08.何故(なにゆえ)見ちょりますか
「……茶ぁ飲むか?」
副料理長がそう言って差し出されたのは、レモングラスとはちみつを煮出して冷やしたものだろう、すっきりとした酸味とほんのり香る甘さが美味しい冷茶だった。中身が分かりやすくするためだろうか、陶器製のピッチャーの上からは、剣のような葉先が覗いている。
ありがたくコップの中身を一口飲むが、まるでその一挙手一投足を検分するかのように、副料理長の視線は鋭くティカを睨みつけている。
ティカが花の処分を決め、一刺しだけ部屋に持ち帰った後に入った食堂は、まだ人が少なかった。それでも、副料理長をはじめ数名の料理人が、いつもよりのんびりと仕事を始めていて、私の分の食事も当然のように用意されていた。
奥の方から声をかけられ、いつもは座らぬ上座の席に案内され、さぁ食べろと言われたところで、正面に座る副料理長に思わず怯えた。朝もそうだったのだが、人に見られての食事というのはなんとも落ち着かない。しかも、常ならば、ティカは立って端のほうで食べているのがせいぜいで、こうしてがらんとした食堂というのも珍しければ、座って食事と言うのも落ち着かない。
そういえば……副料理長ともあろう方が、下級使用人たちの食堂の調理場にるというのも不思議だ。普通なら、貴人のための調理室にいるのに、こちらでのんびり試作品作りというのを見るのははじめてかもしれない。
落ち着かないと言えばその料理で、普段ならばくず野菜のスープにパンを浸しながら食べれば終わりというものだが、目の前には比べようがないほどに豪華な食事。ニンジンスープは朝に出されたものとほぼ同じながら、葉に巻かれて蒸された餅に肉が載せられた飯、さいの目に切られたかぼちゃや豆や芋なんかの乗ったサラダ、薄切りのベーコンが巻かれたナスやアスパラ。ティカには本当に食べていいものか悩むレベルのものが用意されていた。
何げなくほかの料理人の視線も向けられていたりするのは、もしやこれ全てが試作品かなにかということなのだろうか。妙に注目を浴びてしまいながらに食事を済ませ、それでも料理人たちの視線は外れない。もちろん、目の前の副料理長の視線はその最たるものだ。
どうしよう、何か言ったほうがいいのだろうか、しもしない罪を自白しそうになりながら、ティカは冷たいお茶を飲み込んだ。
お茶も飲みきったところで、これで退散しようと思ったティカが、腰を浮かせるその前に、さっとお茶が継ぎ足される。
これは、まだいろという無言の圧迫なのだろう。立ち上がりかけたティカを制するように、そっと食器の数々が片付けられ、立ち上がる理由もなくなってしまった。
しょうがない再び腰を落ち着けたティカに、だが、副料理長は何も言い出さない。ティカからの告白を待っているのか、それともよほど言い出しにくいことなのか……。
本日何か失敗したことはなかったか、今日でなくとも何かまずいことをやらかしたか、思わず一つ一つ、嫌な思い出の引き出しを開けていってしまう。
「好きなのか?」
唐突にかけられた副料理長の言葉に、ガタガタガタッと調理場で、そこにいた料理人たちがずっこける音がする。ティカもまた、何を聞かれたものか目を丸め、とりあえず朝も聞かれたことを繰り返す。
「ニンジンは好きですだ」
「違うから!」
料理人の1人が不用意に発言した口を抑えるように、ほかの料理人たちの手が覆っていく。そして、どうぞどうぞ続けてとばかり、手のひらを差し出された。だが、何を続ければいいというのやら、ティカには全くわかりはしない。
「お前ら、出てけ!」
いきり立つように言った副料理長の言葉に、料理人たちは大慌てで出て行くが、明らかにここは彼らの職場で、追い出されるべきなのはティカのほうだろう。
「あの、場所を変えられますが?」
「いや、ここでいい、一つ……一つ、お前の心を確認しておきたいだけだ」
「はぁ」
何を言われるのやら、どうも、ほんの一つ確認したいことだけのため、料理人たちは追い出され、ティカの食事は豪勢で、お茶まで出されていたらしい。だが、そのほんの一つとやらはさぞかし言い難いことなのか、そこまで明かしておいてなお、肝心の問いはまだ向けられる気配がない。
こほんこほんと何度も咳払いがなされ、ティカの三杯目になろうお茶も腹の中に消えたところで、ようやっと、再び副料理長が口を開いた。
「エドガード様より、交際の許可を求められた。半年後の婚約発表をめどに……」
「はぁっ?」
してはいけないこととは知りながら、あまりに非常識な言葉に、思わず副料理長の言葉を遮ってしまった。
交際の許可? しかも半年後の婚約発表? この下働きの娘でしかない自分と、彼は本気で結婚するつもりなのか?
そういえば、先ほど『アレを前提として』とか結婚を匂わせる言葉はあった。貴族の間では本人の了承など二の次て、親の了承を得ることの方が重要らしい。なれば、ティカにそんな宣言をする以前に、ここでは親代わりとなる副料理長に話が行っていてもおかしくはないのだろう。
だが、本当に、一目惚れしてすぐに結婚と結びつく上、その行動力の素晴らしさには呆れてしまう。
「……先ほどな、後日相談したいことがあるので時間をと書状にて挨拶がきた故、帰宅なさるところをとっつかまえて、今、口で言えと言ったら……そういう話になった」
「どんなっ」
「お前を、好いて、いるから……婚約発表までの半年の間、に……そのっ……エドガード様の叔父上に養子入りさせ、デビュタントを行い、王妃様が主催の夜会にてその発表をするので、そのための準備をと……」
「無理ですがな」
「……だろうなぁ」
きっぱり告げた否定の言葉に、副料理長は困惑気味にも頷いて見せた。
「俺も、お前じゃ無理だろうと思ってる……悪いが、馬鹿にしてるわけじゃないぞ? 貴族っちゅうもんは、そんな甘いもんじゃねぇってことでだ」
真正面から否定されたが、そんなものはティカも承知しているものだから、頷くしかない。
デビュタントだの夜会だの、つまりはダンスを踊ったり社交的な会話を楽しんだり……している自分など想像できもしない。
そもそもドレスに触れる事すらないティカには、着るだけでも敷居が高すぎる。ああいうものは、遠くからきれいじゃなぁと見る程度が一番いいのだ、自分が参加するなど冗談ではない。
ティカには、汚れてもいいお仕着せで駆け回っている方がずっとマシで、おしゃべりでもしながら洗い物をしている方がよっぽど気楽だ。
「……すまん、まぁ……俺も否定はしたんだが……」
濁されたあたり、否定し切れなかったということだろうか。
たしかに、エドガードは少々押しが強いとは思う。そう簡単に引いてくれはしないだろうが、でも、このお人が困るほどの状況というのは、むしろ珍しくて、そちらのほうにも驚いてしまう。
「とりあえず……来月辺りには、お前の父がエドガード様の叔父上に代わり、お前は子爵令嬢となる……わけなんだが……」
「と、とめられませんか?」
「もちろん、そんなものこちらの了承なくできん。拒否すればすむだけのことだ……だが、お前にとっても、これはチャンスなんじゃないか?」
なるほどと合点がいった。副料理長は、冗談じゃない、無理だと強く突っぱねられないその理由、それは、ティカの気持ちを慮ってのことらしい。
もしも、ティカがそうしたいと強く思うなら、副料理長は応援すらするつもりだろう。確かに、相手がティカでなければ、素晴らしいチャンスではあろう。社交界に憧れ、祭りの夜に美しい騎士様に見初められ、子爵令嬢になり婚約して、素晴らしい結婚を……出来すぎた夢物語がそこにあったが、ティカには、そこに乗ろうという気がさらさらなかった。
「そんなん、無理じゃし」
きっぱり否定を繰り返すティカに、副料理長は心を見透かすようにじっと見つめてくる。
その瞳に何が見えているのか、一瞬、まずいものでも見つけてしまったとばかりに視線がそらされ、俯きながらにぼそぼそと言葉を紡ぐ。
「試してみても……」
たしかに、こんな機会は二度とないだろう。断れば全てを棒に振るのみならず、エドガードの真心までも踏みにじるようなものだ。
それにのれば、そんな夢物語が実現するのかもしれない……でも、そこに多大なる苦労が付随していることはティカでもわかった。夜会に必要なダンスや会話だけではない、ティカにはそもそもの素地がないわけだから、歩き方から座り方から、何もかもの所作を正され、人の名前どころか身分についての基本のきから教え込まれ……おそらくその半年というのは地獄の日々となろう。そんな苦労を甘受できるかといえば、きっぱり否定したいところ。
繰り返し無理だと告げて首を振れば、副料理長は頷いて、重い腰を上げた。
「わかった、これは俺の方で拒否しておこう」