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幽霊部員


 雨の日は、好きだ。と言うより、雨の降り始めが好きなんだ。雨に濡れた土とアスファルトが放つ蒸れたような匂いが好きで、昔はよく雨が降る度に外に出て、母さんに怒られた。

 雨の日には幽霊の力が強まる。そんな話があったりなかったりする。これははっきり言って、どちらとも言えない。何故なら、僕のように雨が好きな幽霊も、嫌いな幽霊もいるからだ。天気が思い通りになることなんてないけれど、自分の好きな天候になれば嬉しい気持ちになってしまうのは理解出来るだろう。

 今回は、そんな雨の日の話。写真部と雨の日が、どんな風に繋がっているかを提供しよう。







「桐生先輩、来ませんね」


 今日は朝からずっと雨が降り続いていて、桜もかなり散ってしまった。アスファルトに張り付く花弁は、少しその色を暗くしていて、何と無く悲しい気持ちになる。とは言え、小さな音を立てて降る糸のような雨は、眺めていて飽きない。


「あぁ、今日桐生君来ないよ。部活自体休みだって」


 しかし、あっけらかんと僕に教えてくれた三角先輩のその言葉は、聞き捨てならない。彼は今日も窓の桟に座っている。


「え? き、聞いてないですよ」


「あぁ。まあ桐生君だからね。彼女、君に全く興味ないから」


「何のフォローにもなってません」


 しかしそれは困った。僕は今、この部の財産である試験対策ファイルで勉強をしていた。すでに通常授業についていくのが危うくなっている僕の早めの措置である。しばらくは依頼人が来るか、下校時間になるまではこうして勉強して過ごそうと思っていた。ここで改めて気づいた。別に困らない。この部室には鍵もないので、戸締りだとかに気を配る必要もない。桐生先輩が部室に来ようが来まいが、僕のやりたいことに何の影響もない。おそらく桐生先輩も同様なのだろう。しかし、それは同じ写真部の部員としてちょっと悲しい。


「けどそうですか。なら僕もあと少し勉強したら帰りますね」


 しかし、三角先輩はそんな僕を引き止めるような事を言った。


「まあ、待ちたまえ。犬柴君は、まだ他の幽霊部員に会っていなかったね。いい機会だし、顔合わせをしてくると良いよ」


 それは、僕としては何とも複雑な気分にさせられる言葉だった。

 僕は幽霊が見える。だが、だからと言って積極的に彼らと関わりたい訳ではない。むしろ、出来ることなら明確なラインを引いておきたい。以前に三角先輩は、この部は桐生先輩以外は皆幽霊部員だと言っていた。それが何人なのかは知らないが、その人達とは会わないで済むならそれが一番良い。


「皆気の良い奴らだよ。そう構える事はないさ。今から彼らのいる場所を教えるから、是非会ってくると良い」


 しかし、僕のそんな思いとは裏腹に、話が先に進んでしまった。


「えっと、幽霊部員さんは、何人いるんですか?」


「僕を含めて五人だよ。待ってね。今メモってあげるから」


 そう言うと、三角先輩は僕のノートに場所と名前を書き始めた。旧西館階段、第二理科室……って、待って待って。


「三角先輩、シャーペン持てるんですか!?」


「ん? ああ、言ってなかったね。僕はこの部室から出られない代わりに、この部室の中では人間っぽいことも大体出来るんだよ」


 知らなかった。そして、それはかなり凄いことではないか。なんと融通の利く幽霊なのだろう。本当に幽霊なのか疑わしいくらいだ。彼が綺麗な字でメモをしている間、僕は驚愕の目でその背中を見つめる。大体の事は出来る。三角先輩はそう言った。なら、触れる事も出来るのではないか。僕は幽霊が見えるし、声も聞こえる。しかし、これまで生きてきて、幽霊に触れた事は一度もない。俄然興味と好奇心が湧いてきて、手をゆっくりと三角先輩の頭に近づける。すると、


「触れないよ。僕がその気になれば触れるけど、男同志で触れ合っても仕方ないだろ?」


 こちらを見ることもなく、僕の考えを言い当てられた。びくりとなって、変な姿勢で固まる。


「よし、書けた。ほら、変な事してないで、皆に会ってきてね。今日の犬柴君の部活動は、部員との交流だ」


 三角先輩は、特に気にした様子もなくにこやかな笑顔を作る。しかし、その目にはどこか妙な色合いがあって、言外に自分に触るなと言っている気がした。怒っている、と言うほどではないが、その少し変わった雰囲気に押されて、僕は仕方なく部員交流のために部室から出た。










 一人目は、この建物の階段に座る女の子だった。毎日部室にやってくる度にすれ違っている子だ。今日もその子は階段の二段目に腰を下ろしている。虚ろな視線で正面を見つめるその表情からは、コミニュケーションが取れる未来が想像出来ない。それでも、三角先輩に言われた事を遂行するため、何とか話しかけてみる。


「えっと……僕はね」


「雨は好きよ」


 僕の言葉を、途中で遮ってその子は口を開いた。初めて聞くその声は、子供の甲高いそれではなく、外見からは想像出来ない落ち着いた大人の女性の声だった。


「雨は好き。私は雨の日に死んだから。こうして雨音を聞いていると、その日を鮮明に思い出すの。ほら、皆私を見てる。私の死体を見てる。とても愉快ね。だから雨の日は好き」


 いきなり滔々と話し出したその話は、何とも鬱になる内容だった。彼女の死因やその経緯はまるで分からないが、ただ彼女の狂気と怨念が滲み出ている。この子ときちんとした会話が出来る気がしない。こうして僕が青ざめている今も、壊れたラジカセのように雨の日が好きな理由を延々と語り続けている。


「じゃ、じゃあ僕はこれで」


 逃げ出すように、その場を後にした。

 気を取り直して、二人目の所へ向かう。第二理科室。僕はまだ一度も行ったことがない教室だ。西館の一階、体育館のすぐ側のその教室に、見つからないようにこっそり入る。中からは、微かにだが薬品のつんとくる匂いがした。そして、その一番真ん中の席。そこにまた幼い十歳くらいの白衣を着た男の子が座っていた。背後から話しかけてみる。


「あの、僕は新しく写真部に入部した犬柴です。どうぞよろしくお願いします」


「あぁ、聞いてるよ」


 先ほどの少女と違い、穏やかな声で返事をしてくれた。それだけで安心する。


「何ももてなせないが、まぁそこに座りたまえ」


 男の子が僕に席を勧めてくれた。この子となら話が出来そうだ。そう思って男の子の前の席に座ると、


「ひっ!!」


 悲鳴をあげずにはいられなかった。その子は、顔の口以外の部分全てが火傷で覆われていた。肉が赤黒く溶けたようになっており、鼻からは骨が見えている。目は瞼が塞がった状態なのだろう。こちらは見えていないようだ。


「ふふ。実験に失敗してね。こんな形だが気にしないでくれ」


 無理があると思った。何て言うかもう、暫く夢に出てきそうだ。


「さて、新入部員か。では、僕の実験に少し協力してもらおうかな」


「協力、ですか?」


 男の子は、手元にあったビーカーをコツンと指で叩く。その中には、何か動物の目玉が一つ、転がっている。


「うん。実験用の目玉が一つ足りなくてね、君の目玉を……」


「失礼しました!」


 全力疾走で、理科室を飛び出した。かなり激しく扉を閉めたため、大きな音が校舎に響く。肩で息をしていた。一人目も二人目も、かなりあれな幽霊達だった。今まで七不思議とか噂とかになってないのが信じられないくらいだ。もう正直帰りたい。でも、ここで後回しにしても、どうせ後日同じ事をさせられる。気は進まないし、嫌な予感しかしないが、早めに終わらせるのが吉だろう。


「次は、体育倉庫か……」


 三角先輩が書いてくれたメモは、少し細かく注釈があった。体育倉庫の、一番奥にあるボールケースにボールを投げ込むこと。訳が分からないが、行ってやってみるしかない。


「失礼しまーす……」


 この体育倉庫にも鍵はかかっていないようだった。中は薄暗く、外に降る雨音が屋根に当たって、大きく聞こえる。色んな体育用の道具がある中に、見つけた。一番奥の、一番古びたボールケース。そこに、近くにあったバレーボールを投げ込んだ。すると、


「あら、可愛い坊やね」


 女の人の幽霊が、僕の背後から出てきた。その長い舌が、僕の首筋を舐める。全身に鳥肌が立った。


「あ、あの、僕……」


「大丈夫。三角から聞いてるわ。ふふ。とっても可愛い。ねぇ、お姉さんと、イイコトしない?」


「い、良い事、ですか?」


 ゆっくり、何とか首だけ回して振り返ると、そこに立つのはボロボロの黒いワンピースを着た若い女の人がいた。片脚がなく、右脚だけで立っている。


「そう。少しで良いの。少しの間だけ、坊やの脚を私に貸して? 大丈夫。すぐ返すわ」


「ほ、本当ですか?」


 返してくれる訳がない。頭では分かっていたが、そんな言葉が口をついてしまう。


「本当よ。だから、今すぐ切り落とさせてぇぇ!!」


 突如その女が、長い包丁のような物を取り出して、僕に襲いかかってきた。頭を抱えてしゃがんで、何とかかわす。


「あら、どうして逃げるの? ねぇ、ねぇ、ねぇ!?」


「うわぁあ!!」


 命からがら体育倉庫から逃げ出した。もう完全に号泣していた。怖い。嫌だ。三角先輩、何が気の良い奴らだ。どいつもこいつも悪霊そのものじゃないか。次が最後の部員だが、会いに行く気力がゼロだ。今も背後の扉の中であの女の人が暴れている。ひとまず、身の安全のためにそこから離れた。









「最後は、音楽室か……」


 東館四階の音楽室。僕は選択で美術を取っているので、ここもまだ来たことのない教室だ。もう大分暗くなってきて、左手の腕時計を見ると下校時間を過ぎていた。早く終わらせたい。出来れば今すぐ帰りたい。それでも、何とか気力を奮い立たせて音楽室に足を踏み入れた。


「やぁ。来たね」


「……」


 音楽室のピアノの上に、頭の薄くなったおじさんが寝そべっていた。ヨレヨレのシャツにトランクスのみの格好で、姿だけ見れば、ただのだらし無いおじさんだが、この人もきっと何かある。


「なかなか歓迎されたみたいだね」


 おじさんは、僕の身体を上から下までじっくりと観察する。だが、特に何かをしてくる事はない。


「おじさんはこう言うのあまり好きじゃないからね。そんなに警戒しないで。そこに座りなよ」


 鍵盤の前の椅子を指さす。僕はそれに、最大限の注意を払ってから座る。


「君も大変だよね、桐生ちゃんは気難しいしね。頑張りなよ」


「はい。頑張ります」


 いつ何を仕掛けてくるか分からないので、油断する事なくおじさんを睨む。そんな僕を見て、おじさんは苦笑いでため息をついた。


「そんな目で見ないでよ。そうだ。ピアノを弾いてあげよう。おじさんこう見えて、音楽教師なんだよ」


 そう言うと、おじさんはピアノの上に寝そべったまま笑う。その時、かさかさと何か、雨音に混じって聞こえてきた。


「え?」


 音のした方を見るとそこにあったのは、人間の手首だった。五本の指を器用に使って、鍵盤の上を這い回る。そしてそれが、一つではない。


「う、う、うわぁあ!!」


 何十、何百という手首が、僕の座っている椅子の周りを歩きまわっていた。規則性のないその動きは、見ているだけで目眩がしてくる。そして、それらの手首が一斉に僕目掛けて近づいてきた。


「う、あ……」


 恐慌を来たした僕は、そこで意識が途切れた。









「ちょっと。ちょっと。おい。豆柴」


 誰かが僕の頬を優しく叩いている。その感覚で目を覚ました。見ると、眉をひそめた桐生先輩の顔が近くにあった。


「あ……」


「やっと起きた」


 僕が目覚めた事を確認すると、桐生先輩は少し安心したようにそう言う。僕も思い出してきて、また背筋が凍るように寒くなる。それでも、何故桐生先輩がここにいるのかとか、そもそもここはどこなのかとか、聞きたいことが溢れてきて起き上がった。するとそこには、


「……」


「……」


「……」


「……」


 四人の幽霊が、下を向いて正座をしていた。右から少女、少年、女の人、おじさんである。


「あんたら、ちゃんと反省してる?」


 桐生先輩が、腰に手を当てて幽霊達を見下ろす。その声には怒気と呆れが色濃く含まれていて、おおきくため息を吐きながら、叱りつけるようにしている。


「あの、あのね今日子お姉ちゃん、これは……」


「そうだよ今日子さん」


「私達、ちょぉっとイタズラしただけで……」


「すまん桐生ちゃん、おじさんにこの体勢はきつい。腰にくるんだ」


 四人が四人とも、蚊の鳴くような声で桐生先輩に怯えながらお伺いを立てている。


「こ、これは……つまり?」


「あんたはね、こいつらにからかわれてたの。全く。私がいないからって調子に乗って」


 桐生先輩は、呆れた口振りで話しながら、四人の顔を上げさせる。僕が驚いたのは、その中でも少年の姿だった。見るに耐えない火傷の痕はなく、健康的な少年特有のハリのある綺麗な肌だ。よく見ると、隣の女の人もきちんと両脚がある。


「いや、新入部員が来るって聞いて、張り切っちゃったみたいでね」


 窓際の三角先輩が、やれやれと首を振りながら僕に教えてくれる。


「だっ、だって! 今日子お姉ちゃんの後輩がどんな人だろうって話になって……」


「そうそう! 今日子さんの後輩なんだ。少しは骨のある男じゃないと!」


 二人の子供が言い訳を開始するが、


「だからって、これはやりすぎ」


 桐生先輩のキツイ一言でまた黙らされる。


「そもそも、あんたら大人が一緒になってることが信じられない。本当に何やってんの?」


 そして、隣の大人二人に、矛先が向く。彼らは決まり悪そうに頭をかくだけだ。


「分かったら二度としないこと。あと、豆柴にちゃんと謝る」


『はい……』


 そうして、一人一人丁寧に僕に頭を下げて、皆部室から出て行った。しょんぼりとしたその背中は見るからに落ち込んでいた。どう反応したものかと迷っていると、


「まあ、彼らも悪気はなかったんだよ。許してあげて」


 三角先輩がすまなさそうにそう言った。桐生先輩も、怒りの雰囲気をしまって、僕を励ますような事を言ってくれる。


「本当に、悪い奴らじゃないから。分かってあげて」


「は、はい。それはもう良いですけど……」


 本当は、失神するほど怖かったので、今も恨み言は際限なく出てきそうだっだが、それでも、桐生先輩が彼らに怒って、そして、僕を労ってくれた。その事に心がとらわれていた。


「あの……心配してくれたんですか?」


 そして、聞かずにはいられなかった。そんな僕に返ってきた言葉は、いたってシンプルだった。


「後輩だから」


「っ!」


 その、ぶっきら棒で、退屈そうで、興味なさそうな彼女の話し方はいつも通りだったが、それでも僕の胸には、温かな水が流れこんできたようだった。

 あの桐生先輩が、僕をちゃんと見て、心配して、後輩だと認めてくれていた。嬉しいとか、照れ臭いとか、明るいオレンジ色の気持ちがごちゃ混ぜになって溢れる。


「ふふ」


「何笑ってるんだい?」


 自然と笑顔になってしまった。外からは静かな雨の音が聞こえてきている。


「いえ、嬉しくて。あと」


 僕はこの日をいつまでも覚えているだろう。やっぱり、雨の日は好きだ。そんな僕を、桐生先輩は不思議そうに眺めていた。


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