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01.一目惚れとは如何(いか)なるものか

 けたたましい音とともに、ぱっと夜空にはじけた火の輪。

 まぁるく散った火の粉に照らし出され、幾重にも重なり合うとんがり屋根の尖塔せんとうが、夜空に黒々と浮かび上がる。

 城の前の広間で上げられているのだろうその花火は、こちらからは城の陰となってしまってよくは見えない。

 その輪をもっと見ようと後退あとずさりするが、高い塔の背に隠れがちになるその全貌ぜんぼうを見ることが叶わず、断続的に上がる火の輪が、次第に色を失い散ってゆくのを惜しむばかり。

 一瞬、城の向こうにいられる人というのはどういう人なのだろうか……城の陰から見る事しか出来ぬ、自分の惨めな立場をかんがみるものの、だからといってその立場を取り換えられるわけがない。

 身分も考えずふらふらそちらに出向くわけにもゆかず、でも、少しでもよく見れぬものかと、背にした高い塀に身を押し付け、精一杯に背伸びまでして空を見上げる。

 底辺とも言えるこの惨めな立場とて、その花火を美しいと思う気持ちはうつろわぬもの。

 その音に気づけた幸運、せめて、こうしてゆっくりと見ていられる幸運に感謝した。


 本日は建国記念日ということで、誰もが浮かれあがっていた。

 でも、ティカのような水場の下働きの身では、そんなものは関係ない。

 今日とて当然のように出てくる洗い物や洗濯物は、お祭りであっても待ってくれるわけがない。むしろ、お祭りの日だからこそ増えた洗い物を前に、ぐずなティカはまた減給処分を承ってきたところだ。

 この国エンデンバーグの、王城の水場の下働き。身分こそ労働者ではあるものの、給金はスズメの涙ほどもなく、衣食住が整っているだけでも御の字だろうといわんばかりの、奴隷まがいのものでしかない。

 朝早くから起き出して、複数ある炊事場の床掃除をし、朝食を終えたら、後はずっと冷たい水で洗濯三昧。それが終われば夕食をもらって、食堂や炊事場の掃除をして1日が終わる。もちろん、貴人のいる場所からは程遠く、きらびやかな現場の裏方のさらに裏の隅っこの方の存在だ。

 常に腰を曲げているため、腰痛はもう持病みたいなものだし、膝も擦り切れてしまってる。手は荒れているなんてレベルではなく、グローブのように腫れ上がっている状態だ。

 過酷な労働状況のせいもあり、担い手は少ない。でも、だからこそ、ティカのように親も保証人もない田舎娘が安全に働ける唯一の場所でもある。

 もちろん、技術があれば糸紡ぎやお針子、パン焼きという職もあるのだろうが、腕もつてもないティカにはどうしようもなかった。枯れ木のように貧相ひんそうな体では、身売りすらもままならない。二十歳も過ぎた身ながらに経験がなければ、稚さや技術を売ることもできず、行き着いた場所がここというのは上等な方だ。

 それでも、こうして手や腰の痛みを堪えながら、焦がれるように空に浮かぶ花火を見ていては、少しの情けなさもこみ上げてくる。

 その美しさに呆けて、口を開きがちにいたことにすら気がつかず、次々とあがる火の輪に見とれていた。


 不意に、ガサッと近くの茂みが揺れた。

 城の裏に位置した水場のさらに向こう、下働きの者たちが住まう場所の、そのまた裏側にあるこの場所は、普段でもそうそう人がいる場所ではない。

 壁から3歩も進めば、身長の3倍以上はあろう城の外壁があり、その向こうは深い堀に面しているため、少々じめついていて寒い。その上、建物一つ二つ越しとはいえ、ご不浄処理場に近いこともあり、もれてきた匂いでほのかに臭い。

 この建物の表側なら、下働きの者たちが通ることもあろうが、この高い塀の上なら、警備の者も通ろうが、ここにティカ以外の人がいたことなど一度もない。

 だから、その音も、猫かネズミのものだろうと思った。

 城のお姫様たちは、どうも小動物がお好きなようで、子犬や子猫を大量に飼う。犬は大人しいものだが、猫たちは部屋にこもるのが苦手なのか、よくあちらへこちらへ散歩して、ここいらにまで遊びに来ることがある。

 きっとそういうことなのだろうと気にもせず、空の明かりに呆けていれば、上のほうから声が降ってきた。

「こんなところに……」

「へ?」

声に驚き思わず振り返れば、横合いより大きな影が、かぶさるようにこちらを覗き込んできた。

 その大きな影は、ティカよりゆうに頭一分は高いのだろう。その威圧感に、思わず腰が引けてしまう。

 建物の壁と外塀の間は、ちびのティカからすれば両手を広げても通れるほどだが、その影が渡るには少々狭いようにも見える。

 彼は、ティカを見つめたまま、一歩も進み出そうとしない。外壁を背にしてぴったり張り付いてはいるものの、邪魔をしてしまっているのかと不安が募る。

「ピクシー?」

『邪魔』とか『どけ』か言われるかと思いきや、とんだメルヘンチックな言葉がその影からこぼれた。

 花火の弾ける祭りの夜に、城の端っこで妖精ピクシーに出会いましただなんて……どこの童話だと、ティカは思わずずっこけてしまう。

 小さいといっても、ティカの身長は平均よりちょい下ぐらいだ。枯れ木がごとき痩躯そうくのせいで、さらに小さく見えはするが、それでもピクシーと見紛うほどはない。たしかに、伝承に近しい赤毛だし、日中洗濯室にこもっているから肌も青白いが、そばかすの散る鼻は反るどころかちょこんと小さい。ナイトキャップではなく、頭には綿帽子のような白のキャップをすっぽりとかぶっている。着古されてはいるものの、空色のワンピースも白のエプロンも、城ではなじみのお仕着せだ。

 まったくなんてメルヘンさんじゃと思いつつ、ティカは不躾ぶしつけにその影を見上げてしまった。

 おそらく近衛騎士の1人だろう、白に豪奢ごうしゃな金糸の縫い取りのある、騎士の正装姿。腰にいた剣の紋章から、結構位の高い人なのだと知れるが、ティカにはただ綺麗だから凄そうとしか分からない。

 暗いせいでその面立ちはよく見えないが、ティカを見つめる瞳は鋭く、影の縁取りがキラキラと銀の光を放っているあたり、白銀の君と呼ばれる騎士様の姿を彷彿ほうふつとさせる。

 おそらく、エドガード ・フォン・リグゼルドその人だろう。

 眉目秀麗にして鼻筋が通り輪郭の整った隙のない顔は、どこか甘さを含み、微笑まれれば心臓をわしづかみされるらしい。暗がりながらも上品にして端正な顔立ちはうかがい知れる。

 洗濯場でもよく黄色い悲鳴混じりに噂されるそんな方が、脳ミソこんなにメルヘンなんじゃろかと失礼なことを考えた時……ティカは、その身分差にふさわしくない自分の態度に気づいて、背筋が凍った。

 通常、ティカ程度の身分であれば、貴人の目に触れるような場所は出歩けもしない。視察等の時など強制的に休みを取らされるのが常であり、やむなく出会ってしまった場合は、端で頭を下げているべきだ。目を合わせることすら禁じられているのに、不躾な視線を向けていいわけがない。

 だが、今はどうだろう、その発言のあまりのメルヘンさに驚いたからとはいえ、真正面からじっと見つめてしまっている。

 どくどくどくと心音が激しくなり、背筋を冷たい汗が滑り落ちる。ティカは、自分の失態のあまりの重さに怯え、俯くことすら遅れてしまった。

 勢いよく俯けば、ずっと手に握っていた、生成りの下着が目に入る。

 もうくたくたになるほど洗い絞られたティカの下着だ。貴族が着る木綿製の華奢きゃしゃなものなどではない、毛織でひざから腹のあたりまでをカバーし、股間部分だけ柔らかな布で補強を持たせたズボンと見紛う代物で、洗濯場の冷えから腰を守る大切な代物だ。

 そもそも、下着を洗うために部屋の外におり、花火の音に気付いてぼんやりしていたのだという現状を思い起こして青くなる。

 足元には、水にひたったままのものまでたゆたっていて、つまり騎士様は、これが邪魔で通行できなかったというわけだ。

 ティカは、自分の失態もさることながら、下着をさらけ出している恥ずかしさに火が出る思い。

 真っ赤に染まりあがった顔で身をこごめていると、ティカの髪にエドガードの手がそっと触れてくる。

「恥ずかしがる必要など……」

下着じゃし、恥じがいはずかしいが当然じゃろ! と、ティカは思わず口にしようとするが、そんな暴言を言える相手ではない。

 おそらく、ティカが持っているものが、下着だと気付いてもいないのだろう。貴族のご婦人方の下着といえば、ドロワーズやシュミーズといった木綿製の柔らかいものが主だ。こんな毛織のズボンのような代物は、見たことがなくて当然だろう。

 懇切丁寧に説明などしては、恥の上塗りになるばかりか、相手にもいたたまれない思いをさせてしまうことだろう。今更ながらにしゃがみこんで下着を片付けたりすれば、逆にそれを印象付けてしまうばかり。

 しょうがないそれはそのまま放置することにして、二~三歩壁伝いに距離をとるが、エドガードはそれをたったの一歩で詰めた上、ティカを引きとめんとその手をつかんでくる。

 ど、どうすればいいんじゃろかと、ティカは頭が真っ白になった。

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