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残滓


 幽霊とは何か。

 生まれてから今日まで、ある意味では家族よりも親密に彼らと接してきた僕だが、そんな事に頭を使ったことがなかった。しかしここ最近、写真部を通して僕の彼らへの考え方が変わってきた。ここらで一度、ゆっくり時間をかけて考えてみても良い頃だ。

 幽霊とは何か。要するに定義づけだ。

 幽霊、亡霊、魂、残留思念、ゴースト、化け物、無念。色んな言葉で彼らは定義づけされる。そのどれか一つであり、その全てでもある。

 僕は考える。もし、彼らをきちんと定義づけ出来るのなら、僕ら写真部の部員であり、幽霊部員であり、先輩である三角先輩は、どんな存在となるのだろう。いつも優しく笑う彼は、どんな理由でこの写真部の部室に座り、また、縛られているのか。これは、今最も僕に近しい幽霊である、三角先輩を知るための物語。










 今日は一人も依頼人は来なかった。桐生先輩は耳につけたイヤホンでひたすら音楽を聴き続けて、とうとう一言も喋らず帰って行った。僕は、始めはテスト対策ファイルで試験勉強をしていたが、途中から三角先輩とオセロに興じていた。十戦ほど戦ったが、僕は二回しか勝てなかった。先輩は以外と絡め手を使ってくるタイプで、二重三重の罠で盤面を支配された。


「篝火先生よりは強いよ」


 そんな事を言われたが、別に嬉しくはない。あの人よりは強くて当たり前だ。将棋もやろうと誘われたが、僕はルールを知らないので断った。先輩に付き合ってあげられないのは申し訳なかったが、これから将棋の本を買う気にはなれない。下校時刻の少し前に、夕暮れに染まる校舎を、ゆっくり歩いて学校から出た。サッカー部と野球部の声が微かに聞こえてきて、それをバックに口笛を吹きながら、家路を歩く。

 いつものように最寄りの駅に着くと、あるポスターが目に入ってきた。それは、写真展のポスターだった。丸名幸子まるなさちこと言う新進気鋭の若手写真家の写真展で、彼女はこの街の出身らしい。

 これまでなら特に気にすることなく歩き去ったポスターだったが、写真部のコンクールの件がふと頭をよぎった。僕はコンクールに出品しなくてはならない。全力を尽くす、とまではいかないが、恥ずかしくない程度の作品にはしたい。これは良い機会だ。今日もまだやってるみたいだし、試しに行ってみよう。そんな風に考えて、駅から街の方へと進路を変えた。

 件の写真展は、街中の小さなビルで行われていた。平日の夕方だと言うのに、思ったより人が入っている。僕も一つ一つ作品を見て回る。これと言って何か決まった題材のみを撮るタイプの人ではないらしく、多様な作品が展示されていた。動物、風景、人。そして、どれも優しい雰囲気の作品で、撮った人の心の豊かさが伝わってくる。僕は中でも、子供と犬が芝生の上でじゃれあっている写真が特に気に入った。

 そうして見ていると、写真展の隅で、一つ気になる作品を見つけた。展示されているどの作品の前にも、だいたい一人か二人は立ち止まっている人がいるが、その作品の前には誰も立っていない。まるでそこだけ空間が一つ異なる次元にあるみたいだった。僕の足は、吸い寄せられるようにその空間へと進む。地味な額縁に収まっている写真を見る。それは、学校の写真だった。学校の、どこか小さな教室の写真。夕焼けの柿色に染まる窓際の机に、誰か男子生徒が外を見ながら座っている。それは後ろ姿で、どんな表情をしているかは分からないが、何か惹きつけられる、いや、引っかかるものを感じた。


「この写真が、何か?」


 写真に見入っていると、背後から声をかけられた。驚いて振り返ると、オシャレな銀縁眼鏡をかけた綺麗なお姉さんが、興味深そうに僕を見つめていた。


「あ、いえ。何か見たことあるような写真だなぁと思って。あ! 悪い意味じゃないですよ。なんかこう、初めて見た気がしないって言うか……」


 突然の事だったので、少ししどろもどろになってしまった。しかし、そんな僕にも彼女は微笑みながら話を聞いてくれている。そして、楽しそうに教えてくれた。


「この写真はね、私が高校生の時に撮った写真なの。私、私立牙城高校の写真部だったのよ」


「え!」


 それは、本当に驚きだった。目の前のこの人が丸名幸子さんであることももちろんだが、彼女がまさか僕の先輩だったとは。それも、写真部の部員だったなんて。つい嬉しくなってしまって、僕も牙城高校の写真部員だと勢いをつけて話す。そしたら、彼女もとても喜んでくれた。自然と会話が盛り上がる。


「実はね、この写真は、私達の教室で、私の好きな人を撮った物なの。どう、そんな雰囲気出てるかしら?」


「そうなんですか! でも、確かに何か優しい写真ですよね。空気が温かいって言うか、色が綺麗って言うか」


「ありがとう。でもね、これは悲しい写真でもあるの」


 丸名さんは、少し照れくさそうに笑う。彼女は、この後この男子生徒に告白して、ふられてしまったのだと言う。こんな綺麗な女の人をふるなんて、なかなか出来る事ではない。


「五年後、また会えたら。なんて言ってたけどね……。本当、嘘つきなんだから」


 その目はまるで遠く過去を見つめているようだった。しかし、彼女は小さく首をふると、最後にもう一度、明るい笑顔で僕に笑いかけ、別の所に行ってしまった。あの言葉の意味は僕には良く分からなかったが、それでも、彼女がすでに前を向いている事だけは理解出来た。そしてもう暫く写真展を見て回って、僕は帰宅した。彼女の写真達が温かいものだったからだろうか。湯気に包まれたような感覚がずっと残っていた。











 今日も桐生先輩はまだ来ていなかった。部室には、窓際で本を読む三角先輩だけで、狭い部室だがどこか広く感じてしまう。先輩は僕に気づくと、本を読むのをやめ、僕の正面に椅子を引いて座った。


「オセロしようよ」


「良いですね」


 先輩がボードを引っ張ってきて、僕との間に置く。黒と白の駒を並べる。僕が黒で、先輩が白だ。ぱちぱちと、小さな音を立てて駒を置いていく。ここで僕は、何と無く気になっていた事を三角先輩に聞いた。


「あの、三角先輩はどうしてこの部室にいるんですか? 何か、大切な思い出とかあるんですか?」


 正直、失礼な質問かとも思った。でも、ずっと不思議に思っていた事だった。彼が、命を落としてもこの世界に留まる理由は、一体何なのだろう。いつも穏やかな彼の持つ理由は、何なのだろう。


「じゃあ、僕に勝ったら教えてあげるよ」


「分かりました」


 先輩が楽しそうに笑ってそんな事を言うものだから、僕も気合を入れてゲームに臨む。いつもより倍の時間をかけて、次の一手を練る。少しずつ少しずつ、駒を置けるスペースが減っていく。それに平行して、盤面は黒い駒で覆われて行った。


「数えようか」


 最後のひと駒を先輩が置いて、ゲームは終了した。後半から一気に追い上げられて、最終的にはどちらの駒が多いか分からなくなってしまった。そして、二人で駒を数えた結果、僕の方が二つ、駒が多かった。


「はは。負けたか。相変わらず勝負弱いな」


「そうなんですか? でも、偶々ですよ」


 三角先輩は、大して残念がる様子もなく笑う。オセロのボードを持って、元あった棚にしまった。そのまま先輩は窓の外の桜を眺める。もうほとんどの花弁は散ってしまっていて、ところどころに青い葉が見える。


「嘘を、ついたんだよ」


 窓の外を向いた姿勢のまま、三角先輩は呟いた。


「大切な人に、下らない嘘をついたんだ。だから、僕はここに縛られてる」


 それからの先輩の話は、口調こそ穏やかではあったものの、とても切ない話だった。


「昔から身体が弱くてね。医者には二十歳まで生きられないと言われてた。僕もその覚悟はしてたよ」


 毎日毎日、病院の窓から見える景色だけが、先輩の世界だった。だが、そんな生活に、少しばかり転機が訪れた。


「高校二年の時の一年間だけ、凄く体調が良くてね。学校に通えたんだ。そこで、色んな事を知ったよ」


 友達を知った。先生を知った。そして、好きな人を知った。


「全てが楽しかった。輝いていたとはこの事だった。そんな時にね、僕に告白してくれた人がいたんだ」


 その女の子が、三角先輩の好きな人だったそうだ。二人は相思相愛だった。でも、三角先輩は、その想いに応えることは出来なかった。何故なら、彼の命の刻限は、もう直ぐそこまで迫ってきていたから。


「その時、つい言っちゃったんだよ。五年後、また会えたらってね。そんなの無理だと知っていたのに。大切な人に、嘘をついてしまった。今の僕は、その残りカスさ。後悔と未練の末路だよ」


 その横顔は、僕なんかには計り知れないほどの悲しさと儚さと、そして、僅かな爽やかさをはらんでいた。青春の一ページを思い出す、寂しくも懐かしい、不思議な気持ち。良いも悪いも呑み込んだ、三角先輩の人生が表れていた。

 そんな先輩の後ろ姿を見ていて、僕は何かを思い出しかけた。夕焼け色の先輩のそんな姿を、いつかどこかで見た気がした。何度も何度も、この部室に入る時に見てきたそれとは少し違う、何かを。


「昔ね、桐生君にも同じ話をしたよ」


「え、先輩は何て言ってましたか?」


 三角先輩は、僕の方へ振り返ると、痛い所を突かれた、そんな表情で破顔した。


「だったら待ってる教室が違うでしょ、だってさ」


 その意味は、僕には分からない。だがそれは、正しい意見なのだろう。だって桐生先輩が言うのだから、間違いない。

 三角先輩は、誰かを待っているのか。大切な人を、ずっと待っていて、あの日の嘘を謝りたいのか。いや、もしかしたら全く別の事を伝えたいのかもしれない。でも、それはきっと、この部室では叶わない事なのだろう。だからこそ、先輩はこの部室に縛られている。


「あの日の僕は、嘘のつもりはなかったんだけどね」


 最後にそう言って、三角先輩は、また窓の方へとその目を向けた。微かな風に桜の枝葉が揺れる。

 幽霊三角先輩とは、かつての日の未練、後悔、残留思念。そして、小さな恋の残滓だった。

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