあんたの声に魅せられてる。悪いことはしないよ」


「嘘……」


 確かに、氷海先輩は身体に異常はないと言っていたが、本当なのか? 明らかにヤバそうな状況だ。少なくとも僕にはそう見える。


「あんたの声。綺麗だから好きだって。だから、悩まずに、自分の歌いたいように歌って欲しいって」


 氷海先輩は、桐生先輩の言葉にすっと背筋を伸ばした。息を飲み込んだのが分かる。


「幽霊達が、言ってるの?」


「うん。楽しそうに歌うあんたの声が好きだってさ。良かったね」


 すると、氷海先輩は何故か今度は腰を丸めて、俯いてしまった。そしてそのまま動かない。訳が分からなくて、舞風先輩や篝火先生と目を合わせてしまう。


「そうか……。やっぱり分かるんだね」


 氷海先輩は、悲しそうにポツリと零した。


「実はさ、合唱部で歌うのも楽しいけど、それ以上に何か抑圧されてるみたいで、息苦しかったんだよね。だからこの川沿いで一人で歌ってたんだ。誰も聞いてないと思ってさ。でも……そうか。聞いてる人はいたんだね」


 その声は諦観が滲んでいて、綺麗な声なのに聞いていて気持ちの良いものではなかった。彼女の心の辛い部分がそのまま吐き出されてきたかのようだった。しかし、氷海先輩は、一度両手で自分の頬を叩くと、笑顔になった。声の調子も変わっている。


「ありがとう。来て良かった。また来ると思うから、その時はよろしくね」


「ん」


 それだけを言って、元気良く帰ってしまった。最後に僕達に手を振って、扉を閉める。綺麗な鼻歌が聞こえてきて、そしてそれが少しずつ遠くなっていった。


「あの、桐生先輩。本当に大丈夫だったんですか?」


「大丈夫。だってあれ、守護霊だから」


「えぇ!?」


 また舞風先輩と同時に声をあげる。


「彼女の歌が好きで、彼女が好きで。でも、身体全部はついていけないから、首だけになってああしてくっついてたの」


「あ、そうか。あの河原、晒し首を置く場所だったのか」


 突然篝火先生が怖い事を言う。じゃあ、あの人たちは昔首を斬られた人達なのか。


「それは知らないけど。さて」


 桐生先輩は、その声音を低くした。オセロの駒を丁寧に並べていく。


「下校時間までやるよ」


「いや、桐生君、もう止めないか……」


「やるの」


「はいはい」


 三角先輩が少し疲れた様子で駒をひっくり返す。彼が白で、桐生先輩が黒だ。始まった勝負も、盤面がどんどん白に染まっていき、桐生先輩がさらに不機嫌になっていく。


「いゃんキョンキョン。オセロの弱いキョンキョンも好きよ!」


「黙れ帰れ」


 桐生先輩に抱きつこうとする舞風先輩を裏拳で強引に引っぺがす。盤面に向けられた桐生先輩の瞳には、憎しみさえ宿っているように見えた。


「ごめん。負けず嫌い発揮させちゃった」


「いえ、最初に誘ったのは僕ですし」


 篝火先生は、一言謝って、そして職員室に戻った。

 ぱちぱちと、駒がひっくり返る音だけが部室に響く。僕と舞風先輩は、それを側で観戦している。何度やろうとも盤面は白にしかならない。結局下校時間まで勝負は続いて、桐生先輩が勝利することは一度もなかった。彼女はかつてないほど不機嫌そうな仏頂面で帰って行った。

 しかし、僕は少しだけ嬉しかった。今の僕のこんな表情を桐生先輩に見られれば、怒られるかもしれない。

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