14.何(なに)がなんでも拒否したいところ
この国で兵を持つことが許されているのは、国と貴族と神殿のみ。どれだけお金があろうとも、どれだけコネを持っていようとも、爵位のない富豪が私兵を持つことは許されていない。
逆に、神殿は侵されることなき聖域であるべきという信念の元、どんなに小さくとも辺鄙な場所に在ろうとも、私兵を置くことが許されており、この神殿にも1人、通いの騎士がいる。
「……し、神官様」
それは、神官様が此処に赴任する前より仕えていた方で、今、どうしようもない雰囲気に陥ったこの部屋に、ちょうど駆け込んできた男がそれだ。
見上げるほどの長身に引き締まった体躯の持ち主で、相対的に細くは見えるが、がっしりとした筋肉に覆われたその肉体は、触れれば逞しいと知れるもの。よく、表で遊ぶ子どもたちの登坂訓練道具にされており、時には2・3人の子どもをぶら下げたままに、辺りを視察していたりする。黒い短髪は立つほどに短く、常に少し険しい顔をしていながら、その行動はなんとも優しく気遣いに満ちており、子どもやお年寄りに大人気……お年頃の女性からは遠巻きにされているのを気にしているようだが、その辺りは触れないほうがいいのだろう。
基本的に神殿は、有事の際の避難所の色合いも強く、この祈祷場が石造りのしっかりとしたつくりなのもそのせいだ。そして、その時矢面に立つのは当然彼で、常に欠かさぬ鍛錬の成果は見て取れる。
「ラウル、遅かったですね」
あ、この人がラウルっちゅうんじゃったか……。
しばらくここで厄介になっていた時期もあるというのに、今、初めてその名を聞いた……というより、この人こそが、ティカを盗賊被害から助けてくれ、ここに連れてきた張本人でもあるのだが……むしろ、だからこそ、あえて関わろうとしなかったのが問題だったのだろう。
当初はもう呆然としていて、それ以降はそのことを思い出してしまうから、挨拶以上の言葉なんて交わしたしたことがなかった。
なるほど、先ほどマニュエル神官が、うっかりこいつかち聞いちょったんは、一番身近にいる騎士であり、自分の部下であったからか、部下の不始末をまず心配したということか……とティカが納得している間に、彼らはひそやかに言葉を交わしてこちらを向いた。
「ちょうど、ラウルが城に用事があるそうです。なので送らせます」
どうしますか? という体裁すらとらないその決定事項の通達じみた言葉に、少し慌ててしまう。
確かに、話したいことはもう済んでいるし、戻るにはいい頃合だろう。時間がわからないので、馬車の待合場所で待つのも大変なので、送ってもらえるのは大変ありがたい。
だが、彼は明らかに報告とか通達とか、そういう部類のものを持ってきた様子で、今からすぐにある城の用事とやらは、おそらくその伝達をしにいこうというものだろう。ついでに送ってもらっていいものか……少し怖くもなってしまう。
「お、おおきん」
とはいえ、決定事項とばかりの言葉と、なにやら書状を書き始めたマニュエル神官の様子に気おされて、しょうがない帰り支度をしようと椅子から立ち上がり、自分の知る限り一番優雅に礼をした。
残念ながらマニュエル神官は見ていなかったようで、ちょうど目のあってしまったラウルに苦笑を向けながらに退出した。祈祷場を通り抜けて外に出れば、入り口のすぐ側に、大きな馬が大人しく待っていた。
普通の馬より一回り大きな、軍馬にも見劣りせぬ真っ黒な馬は、もう用意万全とばかり、鞍がつけられ主人を待っている。どう見ても、これから早駆けするつもりだったろうに、本当に邪魔していいものか、再度不安が押し寄せてくる。
「お待たせしました」
そう待たせもせずに、封書を預かってきたらしきラウルは、懐を確認しつつ出てきた。
そうして、ひょいとティカを抱えて馬に乗む。なんだか手馴れているのはいいのだが、どうにも子ども扱いされていると思うのは、ちょこんと手前に乗せられたせいか。
馬にまたがるラウルに抱えられている……とはいえ、鞍にお尻をつけてはいるものの、先端の反り返った部分を避けるように膝をかかえてお山座りし、両足は前に放って、脇の下から伸ばされた左手に腰を抱かれ、同じく脇から伸ばされた右手が手綱を握る……これは、子どもを乗せるときの状況では? と思えてならない。
もちろん、スカートを広げて馬をまたぐのは論外ながら、女性ならば横座りさせるのが真っ当ではないのだろうか? それは物語の中だけなのだろうか? 完全たる子ども扱いに、まぁ、短い距離だからと文句を飲み込んで、ラウルの胸に背を預けて揺れに身を任せる。
「ご結婚、なさるのですか?」
もう、城まで少しというところで、唐突にラウルはそんな問いを向けてきた。マニュエル神官からなにか聞いたのかとも思ったが、考えてみれば宣言までした神官がそんなことをするわけもなく、そんな時間とてなかった。ならば、既にそんな噂が出回っているか、それだけこの人が情報通ということなのだろう。
「ほんに、どうしてなぁ~。みんな、身分も金も顔も、わしには分不相応っちゅこつわからんのんかね」
否定の言葉の代わり、できぬ言い訳を連ねてみれば、彼は小さなため息をついた。
何のため息かは知らず、どうしてため息なんぞつかれたかも分からぬが、ティカにはそれが、責められているようにも感じられた。また、そんなことを言うのですか……と、まるで言外に思うところがあるような、そう読み取ってしまうのは、自分が嫌だ嫌だと否定ばかりしているせいかもしれない。
「それでもというのが……」
「そじゃったら、あれじゃ、やっぱもうこの年で結婚ちゅうんは……」
「言い訳を探しているのですか?」
言われて気がついたとは困ったもので、ティカも自分で気付かぬながら、どうやら結婚しない言い訳探しに奔騰していたらしい。
結婚したくないから、だから、結婚できない理由を探して、あれやこれやと理由を連ね、否定されては困ってしまっていたというところ。
「そじゃなぁ……わしは、ただ、結婚しとうないだけじゃけぇ……幸せなんちなりとうないんじゃ」
素直に認めてみれば、ただそれだけのこと。お金も身分も年齢も外見も関係なく、ただ、結婚したくないのだ。
自分にその資格はない、そう言おうとも誰もが納得してくれない。結婚するのが当然で、なぜだと理由を追求してくるが、その盾代わりの理由すら、全て容易く看破されてしまう。
「承知しておりますが……それは、飲み込みたくありません」
「なんじゃそりゃ、わかってくれんのんか?」
「いやです。もし、相手が問題だというのなら、私が、成り代わりたいほどに」
一瞬、プロポーズかとまごうてしまうような言葉に、ティカは小さく笑みこぼす。何を言っちょろうかとため息ついて、首を横に振った。
相手が嫌などではぜんぜんない。むしろ、もしも結婚したいという気持ちがあるなら、相手はエドガードより他にありえぬと思うほど。面倒であっても、大変であっても、それでもエドガードと共に在るための苦労ならば、納得も出来てしまおうほどに……だが、残念ながらにティカには結婚する気が欠片もなく、できればもてあそばれて終わりが理想なのだ。
そもそも、エドガードが嫌で、ほかの人ならいいとその言葉にのるぐらいなら、それ以前に結婚話も出ていただろう。一瞬、プロポーズかと思う言葉は、だが、他人に取られたから慌ててのセリフでも何でもない。ただ、幸せになりたくないからと否定するティカに対する同情だ。
「信念のために、哀れん子ぉを娶ろうなんちばかなこつ考えんでないよ。あんさんは、同情や罪悪感をそれにすり替えているだけじゃけぇ」
「そうでしょうか?」
切羽詰ったような声とともに、ぎゅっと、ティカを抱く腕に力が込められた。
「ティカ様!」
唐突に聞こえた大きな声は、エドガードのもの、顔を上げれば、城の中からほかの人を蹴散らす勢いでかけてくる馬があり、その馬上の人であるエドガードいた。
「なんで様っ! 騎士様のが様付けされるほうじゃろが!」
思わずつっこみが出てしまったのは、ラウルと馬に揺られて気が緩んでいたせいか、貴族様であるくせに、平民風情を様付けしてきたあの、恋に目のくらんだ頓珍漢のせいか……。