望まれない命
小さな村の村長の家の前で、私は手に枷を着けられ、集まった皆からは、犠牲になってと言われているような、そんな悲しい顔で見られている。
勿論、誰もそれを言葉に出す事は無いが、それならいっその事、怒鳴りながら石を投げつけられる方が、半端に曇ったこの胸も、すこしは楽になるだろう。
嗄れた声で話す村長の長い話はもう耳に入って来ず、靄がかかったこの頭の中を巡るのは、叶う事なら、最期くらい、愛情と言うものを感じてみたかった、たったひとつ、たったひとつのただそれだけだった。
しかし、最後までこの人たちは、当然と言わんばかりに、人身御供になれる事の名誉を、何も知らない私に説き続ける。
「儂等の安寧はお前に掛かっている、立派に人身御供を務め上げよ。龍神様に決して無礼の無いようにな」
漸く長ったらしい話が終わると、傍らに居た村長の息子に、腕に繋がれている鎖を引っ張られ、暗くて気味の悪い森の中に、引き摺られる様にして連れてかれる。
無言で私の前を歩く村長の息子は、突然前に出し続けていた足を止め、険しい顔のまま、ゆっくりと私の方に振り返る。
「俺はここまでだ、ここを真っ直ぐ歩けば少しで着く。分かってると思うが、絶対に逃げるんじゃないぞ。お前が生きてても意味が無いんだから、せめてその命で俺たちを救ってくれ」
無言で力無く頷く私を見て、「最後くらい何か喋れよ気味が悪い」と言い捨て、また少しだけ私の反応を見てから、私が喋らない事を悟ると、逃げる様にして、一際暗い道から背を向ける。
「お前がこの村に来た時から可笑しかったんだ、この薄汚い疫病神め」
去り際にそれだけを言い残し、来た道を引き返していった村長の息子の背中を見送ってから、光を通さない獣道に視線を向ける。
分かってはいるが、私が生きていても意味は無いのかもしれない、それでも、こんな私なんかにも、叶えたかった夢はある。
それは、小さな時に、一緒に遊んだ男の子が教えてくれた、ウェディングドレスと言うキラキラしていて、太陽の様に綺麗な服を着てみたかった。
あの日、浮いている不思議な光で、男の子が宙に描いてくれたウェディングドレスと言うものは、とても可愛くて、川がキラキラと輝くより綺麗なもので、それを見た日以来、余った糸を紡いで布を作っては、記憶だけを頼りにして、それっぽいものを毎日こつこつ作っていた。
でも、死んだお母さんとお父さんが遺してくれた唯一の家は、人身御供になる前日に壊されてしまった。
その時にドレスも燃やされてしまったし、今は村からも追い出されて、行く場所も帰る場所も無くなってしまった。
自分の立場も弁えずに、そんなキラキラした夢を見ていた私が馬鹿だったのか。
それとも、私に夢を見させたあの男の子を恨むべきか、どうせ全て無駄になる事を、私は独りでずるずると考えて、只管足場の悪い獣道を進む。
何も履いていない素足は、鋭い石や小枝で血が滲んでいたが、何も纏っていない心は、何故か酷く軽いものになっていた。
今なら、この足さえ止めなければ、どこにだって行けるかもしれない、もしかしたら、良い人に拾ってもらえるかもしれない、そんな感情が今になって顔を出す。
だが、当然逃げた所で行く宛も無いし、村の人に見つかれば殺されてしまうかもしれない。
この世界は、そんなに優しく出来ていないし、外の世界がどうなっているかも分からない。
もしかしたら、この村の中よりも酷い惨状が広がっていて、この森で死んでいた方が良かったと、後悔するかもしれない。
そんな結論に辿り着いた私は、何の希望も持たず、唯只管に獣道を歩いていると、目の前の木が徐々に無くなり、キラキラと綺麗に輝いた湖が広がる場所に出る。
その湖の周りには、大きな紅い魚が宙を泳いで柱みたいになっており、光り輝く蝶がひらひらと踊っている。
最期くらい体を綺麗にしようと思って服を脱ごうとすると、背後で轟音が響いて、一番近くの木が倒れる。
木を薙ぎ倒した主は想像以上に大きく、いつかの男の子に教えて貰ったドラゴンと、寸分違わず特徴が完全に一致していた。
視界に収まらない程の大きな体に、木よりも太い爪、村で1番大きな村長の家よりも大きな翼。
圧倒的なまでの威圧感にも関わらず、私の体は、脳は、もう怖いと言う本能すら働いてくれない。
「あなたが神様ですか? 私は人身御供です、お務めをしっかり果たさせて頂きますので、どうぞ宜しくお願いします」
ドラゴンはゆっくりと私に顔を近付けると、全身を大きな瞳で見詰める。
暫くして首を持ち上げ、今度は少し遠くから私を見て、ぴたっと動きを止める。
「……私は神ではない、この世界の守護者の一柱だ」
口も動かしていないのに聞こえる声に、私はどこかに人が隠れて居るのではないかと、呑気に周囲を探してしまう。
「貴様はいつもそんな服で居るのか」
「はい、そうです。ごめんなさい、もっと綺麗な服があれば良かったんですけど」
「ふん、全くだな」
「ですよね、あはは……」
言われた通り、こんなに汚れた姿のままで死ぬと思うと、最後の最後までこんな服しか着れない自分が情けなくなって、零す気のなかった涙が瞳を飛び出す。
ドラゴンはそんな私に構わず、大きな手を伸ばして、丁寧に体を掴み上げる。
大きな爪に腕を掴まれたかと思うと、鉄の手枷が、バキッと音を立てて壊れる。
「何のつもりですか、私は人身御供になる為に来たんですよ」
「……年頃の女子に傷を付けるなど、それに大きな痣も。おぬし痩せ細っているではないか、そんな生贄を喰うても私は満たされんな」
私を大きな手に乗せたまま湖に入ったドラゴンは、顔を湖に沈めて、大きな口の中に湖の水を溜める。
「この湖はおぬしには大き過ぎる、遠慮せずに体を清めるが良い。先程は入ろうとしておっただろう」
「生贄に対して、あなたは優しいのですね」
「なに、おぬしは昔遊んだ女子に瓜二つでな、その子は肌と髪がおぬしみたいに綺麗な白色でな。透き通っておる肌に優しい声、私が見せたドレスを見て喜んで見ておったのも、また可愛らしくてな」
「そうなんですか。その子となら、私だってお友だちになれたのでしょうか。あ、失礼します」
着ていたボロボロの服をドラゴンの手の上に畳み、口元に近付けてくれた手から飛び移って、口の中の水に入る。
冷たくて気持ち良い水が全身の汚れを洗い流して、今までの水浴び史上、最もすっきりする。
大きな牙に背を着けて、思い切り伸びをする。
「おぬしの名は何と言う」
「私は何て名前だったんでしょうね。村の人からは名前で呼ばれる事なんて、滅多に無かったですし。名前で呼ばれるのは、何かあっちが困ってる時で、いつもは【おい】とか、【お前】とかしか呼ばれません」
「……愚かなものだな、何と浅ましい種族なのだ。1人残らず磨り潰してやろうか」
「仕方がありませんよ、私たちは余所者だったので。それより、あなたの御名前は何ですか?」
「私か、私の名はな。アイネ・トールと言う、良い名であろう? ふむ、そうじゃな……おぬしの事は、これからクライネと呼ばせもらう。良いなクライネ」
「嫌ですよ、もっと可愛い名前は無いんですか?」
むっ、と言ったアイネは、暫く唸ってから口を閉じる。
真っ暗になった視界で何か大きなものが動き、溜まっていた水がどんどん少なくなっていく。
再び口が開かれると、手の上に吐き出されて、アイネはいじけた様に顔をそっぽに向ける。
「我ながら良い名だと思ったのだ、名はそれで我慢するが良い。クライネなどもう知らん、これからはその服でも着ておれ戯け」
アイネの手の上にあったのは、丁寧に編まれた体を拭く布と、黒い鱗みたいな物で編まれた、綺麗なワンピースが置いてあった。
「これ、あなたの鱗なんですか?」
「そうだ、良いから早う服を着ろ。私の鱗は丈夫で軽いぞ」
「わぁっ……こんな服を着るのは初めてです、今までは余った布を繋いだ物だけでしたので、凄く嬉しいです」
「ふんっ、あんなものを着られていては私も気分が悪い。美しい女子には美しい服を着せるのが当然であろう……クライネは普通だがな」
「当然私は醜いと分かってますよ。でも、今自分の鱗が美しいって言ったのと同じですよ」
「……ふんっ」
それまで天に向けていたアイネの手が突然ひっくり返され、真下の大きな湖に、小さな水柱を上げて落水する。
はっはっはっはっ、と大きな声で笑うアイネの目に、手の中の水を、力一杯浴びせる。
水が入った瞬間、目をぎゅっと瞑って声を上げたアイネは、私の下で手を掻き回して、湖に意図的に渦を作る。
それに呑み込まれた私は、ぐるぐると回って、渦の中央に引き摺り込まれる。