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桐生今日子


「本日夕刻、牙城高校で男子生徒が一名死亡する事件が起きました。詳細はまだ入ってきておりませんがーー」







 鹿乃谷此の花(かのやこのか)は不思議な人物だ。

 いつも窓際の、一番後ろの席に頬杖をついて座っている。何度席替えをしても必ずその席に収まってしまうのだから、あの場所はもう彼女の特等席と言って良い。

 誰とも話さず、誰とも目を合わせず、ずっと窓の外の景色を眺める彼女の瞳には、一体何が映っているのだろう。


 鹿乃谷此の花は謎めいた人物だ。

 ある人は、彼女は大企業の社長の娘だと言う。確かに、気品ある佇まいで体育館の壁に背を預ける姿は、なるほど、まるで格式高いお金持ちのお嬢様のようだ。

 ある人は、彼女は宇宙人だと言う。確かに、日本人らしからぬ流れるような金髪は、なるほど、普通の人間だとするには美し過ぎる。

 だが、そのどれもが噂に過ぎない。鹿乃谷此の花は、いつだって自身の情報を他者に開示しない。偶に勇気ある男子生徒が彼女に話し掛けるが、事務的に挨拶と受け答えをされるだけで、まるで彼女のプライベートな部分が掴めない。

 今日も彼女はその特等席に腰掛けて、窓ガラスとぼんやり睨めっこしているだけで学校を終えた。昼休みに彼女の元を訪ねてきた女子生徒がいたが、それを煩わしそうに手をひらひらさせて追い払った。


 鹿乃谷此の花はいつも遅くまで学校に残る。学校の全てに興味も関心も無さそうに振舞っているのに、何故かその特等席から離れようとしない。人知れず教室の掃除をしているとか、誰かと待ち合わせしているとかでもない。ずっと、窓際の一番後ろの席で、辺りが薄暗くなるまで座っている。

 僕は彼女の事が知りたい。しかし、このクラスの誰に話し掛けても、答えは返ってこない。声をかけても、肩を叩いても、振り向くことすらしてくれない。おかしい。皆、彼女について知りたいとは思わないのだろうか。まるで夜空の月のように妖しく光り輝く彼女に惹かれる僕は、決しておかしくは無いはずだ。

 今日も彼女は、一人遅くまで教室に残っている。「何もかもがつまらない」、そんな退屈そうな顔をしてまで、この教室に居残る理由は何なのか。僕は、僕が持ち合わせる最大の勇気を振り絞って、とうとう彼女に接触を試みた。


「え、えっと……か、鹿乃谷さん。いつも遅くまで残ってるよね。どうして? 何か理由があるの?」


 鹿乃谷此の花は、僕の方に視線をよこすことなく黒板を見つめている。黒板には何も書かれていないのに。


「ご、ごめん。いきなり。でも、凄く気になってたんだ。図々しいお願いだけど、教えてくれないかな」


 すると、彼女は今僕に気がついたかのように、少し驚いた顔で振り向いた。その綺麗な顔がオレンジ色の陽の光に照らされて、まるで絵画から切り取られてきたかのようだ。


「……待ってた」


 彼女が呟く。その瞳が僕に向けられていると思うだけで、首筋に電流が走る。少し焦ってしまって、痒くなった首を左手でかいた。


「待ってた? 一体何を?」


「あんたが話し掛けてくるのを」


 その答えに、身震いする。なんだ、もしかして、彼女も僕の事を想ってくれていたのか。


「そ、そんな……。でも嬉しいな。僕も、ずっと鹿乃谷さんの事が気になってたんだ」


 口に出すと恥ずかしさが押し寄せてくる。でも、本当の事だ。今言わなければ、きっといつまでも伝える事は出来ないだろう。しかし、


「私、鹿乃谷じゃないから」


「え?」


 鹿乃谷さんが、不思議な事を言った。


「ど、どういうこと?」


「そのまんま。私は鹿乃谷此の花じゃない。私の名前は、桐生今日子。あんたの知ってる鹿乃谷此の花さんは、今二十四歳。旦那さんがいて、子供もいる」


「な、何を言ってるんだ?」


 鹿乃谷さんが言ってることが、まるで理解出来ない。彼女が鹿乃谷さんじゃなくて、桐生今日子? 本当の鹿乃谷さんは別にいる?


「あんたは、鹿乃谷此の花さんに妄執するただの亡霊。いつまでもこの教室から抜け出せない、可哀想な亡霊」


 本当に、分からない。亡霊? 僕が? きっと彼女の冗談だ。だが、あまり面白く無い。笑えない。


「何言ってるんだよ。僕は阿賀原亮介あがはらりょうすけだ。君と同じクラスで、図書委員で。地味だけど、普通の男子生徒だ。皆と同じ、このクラスの一員だ」


「じゃあ、誰かと話したことある?」


「あぁ、あるとも」


 僕は、色んな生徒に、鹿乃谷さんの事を聞いて回った。誰からも、何の答えも返ってこなかったけど、歴とした事実だ。


「誰からも回答してもらって無い(・・・・・・・・・・)んじゃない?」


「え……?」


 鹿乃谷さんは、彼女は、あえて強調するように言う。


「このクラスの誰も、あんたを認識していない。誰も、あんたと触れ合っていない」


「いや……そんな……」


「あんたは亡霊」


「馬鹿な! 僕は……亡霊なんかじゃ……!」


「ならさ、その首、触ってみなよ」


「首……?」


 怖い。恐ろしい。ただ座っているだけの彼女から、異様な雰囲気を感じる。だが、その唇から放たれた言葉に、僕の左手は反応する。

 何かが、震える左手に触れた。ゆっくりと、その手に触れた物を目で確認する。そこには、


「あ……嘘だ……」


 紅い血をべっとりとこびり付かせたナイフが、僕の首に突き刺さっていた。


「う、うぁあああああああああああ!?」


 必死にナイフを抜こうとするが、抜けない。首から流れる紅い血が、纏わりつくように僕の学生服に染み込んでいた。


「あんたは、好きだった鹿乃谷此の花さんを殺そうとして、逆に殺された、馬鹿で無能で鈍臭い、ただの亡霊」


「嘘だ……嘘だ……嘘だ……!」


 血が止まらない。両手を濡らす紅い血が、どこまでも際限なく湧き出してくる。


「じゃあ、じゃあ! あなたは誰なんだ!?

 鹿乃谷さんじゃないあなたは誰なんだ!?」


 鹿乃谷さん、じゃない誰かは、興味すら無さそうに言う。


「桐生今日子。馬鹿なあんたを見送る、つまらない女だよ」



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