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13.むしろ何故(なぜ)結婚なのでしょう

「なぜ、そのようなことを……」

ティカの物言いに、先ほどまで苦笑を浮かべていた、マニュエル神官の表情が固くなる。睨みつけでもするかのようなその眼差まなざしは、神官としての清廉とした雰囲気とも、ちょっと抜けた感じを見せる普段とも異なり、ちょっと恐ろしく思えるほど。

 だが、それに怯みもせず、ティカは口角を上げただけの微笑みを見せ、ゆるく首を振る。それ以上は追求するなと、まっすぐ見据みすえる眼差しが言うも、マニュエル神官とて引く気はないと身を乗り出し……。

さかまぎゃくにな、なんで結婚できるち思っちょるんかわからんわ」

彼が何か言おうというところで、喉がかわいたとばかりにコップを持ち上げ、そのコップの影に隠れるようにして口を開いた。木の柔らかな感触は、少しだけ、とげ立っていた心を柔らかくしてくれるよう。

 説教か追及か、明らかにきついなにかが零れ落ちそうだったその口は、一度閉じられ飲み込まれ、あらためてゆっくりと開かれた。

「……どういうことですか?」

注意深く問いかけてくる様子に、ティカは思わず笑ってしまう。おそらく言いたいことは別のことだろうに、とりあえず引いてくれることにしたらしい。

 結婚する資格なんぞない、幸せになる資格なんぞない……そもそもそ、こうしている資格すらも……ないないないと言い続けることにティカが飽いたとて、マニュエル神官はその都度言い返すことだろう。

 だが、今は、それよりも別の言葉が、むしろ聞くことが必要と、マニュエル神官は問いだけを口にした。

「必要なものは全てあちらでそろえるつもりでいらっしゃるのでしょう? それこそ地位すらも……それならば、それに甘えればいいだけの話ではないですか」

そう、早速身分を用意しようと動き出すような相手が、花嫁衣裳や道具にケチるわけもなく、ひょいと渡された花束よろしく、過分も過ぎるものが容易く用意されることだろう。

 それでも、身分の差というのは、もっともっと根本的に根付いてしまっているものだ、それこそ、世界が違うのだ。

「じゃけん、どうしようもないもんちあるじゃろ? そもそも生まれは変らんち、わしは城の水場の下働きじゃ、端女じゃ。あちらはちごぉて伯爵家の次男坊で、自身も准男爵位を持つ騎士……未来は子爵様か? こりゃ雲泥の差っちゅうやつじゃろ」

「それは、リグゼルド様の叔父上のご養子となられれば……」

「生まれは、変わらん」

養子となって、名前が変わって……それで何かが変わるだろうか? ただのティカであった彼女は、ティカ・ユーグに変わってはいるが、そこで変わったものなどなにもない。ただ、それを見て周りがティカにではなく副料理長へ文句を言うようになる、一つ守られるあてができた、それだけの話。

 身分が変わって名前が変わって、それでも、ティカはティカでしかありえない。

「必要なのはリグゼルド様のお子であって、それが望めるのなら平民腹であろうと、伯爵様も子爵様も文句を言いますまい。そもそも、リグゼルド様の叔父上の子爵位を継ぐのであれば、養子にするに都合のいいあなたのような平民は、願ってもないことでは?」

まごうちょるなぁまちがえてます……生まれがかわらんちゅうんは、住む世界がちがうっちゅうことじゃ。養子縁組しようと、ハリボテの身分で隠しきれん教養ちゅうもんがあるじゃろが」

「その方言……ですか?」

「もちろんこれが最たるもんじゃろな。7年なおらんもん、そうそう変わるわけがなかろが」

「それは、その意思がなかったからでは? よき教師さえあれば……」

それが面倒で嫌だというのも正直な話だが、さすがに今それを言ったところで呆れさすだけだ。

 よき教師も用意してくれるのだろうが、そうして一流のレディになりましたなんていうのは物語にまかせておけばいいものだ。現実としては、できれば堅実な道を行きたいところ。

「口調がようなっても、教わらんとならんこつどれほどある? わしは文字すら解さんで。読み書き、礼儀作法、ダンスに剣術」

「いえ、令嬢に剣術は必要ありません」

「も、物語では、歩き方の勉強やら、笑い方の勉強までせんちいかんちゅう話じゃろ? そんなもん、令嬢がデビュタントのために10年がんばるんじゃったら、わしじゃ20年かかるじゃろ。ちゅうことは、結婚も20年後っちゅうこっちゃなぁ」

「……リグゼルド様は、なんと?」

「半年後に婚約発表するけん、すぐ養子入りさせてデビュタントっち言っちょったらしいなぁ」

「その半年が20年になることを、許してくれそうですか?」

「そら、気の長いこって……結婚までにはおじいさんになっちょろうか」

ティカがおどけてそう言うと、マニュエル神官は頭を抱え、大仰にため息をこぼした。繰り返されるため息のせいで、足元には陰鬱いんうつな空気がただよってさえいるような気すらする。

「しかもなぁ、持参金なんぞわしには出せんち、結婚税だって……」

「結婚税は貴族には適用されませんよ? あれは、領主に支払う税でしょう? そもそも王都では除されています。結婚税の代わりに、花嫁が金貨を道にまくというのはありますが、最近はそれも、金の紙で包んだ菓子に変わりつつありますよ」

「……そじゃったか」

そういえば、この間街中で見た結婚式では、新婦がコインの形をしたお菓子をまいていた。なるほどそれが結婚税代わりだったのかと納得すると同時、一つ言い訳がなくなったことになってしまい、新たな言い訳探しに惑ってしまう。

「持参金も要求されはしないでしょう、それだけの身分差があれば、ないのが当然です。むしろ、支度金として、いくばくか……いえ、支度も向こうで考えられているかもしれないでしょう」

まぁ、それはティカとて理解しているが、それでも、どうしても、お金がないんじゃけん結婚できんというのは一番当たり障りなく、かつ正当な理由としてあげておきたいところ。

「それに年もな、わしはもう23歳じゃけん」

「リグゼルド様は年下でしたか?」

「いや、25・6歳じゃったか……男としてはまだ結婚に焦る話じゃなかんべ」

「それならば、なんら問題なんではありませんか」

「な、ないじゃろか……」

問題ない、問題は本当にないのだろうか、ないないと否定され続けてしまうと、なんだか下手な駄々をこねているような気がしてくる。身分にお金に教養に年齢、できない理由はたくさんあると思うのに、その全てがなんでもないような扱いをされ、ティカの方が間違えているのかと思えてくる。

「顔……」

「お顔が、どういたしましたか?」

「エドガード様は、こう、煌々きらきらしいんじゃ。まぶしいぐらい綺麗きれいじゃけん……できればこう、めごちぃかわいいのんが隣にいたほうがいいんじゃ」

「あなたもかわいらしいと思いますよ」

「わしじゃだめじゃろ、どう考えたって、バラと芋がらじゃ」

「別に、バラにバラを添えずともいいではないですか」

ティカとしては、あの人の隣には花を添えておきたいところ。自分が隣にあれば、引き立て役にもならぬ汚れもの……まさしくゴミムシがたかっているようにしかならぬだろう。

「むしろな、何で結婚なんじゃろか」

思わず、ため息とともに、一番の疑問が口からぽろりとこぼれた。

 もてあそばれる、それに否はない。身分差ゆえに命令されたらどうしようもない。

 恋人、それは過分でもあるが……それもしょうがない。しょうがないと言いつつに、嬉しい気持ちがあるのだから飲み込もう。

 だが、結婚は、2人の問題ではないのだ、簡単に決められるものではないのだ。なのに、なぜだかエドガードといい、副料理長といい、マニュエル神官といい……できるだろうとばかりに言うのかわからない。

「それは、男女がともにありたいと望めば、それが真っ当な形だからでしょう」

確かに、結婚していない男女がともにあれば、眉をひそめるものもいよう。だが、そうしている男女はいったいどれぐらいいるだろうか。

 真っ当ではないとか悪いとか言われようと、だからすぐ結婚なんてする者はそういない。自由でいたいとか可能性がとか、今はむりとか……言い訳が横行するのはそれだけ結婚が面倒なことに他ならない。

 情も愛もどろどろに絡んだ後ならともかく、なんで即結婚なのか、そこに違和感を覚える自分のほうがおかしいのか、思わず頭を抱えたくなってしまう。

「結婚しないと、一緒にはおられんか?」

「結婚もしていない男女が、ともにいるというのは誉められたことではありません」

「それがあらんかったら、そもそも恋人なんちゅうのんがあらんこつなってまうじゃろが。恋して、恋人になって……その先はまだ考えとうないわ、結婚なんちゅう面倒もんにさっさとまとめんと……」

「ですが、そもそもあちらは子を残すため、いずれ結婚しなくてはならないのでしょうし……」

「別れとうないから結婚って、それじゃ、別れんための首縄じゃ。子のためっちゅうんも、ちごとるちがいますじゃろ、子は引き離さんための道具か? ……そもそも結婚したとて、別れん話はのうなったわけじゃなかろ、離婚でしまいじゃろ? じゃったら、別れる別れない、惚れちゅう惚れとらん……そこに結婚を絡める意味がなかろ? 結婚は関係なかろぉが」

「そんなにおいやですか」

早口になるほどカーッとなっていたティカの頭を一気に冷やすほど、不意に、マニュエル神官の声が低くなり、どこか自嘲的な笑いを浮かべた後、まるで膝に埋まってしまいそうなほどに深く俯いた。

 何か、まずいことを言ってしまっただろうか、ティカのことのはずなのに、どうしてかマニュエル神官の古傷をえぐってしまったよう。なぜだかマニュエル神官は、自分が傷ついたとばかり、深く深く頭をたれた。

 それを如何していいかわからず、ぽつとこぼす応えは、やっぱりはじめに戻ってしまうのであった。

「わしに……資格なんちないけん」

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