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07.ところであなたは何方(どなた)さんで

「伯爵家嫡男のウォルカー・セレス・デ・オーギュスタンと申します、以後お見知りおきを」

なるほど、その容貌に反してあまり噂にあがらない方だと、その身分を聞いて納得してしまう。

 伯爵家ご嫡男では、そうそう噂にしようがない。下働きの間で噂になるのは、貴族でも次男か三男で家を継ぐ予定のないものか、平民出身者だ。王族や長男なんぞという雲の上の存在は、噂にすらあがらない。

 女性というものは、案外堅実なものなのだ。

 もちろん、行儀見習いで来ている令嬢や、それなりの位のある女官たちなら別だろう。そういう方々なら、多少は夢だって見られるかもしれない。だけど、下働きの身分では、ヘタに噂にしようものなら不敬罪、お手つきにでもなろうものなら口止めに命すら危ういもの。

「どうか、ウォルカーとお呼びください」

覗き見騎士の名は、ウォルカーと言うらしい。

 エドガードより随分と気さくな感じだが、エドガードよりなにげに身分が高いのは気のせいか。そのくせ、エドガードのほうが隊長であるのはどうしたことか。

 伯爵家の次男と嫡男だが、同じ伯爵家でも家の位というのは違うのか。それともエドガードは自身も准男爵位を持つから、親の威光や将来性は関係なしに、今の位による差か。

 じゃが、やっぱ、将来の伯爵様と准男爵様とでは、後者が低いと思うのじゃけんど……などと思いつつ、どのみち、ティカにとっては雲の上の存在であることには違いない。

 今の話題とは全く関係ないことに悩むティカに、覗き見騎士改めウォルカーは、にっこり優しげな笑みを浮かべた。

「いやほんと、気軽に名前で呼んでよね?」


 あの後……エドガードは、かなり立ち去りがたしとばかりにぐずついていった。

「いつ来てもいいよう、紅茶とクッキーを用意しておきます。クッキーより、ケーキの方がお好きですか?」

来て欲しい来て欲しいと強請ねだるように、そんなことを言う様は、待ってができぬ子犬に等しい。

 クッキーやケーキという餌で釣ろうという気がありありと見えているが、ティカにはどちらも年に一度口に入ることがあるかどうかという、はるか遠い代物だった。

「急場で匂いの強いものばかりをえらんでしまいましたが、花は、ダリアやスミレの方がよろしかったですか? あなたは、特にダリアが似合いそうだ」

もしかしたらエドガードは、今回ばかりではなく、また、花を持ってくるつもりなのかもしれない。

 だけども、そもそも花の名前を言われて、どんな花か思い起こせるほど知識はなく、花自体が迷惑とか思っているティカとしては、ただただご遠慮させていただきたいところだ。

「今宵が待ち遠しい……昨夜より、今の時までがどれほど待ち遠しかったか、おわかりでしょうか? そして、今この時間がどれほど過ぎ去るに早いか……」

かなりいろいろ言われたが、全てにあいまいな笑みを浮かべ、果てには困った顔でうつむいてしまった。

 そもそも口を開いていいものかも微妙だ。さすがに交際了承と、仕事中や毎晩の訪問を断る程度は口にしたが、それ以上のどんな返答をしていいものか、困ってしまうばかり。

 普通ならば、その身分の違いから口を利いていいわけがなく、ヘタ打てば挨拶するだけで叱責しっせきされる可能性だってある。相手からの好意があるとはいえ、恋人になったとはいえ、どこまで許されるものか知れぬ。

 はっきり言っていいのなら「迷惑じゃし」とか口を滑らせかねないが、そんな失礼なことを言って、どんな不興を買うか試したくはない。

 困って困って困ったところで、さすがに助けの手が必要かと、静観……ではなく楽しんで眺めていたウォルカーが口を利いたのだ。

「もうそろそろ開放してあげないと、お腹空いちゃってんじゃないですか?」

「では、いっしょ……」

「だーめーです、あなたはこれから、お兄様とご会食でしょう」

まだ時間はあるだの身だしなみにかける時間がだの約束の時間より早めにいるがベストだのと言い合う2人に、ティカは外でやってくれんもんかと思っていたら、不意に両手が握られた。

「また、後ほど……」

ようやっと諦めたらしいエドガードが、大きなその手でティカの手を包み、なんとも切な気な表情で言い募る。

 もっといたい、その瞳は口にするより雄弁に語りかけて、ティカはなにも言えなくなる。しまいまっとらおわったのならさっさといぬるがいってくださいとか思っていたなんておくびにも出さず、こくんとうなづいて、その背中を見送った。

 目に見えてがっくりと気落ちしたエドガードが、ウォルカーに押されて連れられていくのは、少し哀れにも感じる。でも、もっといて欲しいと思うには、ティカにはまだ恋のヴェールが足らず、かつ失礼ながらにいろんな意味で花束が重かった。


 エドガードの背中が見えなくなった途端、ティカは、先ほどウォルカーが示した場所にやってきた。そして、早々にハンカチを枝にくくりつけ、ウォルカーを待つべくその場に座り込んでいた。

 当然ながらにこんなものを持ちっぱなしでいられるわけもなく、自室に置く場所もなく、誰かに託すつてもなく……とりあえず処分に困るまま、膝の上に置いてためいきをまぶしていた。

 すぐとの言葉にこれほどまで似合いなタイミングもないものだと思うほど、ウォルカーはティカを待たすことなくやって来た。

「そこまで速攻で来ないでも……」

なんてぼやきは、とりあえずほっぽっとくことにする。すぐさま来たのは彼とて一緒で、エドガードを見送ってすぐにここへやってきたのだろう。

 まずの名乗りに思わず逃げたくなってしまうが、逃げることなど叶わず、逃げたところで膝の上の花束はなくならず、しょうがないと腹をくくって顔を上げた。

「私は、ティカと申しますだ」

ウォルカーやエドガードと違い、ティカには名乗る家名もない。書面上では、副料理長のウィル・フェル・ユーグを父としているので、ティカ・ユーグと名乗ってもいいのだが、恐れ多くて名乗れないのが実情だ。

「はいはい、存じ上げていますよ……まぁ、城の警備を担当するからね、城に出入りしている人の顔と名前ぐらいは知ってるよ。って言っても、君の場合は情報が少なすぎて、パムの村出身で両親がいないことぐらいしかわからなかったけどね」

ティカ自身、『ティカちゃん』なんて呼ばれた上、縁駄えんだに結婚報告をしようってぐらいだから、それぐらい知られているのだろうとは思っていた。だが、当然のように自分の知らぬ人に自分のことが知られているというのは不安がある。

 別に、それをネタに害されるかと危惧するわけではなく、それで職を失う恐れもない。むしろだからといろいろ庇護ひごを受けている身で、隠すものもありはしないのだが……。

「そんだけ知ってりゃ重々ですがな」

「その、いない両親の詳細まで調べが行かないのが困るんですよ」

「……父はしぃたらんしりませんが、母はレティエっちゅうパムの村の娘ですがな」

父は副料理長と言った方がいいのだろうかと、ちらっと頭をかすめるが、それは城で働いている以上言わずもがなだろう。

「……レティエ……そう」

おそらく、今、ティカの母の名が判明したことで、それに対しても調べられてしまうのだろう。すれば、もしかしたら父の名もあがるやもしれぬが、そうなったとて、ティカの母が亡くなっている以上、確証がないので問題にもあるまい。

 よしんばそれが王族だとて、王家の者だけに現れるあざとか王家の者だけが持つ力だとか特別な指輪だとか……そんな物語のような確証がない以上、面倒ごとになどなりようがない。

 ましてや、今まで黙っていた相手が、実子の存在を知り騒ぎ立てるなんてこと……ありえやしない。

「それはともかく、これ、どうにかしてくれんじゃろか」

少しばかり思うところに不安も募るが、今、考えたところで何も分からず、下手の考え休むに似たりということもある。ティカはあっさり話を切り替えた。

 バラにユリにジャスミン、そしてそれを包むレース、明らかにティカには不相応な品物。ずずいっとウォルカーのほうへと押しやって、その手に握らせられれば、少しばかり晴れやかな表情のティカの代わり、ウォルカーが苦笑を浮かべる。

「ああ、そうそう、そうだった」

そう応じて受け取りながら、いろいろ重いよなぁなんて、小さな声でウォルカーはぼやく。

 重量はもちろん、女の子が軽々持てる重さではない。値段ももちろん恐ろしいほど、バラなどちょっと時期が外れているから、おそらくふっかけられただろう。そして直接渡した上で『結婚を前提として』とは、いくらなんでも重過ぎだ。

「花はね、まぁ、うちで買い取るよ」

「買い取り? 贈られた品で金品をもらっては、ことですがな」

「ん~じゃ、半分もらって、半分はその代価として加工してあげる」

ティカの本音としては、エドガードの目の届かないところで捨てて欲しいところだが、たしかにここまでの品をただ捨てるというのはまずいのだろう。しょうがないウォルカーの申し出を、ありがたくなくもないけれどと受け取ることにしておいた。

「バラ水あたりなら、気軽に使えるんじゃない? ユリは押し花か……ジャスミンは花茶か……まぁ、少しぐらい楽しんであげて」

ティカよりもよっぽど女子力が高そうなウォルカーの提案に、ティカはとりあえず頷いておく。ティカには一枝ぐらいは、部屋につるしておくか程度の考えしかなかったのだからしょうがない。

「ご面倒かけますが」

「いえいえ、隊長の未来の奥様のためですから」

何を言うちょりますかと、驚いたティカの心の言葉が聞こえたわけではなかろうが、ウォルカーは痛ましげに首を振った。

「ティカちゃん、25歳の男の純情を舐めちゃいけないよ、しかも、あれであの人、初恋だ」

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