12.何用(なによう)かと問われると困るのですが
神殿にも格というものがある。
一番は城地下の最神殿、次が祭殿、大神殿、聖殿、神殿、典礼殿、礼拝場……ときて祈祷場で、祈祷場のほかは、位がなくては入ることができない。そして、祈祷場にも一級二級三級という位と国の管轄と管轄外とに分けられており、一級二級はそれなりにお金を持っているものしか入れず、国管轄の祈祷場への入室も制限されている。つまるところ、ティカが入れるのは三級管轄外の祈祷場しかないのだが、これが王都の場合地区ごとに一つ二つあるので、数えれば20ヶ所以上はあろう。
王都第八地区三級管轄外祈祷場は、その中でも末端に位置する場所であり、森の間際にひっそりと建っている石造りの建物だ。華美な装飾はなく、重厚な円柱の建物の背後に箱型の住居スペースを持つ、こぢんまりとしたもの。円柱の上には鐘付き堂があるが、これもなんだかあまりに実用重視しすぎて面白みもないほど。
現在取り仕切っているマニュエル神官の前は、長く勤め上げてきたおじいちゃんが住んでおり、そのせいもあって、祈祷場の外は老人の憩いの場と化している。まちまちの木の椅子に腰掛け、ひなたぼっこをしている老人たちの側で、子守されるにはちょっと年齢が上の子たちが、本を読んだり文字を教わっていたりする。
それを横目に重厚な両開きの扉を開けば、まず目に入るのが祭壇に飾られた女神様の像。
右手には生命をつかさどる稲穂、左手にはそれを摘み取る鎌を持ち、人々を導いたとされる女神様。優しげな微笑を湛え、そのくせ堅実的に糧と武器を持つ女の姿というのは、なんだか妙に生活観あふれているというか、人間味あふれているというか、なんというか生々しいと思うのは気のせいか。
ステンドグラスに代わり、シカの角を削りキューブ型に加工したものが綺麗に並べられているものの、琥珀の様に半透明の窓は、外の明かるさを半減させてしまう。ロウソクがいくつも立てられてはいるが、室内はどうにも薄暗い。
その中で、一身に女神に祝詞をささげているのがマニュエル神官だ。誰がいなくとも、勤めを終えた後であっても、常に真摯に神に祈るその様に、相談者はむしろ自分の行いを恥じて相談もせずに帰っていくほどだ。
「お久しぶりですね」
こちらを振り向かずとも誰が来たかわかったか、不意に途切れた祝詞の代わり、そんな言葉がこぼれてきた。
一瞬、邪魔してしまったことをわびるか、回れ右して逃げるべきかと考えてしまうも、そんなまねできずに軽く頭を下げ、室内に入った。
祝詞を途中で終える失礼を神にわび、丁寧に幾度も頭を下げ、膝の下に敷いていた敷布を畳んでからこちらを向くマニュエル神官、相も変らぬ柔らかな微笑みは、むしろ女神以上に人の心をとろかせてしまう。
年のころは40前後、何の飾り気もない白の神官服は、立てられた襟元もきっちりと止められていて一部の隙もない。祝詞を上げていることのほうが多いせいか、焼けておらぬ肌に短く切られた茶色の髪、温かみを帯びたこげ茶の瞳。どこにでもいる容姿ながらに、どこにもいないと言い切れるほどに清廉な方だ。片手に畳んだ敷布を持ち、片手に聖書を持ち、すっと立つその姿ですら清らかさあふれるほど。
「……そうじゃろか? わしには日々めまぐるしゅうて、ついこないだに感じちょるが」
神殿には格がある、神官にも位はある、その二つを持ち得ないながら、ティカにとってこのマニュエル神官は、最高位と言って過言ではなかった。
「そうですね、神殿の時間は、少しあなたがたよりゆっくり流れているのかもしれません」
「じゃけん、神官様のおそばは息が抜けるんじゃろな」
「そう言っていただけると、嬉しいですね」
その微笑も含め、変わらないなとティカは思う。
ティカは、盗賊被害者として保護を受け、王都に来た。父親は知らず、母親を殺され、1人になったティカを、国は王都の神殿に保護した。当時15歳だったティカは、ここでしばらく厄介になり、城での仕事を紹介されて今に至る。
もう、7年も前のことというのが信じられないほど、ここは代わり映えがない。いや、代わり映えがないのはティカもしかりか、教えられれども文字を覚える気もなく、口調もなおる気がさらさらない。
「息抜きに来ちょるんじゃけん、大切なことじゃろ? じゃけんど……今日はな、ちぃと相談ごとが……」
「相談……ですか? では、あちらの部屋に移動されますか?」
今までティカが、こうして相談ごとをしにきたことなどなかったせいか、マニュエル神官は一瞬きょとんとした顔をして、奥の部屋を勧めてきた。
「……いいじゃろか?」
「どうぞ、お水ぐらいしか出せませんが」
祭壇の両脇にあるドアの右は、ご不浄場があり、逆は私室へと続いている。
私室はこぢんまりとした部屋で、簡易的な炊事スペースと共に、小さなソファとテーブルが窮屈そうに置いてある。
奥にもう一部屋あり、そこにベッドや書き物机などはあるが、一部屋しかないので、ティカが一緒に暮らしていた時は、マニュエル神官がここで寝起きしていた。
懐かしいななんて思いながら、進められるままにソファに腰を下ろすと、差し出された木をくりぬいたコップ。宣言通り中はただの水、ここで茶や酒の類が出ないのも7年前から変わらずだ。
「相談っちゅうんは……」
ティカはそれをありがたくいただいて、さそく本題を出そうとしたのだが、神官様は待てとばかり、ティカの目の前に手のひらを向けた。
目を丸め、何があるのかと見守るティカの前で、神官様はぱらぱらと聖書を開き、目的のページに手のひらを押し当て、目を瞑る。
「……私は、何事も神よりほかに伝えることなどせぬと誓います。たとえそれが罪に関する秘密であろうと、たとえそれにより多大な被害がおきようと、私と神よりほかに聞くものはありません」
祈るように告げられた宣言は、告白者の秘密を守るためのもの。それほどに重要な話をしていたつもりではなかったのだが、それでも、そのはっきりとした宣誓で安堵が広がる。
「おおきん」
礼を言って一口水を飲めば、なんだかそれだけで心の中の混乱の渦に清涼な一滴がこぼされたかのよう。すっと染み渡る清らかな水に似て、少しだけ嫌な気持ちも溶けていった。
「実はな、とある騎士様にプロポーズされちょるんよ」
「ぶっ」
あらためてと話し始めたその言葉に、マニュエル神官は盛大に吹き出した。王都にきてから7年、頻繁に会いに来るほどではないながら、よく知るこの人が、ここまで驚く様は初めて見た。
吹いたのがただの水でよかったと言うべきか、慌ててこぼれたそれを拭い、がちゃがちゃと音を立ててしまいながらに片付ける様を、思わずしげしげ見つめてしまった。
「ラ、ラウルですか?」
「いや、エドガード ・フォン・リグゼルド様っちゅうんじゃけんど……ラウルってだれじゃろか?」
「……いえ」
唐突に、知らぬ名を出されて否定をするが、マニュエル神官はしまったとばかり額をおさえた。
「えっと……リグゼルド様ですね……それは……」
「たばこうとるんじゃないけん、それは飲んでくれんじゃろか。……そのエドガード様がな、結婚を前提につきおうて欲しいけぇ……叔父だったかなんだかの養子んなって、社交界に出て欲しいち言うちょるんよ。じゃけんど、わしはこの口なおらんし、教養なんちゃらもありゃせんし、貴族ぶりっこなんちできんじゃろ? 断りとぉてもなぁ……その……」
「あぁ、健康保護条例にのっとり、訴えますか?」
貴族に言い寄られているとあれば、やはり誰でも持ち出すのは健康保護条例なのか、城でも言われたようなことをマニュエル神官が持ち出してくるものだから、ついとため息がこぼれそうになる。
「ちごとるよぉ、わしも惚れちょっと……わしとて気持ちがあるけぇ、こまっちゅうよ」
「では、教師を?」
口の悪さに教養のなさをあげたせいか、ならばと出された案はティカを教育することだが、もちろんティカはそんなこと望んでいないので、今度こそ大きなため息がこぼれた。
「まごぉとるって……結婚なんち無理じゃけぇ……でも、一緒にいたいけぇ……どうしたらいんじゃろなぁち……思っちょおと……」
そもそもティカに結婚の意志などない。これまでも、これからも、結婚する気などさらさらないのだからしょうがない。
平民であるティカには、名や血を残す必要など欠片もなく、1人ならばなんとか生きていける現状にあって、結婚しなくてはならない理由なぞない。
持参金や結婚税というものも必要とあれば、結婚には金がかかるばかりで何の魅力もない。
親があればそれなりの用意もしてくれようが、それもないティカにとって、結婚などどこかで幸せそうな姿を垣間見るだけのものとなっていた。
「結婚、してはいけませんか?」
だが、それでも、ティカと同じ境遇にあっても結婚するものはいる。
なぜと問われるほどに、マニュエル神官にとってエドガードとの結婚は夢のように恵まれたものであって、荒唐無稽とはいえぬほどに理解されるものであって……それでも、ティカの考えは変わりはしなかった。
「……そりゃ、わしに、その資格はねぇし」